プレストン・スタージェス Preston Sturges

本名:
エドマンド・プレストン・スタージェス
プレストン・スタージェス
職業:
製作者、監督、俳優、脚本家
生年:
1898年8月29日
出身国:
アメリカ
出身地:
イリノイ州 シカゴ
没年:
1959年8月6日
代表作:
『レディ・イヴ』(41)
『サリヴァンの旅』(41)
『モーガンズ・クリークの奇跡』(44)

裕福な家庭に生まれ、若くして母親が興した化粧品会社のニューヨーク支店の支配人となり新商品の開発などを手掛けるが、その後、会社を去って発明家に転向する。やがて舞台の脚本を執筆を始めて、29年に最初の脚本『The Guinea Pig』を発表する。彼が脚本を手掛けた戯曲『紳士酒場』がブロードウェイでヒットを記録して、スタージェスはニューヨーク演劇界の寵児ともてはやされるようになる。31年に『紳士酒場』は映画化されるが、映画の出来に満足出来ないスタージエスは製作元のユニバーサル社に抗議するが、逆にその才能を買われて週給1000ドルでハリウッドに招かれる。33年『力と栄光』の脚本を担当し、孤独な鉄道王の生涯を知人の回想形式で語る「ナタラージュ」を編み出して『市民ケーン』(41)『殺人者』(46)等の映画に強い影響を与える。その後、ウィリアム・ワイラー監督の『お人好しの仙女』(35)やミッチェル・ライゼン監督の『街は春風』(37)などの脚本を執筆するが、自分の脚本の映画化に満足出来ないスタージェスはパラマウントを説得して政治コメディ『偉大なるマッギンティ』(40)で念願の監督デビューを果たす。脚本家が監督も努めた初めての作品ながら、映画は予想外のヒットを記録、アカデミー賞のオリジナル脚本賞まで獲得してしまう。続く『七月のクリスマス』(40)も批評家と観客から好評を持って迎えられ、連続ヒットに気を良くしたパラマウントは次作で大スター起用の許可を出し、スタージェスはヘンリー・フォンダバーバラ・スタンウィックを主役に迎えてハイテンションなスクリューボール・コメディ『レディ・イヴ』(41)を手掛ける。スラップスティック・コメディが持つハチャメチャさと、ソフィスティケーティッド・コメディ独特の優雅さとセリフの面白さを取り入れ、これに唐突な騒々しさ組み合わせたスタージェス監督独特のスタイルは観客に受け入れられて大ヒットを記録、翌42年には製作、監督、脚本の三役をこなして大恐慌を舞台にしたベロニカ・レイクとジョエル・マクリー主演のハリウッド風刺劇『サリヴァンの旅』を手掛ける。続く『パームビーチ・ストーリー』(42)でも観客に笑いを提供して高い評価を獲得し、フランスのルネ・クレール監督がハリウッドで手掛けた『奥様は魔女』(42)ではプロデューサーを務める。44年の『凱旋の英雄万歳』と『モーガンズ・クリークの奇蹟』は共に脚本賞にノミネートされるが、製作費は高騰し、批評と興行面での失敗も続いて、製作条件は次第に厳しくなり2年間お蔵入りになっていた伝記映画『The Great Moment』(44)を最後にパラマウントを離れる。44年に億万長者のハワード・ヒューズと共にカリフォルニア・スタジオを創立して、引退していたサイレント映画のスター、ハロルド・ロイドの復帰作『The Sin of Harold Diddebock』(47)を手掛けるが、映画を気に入らないヒューズは映画をお蔵入りさせ、50年に再編集して『Mad Wednesday』のタイトルで公開。スタージェスは脚本を手掛けた『血の復讐』の監督の座を追われて、映画は大幅に脚色されてスチュアート・へイスラー監督が完成させる。47年には、37万ドルという当時としては最高の給料で20世紀フォックス社に移籍。レックス・ハリソン主演のブラック・コメディ『殺人幻想曲』(48)を手掛けるが観客の反応は冷たく、スタジオのトップ・スター、ベティ・グレイブルを起用したウェスタン『The Beautiful Blonde from Bashful Bend』(49)は興行的に惨敗して、スタージェスはフォックスを追放される。失敗作が続き、浪費家で完全主義者というイメージが幸いしてハリウッドでの仕事場を失ってしまう。破産したスタージェスは、ヨーロッパに渡り50年代は幾つかの脚本を執筆し、56年にフランスで最後の監督作『Les Carnets du Major Thompson』を手掛ける。

紹介作品

レディ・イヴ(41)

監督/脚本

サリヴァンの旅(42)

製作/監督/脚本



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