オリビア・デ・ハビランド Olivia De Havilland

本名:
オリビア・マリー・デ・ハビランド
オリビア・デ・ハビランド
職業:
俳優
生年:
1916年7月1日
出身国:
日本
出身地:
東京
没年:
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代表作:
『風と共に去りぬ』(39)
『遥かなる我が子』(46)
『女相続人』(49)

東京帝国大学の教師を務めていた父親と女優の母親リリアン・フォンティンのもとに生まれるが、3歳の時に両親は離婚。 19年に1歳年下の妹ジョーン・フォンテーンの病気療養のため、母親と三人でカリフォルニアのサラトガに移り住む。 高校では演劇に興味を持つようになり、サラトガ・コミュニティ・プレイヤーズに参加して33年に『不思議の国のアリス』で舞台デビュー。 高校を卒業すると教師になる勉強をするため大学への入学を検討していたが、 ウィリアム・シェークスピア原作の舞台『真夏の夜の夢』で演じたパック役が製作者マックス・ラインハルトの目に留まり、 34年にハリウッド・ボウルで上演されたラインハルト製作による同作の舞台版にハーミア役を演じるグロリア・スチュワートの代役として起用される。 開演6日前にスチュワートが降板し、デ・ハビランドは的確な演技でハーミア役を演じて高い評価を獲得。 彼女の演技に感銘を受けたワーナー・ブラザーズ社の社長ジャック・ワーナーは、 35年のラインハルト製作、演出による『真夏〜』の映画版でスクリーン・デビューを飾らせた。 デ・ハビランドは大学への進学をあきらめてワーナーと7年間の長期出演契約を結び、 同年には冒険活劇『海賊ブラッド』のヒロイン役を演じてワーナーのドル箱アクション・スター、エロール・フリンと共演。 その後も二人は『ロビンフッドの冒険』(38)など9本の映画で共演を果たした。 大作『風と共に去りぬ』(39)の映画化権を獲得した敏腕製作者のデビッド・O・セルズニックは、 スカーレットの親友メラニー役にデ・ハビランドを抜擢。 初めてドラマティックな役柄を与えられたデ・ハビランドは、セルズニックの期待に答えてメラニー役を熱演してアカデミー助演女優賞に初ノミネートされた。 史上最大のヒット作に出演して俳優としての名声を高めたが、ワーナーに戻ると演じ甲斐のない可憐なヒロイン役ばかりあてがわれ、 フリン共演の『カンサス騎兵隊』(40)や『壮烈第七騎兵隊』(41)、ジェームズ・キャグニー共演の『いちごブロンド』(41)などのアクションやコメディ映画に出演。 そんな中、41年にパラマウント社に貸し出されてシャルル・ボワイエの恋人を演じた『Hold Back the Dawn』では、アカデミー主演女優賞に初ノミネートされる好演技を披露。 この年は姉の後を追って女優となり、ハリウッドで成功した妹のフォンテーンも『断崖』(41)で主演女優賞にノミネートされていたが、栄冠はフォンテーンに輝いた。 妹に先を越されたデ・ハビランドは、良い役を与えてくれるようワーナーに直訴するが、ワーナーは彼女の意見を聞き入れずに引き続きヒロイン役ばかりあてがったため、彼女は出演を拒否。 ワーナーは反抗の罰として彼女に6ヶ月間仕事を与えなかった。 43年に彼女の契約は終了したが、ワーナーは停職処分にしていた6ヶ月分を延長しようとしたため、 これに怒ったデ・ハビランドは延長の無効を求めてスタジオを提訴。 裁判の費用1万3000ドルは彼女の負担となり、裁判は1年半にも及んで、その間一本も映画に出演することが出来なかったが、 45年、裁判所はデ・ハビランドの訴えを全面的に支持。 彼女だけでなく停職処分期間の延長で時間を無駄にしたすべての俳優の償いをスタジオに命じた。 この法律は「デ・ハビランド法」と呼ばれ、この判決によって映画スタジオは俳優に7年以上の契約の延長を強制することは出来なくなり、 映画スタジオは俳優を物や家畜のように扱ってきた体制の改善を余儀なくされた。 ワーナーを離れて自由の身となったデ・ハビランドは、彼女の才能を高く買っていたチャールズ・ブラケットが脚本を手掛けた『遥かなる我が子』(46)に出演。 戦争で失った恋人との子供を手放す未婚の母親の苦悩を見事に表現して念願のアカデミー主演女優賞を獲得した。 同年には『What Every Woman Knows』の夏期公演に参加し、その時知り合った18歳年上の作家マーカス・グッドリッチと結婚。 オスカー受賞によって演技派女優としての実力を示したデ・ハビランドの快進撃は続き、 ニューロティック映画『蛇の穴』(48)では精神病院に収容された作家を熱演してヴェネチア映画祭とニューヨーク批評家協会の女優賞を獲得。 ウィリアム・ワイラー監督の『女相続人』(49)では金銭的欲望に翻弄される女性を演じて絶賛され、二度目のアカデミー主演女優賞とニューヨーク批評家協会賞を獲得した。 その後はハリウッドを離れて舞台を中心に活躍。『ロミオとジュリエット』のブロードウェイ公演やジョージ・バーナード・ショー原作の戯曲『Candida』などに出演し、 52年の『My Cousin Rachel』で映画界に復帰するが、以前よりも映画出演作は減り、53年にはグッドリッチとも離婚。 55年にはフランスに移り住み、そこで知り合った雑誌編集者ピエール・ポール・ガラントと再婚した。 62年にはフランスでの生活などを綴った本『Every Frenchman Has One』を発表。 同年には3年ぶりの映画『Light in the Piazza』(62)にも出演し、ヘンリー・フォンダの相手役を務めた舞台『The Gift of Time』の演技は絶賛を博した。 64年には『ふるえて眠れ』でワーナー時代のライバル、べディ・ディヴィスと共演。 70年代以降はオールスター・キャストのパニック映画『エアポート'77』(77)や、 エミー賞にノミネートされたテレビ用映画『Anastasia: The Mystery of Anna』(86)など映画やテレビに時折出演。 79年にはラガントと離婚し、88年のテレビ用映画『The Woman He Loved』を最後に映画界から遠ざかり、 パリで引退生活を送っていたが、 2003年には75周年を迎えたアカデミー賞の授賞式に出席してミッキー・ルーニーやルイーゼ・ライナーら往年の俳優らと共に元気な姿を披露した。
フォンテーンが『断崖』でオスカーを受賞した時、二人が抱き合って喜びを分かち合う仲の良い姉妹の姿が報道されたが、 実際の二人は子供の頃からライバル意識丸出しで大変仲が悪く、『遥かなる我が子』でデ・ハビランドがオスカーを受賞した時は、 舞台裏で祝福しようとしたフォンテーンを彼女が無視したことから、二人の不仲は一般に知れ渡る事となった。

紹介作品

風と共に去りぬ(39)

出演



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