渚にて On the Beach
公開:
1959年
渚にて
製作:
スタンリー・クレイマー・プロダクション

スタンリー・クレイマー
監督:
スタンリー・クレイマー
原作:
ネヴィル・シュート
脚本:
ジョン・バクストン
撮影:
ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:
アーネスト・ゴールド
出演:

1964年、第三次世界大戦が勃発。 核爆弾による戦闘で地球上は放射能に汚染されてしまい、北半球は壊滅状態となる。 死の灰が近づきつつあった南半球オーストラリアのメルボルンに1隻の原子力潜水艦が入港。 潜水艦の船長タワーズはメルボルンで迫り来る死を待つか、人類が絶滅した祖国アメリカに戻るかの決断を迫られる。 そんな時、放射能で死滅したはずのサンディエゴの町からモールス信号を受信。調査のため、原子力潜水艦はサンフランシスコに向かう。 『手錠のままの脱獄』(58)や『ニュールンベルグ裁判』(61)などの社会派映画の監督として知られるスタンリー・クレイマーが、核戦争の恐怖を戦闘シーンを挿入せずにメロドラマとして静かに力強く描いた反戦映画の傑作。 風に揺られるコーラの瓶が、休むことなくモールス信号を送るシーンは、『猿の惑星』(68)のラスト・シーンに匹敵するインパクトを持ち、戦争、そして核の恐ろしさを思い知らせる。

製作者で監督のスタンリー・クレイマーは、第三次世界大戦による恐るべき未来を予測したネヴィル・シュートのSF小説『渚にて』の映画化を企画。 潜水艦艦長タワーズ役をオファーされたグレゴリー・ペックは、核戦争によって破滅した世界が舞台という内容はあまりにも社会的すぎると考えて最初は出演を断ってしまうが、後に考えを改めて出演を承諾する。 ヒロインのアル中のプレイガール、モイラ役はエヴァ・ガードナーに打診されるが、すでに小説を読んでいたガードナーは50万ドルの出演料を要求。 クレイマーは40万ドルと必要経費、そしてオーストラリアでのロケ撮影時に運転手と秘書をつけるという条件で契約を結ぶ。 シニカルな原子科学者オズボーン役に、クレイマーはアレック・ギネスやラルフ・リチャードソンらが適任だと考えていたが、テレビでフレッド・アステア主演のミュージカル映画を見てアステアに出演を依頼。 アステアは最初自分向きの役ではないと考えていたが、クレイマーの説得とこの映画の素晴らしいテーマに惹かれて出演を承諾する。 撮影はオーストラリアのメルボルンで行われるが、この映画はオーストラリアで撮影される初めての大作だったため、クレイマーは現地にスタジオを建設。 メルボルンのパブは午後6時に閉店してしまうため、キャストやスタッフにとってオーストラリアでの生活は耐えがたいほど退屈なものだったうえに、 撮影時のオーストラリアは夏だったため、摂氏43度を超える息苦しいほどの猛暑の中で撮影は行われた。 クレイマーはアステアがダンサーとしての軽やかな動きをするのではないかと心配して、彼の脚に重りをつけることさえ考えていたが、 アステアは演技の前にいつもバーボンを2、3杯飲み、ヘアピースをクシャクシャにしてまでドラマティックな役作りに励んだ。 音楽にはオーストラリアの民謡「ワルツィング・マチルダ」が全編に使用され、特に群集が大合唱するラストで感動的に使われた。 映画が公開されると、生に執着せずに自分達の破滅的な運命を異常なほど静かに受け入れる主人公達の描写が非現実的だという理由から評価は賛否両論に分かれたが、 愛に安らぎを見出す孤独な女を演じたガードナーと、アステアが初めて挑んだダンス抜きのシリアスな演技は批評家から絶賛された。 映画は観客からも好評を博して60年の興行成績第8位を記録するヒットとなり、第32回アカデミー賞では、劇・喜劇映画音楽賞と編集賞の2部門にノミネートされたが無冠に終わる。 この映画の成功によって性格俳優として新境地を開拓したアステアは、74年の『タワーリング・インフェルノ』でもダンス抜きの好演技を披露してアカデミー助演男優賞にノミネートされた。


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