ジョン・ヒューストン John Huston

本名:
ジョン・マーセルス・ヒューストン
ジョン・ヒューストン
職業:
製作者、監督、俳優、脚本家、撮影監督
生年:
1906年8月5日
出身国:
アメリカ
出身地:
ミズーリ州 ネヴァダ
没年:
1987年8月28日
代表作:
『マルタの鷹』(41)
『黄金』(48)
『アフリカの女王』(51)

名優ウォルター・ヒューストンと女優のレア・ゴーレの間に生まれ、3歳になると両親と共に舞台に出演、その後も両親の巡業についてまわるが、子供の頃は病弱だった為にボクシングなどで体を鍛える。学校を中退してボクサーとなり、14歳でアマチュア・ライト級のチャンピオンとなり、19歳の時にはオフ・ブロードウェイの舞台に立つが、突然メキシコに渡って騎兵隊に入隊する。その後は、ホースショーの芸人や小説の執筆などの仕事を経て再び俳優として舞台や映画に端役として出演、1928年に最初の脚本『Frankie and Johnny』を執筆、32年には父親の助けもあってユニヴァーサル社と脚本家として契約を交わす。ユニバーサルで父親が出演する『北海の漁火』(32)の脚本などを手掛けるが、『モルグ街の殺人』(32)の脚本執筆後ハリウッドを離れてヨーロッパに放浪の旅にでる。ヨーロッパから戻ってくると、38年にワーナー・ブラザーズ社と契約して『黒蘭の女』(38)、『偉人エーリッヒ博士』(40)、『ハイ・シェラ』(41)などの脚本を手掛ける。41年には自ら脚本を執筆した『マルタの鷹』で念願の監督デビューを果たし、ダシール・ハメットの原作を忠実に映画化して高い評価を得て、脚本家としてだけでなく監督としても高い評価を得る。40年代は『ヨーク軍曹』(41)の脚本やハンフリー・ボガート主演の『Across the Pacific』(42)等の戦意高揚映画などを手掛け、第二次世界大戦が激化すると通信隊員として参戦してアラスカの防衛を題材にしたドキュメンタリー映画を手掛ける。戦争が終結するとハリウッドに戻り、ノー・クレジットで『殺人者』(46)や『ストレンジャー』(46)等の脚本を手掛けた後、ワーナー・ブラザーズに戻ってボガートと父親のウォルターを起用した『黄金』(48)を手掛ける。映画は興行的な成功を収めただけでなく、父親にアカデミー助演男優賞をもたらし、ヒューストンは監督賞と脚本賞を獲得する。ワーナーで『キー・ラーゴ』(48)などを手掛けた後、M-G-M社に移籍してフィルム・ノワールの傑作『アスファルト・ジャングル』(50)を手掛ける。続いて、彼の最高傑作と謳われたオーディ・マーフィー主演の南北戦争映画『勇者の赤いバッジ』を手掛けるが、彼が次回作『アフリカの女王』(51)製作の為にアフリカに渡ると、スタジオは再編集して公開し、映画は興行的に惨敗して失敗作の烙印を押されてしまう。ヒューストンはアフリカで映画の撮影よりも象狩りに夢中になり、撮影も自然の災害によって過酷を極めたものの、映画は大ヒットして彼の人気は回復する。57年の『武器よさらば』では、製作者のデビッド・O・セルズニックと対立して監督の座を追われたものの、文豪ハーマン・メルヴィルの文芸大作を映画化した『白鯨』(56)や、マリリン・モンローとクラーク・ゲイブルの遺作となった『荒馬と女』など見応えのある良質の作品を送り出す。しかし、60年代に入ると『許されざる者』(60)や『イグアナの夜』(64)など批評的にも興行的にも失敗する作品が多くなる反面、俳優としての活躍が目立つようになり、アカデミー助演男優賞にノミネートされた『枢機卿』(63)や『チャイナタウン』(74)などに出演して父親譲りの好演技を披露する。晩年はシルベスター・スタローン主演の『勝利への脱出』(81)、ヒット・ミュージカルの映画化『アニー』(82)、彼の娘アンジェリカの出演する『男と女の名誉』(85)と彼の遺作となった『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(87)などを手掛けて、『男と女〜』ではアンジェリカにアカデミー助演女優賞をもたらし、親子三世代に渡るアカデミー賞の受賞を果たす。また、アンジェリカの兄トニーは『ザ・デッド』の脚本を手がけ、二人の異母兄弟のダニーは88年にヒューストンの脚本をもとに『ミスター・ノース 風を運んだ男』を監督する。

紹介作品

ハイ・シェラ(41)

脚本

マルタの鷹(41)

監督/脚本

キー・ラーゴ(48)

監督/脚本

アフリカの女王(51)

監督/脚本



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