トッド・ブラウニング Tod Browing

本名:
チャールズ・アルバート・ブラウニング
トッド・ブラウニング
職業:
監督、製作者、俳優、脚本家
生年:
1880年7月12日
出身国:
アメリカ
出身地:
ケンタッキー州 ルイビル
没年:
1962年10月6日
代表作:
『三人』(25)
『魔人ドラキュラ』(31)
『フリークス』(32)

貧しい家庭に生まれ、教育も満足に受けることが出来ずに、16歳の時に家を出てサーカス一座に入団。 子供の頃から身のこなしが軽やかだったブラウニングは、その才能を活かしてアクロバット芸人として活躍。 アクロバットだけでなく道化師としても人気を博して、ボードビルにも進出した。 1915年にはバイオグラフ社と契約を交わし、俳優として『The Deceiver』(14)や『Cupid and the Pest』(15)などの映画に出演。 同年には短編『The Lucky Transfer』で監督デビューを果たす。 D・W・グリフィス監督の超大作『イントレランス』(16)では助手を務めて、数千ものエキストラや出演者たちの誘導などを担当。 その手腕が高く評価されて17年には『Jim Bludso』で共同監督として初の長編映画を監督。 20年代前半は『飾りなき女』(19)や『野辺のロマンス』(20)など娯楽性の高い映画を次々と発表した。 25年の犯罪コメディ『三人』ではその後のブラウニングの特長となる怪奇志向が現れはじめ、 この作品で出会ったロン・チェイニーとは『知られぬ人』(27)や『ザンジバーの西』(28)などの作品でコンビを組んでハリウッド・ホラーの黎明期を築き上げていった。 31年には怪奇映画『魔人ドラキュラ』を発表。 ガンで急遽したチェイニーに代わって舞台版の俳優ベラ・ルゴシをタイトルロールに起用した今作は、 ゴシック的な怪奇ムードに溢れる独特な世界を作り出して吸血鬼映画に一つのスタイルを確立。 映画は大ヒットを記録して、怪奇映画は一躍人気ジャンルとなった。 M-G-M社のアービング・G・タルバーグは、怪奇映画の第一人者となったブラウニングに『ドラキュラ』を超える怪奇映画の演出を依頼。 ブラウニングはそれまでの集大成というべき作品として『フリークス』(32)を発表。 この旅回りの見世物一座の愛憎劇には小人症の人々をはじめ、シャム双生児、胴体だけの男、などフリークスと呼ばれる本物の身体障害者たちが大勢出演し、 暗い内容ながらもブラウニングのフリークスたちへの愛情溢れる作品となった。 見世物になるフリークスの視点から描かれた数少ない映画として、現在ではカルト的名作としての評価と人気を得ているが、 そのセンセーショナルな映像と内容はハリウッドで物議を醸して当時の評価は二分され、映画館では失神するものが続出して興行的にも惨敗した。 『フリークス』の失敗によって輝かしいキャリアに終りを告げたブラウニングだったが、 その後も細々と怪奇映画を演出し、再びルゴシに吸血鬼を演じさせた『古城の妖気』(35)や、ライオネル・バリモアが人間を縮小して人形として売る『悪魔の人形』(36)などを発表。 39年の『Miracle for Sale』を手掛けた後、引退宣言して映画界から遠ざかり、62年の10月6日にひっそりとこの世を去った。

紹介作品

魔人ドラキュラ(31)

監督

フリークス(32)

製作/監督



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