駅馬車 Stagecoach
公開:
1939年
駅馬車
製作:
ウォルター・ウェンジャー・プロ

ウォルター・ウェンジャー
監督:
原作:
アーネスト・ヘイコックス
脚本:
ダドリー・二コルズ
撮影:
バート・グレノン

レイ・ビンガー
音楽:
ボリス・モロス

リチャード・ヘイジマン

フランク・ハーリング

ルイス・グルンベルグ
出演:
ジョン・ウェイン

トーマス・ミッチェル

クレア・トレバー

ジェロニモ率いるアパッチ・インディアンの襲撃が激化する西部で、アリゾナからニュー・メキシコに向かう1台の駅馬車があった。 無法者リンゴー・キッド、気高い売春婦ダラス、リンゴーを追う保安官、アル中の医者、兵士の夫を訪ねる若妻、金を横領した銀行家、悪名高い賭博師、小心者の酒商人、おしゃべりな御者の9人の乗客は それぞれ目的や人に言えない過去を持ち、最初は打ち解けなかったが、 旅を通して絆を深め、最後には襲いくるアパッチ族の大群に団結して立ち向かってゆく。 ニュー・メキシコ行きの駅馬車に乗り合わせた人々が織りなす人間模様を、痛快でダイナミックなアクションを織り交ぜて描いた巨匠ジョン・フォード監督の傑作ウェスタン

『男の敵』(35)や『ハリケーン』(38)の成功によって人気監督の一人となったジョン・フォードは、子供向けのB級活劇と見られていた西部劇の人気を復活させるべく、一流の俳優を起用した上質の西部劇の製作を企画。 1936年に「コリヤーズ」誌に掲載されたアーネスト・ヘイコックスの短編小説『Stage to Lordsburg (ローズバーグ行き駅馬車)』の映画化権を37年に2500ドルで自ら獲得する。 フォードはダドリー・二コルズと共に脚本を練り上げ、簡潔な構成の原作を登場人物の性格や人間関係などをより充実させて、クライマックスまでテンポと緊張感を持続させるストーリーに再構成する。 『駅馬車』のタイトルが付けられた脚本が完成すると、フォードは専属契約を交わしていた20世紀フォックス社に企画を売り込むが、フォックスの重役ダリル・F・ザナックは映画化に興味を持たず、脚本さえ読もうとしなかった。 その後、M-G-Mワーナー・ブラザーズパラマウントコロムビア社など大手のスタジオに話を持ちかけるが、誰も人気が廃れた西部劇の映画化に興味を示そうとはしなかった。 そこで、フォードは独立製作者のウォルター・ウェンジャーに話を持ち込み、脚本を読んだウェンジャーは映画の製作を請け負う。 しかし、制作費を負担するユナイテッド・アーティスツ社は西部劇の製作に乗り気ではなかったので、 ウェンジャーは製作予算を39万2000ドルにまで抑える事に合意し、経費削減のためフォードと二コルズのギャラは通常よりも低く抑えられた。 出演料の予算は6万5000ドルしかなかったが、フォードは少ない予算から、トーマス・ミッチェル、ジョン・キャラダイン、アンディ・ディヴァインといったハリウッドきっての芸達者な俳優たちを集める。 ウェンジャーはダラス役にマレーネ・ディートリッヒを、リンゴー・キッド役には大スターのゲーリー・クーパーを望んだが、フォードはクレア・トレヴァーの起用に固執し、リンゴー役にはモノグラムやリパブリック社で長年B級西部劇の主役に甘んじていた友人のジョン・ウェインを周囲の反対を押し切って抜擢する。 撮影は38年の10月から始まり、フォードはかねてから目をつけていたユタ州のモニュメントバレーでロケーション撮影を敢行。 当時、モニュメントバレーは道は舗装されておらず、電話や電信もない、気候の厳しい土地だったが、景観が素晴らしく、スタジオの重役からの干渉を受けることもないので、以後モニュメント・バレーはフォードお気に入りの撮影場所となった。 また、モニュメントバレーに居留地を構えるナヴァホ・インディアンが生活に困っている事を知ったフォードは、彼らをエキストラや撮影の裏方として起用。 ハリウッドの規定にある報酬を支払うことによって彼らを援助し、ナバホ族の雇用は後のフォード作品でも続けられた。 ウェインは初の大役を得て神経質になっていたが、無名で友人のウェインが大役を得た事を他の俳優が快く思っていないと感じたフォードは、撮影時にウェインをこっぴどくしごくことによって他の俳優たちが彼に同情するようにしむけた。 ウェインの演技に満足したフォードは、スタジオに戻ってリンゴーの初登場シーンを撮り直し、ウィンチェスター銃を一回転させるウェインをキャメラがクローズアップしながら捉えるショットは今作の名場面の一つとなった。 クライマックスの目玉となった駅馬車とインディアンの疾走シーンの撮影はモニュメント・バレーではなく、カリフォルニア州のヴィクターヴィルにある水の干上がった湖で行われ、 フォードはウェインの紹介で、彼のモノグラム社時代からの親友で、ウェインのスタントマンとして活躍していたベテラン・スタントマンのヤキマ・カヌートを スタント・コーディネーターとして起用。 カヌートは馬車を引く馬に飛び乗り、その後落馬した彼の上を馬車が通り過ぎる危険なスタントを披露。 それ以外にも、馬の前足に足枷をはめ、それにケーブルを繋いでケーブルが延びきった時に馬が転倒するようにする「ランニングW」と呼ばれる手法や、数々の激しいスタントが駆使されて迫力あるインディアンの襲撃シーンが作り出された。 音楽にはリチャード・ヘイジマン、W・フランケ・ハーリング、ジョン・レイポルド、レオ・シュケンらのアメリカのフォーク・ソングのオーケストラによる編曲が使用され、そのノスタルジックな旋律は映画の雰囲気を盛り上げることに大いに貢献した。 映画は試写の段階から観客を魅了し、一般公開されると批評家からは最高の西部劇だと絶賛され、興行的にも空前のヒットとなる。 第12回アカデミー賞では作品賞を含む7部門にノミネートされ、助演男優賞(ミッチェル)と作曲・編曲賞の2部門を受賞。フォードはニューヨーク批評家協会から監督賞が与えられた。 映画は西部劇だけでなくアクション映画の古典となって多くの人々に強い影響を与え、神童オーソン・ウェルズは映画史に残る傑作『市民ケーン』(41)の製作前に今作を何十回も観て映画の作り方を研究し、インディアンの襲撃シーンのフッテージは低予算のB級ウェスタンに何度も借用された。 ウェインはこの映画での好演によってB級映画俳優からの脱却を果たし、フォードとは度々組んで『黄色いリボン』(49)や『静かなる男』(52)などの名作や傑作を発表した。

65年にゴードン・ダグラス監督によって、86年にはテッド・ポスト監督によって2度リメイクされているが、この作品の面白さと完成度の高さには遠く及ばない。


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