イタリアのミラノ。ドリフトウッドは未亡人の富豪クレイブールに取り入ってニューヨークのオペラへの資金20万ドルをせしめ、本場オペラ座の人気歌手ラスパリをアメリカに招くことに成功。
一行は船でアメリカに向かうが、密航した売れない歌手のマネージャーとラスパリの付き人、そしてドリフトウッドの3人によって船上は大混乱となる。
無事ニューヨークに到着した3人は滞在先のホテルで一騒動起こし、初日を迎えたオペラも3人の暴走によって歌劇は笑劇に変えられてしまう。
興行的に低迷していたマルクス兄弟が新しいスタジオで心機一転して製作した、彼らの最高傑作の誉れ高い傑作コメディ。
前作『我輩はカモである』(33)の興行的な不振によって、マルクス兄弟は専属先のパラマウント社から契約の更新を断られてしまう。
チコのブリッジ仲間でM-G-M社の敏腕製作者として名を馳せていたアーヴィング・G・タルバーグは、マルクス兄弟の映画はギャグを半分に減らせば映画は2倍良くなり、興行収益も3倍に上がると考え、兄弟をM-G-Mに招いて出演料として映画の総売上の15%を与えるという破格の好条件で契約を結ぶ。
タルバーグはマルクス兄弟の喜劇に対する独自の考え方をもとにして映画を製作。前作までの喜劇と音楽とロマンスが混ざり合った支離滅裂な展開を排して、明確なプロットを持ったストーリーと、トップ・スタジオのM-G-Mならではの豪華なセットと衣装に、一流の助演俳優たちを兄弟に提供。
舞台と映画の両方でヒットした『ココナッツ』(29)と『けだもの組合』(30)の脚本家コンビ、ジョージ・S・カウフマンとモリー・リスキンドに脚本を担当させ、当時ジャック・ベニーのラジオ番組の脚本監修を務めていたアル・ボーアズバーグをギャグ・ライターに抜擢する。
タルバーグは、脚本家たちが作り上げたジョークやギャグに対する観客の生の反応を調べて笑いに磨きをかける試験巡業「ロード・ツアー」を提案。兄弟は劇中の5つの主要シーンを、ソルトレーク・シティ、シアトル、ポートランド、サンタバーバラの4都市のボードビルの舞台で一日4回上演のペースで巡業。同行したリスキンドとボーアズバーグは観客の反応を調べ、観客が笑わないギャグは切り捨て、笑いの反応が遅いものは早く笑わせるように台詞に磨きをかけて、観客が爆笑したギャグのみが映画で使われることになった。この「ロード・ツアー」によって、現在ではギャグの古典となった狭い船室でのすし詰めシーンを含めた175もの洗練された笑いが生みだされ、好評を博したこのシステムは次回作の『マルクス一番乗り』(37)でも実践された。
兄弟に翻弄されるミセス・クレイプール役には、マルクス兄弟映画の常連俳優マーガレット・デュモンが配され、NYオペラ座の支配人ゴットリーブ役にはエルンスト・ルビッチ映画のベテラン役者ジークフリード・ルーマンが起用される。
また、『我輩はカモである』を最後に引退した末っ子のゼッポが担当していた歌と恋愛のパートは、バローニ役のアラン・ジョーンズによって演じられた。
今作のために「アローン」と「コーシ・コーサ」の2曲が書かれるが、マルクス兄弟は「アローン」の使用に乗り気ではなく、試験興行時にも別の歌が使われていた。しかし、ジョーンズはこの曲を残すことを主張し、タルバーグは彼の意見を受け入れて「アローン」は映画に残される事になる。「アローン」と「コーシ・コーサ」は共にヒットとなり、特にジョーンズがローザ役のキティ・カーライルと歌った「アローン」はラジオ番組の首位を16週間占めるほどの人気を博した。
監督に起用されたサム・ウッドは、気に入ったシーンが撮れるまでに何十回でも撮り直しを行う完全主義者として知られており、度重なる退屈な撮り直しによって兄弟が集中力を失うことも少なくなかった。
映画が完成すると、タルバーグはロング・ビーチの映画館でスニーク・プレビューを敢行。製作者たちの意図とは反対に観客はほとんど笑わず映画は失敗かと思われたが、映画を反対側の映画館で上映させてみると観客は最初から最後まで笑い転げたのでタルバーグは映画の成功を確信する。
満を期して封切られたマルクス兄弟の新作は批評家からの絶賛を浴び、300万ドルの利益を上げる大ヒットを記録して兄弟の人気は完全に回復する。
この映画の面白さは現在でも高く評価され、ニューヨークの近代美術館はこの映画を『我輩はカモである』と共に古典ライブラリーに加えた。
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