スミス都へ行く Mr. Smith Goes to Washington
公開:
1939年
スミス都へ行く
製作:
コロムビア・スタジオ

フランク・キャプラ
監督:
脚本:
シドニー・バックマン
撮影:
ジョセフ・ウォーカー
音楽:
ディミトリ・ティオムキン
出演:

上院議員の空き埋めるために選出された田舎出身の青年政治家ジェファーソン・スミス。新聞記者や同僚の政治家たちにからかわれて、政治に失望したスミスは帰郷を決意する。しかし、自分を政界入りさせた財政界の大物達の腐敗ぶりを知ると、汚れきった政治を改善するために悪徳政治家たちに敢然と立ち向かう。 アメリカの理想を描きつづけたフランク・キャプラが、独特のハート・ウォーミングなストーリー・テリングで、アメリカ民主主義の政治と政治家たちをを痛烈に風刺した政治コメディ映画の傑作。

1937年コロムビア社はルイス・R・フォスターが執筆した『ミネソタから来た紳士』の映画化権を取得。 スタジオのスター監督だったキャプラに話を持ちかけるが、彼は1ページのシノプスを読んだだけでオファーを断ってしまう。 続いてスタジオは軽いタッチでセンスのいい作品を撮るルーベン・マームリアンに監督を依頼。 マームリアンが監督を引き受けたと聞いたキャプラは、シノプスをもう一度読み直して考えを改めると、 『ゴールデン・ボーイ』(39)の監督をマームリアンに譲って『スミス』の監督の座を手に入れる。 最初、映画のタイトルは『Mr. Deeds Goes to Washington(ディーズ、ワシントンへ行く)』と呼ばれ、36年の『オペラハット』(原題は『Mr. Deeds Goes to Town』)の続編としてゲーリー・クーパーが演じたミスター・ディーズを主人公にする予定だったが、 クーパーと独占的な契約を結ぶ製作者のサミュエル・ゴールドウィンはクーパーをコロムビアに貸し出すことを拒否。 そのため、キャプラは『我が家の楽園』(38)で一緒に仕事をしたジェームズ・スチュワートを主人公に起用し、キャラクターの名前をジェファーソン・スミスに変更して、タイトルも『Mr. Smith 〜』に改められた。 ヒロインのサンダース役にはキャプラお気に入りのジーン・アーサーが起用され、クロード・レインズ、トマス・ミッチェル、ハリー・ケリーといった芸達者な俳優たちが二人の脇を固めた。 撮影は39年の4月から始まり、 後半の長時間の討論シーンの撮影のために、スタジオは10万ドルを使ってワシントンの国会議事堂の議場をロサンゼルスのスタジオに再現。 4週間かけて撮影されたこのシーンで、スチュワートは声を枯らすために二塩化物の水銀薬を舌に塗って迫真の演技を披露した。 最初のバージョンの上映時間はあまりにも長すぎたため、キャプラはスニーク・プレビューを行い、自ら観客の反応を伺いながら映画を短縮。 この編集の過程で、国会議事堂でのクライマックスの後、スミスがサンダースと共に故郷に戻ってパレードするオリジナル・エンディングはカットされてしまう。 ワシントンD.C.で行われた映画のプレミアではワシントンの全上院議員と報道陣が招待されるが、 腐敗した政界が題材とあって評価は芳しくなく、プレミアはボイコットされ、酒飲みで泥棒として描かれた報道陣たちはこの映画が反アメリカ的だと非難した。 ライバル・スタジオは政治家と報道陣をなだめるためにコロンビアに200万ドル払う代わりにネガを破棄するよう提案するが、当時コロムビアの社長だったハリー・コーンはこれを拒否して『スミス』の公開に踏み切った。 ワシントンでの反応とは反対に、スミスの前に立ちはだかる絶大な権力を持つ腐敗政治家のイメージは、この頃ヨーロッパで隣国を次々に侵略していったナチスの姿に重なり、ナチスの行動に不満を持ち、政治家の腐敗は百も承知していたアメリカの観客や批評家からは絶大な人気を獲得。 しかし、制作費が150万ドルも掛かっていたために、最初の公開で制作費以上の利益を出すことは出来なかった。 第12回アカデミー賞では作品賞を含む10部門(レインズとケリーの二人が助演男優賞にダブル・ノミネートされたため計11)にノミネートされ、原案賞を受賞。 政治家の鑑とも言えるスミスを熱演したスチュワートには、ニューヨーク批評家協会から男優賞が与えられ、 この映画の成功によって彼は良きアメリカのシンボルというスクリーン上で最もポピュラーなイメージを確立した。


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