黒い罠 Touch of Evil
公開:
1958年
黒い罠
製作:
ユニヴァーサル・スタジオ

アルバート・ザグスミス
監督:
原作:
ホイット・マスターソン
脚本:
オーソン・ウェルズ

ポール・モナッシュ
撮影:
ラッセル・メティ
音楽:
ヘンリー・マンシーニ
出演:

メキシコの国境の街で起こった爆弾テロ事件。 事件の捜査にあたるアメリカ人の警官クィンランに、現場に居合わせたメキシコの麻薬捜査官バーガスが協力を申し出る。 クィンランの強引な捜査に疑問を抱くバーガスは、事あるごとにクィンランと対立。 彼の存在を快く思わないクィンランは、地元のギャングと手を組んでバーガスの妻スーザンに魔の手をのばす。 初公開時には黙殺されたが、現在ではカルト・ムービーの一本として評価の高い、 天才オーソン・ウェルズの斬新な撮影テクニックとストーリー・テリングが観る者を熱中させるフィルム・ノワール後期の傑作。

ホイット・マスターソンの小説『悪のバッジ』の映画化を企画した製作者のアルバート・ザグスミスは、 『悪魔に支払え!』(57)で俳優として起用したウェルズをクィンラン役に起用。 バーガス役をオファーされたチャールトン・ヘストンはウェルズ映画の大ファンで、 彼の監督作に出演すれば俳優としての名声を高めると考えて、監督にウェルズを推薦。 ウェルズは映画を効率的に撮り上げて、浪費家としてのイメージを返上すればハリウッドに復帰することが出来ると考え、 制作元のユニヴァーサル社が提示した監督、出演、脚本の改稿を含めたわずか12万5000ドルの報酬で仕事を引き受け、 48年の『マクベス』以来10年ぶりにハリウッドで映画を監督するチャンスを手に入れた。 ポール・モナッシュが手掛けた脚本はありふれた刑事物だったため、ウェルズは数週間かけて脚本の大幅な書き直しを行い、 舞台をサンティエゴからメキシコにある架空の町に変更し、主人公である白人の夫とメキシコ人の妻の設定を、メキシコ人の夫と白人の妻に逆転させ、 悪徳警官クィンランを前面に押し出して、原作とは全く違った新たなストーリーを創造。 スタジオがローケーション撮影に乗り気でない事を知ると、ウェルズは撮影初日と2日目は予定以上のスケジュールを消化してスタジオを安心させ、 その後ハリウッド郊外の町ヴェニスに移り、スタジオのからの干渉を避けるため撮影は主に夜間に行った。 撮影はウェルズの『ストレンジャー』(46)でも撮影監督を務めたラッセル・メティが担当し、 広角レンズ、パン・フォーカス、奇抜なキャメラ・アングルを多用した野心的かつ絵画的なキャメラ・ワークを披露。 3分18秒にもわたるオープニングのワンシーン・ワンショットの長まわしによる爆弾テロのシーンは撮影準備に一晩かけ、 長まわしが終わる車の爆発直前まで何度もリハーサルを繰り返し、全てが完璧になった時点で撮影が行われた。 バーガスの妻スーザンに扮したジャネット・リーは、撮影直前に腕を骨折してしまい、ギブスをつけてて撮影に臨み、 ギブスをした腕はキャメラには映らないよう巧みに撮影されたが、モーテルのシーンだけはギブスを外させて撮影した。 ウェルズは影の主人公であるクィンランを演じるにあたって、130キロの体重を更に太っているように見せるために服の中に詰め物を入れ、 毎日2時間かけて顔全体に特殊メイクをしてあの異様なキャラクターを作り上げた。 ヴェニスに移った直後、ウェルズは運河に転げ落ちて足首、手首、膝を捻挫してしまうが、彼は痛めた脚を引きずりながら撮影を続けた。 ウェルズは親友のマレーネ・ディートリッヒに映画への友情出演を打診し、 彼女は自分の名前をクレジットに出さなければ出演料は取らないという条件で出演を承諾。 ディートリッヒは2日間だけ撮影に参加し、自前の衣装を着てウェルズが彼女を想定して書き加えたジプシーの占い師ターニャを魅力たっぷりに好演。 ラッシュ・フィルムを観て大物女優の出演を初めて知ったスタジオの重役たちは、ディートリッヒの名前をクレジットに出すために彼女に出演料を支払った。 また、当時テレビ・ドラマ『ガンスモーク』のチェスター役で人気を博していたデニス・ウェーバーが撮影に参加できると知ったウェルズは、 彼のために神経症的なモーテルの管理人役を新たに書き加えた。 映画音楽は、これが映画デビューとなった『ティファニーで朝食を』(61)『シャレード』(63)のヘンリー・マンシーニが抜擢され、ラテン・ジャズを全編にフューチャーしたテンポのよい音楽を作曲。 ウェルズは作曲には立ち会わなかったが、出来には満足していた。 撮影が終わるとウェルズはエドワード・カーティスと共に編集を始めるが、カーティスとは意見が合わずに、後任としてヴァージル・ヴォーゲルを起用。 ヴォーゲルと意気投合したウェルズは自分の思い通りの編集を行う事が出来たが、スタジオは新しい編集者アーロン・ステルに編集を一任せることを提案。 スタジオはラッシュ・フィルムの出来には満足していたものの、複雑なストーリー展開には難色を示し、 ウェルズが念願の企画だった『ドン・キホーテ』(55)の撮影でメキシコに滞在している間に、 ハリー・ケリー監督に主演俳優たちのクローズ・アップなどの追加撮影をさせ、ストーリーを分かりやすくするために再編集を行った。 スタジオによってズタズタに切り刻まれたバージョンを観たウェルズは、58ページのメモを提出して自分の意図に沿った再編集を要請したが、 スタジオは彼の提案を受け入れず、 マスコミ向けの試写も行わずにダブル・フィーチャーの添え物映画としてひっそりと公開した。 映画は失敗作の烙印を押され、ウェルズはユニヴァーサルを追われて、これがハリウッドで監督した最後の作品となったが、 ヨーロッパでの反応は良く、フランスでは1年半ものロングランとなり、ブラッセル世界博覧会の映画祭ではグランプリを獲得した。

1998年には、ウェルズの58ページのメモに基づいて彼の意図に最も近い編集を行った111分のディレクターズ・カット版がアメリカで公開され、 このバージョンを含めて今作には、通常版(108分)、短縮版(95分)、完全版(131分)、ディレクターズ・カット版(111分)の4つのバージョンが存在している。


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