マイ・フェア・レィディ My Fair Lady
公開:
1964年
マイ・フェア・レディ
製作:
ワーナー・ブラザーズ・スタジオ

ジャック・L・ワーナー
監督:
原作:
ジョージ・バーナード・ショウ
脚本:
アラン・ジェイ・ラーナー (兼:作詞)
撮影:
ハリー・ストラドリング
音楽:
フレデリック・ロウ (作曲)

アンドレ・プレビン (総指揮)
出演:
オードリー・ヘプバーン

レックス・ハリスン

スタンリー・ハロウェイ

方言を研究する音声学の教授ヒギンズは、下町訛りの強い貧しい花売りの娘イライザと知り合い、音声学の素材としてイライザを完璧なレディに変身させることが出来るかどうか友人と賭けを行う。上流階級の喋り方やマナーを徹底的に指導した甲斐あって、アスコット競馬場に現れたイライザは、下町娘から一転して立派なレィディに生まれ変わって人々を魅了するが、彼女の美しさはヒギンズをも虜にしてゆく。ブロードウェイとロンドンでの大ヒットしたミュージカルを贅沢に映画化した永遠のシンデレラ・ストーリー。

自分が創造した象牙の像を愛してしまったキプロスの王ピグマリオンは、神に頼んで像に魂を入れてもらい、ガラテアという名前を与えて彼女と結婚するというギリシャ神話を基にして、ウィリアム・ギルバートは戯曲『ピグマリオンとガラテア』を発表。イギリスの劇作家ジョージ・バーナード・ショウは、この舞台を15歳の時に観て感銘を受け、ピグマリオンを音声学の教授、ガラテアを下町娘に変えた戯曲『ピグマリオン』を書き上げる。1914年にロンドンで初演された舞台はセンセーションを巻き起こし、1938年にはアンソニー・アスクィス監督、ウェンディ・ヒラーとレスリー・ハワード主演で映画化も行われる。ミュージカル化の話は何度か持ち上がったがどれも実現せず、『ペンチャー・ワゴン』、『ブリガドーン』などの作詞作曲家コンビ、アラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウは、映画版『ピグマリオン』からもセリフを借用して、ショウの戯曲を舞台ミュージカルとしてリメイクすることに成功。イライザ役にはブロードウェイの大物女優メアリー・マーティンが興味を示したが、ロウとラーナーは舞台『ボーイフレンド』でブロードウェイにデビューしたジュリー・アンドリュースを指名。ヒギンズ教授役はノエル・カワード、マイケル・レッドグレーヴ、ジョージ・サンダースらに断られ、4人目の候補だったレックス・ハリスンに決まる。1956年の3月15日にブロードウェイのマーク・へリンジャー劇場で開演した舞台は大好評を博し、初公演は2年間のロングランとなり、その後6年間で計2717回ものロングランを記録する大ヒットとなる。ワーナー・ブラザーズ社の総帥ジャック・L・ワーナーは舞台の映画化権を550万ドル、プラス2,000万ドル以上の興行収入の50%という当時としては破格の条件で獲得。ワーナーはメイン・キャストにはハリウッドのトップスターを希望して、ヒギンズ教授役をケーリー・グラント、イライザの父親アルフレッド役をジェームズ・キャグニーに打診するが、グラントはヒギンズはハリソンが演じるべきだという理由から、キャグニーは長年ワーナーにこき使われた恨みから出演を断る。ローレンス・オリビエとピーター・オトゥールに断られた後でハリスンがヒギンズ教授に決まり、アルフレッド役には舞台で同じ役を演じたスタンリー・ハロウェイが起用される。ヒロインのイライザ役にはハリウッドではまだ無名だったアンドリュースが考慮されたものの、ワーナーはアンドリュースはセックス・アピールに欠けると考えて、興行的な面も考慮して有名スターの起用を決める。エリザベス・テイラーもイライザ役の候補に上がっていたが、最終的に名実共に大スターだったオードリー・ヘプバーンが起用され、出演料として100万ドルが支払われる。監督に起用されたジョージ・キューカーは舞台版の忠実な映画化を心がけ、あまり現実的にならず、お伽話らしさが出るようにロケーション撮影ではなく、セットによる人工的な風景の中で撮影を行う。 ワーナーと監督に起用されたジョージ・キューカーは、衣装デザイナーとして『お熱いのがお好き』(59)のオリー=ケリーを希望したが、ロウとラーナーとの契約で舞台版の衣装を手掛けたデザイナー兼写真家のセシル・ビートンに決定し、彼はセット・デザイナーも兼任する。ビートンは映画の舞台となるエドワード王朝時代の衣装に、60年代の流行を取り入れた豪華で魅惑的な衣装をデザイン。この映画のために1,000着近い衣装が仕立てられ、アスコット競馬場と舞踏会のシーンだけで400着もの衣装が作られた。キューカーはビートンは意気投合して、映画の撮影が始まる前から映画のあらゆる面について詳細に話合い、舞台版に忠実な映画化を心がけて、お伽話らしさが出るようにロケーション撮影ではなく、セットによる人工的な風景の中で撮影を行う。撮影が始まるとキューカーは映画撮影のため、ビートンは写真撮影のためにヘプバーン支配しようとして対立するようになり、雑誌用の写真を何千枚も撮って利益を得ていたビートンの利己的な態度に業を煮やしたキューカーは、撮影半ばにビートンに対してセット内での写真撮影を全面的に禁止して、以後二人の仲は険悪となる。ハリスンはスクリーン上の口の動きに合わせて歌を録音するハリウッドの伝統的なミュージカル映画の撮影方法を嫌い、歌のシーンは全て舞台のようにライブで歌うところを撮影するという今までにない撮影方法を主張。ハリソンはネクタイにマイクを、脚に送信機を取りつけて撮影を行い、撮影後あらかじめ録音されていた音楽と彼の歌声をシンクロさせる。 ヘプバーンはニューヨークから歌のコーチを呼び寄せて5週間にわたって歌のレッスンを熱心に行ったものの、彼女の歌唱力はスタッフやスタジオの首脳陣を満足させるまでには至らなかった。スタジオは彼女の機嫌を取るために「Wouldn't It Be Lovely」や「Show Me」など数曲の録音を行うことを許可するが、スタジオの首脳陣たちは彼女の歌を映画に使う気は初めからなく、『王様と私』(53)『ウェスト・サイド物語』(61)で主演女優たちの吹き替えを担当したマーニ・ニクソンを雇ってヘプバーンの歌のほとんどの部分を吹き替えさせる。アンドリュースから役を奪って、歌も吹き替えられたヘプバーンに対するマスコミの反応は冷たく、批評家たちの評価もヘプバーンに対してはいつになく厳しかった。 映画は1200万ドルを稼ぎ出してその年の興行収入第一位のヒットに輝くが、制作費が1700万ドルも掛かっていたために、初公開時は500万ドルの損失を出して興行的には失敗となる。第37回アカデミー賞では12部門にノミネートされ、作品賞、主演男優賞(ハリスン)、監督賞、カラー撮影賞、カラー美術監督・装置賞、音響賞、編曲賞、カラー衣装デザイン賞の8部門を獲得する。ヘプバーンは素晴らしい演技を披露したにも関わらず、歌が吹き替えられたという理由からか主演女優賞のノミネートから外されてしまい、皮肉にもその年の主演女優賞はアンドリュースが『メリー・ポピンズ』(64)で受賞した。


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