オーソン・ウェルズ Orson Welles

本名:
ジョージ・オーソン・ウェルズ
オーソン・ウェルズ
職業:
製作者、監督、俳優、脚本家、編集者
生年:
1915年5月6日
出身国:
アメリカ
出身地:
ウィスコンシン州 ケノーシャ
没年:
1985年10月10日
代表作:
『市民ケーン』(41)
『上海から来た女』(48)
『黒い罠』(58)

発明家の父親とピアニストの母親の間に生まれ、幼い頃から奇術、ピアノ、絵画などの芸術の才能に恵まれる。トッド男子校在学中に学生劇に参加、俳優兼演出家としてその類まれなる才能を開花させ、高校卒業後、絵画の勉強と称してアイルランドに旅立ち、ダブリンの劇場でオーデションに合格して舞台デビューを果たす。モロッコとペインの放浪の旅を経て、1934年に帰国して同年ブロードウェイとラジオ・デビューを果たす。37年にはジョン・ハウスマンやジョセフ・コットンらと共にマーキュリー劇団を設立して、シーザーをヒットラーに見立てた『ジュリアス・シーザー』、オール黒人キャストの『マクベス』、シェークスピアの5作品を一つにまとめた『五人の王』などの野心的な舞台を手掛けてゆく。翌年劇団はラジオ界にも進出して、10月30日のハロウィンの日にH・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』のラジオ・ドラマ放送中に火星人来襲のニュース速報を挿入。そのリアルさに当時の聴取者たちの多くは本当の出来事だと思い込み、アメリカ全土でパニックを引き起こす。しかし、この事件によってウェルズ才能は高く評価され、RKO社から製作に関してスタジオから一切の干渉を受けないという破格の待遇で映画製作のオファーを受けてハリウッド入りする。41年に第一作として実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした『市民ケーン』を発表。この製作、監督、主演、脚本を兼ねた処女作は批評家や一部の映画人からは高い評価を得るものの、ハーストの上映妨害を受けて興行的には惨敗。アカデミー賞では9部門にノミネートされながらも脚本賞のみの受賞に留まるが、斬新な映像表現と複雑な物語構成は後に再評価されて、現在では映画史上ベストワンの傑作と評されている。監督第二作となる『偉大なるアンバーソン家の人々』(42)の撮影は、製作と脚本を手掛けた『恐怖への旅』(42)への出演と平行して行われるが、南米との親善を目的に製作を依頼されたオムニバス映画『イッツ・オール・トゥルー』の撮影のためアメリカを離れると、スタジオはウェルズの意向を無視して再編集と追加撮影を行って映画を公開してしまう。莫大な制作費をかけながらも映画は興行的に失敗、『イッツ・オール・トゥルー』も製作が中止となり、その責任を負わされたウェルズはRKOから追放される。以後、ハリウッドではウェルズには浪費家としてのイメージと、映画を完成させることが出来ないという噂が付きまとって監督としての依頼は激減し、『ジェーン・エア』(44)や『離愁』(46)などに俳優として出演した後、4年ぶりに『ストレンジャー』(46)で監督業に復帰するが、ウェルズの映画としては凡庸な出来に終わる。43年にはリタ・へイワースと再婚するが、ウェルズの浮気癖などが災いして結婚生活は長続きせず、製作、脚本、監督、主演を務めた『上海から来た女』(47)ではヘイワースと唯一の共演を果たしたものの、撮影終了後の47年に離婚し、映画はコロムビア社のボス、ハリー・コーンによって再編集されてしまう。低予算のシェークスピア劇『マクベス』(48)を手掛けた後ヨーロッパに渡り、イギリスで友人のジョセフ・コットンと共に『第三の男』(49)に出演してミステリアスなハリー・ライム役を好演。映画を監督することを望むウェルズは、『第三の男』の撮影終了後シェークスピアの『オセロ』の映画化に取り組む。しかし、撮影は制作費の問題で中止となり、『狐の王子』(49)や『黒ばら』(50)などに出演して資金を調達しながら、モロッコ、イタリア、ヴェニス等で断続的に撮影を行って52年に無事完成させ、カンヌ映画祭ではグランプリを獲得する。55年にはフランスとスペインの資本で『秘められた過去』を手掛けるが、最終的な編集権は剥奪されてしまい、フラッシュバックを多用した野心作は平凡な作品に作り変えられてしまう。ヨーロッパではウェルズの映画は高く評されはじめたものの、製作環境は相変わらず厳しく、58年に共演のチャールトン・へストンの薦めで低予算のスリラー『黒い罠』を10年ぶりにハリウッドで監督するが、最終編集権は剥奪され、映画はさしたる成功も収めずに彼のハリウッド復帰にはつながらなかった。50年代半ばから撮影を開始した念願の企画『ドン・キホーテ』は資金難から断続的に撮影を行うものの未完に終わり、その後も厳しい予算と撮影環境の下、ヨーロッパでカフカの『審判』(63)やシェークスピアの『フォルスタッフ』(66)などを演出。映画の製作資金調達のため『わが命つきるとも』(66)や『キャッチ22』(70)などに俳優として出演して名バイプレーヤーぶりを披露する。73年には贋作をテーマにした『フェイク』を発表するが、ウェルズ監督、脚本、主演の『The Deep』やジョン・ヒューストンを主演に迎えた『The Other Side of the Wind』の二本の監督作は資金難などのトラブルに巻き込まれて未編集のまま公開されずに終わる。晩年は『クレイド・ウィル・ロック』(99年にティム・ロビンスによって映画化)や『リア王』を企画するが映画化には至らず、監督や俳優としてだけでなくラジオで鍛えた声を生かして映画やテレビのナレーターや、コマーシャルのスポークスマンとしても活躍する。

紹介作品

市民ケーン(41)

製作/監督/脚本/出演

偉大なるアンバーソン家の人々(42)

製作/監督/脚本

上海から来た女(47)

製作/監督/脚本/出演

黒い罠(57)

監督/脚本/出演



MAIN | FILMS | STARS & MAKERS | DICTIONARY | HISTORY | BBS | OTHRES