モーリン・オハラ Maureen O'Hara

本名:
モーリン・フィッツシモンズ
モーリン・オハラ
愛称:
テクニカラーの女王
職業:
俳優
生年:
1920年8月17日
出身国:
アイルランド
出身地:
ダブリン
没年:
----
代表作:
『わが谷は緑なりき』(41)
『三十四丁目の奇蹟』(47)
『静かなる男』(52)

5人兄弟の次女として生まれ、ダブリンでサッカー・チームを持っていた父親の影響でサッカーや木登り、地元のスポーツに励む腕白な子供時代を送っていたが、 6歳の頃から演技に興味を持ち始め、時折隣人を招いて兄弟と共に裏庭演劇会を開いていた。 彼女の演技と歌に関する興味は衰えることがなく、母親は彼女を発声法の教室に通わせ、14歳の時には地元の演劇コンテストで優勝。 同年にはアイルランドの劇団アビー・シアターに入団し、 舞台俳優としての成功を目指す彼女はアビーでプロとしての演技レッスンを受け、劇団が主宰する様々な舞台に出演して高い評価を獲得したが、 彼女の将来を案じた父親の勧めで一時俳優活動を休止して秘書と簿記の教室に通った。 プロの秘書と簿記のスキルを身に着けた彼女は舞台に復帰。17歳で舞台の主役を務め、37年にはジョージ・ブラウンと結婚。 38年にはアメリカの歌手ハリー・リッチマン主演の『Kicking the Moon Around』に端役として出演し、 彼女の演技に注目した俳優のチャールズ・ロートンは、アルフレッド・ヒッチコック監督の『岩窟の野獣』(39)の相手役に抜擢。 名前がフィッツシモンズでは長すぎるため、ロートンと製作者のエリック・ポマーは彼女にオハラという芸名を与えた。 『岩窟の野獣』の後、渡米してロートンと共に怪奇映画『ノートルダムの傴僂男』(39)に出演。 ロートン扮する醜い鐘つき男カジモドが恋心を抱くヒロイン、エスメラルダを熱演し、 彼女の演技に満足した製作元のRKO社はオハラと長期契約を交わした。 41年にはブラウンと離婚して、『ノートルダムの傴僂男』で知り合った製作者のウィル・プライスと再婚。一女をもうけたが53年に離婚した。 同年、同じアイルランド出身の監督ジョン・フォードアカデミー賞に輝いた文芸大作『わが谷は緑なりき』(41)に出演。 この映画の出演がきっかけでフォードと意気投合した彼女は、以後も4本の映画でフォードと組んで彼が理想とする芯の強い女性を演じた。 20代で早くもハリウッドでスターとしての地位を確立した彼女の元には出演依頼が殺到。 『海の征服』(42)、『西部の王者』(44)、『センチメンタル・ジャーニー』(46)など冒険活劇、コメディ、西部劇、シリアス・ドラマなどあらゆるジャンルの作品に出演。 彼女の赤く燃える炎のような長い髪と美貌は当時流行していた総天然色映画「テクニカラー」によってその魅力が最大限に引き出され、 テクニカラーの開発者ハーバート・カルマスも彼女がカラーの色彩調整に最も適した人物だと考え、 オハラが出演するテクニカラー映画では喜んでカラー・コンサルタントを引き受けたことから「テクニカラーの女王」と呼ばれた。 47年のクリスマス映画の名作『三十四丁目の奇蹟』では、自分のもとに現われた老人を本物のサンタだと信じるようになるキャリア・ウーマンを好演。 50年のフォード監督のウェスタン『リオ・グランデの砦』ではフォードのもう一人のお気に入り俳優ジョン・ウェインと共演。 共にパワフルで長身のオハラにも引けをとらないウェインとのコンビは観客から絶大な人気を博し、二人の相性のよさに気を良くしたフォードは14年かけて映画化が実現した『静かなる男』でも二人を起用。 フォードとオハラの母国アイルランドでロケを行ったこの映画では、彼女は1分で90語打てるタイプ力や速記といった秘書教室で身につけたスキルを生かして、 俳優としてだけでなくフォードの個人的な秘書としても活躍した。 アイルランドの大自然を舞台に心に傷を負った男女の恋愛をコミカルに描いた『静かなる男』はスタジオの予想に反して大ヒットを記録。 実在の人物の半生を描いた『荒鷲の翼』(56)でもフォードは二人を共演させ、スクリーンのベスト・カップルとして映画ファンに親しまれた。 演技と同じく歌も愛するオハラは50年代頃から映画出演の合間にテレビにも出演。ペリー・コモ、アーニー・フォード、ボブ・ホープらのテレビ・ショーに度々出演して自慢の歌声を披露した。 60年にはテレビ版『ミニヴァー夫人』でタイトルロールを好演。 パール・バック原作の舞台ミュージカル『Christine』での彼女の演技は絶賛されたものの、制作上の都合によって12週で終了した。 児童文学小説の映画化『罠にかかったパパとママ』(61)、ウェインと再共演したコメディ『マクリントック』(63)、ヘンリー・フォンダと子だくさんの夫婦を演じたファミリー・ドラマ『スペンサーの山』(63) など60年代も精力的に活動を続け、68年には飛行家のチャールズ・ブレアと再婚。 結婚後は家事に専念するため映画出演は減り、フォンダと再共演した73年のテレビ映画『赤い仔馬』を最後に芸能界からの引退を表明した。 引退後はバージン諸島に移り住み、夫と共にカリブ海で運行する航空会社アンチル・エアボート社の運営や雑誌『The Virgin Islander』を創刊し、雑誌ではコラムニストとしても活躍。 ブレアとの幸せな生活は、78年に起ったブレアの乗った飛行機の墜落事故によって終わりを告げ、 夫が遺産として残したアンチル・エアボート社の所有権と経営を引き継いだオハラは女性初の定期航空会社の最高責任者となった。 ブレアの死後、バージン諸島で静かに暮らしていたが、91年にはクリス・コロンバス監督の熱いラブコールに答えてロマンティック・コメディ『オンリー・ザ・ロンリー』で銀幕に復帰。 ジョン・キャンディ演じるマザコン気味の警官の頑固で血気盛んな母親を演じて好評を博した。 現在も時折『The Christmas Box』(95)、高視聴率を獲得した『Cab to Canada』(98)、『The Last Dance』などのテレビ映画に出演してお茶の間に元気な姿を披露している。

紹介作品

わが谷は緑なりき(41)

出演

リオ・グランデの砦(50)

出演

静かなる男(52)

出演



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