ジェニファー・ジョーンズ Jennifer Jones

本名:
フィリス・アイズリー
ジェニファー・ジョーンズ
職業:
俳優
生年:
1919年3月2日
出身国:
アメリカ
出身地:
オクラホマ州 タルサ
没年:
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代表作:
『聖処女』(43)
『白昼の決闘』(46)
『慕情』(55)

小さな劇団を運営する俳優の両親のもとに生まれ、幼い頃から演技に興味をもって、6歳の時にはキャンディ・バー役で初舞台を踏んだ。 学生の頃は演劇部に所属して主に主演を演じ、プロの俳優を目指して演劇科のあるノースウェスタン大学に進学。 しかし、大学の授業にやりがいのなさを感じた彼女は、ニューーヨークにあるアメリカ演劇学校に転向。 39年には演劇学校で知り合った俳優ロバート・ウォーカーと結婚した。 二人は学校を中退し、故郷のタルサに戻ってウォーカーと共にラジオ局で働いていたが、父親の薦めでハリウッドに移る。 しかし、俳優の仕事を得ることは出来ず、ジョーンズは二流スタジオのリパブリック社と契約して、ウェスタン『The New Frontier』(39)で端役として本名で映画デビューを果たす。 連続活劇『Dick Tracy's G-Men』(39)に出演した後、ハリウッドに失望した彼女はリパブリックとの契約を打ち切ってウォーカーと共にニューヨークに戻り、 ウォーカーはラジオ局で働き、ジョーンズはモデルをして生活を支えた。 2子をもうけて順調な結婚生活を送っていたが、プロの俳優になる夢を捨てきれないジョーンズは舞台『Claudia』のオーディションに参加。 彼女の演技に感銘を受けた原作者のローズ・フランケンはジョーンズを舞台の映画化を進めていた敏腕製作者のデビッド・O・セルズニックに紹介。 ジョーンズは役を得ることは出来なかったが、セルズニックのプロダクションと7年の専属契約を果たし、ジェニファー・ジョーンズの芸名が与えられた。 ジョーンズを大々的に売り出すため、セルズニックは20世紀フォックス社の『聖処女』(43)の主役に彼女を推薦。 実在した16歳の聖女ベネディクトを夫と子を持つ駆け出しの新人女優に演じさせることは賭けだったが、セルズニックの目論見は的中して映画は大ヒットを記録。 ジョーンズは初主演作でいきなりアカデミー主演女優賞を獲得した。 翌44年にはセルズニックが製作・脚本を手掛けたメロドラマ『君去りし後』で夫のウォーカーとの初共演を果たしたが、 ジョーンズに献身的に尽くすセルズニックとの関係が深まるにつれてウォーカーとの仲は冷めてしまい、二人は45年に離婚。 ウォーカーは離婚後アルコールに溺れるようになり、『マイ・サン・ジョン』(51)の撮影中に睡眠薬の過剰摂取による呼吸器疾患で死亡した。 不倫によってスターの地位を手に入れたジョーンズには常にスキャンダラスなイメージが付きまとい、マスコミもそんな彼女を快く思わず、お高く留まった女優として敬遠していたが、彼女は意に介さず次々と話題作に出演。 46年の『白昼の決闘』は最初は小規模な作品だったが、セルズニックがジョーンズのために『風と共に去りぬ』(39)的なウェスタン大河ドラマとして作り変えたため制作費が高騰。 当時としては最高の制作費を掛けたこの映画でジョーンズは二人の男に愛される野生的な混血児パールを熱演し、映画をヒットに導いた。 ジョーンズはセルズニックと49年に再婚するが、40年代後半からスランプに陥ってしまい、 48年のファンタジー『ジェニーの肖像』ではシーンごとに成長してゆく難しい役どころを熱演したが、初公開時は興行的に惨敗。この映画を製作したセルズニックに巨額の負債をもたらしてしまう。 50年の『女狐』では『白昼の決闘』のパールを彷彿させる二人の男の間で揺れ動く混血児を、 チャールトン・ヘストンと共演した『ルビイ』(52)では男に裏切られて復讐を誓う女を演じたが、どちらもヒットには結びつかなかった。 また、50年代には不倫をテーマにした二本のメロドラマの古典に出演。 ネオ・レアリスモの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『終着駅』(53)ではモンゴメリー・クリフト扮するイタリア人青年と2時間だけの激しい情事に身をゆだねる人妻、 朝鮮戦争勃発に揺れる香港を舞台にウィリアム・ホールデン扮する新聞記者との愛と別離を描いた『慕情』(55)では実在の女性ハン・スーインを熱演して、観客の涙を誘った。 57年、セルズニックはジョーンズをヒロインに迎えてアーネスト・ヘミングウェイの反戦小説『武器よさらば』を映画化。 監督交代などのトラブルの末に完成した映画は、失敗作の烙印を押され興行的にも惨敗してしまう。 セルズニックはジョーンズのためにフィッツジェラルド原作の『夜は帰ってこない』の映画化を企画するが、製作は他人に行われて61年に公開。 他の企画はどれも実現しないまま、セルズニックは65年に心臓発作でこの世を去った。 セルズニックという後ろ盾を失ったジョーンズはアルコールに溺れ、66年の低予算映画『留学体験』も話題にならずに、観客からも忘れ去られ出演依頼は激減。 孤独になり、67年には友人で俳優のチャールズ・ビッグフォードの死にショックを受けたジョーンズは薬を多量に飲んで自殺しようとした。 自殺を図ったジェニファーはドラッグ中毒の子供たちの更正に力を入れるようになり、自宅を会合のために開放したり、友人に寄付を募るなど活動に積極的に参加。 このボランティアを通して絵画収集家で実業家のイートン・サイモンと知り合い、二人は71年に結婚。 69年の『ザ・ダムド/あばかれた虚栄』でカムバックを果たすが、元ポルノ女優という往年のメロドラマのヒロインから想像できない役を演じたが酷評されてしまう。 74年にはパニック映画『タワーリング・インフェルノ』で5年ぶりに映画に復帰。 フレッド・アステア扮する詐欺師に狙われる未亡人を演じ、アステアとの華麗なダンスも披露してゴールデングローブ賞の助演女優賞にノミネートされた。 本格的な復帰を考えていた矢先の76年、セルズニックとの間に生まれ精神を患っていた娘のメアリーが飛び降り自殺するという悲劇に見舞われる。 娘の死後、ジェニファーは精神病患者のための基金を設立。積極的な活動は現在でも続いている。 スクリーン復帰の話は何度かあったがどれも実現せず、ラリー・マクマートリーの小説『愛と追憶の日々』(83)の映画化権を獲得して主演の母親役を演じようとしたが、 監督のジェームズ・L・ブルックスはジョーンズでは老けすぎていると考え、彼女に代わってシャーリー・マクレーンを起用した。 93年にはサイモンに先立たれ、97年にはドイツ映画協会から生涯功労賞を受賞。 03年にはミッキー・ルーニーやオリビア・デ・ハビランドら往年の俳優らと共に75周年を迎えたアカデミー賞の授賞式に出席して元気な姿を披露した。

紹介作品

白昼の決闘(46)

出演



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