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本名: | ジョン・デ・ヴーヴィエ・デ・ハヴィランド | ![]() |
職業: | 俳優 | |
生年: | 1917年10月22日 | |
出身国: | 日本 | |
出身地: | 東京 虎ノ門 | |
没年: | ---- | |
代表作: | 『レベッカ』(40) 『断崖』(41) 『忘れじの面影』(49) | |
東京帝国大学の教師を務めていた父親と舞台俳優のリリアン・フォンテーンの間に生まれ、3歳の時には幼児のIQテストで160点を取る天才児だったが、病弱だっために医者らか転地療養を薦められて、両親が離婚した1919年に母親と姉のオリビア・デ・ハビランドと共にイタリアへ向かう。しかし、旅の途中でフォンティンの病状が悪化し、3人はカリフォルニアのサラトガに移り住む。32年には日本人女性と再婚した父親のもとを訪ねて日本に移り住み、アメリカン・スクールと東京の聖心女学園で学生時代を過ごす。18歳になるとアメリカに戻るが、姉のデ・ハビランドは舞台に出演して俳優としての活動を始めており、彼女も友人からの誘いを切っ掛けに舞台に出演して、姉や母親と同じ女優の道を歩みはじめる。M-G-M社にスカウトされたフォンテーンは、35年にジョーン・バーフィールドという芸名でジョーン・クロフォード主演の『男子牽制』で映画デビューを果たす。
残念ながら彼女の演技は評判にはならず、37年の『You Can't Beat Love』からは芸名を母親の再婚相手の名字フォンテーンに変えてB級映画の端役として出演しながら、舞台にも出演して演技を磨いてゆく。舞台の製作者に認められてRKO入りすると、キャサリン・ヘプバーン主演のコメディ『偽装の女』(37)に出演。続いてミュージカル『踊る騎士』(37)ではジンジャー・ロジャースに代わってフレッド・アステアの相手役を務める。39年のアドベンチャー大作『ガンガ・ディン』(39)ではケーリー・グラントやビクター・マクラグレンらを虜にするヒロインを熱演。映画の成功と共に彼女の知名度も上昇し、同年の『The Women』では助演ながらも印象的な演技を披露する。39年には俳優のブライアン・アーハンと結婚。製作者のデビッド・O・セルズニックは超大作『風と共に去りぬ』(39)のメラニー役にフォンテーンの起用を考えたが、スカーレット役を熱望したフォンテーンは興味を示さず、最終的にスカーレット役はヴィヴィアン・リーが、メラニー役は姉のデ・ハビランドが獲得する。
この一件はフォンテーンを大いに失望させて、彼女は自殺まで考えたが、セルズニックがダフネ・デュ・モーリアのベストセラー小説『レベッカ』(40)のヒロイン役を探していることを知ると、必死に売り込んでアン・バクスターやマーガレット・サラヴァンといった大物候補を抑えて初の大役を獲得。
フォンテーンはアルフレッド・ヒッチコック監督の指導のもとでヒロインを堂々と演じて映画を成功へと導いただけでなく、アカデミー主演女優賞に初ノミネートされる。
翌41年には再びヒッチコックと組んでサスペンス映画『断崖』に出演。ケーリー・グラント扮する夫に殺されるのではないかと疑心暗鬼になるヒロイン役は高い評価を得て、2度目のアカデミー主演女優賞へのノミネートを受ける。
この年は姉のデ・ハビランドも『Hold the Back Dawn』(41)で主演女優賞にノミネートされていたが、栄冠は妹に輝く。姉よりも先にオスカーを手にして、メロドラマ女優としての人気を確立したフォンテーンは、3度目のオスカー・ノミネートを受けた『永年の処女』(43)や『ジェーン・エア』(44)などで清楚なヒロイン役を披露。
45年にはアーハンと離婚し、翌46年には製作者のウィリアム・ドジャーと再婚。ビリー・ワイルダー監督のミュージカル『皇帝円舞曲』(48)では、ビング・クロスビーとコミカルなロマンスを演じて清楚なヒロインとは違った一面を披露する。
フォンテーンは夫のドジャーと共に独立プロダクション「ラムバート・プロダクション」を設立し、ステファン・ツヴァイクの『未知の女性の手紙』の映画化『忘れじの面影』(49)を製作。映画はメロドラマの傑作として彼女の演技と共に高く評価されたものの、ラムバート・プロはこの一本で倒産してしまう。ドジャーとの間には娘が生まれるが、結婚生活は長続きせず二人は51年に離婚。
1年の休養の後、ナポリを舞台にしたメロドラマ『旅愁』(50)で映画界に戻るが、51年の『Darling How Could You?』は興行的な失敗に終り、デボラ・カーをはじめとする若手のメロドラマのヒロインの登場もあって、次第に質の高いヒット作に恵まれなくなる。
52年には製作者で脚本家のコリア・ヤングと3度目の結婚を果たし、同年にはペルー人の女の子を養子にする。57年にはハリウッドで初めて白人女性と黒人男性のロマンスを描いた『日のあたる島』に出演。相手役のハリー・ベラフォンテがフォンテーンと軽いキスと抱擁をするシーンは人種差別主義者や保守的な人々の反感を招いて、フォンテーンのもとには嫌がらせの手紙が殺到した。
やがて、活動の場は映画からテレビや舞台に移り、『Forty Carats』や『冬のライオン』などのブロードウェイの舞台にも出演。
64年にはスポーツ記者のアルフレッド・ライト・ジュニアと4度目の結婚を果たし、66年のハマー製ホラー映画『The Devil's Own』が最後の劇映画出演作となる。
69年にはライトと離婚し、78年には自伝『No Bed for Roses』を発表。94年にはテレビ用映画『Good King Wenceslas』に出演して久しぶりに元気な姿を披露した。
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紹介作品 | ||
出演 | ||
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