マイケル・カーティス Michael Curtiz

本名:
Kano kertesz Kaminer
マイケル・カーティス
職業:
製作者、監督、俳優、脚本家
生年:
1886年12月24日
出身国:
ハンガリー
出身地:
ブタペスト
没年:
1962年4月10日
代表作:
『汚れた顔の天使』(38)
『カサブランカ』(42)
『ホワイト・クリスマス』(53)

12歳の時に家を飛び出してサーカスに入団し、その後国立演劇アカデミーに入って俳優の修行をする。アカデミーを出ると舞台俳優として活躍、1912年に故郷のハンガリーで俳優として映画界入りして、同年ハンガリー初の長編映画『Az Utolso Bohem』で監督デビューを果たす。ハンガリーで最も忙しい監督として活躍し、第一次世界大戦中はニュース映画のカメラマンを務めるが、映画産業が共産政府によって国有化されるとカーティスは亡命して、オーストリア、フランス、ドイツなど色々な国で7年間に『Sodom and Gomorrah』(23)など21本の映画を手掛ける。彼の『イスラエルの月』(24)を観たワーナー・ブラザーズ社の重役ジャック・L・ワーナーに招きで26年にハリウッド入りを果たし、ワーナー専属の主要監督の一人として活躍する。30年には『ジャズ・シンガー』(27)のアル・ジョルスン主演のミュージカル『マミイ』を演出、映画は大ヒットを記録してカーティスの手腕も高く評価される。以後30年代から40年代にかけて、ホラー映画『肉の蝋人形』(33)、アドベンチャー映画『海賊ブラッド』(35)、ギャング映画『汚れた顔の天使』(38)、ウェスタン『無法者の群』(39)などエロール・フリン、アル・ジョルスン、ジェームズ・キャグニーといったワーナーお抱えの人気スターを起用した、あらゆるジャンルのヒット作を手掛けてゆく。42年にはハンフリー・ボガートイングリッド・バーグマン主演の『カサブランカ』を発表、現在ではメロドラマの古典と称されるものの、撮影は完成した脚本なしで進められたうえにキャストとスタッフとの確執も絶えなかったが、映画は興行的に大きな成功を収めただけでなく、アカデミー賞では作品賞、カーティスの監督賞と脚色賞の3部門を獲得する。同年にはブロードウェイの立役者ジョージ・M・コーハンの生涯を映画化した『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー』を発表、コーハンを演じたキャグニーにアカデミー主演男優賞をもたらす。45年には女性の自立を描いたメロドラマ『ミルドレッド・ピアース』を手掛けて、タイトルロールを演じたジョーン・クロフォードにオスカーをもたらして、落ち目だった彼女の人気を復活させる。50年代に入ってからも第一線の監督として活躍、ビング・クロスビー主演の大ヒット・ミュージカル『ホワイト・クリスマス』(54)、ボガート主演のコメディ『俺たちは天使じゃない』(55)、エルヴィス・プレスリー主演のミュージカル『闇に響く声』(58)など質の高いエンターテインメント作品を演出、遺作となったジョン・ウェイン主演のウェスタン『コマンチェロ』(61)まで100本以上の作品をハリウッドで手掛けた。
『カサブランカ』や『ホワイト・クリスマス』など往年の名作を数多く手掛けたが、脚本を読まずに撮影に入ることもすくなくなく、英語が達者ではないうえに、撮影中は独裁者のように振る舞って能率的に仕事をこなそうとする彼の職人的な仕事ぶりはスタッフとキャストの両方から嫌われていた。史劇『ノアの箱舟』(29)では、洪水のシーンの撮影でエキストラから迫真のパニックを引き出させようとして、数名のエキストラを溺死させてしまう。しかし、同じ性格のエーリッヒ・ヴォン・シュトロハイムのように芸術的な野心はなく、オーソン・ウェルズアルフレッド・ヒッチコックのように独特のスタイルを持っていなかったが、雇用主である映画スタジオから依頼された作品だけを手堅く演出する、ハリウッドのスタジオ・システム特有の職人監督として活躍した。

紹介作品

カサブランカ(42)

監督

ホワイト・クリスマス(53)

監督



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