
| ||
本名: | キャサリン・ホートン・ヘプバーン | ![]() |
愛称: | ケイティ / First Lady of Cinema(シネマの女王) | |
職業: | 俳優、脚本家 | |
生年: | 1907年5月12日 | |
出身国: | アメリカ | |
出身地: | コネチカット州 ハートフォード | |
没年: | 2003年6月29日 | |
代表作: | 『若草物語』(33) 『フィラデルフィア物語』(40) 『アフリカの女王』(51) | |
医者の娘として生まれ、自由な気風の家庭で腕白な少女時代を過ごす。
幼い頃から映画や演劇の世界に魅了されていたヘプバーンは、12歳の時にアマチュア劇団に参加。
大学でも学生演劇に熱中し、ブリン・モーア大学で心理学博士の学位を得た後、ボルティモアのエドゥィン・H・ノックスが主宰するストックカンパニーに入団。
21歳の時、劇団の夏期公演『The Czarina』と『The Cradle Snatchers』でプロとして舞台デビューを果たす。
発声に問題があったため、ニューヨークのフランシス・ロビンソン=ダフのもとで訓練を受け、
端役や代役として『素晴らしき休日』や『Death Takes a Holiday』などのブロードウェイや地方の舞台に出演する。
28年には学生時代からの恋人ラドロウ・オグデン・スミスと結婚。
31年に出演した『Art and Mrs. Bottle』と、翌32年の『A Warrior’s Husband』での女戦士役の好演によって一躍脚光を浴びる。
彼女の舞台での活躍はハリウッドからも注目され、パラマウント社が出演をオファーするが映画界に魅力を感じないヘプバーンは申し出を断ってしまう。
RKO社は彼女が提示した週給1,500ドルを受け入れて出演契約を結び、ノーマ・シアラーやアイリーン・ダンといった人気女優が出演を希望した『愛の嗚咽』(32)のシドニー・フェアフィールド役で華々しい映画デビューを飾らせる。
監督のジョージ・キューカーとはその後友人となり、テレビ映画を含めて10本の作品で一緒に仕事をした。
翌33年の『勝利の朝』では、田舎出の女優志願娘を熱演して初のアカデミー主演女優賞を獲得。
同年の人気古典小説の映画化『若草物語』(33)では次女のジョーを演じてベネチア映画祭の最優秀女優賞を受賞した。
『若草物語』は記録破りのヒットとなり、ヘプバーンのもとには新しい企画が殺到し、RKOは30万ドルで彼女との出演契約を2年間延長する。
順調な俳優業とは裏腹に、結婚生活はうまくいかず、34年にはスミスと離婚。
また、『恋の痛手』(35)、『男装』(36)、『偽装の女』(37)はすべて興行的に失敗し、
『ステージ・ドア』(37)はキャストの豪華さで売ってヒットするが、「ボックスオフィス・ポイズン」の一人に指名されてしまい、興行的に価値のない女優のイメージが付きまとってしまう。
翌38年のスクリューボール・コメディ大作『赤ちゃん教育』は大きな赤字を出す失敗作となり、
ヘプバーンはRKOとの契約を20万ドルで買い取って、コロムビア社の『素晴らしき休日』(38)に出演後、ハリウッドを離れて古巣の舞台に戻る。
39年ヘプバーンは舞台版『フィラデルフィア物語』に出資し、主演も兼ねたこの舞台は大ヒットを記録。
舞台の映画化権を持っていた彼女は、映画化に興味を示したM-G-M社と好条件で契約を結んで映画版でも主演をつとめる。
映画版『フィラデルフィア物語』(40)は商業的成功を収めて、彼女のキャリアは完全に復活。
42年の『女性No.1』では、M-G-Mの人気俳優スペンサー・トレイシーと運命的な出会いを果たす。
2人は『女性No.1』を皮切りに、『火の女』(42)、『愛はなく』(45)、『大草原』(47)、『愛の立候補宣言』(48)、『アダム氏とマダム』(49)、『パットとマイク』(52)、『ディスク・セット』(57)、『招かれざる客』(67)の9本の作品で共演。
私生活でも二人は愛し合っていたが、カトリック教徒のトレイシーは宗教上の理由から前妻と離婚しようとしなかったので、始めの頃は密かに会わなければならなかったが、
2人は「終生の伴侶」として息の合った名パートナーぶりを披露。67年に心臓発作で倒れたトレイシーの臨終を見取ったのもヘプバーンだった。
2人の関係はマスコミの耳にも届き、ハリウッドでは「公然の秘密」だったが、2人とも俳優として尊敬されていたうえに、その愛が美しかったので、マスコミは2人に敬意を払い、後にライフ誌がとりあげるまでこのスキャンダルを報道しなかった。
トレイシーとの共演作以外にも、ジョン・ヒューストン監督の『アフリカの女王』(51)、デビッド・リーン監督の『旅情』(55)、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『去年の夏突然に』(59)などの興行的にも批評的にも成功した作品に出演して的確な演技を披露。
映画だけでなく舞台にも時折戻って『お気に召すまま』、『空騒ぎ』、『ヴェニスの商人』などのシェークスピア劇の舞台に立つ。カンヌ映画祭主演女優賞を獲得した『Long Day’s Journey into Night』(62)出演後は、俳優業を休んで病気のトレイシーの看病に専念した。
67年にはトレイシーと共に彼の遺作となった『招かれざる客』に出演して2度目のアカデミー主演女優賞を獲得。
67年にトレイシーが亡くなると彼女の引退が噂されるが、翌68年には『冬のライオン』に出演して3度目のオスカーを手にした。
69年にはココ・シャネルの生涯を描いた舞台ミュージカル『ココ』に出演して独特の歌声で観客を魅了し、トニー賞にノミネートされた。
その後も映画、舞台、テレビとメディアにこだわることなく仕事を続けてゆき、81年にはヘンリー・フォンダの遺作となった『黄昏』で4度目のアカデミー主演女優賞を受賞。
91年には自伝『Me』を発表し、ウォーレン・ベイティに誘われて出演した94年の『めぐり逢い』を最後に俳優業からは遠ざかり、生まれ故郷のコネチカットで静かに暮らしていたが、2003年6月29日、老衰が原因で96歳の生涯を閉じた。
| ||
紹介作品 | ||
出演 | ||
出演 | ||
出演 | ||
出演 | ||
出演 | ||