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本名: | トマス・レオ・マッケリー | ![]() |
職業: | 製作者、監督、脚本家 | |
生年: | 1898年10月3日 | |
出身国: | アメリカ | |
出身地: | カリフォルニア州 ロサンゼルス | |
没年: | 1969年7月5日 | |
代表作: | 『結婚道中記』(36) 『我が道を往く』(44) 『めぐり逢い』(57) | |
1920年にトッド・ブラウニングの助監督としてハリウッド入りし、23年にはハル・ローチに雇われて『ちびっこギャング』シリーズや他のスタジオお抱えのスター・コメディアンたちのギャグ・ライターとして活躍する。その後、短編映画の製作や監督を手掛けるようになり、日本では「極楽コンビ」の名前で親しまれたスタンリー・ローレルとオリバー・ハーディのコンビを生み出して、マッケリーは監督として二人の作品を手掛けてゆく。この頃にはマッケリーはハル・ローチ・スタジオの副社長に就任する。映画がトーキーの時代に入ると長編映画も手掛けるようになり、エディ・カンター主演の『カンターの闘牛士』(32)、マルクス兄弟の『我輩はカモである』(33)、メエ・ウエスト主演の『罪ぢゃないわよ』(34)、ハロルド・ロイド主演の『ロイドの牛乳屋』(36)などハリウッドを代表する偉大なコメディアンたちの主演作を次々と手掛けて、彼のスピード感溢れるストーリーとギャグの応酬は30年代のハイテンション・コメディのトレード・マークとなる。36年にはスクリューボール・コメディの傑作『結婚道中記』を発表してアカデミー監督賞を獲得、コメディだけでなくセンチメンタルな物語にも才能を遺憾なく発揮して、『明日は来らず』(37)や『邂逅(めぐりあい) 』(39)などのメロドラマの名作を手掛ける。40年代に入ると彼の作風はよりシリアスになり、44年には歌手で俳優のビング・クロスビーと組んで、ユーモアのセンスとセンチメンタリズムを見事に融合させて、下町の教会を舞台にした人情喜劇の傑作『我が道を往く』を発表、興行的な成功を収めただけでなく、アカデミー賞7部門を獲得し、2度目の監督賞を受賞する。翌年、イングリッド・バーグマンを共演に迎えて『我が道〜』の続編『聖メリーの鐘』を発表して前作以上の成功を収めて、44年には全米の長者番付第一位に輝く。50年代に入ると彼のビジョンは時代を反映して暗さを増し、ハリウッドに赤狩りの嵐が吹き荒れると共産主義に立ち向かうアメリカ人一家を描いた反共映画『マイ・サン・ジョン』(52)を手掛けるが、興行的に奮わなかった。57年には『邂逅』(39)をケーリー・グラントとデボラ・カーの二大スターを起用して自らリメイクした『めぐり逢い』を発表、本作はグラントとカーの名演と相まって恋愛映画を語る上では欠かせない一本となる。 年には再び反共映画『Satan Never Sleeps』を手掛けるが、興行的に失敗してこれが遺作となる。彼は脚本を重要とせず、すべてのシーンを現場で作り出していったが、俳優達の即興的な演技の積み重ねによって、心温まる人情喜劇から涙無しには観ることの出来ないメロドラマまで上質のドラマを次々を作り出してハリウッドを代表するストーリー・テラーとして活躍する。 | ||
紹介作品 | ||
監督 | ||
製作/監督/原案/脚本 | ||
製作/監督/原案 | ||
監督/原案/脚本 | ||