サンセット大通り Sunset Boulevard
公開:
1950年
サンセット大通り
製作:
パラマウント・スタジオ

チャールズ・ブラケット
監督:
脚本:
ビリー・ワイルダー

チャールズ・ブラケット

D・M・マーシュマン・ジュニア
撮影:
ジョン・サイツ
音楽:
フランツ・ワクスマン
出演:

売れないハリウッドの脚本家ジョーは借金取りから逃れる途中でサンセット大通りにある荒れ果てた屋敷に迷い込む。 そこには、サイレント時代のハリウッド・スター、ノーマ・デスモンドが執事と二人きりで住んでいた。 映画界へのカムバックを目論むノーマは、自ら書いた『サロメ』の脚本の手直しをジョーに依頼。 ノーマは無理やりジョーを屋敷に住み込ませて仕事をさせるが、二人の関係は次第に仕事を超えたものとなってゆく。 自分を独占しようとするノーマに嫌気がさしたジョーは屋敷を出て行こうとするが・・・。 名匠ビリー・ワイルダー監督が、虚構と現実が巧みに交じえて往年のハリウッド女優と売れない脚本家の愛憎劇を描いたハリウッド内幕映画の傑作。

ワイルダー監督と組んで『失われた週末』(45)や『皇帝円舞曲』(48)などのヒット作を手掛けた脚本家のチャールズ・ブラケットは、 サイレント時代の年老いた大女優が苦労の末に銀幕にカムバックを果たすコメディーを提案。 ハリウッドについての映画だったので物語の内容は一切秘密にし、ストーリーがほかにもれないように企画には『A Can of Beans (豆の缶詰)』というみせかけのタイトルがつけられた。 また、ワイルダーは内容が漏洩することを恐れて脚本の持ち出しを禁止し、一日の仕事が終わるとノートやメモは鋼鉄製の鍵つきの引き出しにしまわれたので、 パラマウント社の上層部でさえどんな映画が描かれているのか知らず、ワイルダーとブラケット以外完成した脚本を見たものはいなかった。 二人は最初の40ページしかない脚本で製作にかかるが、スタジオでは毎週製作の進行状況を報告する決まりがあったため、ワイルダーは架空の映画についての報告書をでっちあげていた。 二人がストーリーで難航したとき、ワイルダーのブリッジ仲間でタイム=ライフ誌の若い記者D・M・マーシュマン・ジュニアが提案した若い脚本家をジゴロにして老女優との関係を描くというアイディアが気に入り、 マーシュマンをチームに招いて脚本を書き上げる。 ワイルダーはノーマ・デスモンド役にメエ・ウエストを指名するが、当時55歳だった彼女は自分がサイレント映画の女優を演じるには若すぎると考えて出演を拒否。 続いてメアリー・ピックフォードにオファーするが、当初助演格だったデスモンド役を物語の中心に据えることを望んだために起用をあきらめた。 次にオファーされたポーラ・ネグリは落ち目の自分が食いものにされると考えて出演を断った。 ワイルダーはジョージ・キューカー監督にアドバイスを求め、キューカーは当時61歳のグロリア・スワンソンを推薦。 スワンソンは大女優としてのプライドからスクリーン・テストを受けることを拒否したが、キューカーの説得によってテストを受けることを了承し、 彼女の演技があまりにも圧倒的だったので、ワイルダーとブラケットは脚本を書き直しデスモンドを主役に変更した。 売れない脚本家ジョー・ギデス役に、ワイルダーは脚本執筆段階から新進気鋭の若手俳優モンゴメリー・クリフトと出演の約束を交わし、役もクリフトを念頭に置いて書かれていた。 しかし、クリフトは撮影開始の二週間前になって、自分には二倍もの年齢の女性と愛し合う若者の役を演じることが出来ないという理由で出演を辞退。 当時19歳のクリフトは20年代に活躍した30歳も年上の歌手リビー・ホルマンと深い関係にあり、自分たちの関係を描いていると思い込んだホルマンがそんな映画に出たら自殺するとクリフトを脅したのが出演を断った本当の理由だといわれている。 『深夜の告白』(44)のフレッド・マクマレイは女性に囲われる役を演じたがらずに出演を断り、 ジーン・ケリーM-G-M社との契約があって出演は実現しなかったので、スタジオの契約俳優の中から比較的無名だったウィリアム・ホールデンが抜擢された。 デズモンドをスターにした元映画監督で元夫の執事マックス役には浪費家で名を馳せた往年の名監督エーリッヒ・フォン・シュトロハイムを起用。 シュトロハイムの提案で屋敷の映写室で上映する作品には彼が演出したスワンソン主演の未完の映画『Queen Kelly』(29)のシーンが使用された。 デスモンド宛のファンレターはマックスが書いていたというのも彼のアイディアだったが、フェチシストのマックスがデズモンドの下着を愛おしそうに洗うというアイディアは採用されなかった。 それ以外にも、スワンソンを映画スターに育て上げたセシル・B・デミル監督が自分自身の役で出演し、 サイレント期のスターだったバスター・キートン、アンナ・Q・ニルソン、H・B・ワーナーがデスモンドのブリッジ仲間として出演。 その結果、この映画は架空の物語と出演者たちの実人生が絶妙に交じり合って、一層のリアリティと説得力を与えた。 デスモンドの邸宅にはハリウッドのウィルシャー大通りとウエスタン通りの角にあるルネッサンス風の邸宅を使用。 24年に元メキシコ領事のウィリアム・ジェンキンズが25万ドル投じて建てた豪邸で、撮影当時は石油業者J・ポール・ゲティの元妻が所有していたが、 ゲティ夫人は撮影に必要なプールを作り、それを彼女が気に入らなかった場合は埋めて元通りにするという条件つきで邸宅の使用を許可した。 サイレント・スターの寂れた邸宅の雰囲気を出すために、玄関ホールにはステンドグラスの窓がはめ込まれ、居間にはパイプオルガンが置かれ、温室にはヤシの木が配された。 デスモンドの寝室にある白鳥をデザインした船型のベッドはダンサーで高級娼婦だったギャビー・デ・リスの持ち物で、1週間500ドルで貸し出された。 また、デズモンドの乗用車として週500ドルで年代もののリムジンを借り受け、ワイルダーは数千ドル費やしてシートを豹皮に変えて、デスモンドが運転手と話す金の電話を取り付けさせた。 しかし、シュトロハイムは車の運転のしかたを知らず、彼が運転する芝居をする間、車はロープで引かれていた。 ワイルダーは、ロサンゼルス郡の死体保管所で36体の死体が並ぶオープニング・シーンを執筆。 ジョーを含めたの死体たちが自分たちがどうして死んだかを語りあうというブラック・ユーモアあふれるもので、 ラストも発狂したデスモンドが階段を降りてゆくところから場面が切り替わり、ジョーの同僚で恋人のオスソンが死体保管所で彼の死体を抱きかかえて号泣するショットで終わる予定だった。 悲劇の主人公はオルソンでなくデスモンドなので、デスモンドの発狂で終わるべきたという理由でこのラストは採用されなかったが、 オープニング・シーンは悪趣味だと不満を唱えたブラケットの反対を押し切って、ワイルダーはエキストラ36人に死体を演じさせて撮影を強行した。 しかし、このオープニングはイリノイ州エヴァンストン行われたスニーク・プレヴューで観客の失笑を買い、ロング・アイランドでの試写も散々な結果に終わってしまう。 その結果、映画の封切りは6ヶ月延期され、ワイルダーはデズモンド邸のプールに浮かんだジョーの死体が死に至った事情を語るというオープニングに変更された。 映画は批評家から絶賛されたが、試写会に招待されたM-G-Mの総帥ルイス・B・メイヤーは、ショックを受けて自分を育てた映画業界に泥を塗るとは何事だとワイルダーに食ってかかった。 第23回アカデミー賞では作品、監督、主演男優、主演女優賞を含む12部門にノミネートされたが、対抗馬だった演劇界の内幕劇『イヴの総て』(50)に破れて脚本、音楽、白黒美術、美術装置賞の4賞のみに終わった。

93年にはミュージカル『キャッツ』や『エビータ』の作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーの手によって舞台ミュージカルとしてリメイクされ、 ブロードウェイ公演では『危険な情事』(87)のグレン・クローズがデズモンドを演じてトニー賞を受賞した。


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