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本名: | マリオン・マイケル・モリソン | ![]() |
愛称: | デューク | |
職業: | 製作者、俳優、監督、スタントマン、小道具係 | |
生年: | 1907年5月26日 | |
出身国: | アメリカ | |
出身地: | アイオワ州 ウインターセット | |
没年: | 1979年6月11日 | |
代表作: | 『駅馬車』(39) 『赤い河』(48) 『捜索者』(56) | |
薬剤師の父親のもとに生まれ、14年に父親の健康状態の悪化したことから、療養のため一家はカリフォルニアに移住。
高校時代はフットボールの花形選手として活躍し、彼の飼い犬の名前から「デューク」の愛称が付いた。
25年にはフットボールの奨学金を得て南カリフォルニア大学に入学。
翌年にはフットボール・コーチの紹介でフォックス社の撮影所で背景を移動させるアルバイトを始める。
フォックスの契約監督ジョン・フォードが撮影していた潜水艦映画で、
ウェインは専属のスタントマンが断ったスタントをこなしたことからフォードに認められ、
小道具係り、スタントマン、動物の飼育係、群集シーンのエキストラなどあらゆる仕事をこなした。
しかし、在学2年目に足首を怪我してしまい、選手生命を絶たれたウェインは大学を中退。
色々な臨時の仕事に就いた後、28年に再びフォックスに戻り、裏方やエキストラとして活躍。
新作ウェスタンで若い斥候役を探していた監督のラオール・ウォルシュに、フォードはウェインを推薦。
スクリーンテストを受けて見事合格したウェインには、独立戦争の英雄アンソニー・ウェインから取ったジョン・ウェインという芸名が与えられた。
当時としては珍しい72ミリのフィルムで撮影された制作費200万ドルの大作『ビッグ・トレイル』(30)は不況の影響を受けて興行的に失敗。
スターとして成功することは出来なかったウェインは、スタジオを転々としながら20本以上の低予算のB級やC級映画に出演する。
その後、B級映画専門のモノグラム社と契約を交わし、33年には歌うカウボーイ映画の先駆けとなった『宿命のカウボーイ』に出演し、38年までに28本のB級西部劇に出演した。
アーネスト・ヘイコックスの短編小説『駅馬車』(39)の映画化を進めていたフォードは、アンチヒーローのリンゴー・キッド役にウェインを抜擢。
ウェインはフォードの厳しい指導のもとで孤高のヒーローを見事に演じ、映画の批評と興行的な成功によって一躍スターの仲間入りを果たした。
40年には再びフォードの演出のもと、ユージン・オニール原作の『果てしなき航路』に出演。
『駅馬車』の成功後も、モノグラムと合併したリパブリック社では引き続き低予算のB級西部劇などに出演させられたが、
他のスタジオに貸し出されると、マレーネ・ディートリッヒと共演した『Seven Sinners』(40)、『スポイラーズ』(42)、『男性都市』(43)、
セシル・B・デミル監督のアドベンチャー映画『絶海の孤島』(42)、そして敗者の美学を描いたフォード監督の『コレヒドール戦記』(45)などに出演して俳優としての才能を開花させてゆく。
48年のハワード・ホークス監督作『赤い河』(48)では、復讐に燃える初老の牧童を熱演して芸域の広さを披露。
アクションだけでなく、演技が出来ることも証明したウェインは続いてフォード監督の『黄色いリボン』(49)に出演。
定年退職を控えた将校役を好演して更なる人気を獲得し、翌50年にはハリウッドのマネー・メイキング・スターの第一位に選出された。
52年のフォード念願の企画『静かなる男』では、故郷のアイルランドに戻った元ボクサーをユーモアを交えて好演して映画をヒットさせ、
その後もウェスタンや戦争映画を中心に活躍。
中でも、56年の『捜索者』で演じた復讐の鬼と化したカウボーイ、イーサン役は作品と共に高く評価された。
60年には長年温めていた企画『アラモ』を自ら製作。
アラモ砦の攻防を描いたこの大作でウェインは開拓時代の英雄デイビー・クロケットを演じただけでなく、初めて監督業に挑んだ。
この映画の製作のためにウェインは1200万ドルもの私財を投じ、アカデミー賞を獲得するための大掛かりなキャンペーンを行うが、
派手な宣伝が逆に反感を買って作品賞を獲る事は出来ず、映画も莫大な制作費を回収できずに終わった。
映画が失敗してもウェインの人気は衰えることはなく、ホークス監督のサファリ映画『ハタリ!』(61)、オールスター・キャストの戦争映画『史上最大の作戦』(62)、西部の開拓史を描いたシネラマ西部劇『西部開拓史』(63)などのヒット作に相次いで出演。
64年には肺ガン手術を行い、ベトナム戦争が激化していた68年には、
ベトナムにおけるアメリカ特殊部隊の活躍を描いたタカ派のアクション映画『グリーン・ベレー』で監督と主演を務めた。
69年の『勇気ある追跡』では、隻眼で大酒飲みの元保安官ルースター・コグバーンを熱演して念願のアカデミー主演男優賞を獲得。
75年には『オレゴン魂』で再びコグバーンを演じ、往年の名女優キャサリン・ヘプバーンとの初共演を果たした。
最後の映画出演作となった『ラスト・シューティスト』(76)では、ガンに冒されたガンマンという自身の生き写しのような役を演じて憂愁の美を飾った。
79年の1月には胃と胆嚢ガンの摘出手術を行い奇跡的に生還したものの、その年の11月に腸ガンで帰らぬ人となった。
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紹介作品 | ||
出演 | ||
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