ウエスト・サイド物語 West Side Story
公開:
1961年
ウェスト・サイド物語
製作:
ミリッシュ・カンパニー/ユナイテッド・アーティスツ

ソール・チャップリン

ロバート・ワイズ
監督:
ロバート・ワイズ

ジェローム・ロビンス
原作:
ジェローム・ロビンス

ロバート・E・グリフィス

ハロルド・プリンス

アーサー・ローレンツ
脚本:
アーネスト・レーマン
撮影:
ダニエル・L・ファップ
音楽:
レナード・バーンスタイン
出演:
ナタリー・ウッド

ジョージ・チャキリス

リチャード・ベイマー

ニューヨークに住む不良少年グループのジェット団とシャーク団は、事あるごとに対立してトラブルばかり起こしている。ジェット団の元リーダー、トニーは、シャーク団のリーダー、ベルナルドの妹でプエルトリコからやってきたばかりのマリアと許されざる恋に落ちてしまう。 トニーはマリアに頼まれてジェット団のリーダー、リフとベルナルドの決闘を止めようとするが、決闘に巻き込まれてしまい、リフを殺したベルナルドを刺し殺してしまう。 トニーはマリアと駆け落ちして街を出ようとするが、二人の行く手には悲劇の魔の手が忍び寄る。 ミュージカル映画が衰退しようとしていた60年代に颯爽と登場した、若者たちの人種間の対立と恋愛を斬新な映像センスでダイナミックに描いたブロードウェイの大ヒット・ミュージカルの映画化。

舞台演出家で振付師のジェローム・ロビンスは演技クラスでロミオ役の準備をしていた友人の提案で、ウィリアム・シェークスピア原作の悲劇『ロミオとジュリエット』を現代のニューヨークに置き換えた舞台ミュージカルの製作を思い立つ。 49年、ロビンスは作曲家のレナード・バーンスタインと共にストーリーを練り、 最初のアイディアはグリニッチ・ヴィレッジを舞台にユダヤ系のシャーク団とイタリア系カソリックのジェット団が信仰の違いから対立する物語で、タイトルも『イースト・サイド物語』だった。 6年後、二人は再びストーリーを練り直し、当時マンハッタンのウエスト・サイドには多くのプエルトリコ人が移住していたので、二つのグループを人種の違いから対立するカソリック系のユダヤ人とプエルトリコ人に変更。 タイトルも物語の舞台となる『ウエスト・サイド物語』に変更し、アーサー・ローレンツが脚本を執筆。ロビンスがダンスの振付を担当し、バーンスタインが作曲を、スティーブン・ソドハイムが作詞を手掛ける。 ワシントンDCでの試験公演後、1957年の9月26日からキャロル・ローレンスとラリー・カートの主演でブロードウェイ公演が始まり、舞台は絶賛を浴びてトニー賞の振り付け賞と舞台デザイン賞を獲得。 772回のロングランを記録し、全国ツアー終了後、再びブロードウェイに戻って253回上演された。 この大ヒット・ミュージカルの映画化権を独立プロダクションのミリッシュ・カンパニーが獲得。 『王様と私』(56)の脚本を手掛けたアーネスト・レーマンが脚本を執筆し、監督にはRKO社在籍時にフレッド・アステアジンジャー・ロジャース主演のダンス映画の編集を手掛けていたロバート・ワイズが抜擢される。 これが初めてのミュージカル映画の演出となったワイズは、舞台版の生みの親であるロビンスを振付師兼共同監督に起用する。 60年のロンドン公演版でジェット団のリーダー、リフを演じたジョージ・チャキリスがシャーク団のリーダー、ベルナルド役に抜擢されるが、 他の4人の主要キャストは舞台版未経験の俳優やダンサーが選ばれ、マリア役にナタリー・ウッド、トニー役にリチャード・ベイマー、マリアの親友アニタ役にリタ・モレノ、リフ役にラス・タンブリンが起用された。 1年以上の準備期間を経て、60年の8月からニューヨークで撮影が開始され、現在はリンカーン・センターのパフォーミング・アーツの建物があるマンハッタンの西64丁目でオープニング・シーンの撮影が行われた。 この撮影は8月の酷暑の中で行われ、ジェット団とシャーク団に扮した22人の俳優とダンサーたちは、43度の暑さの中でロビンスの厳しい指導を受けながらダイナミックな踊りを披露した。 ニューヨークでのロケ撮影が終了すると一行はハリウッドに戻り、ゴールドウィン撮影所にある7つのサウンドステージと50のセットで残りのシーンの撮影とリハーサルが行われた。 ロビンスは路上での躍動感溢れるダンスが印象的なオープニング・ナンバーをはじめ、『ロミオとジュリエット』のバルコニー場面をビルの非常階段に置き換えたナンバー「トゥナイト」など、ロケーション撮影とニューヨークという地所を最大限に活かした躍動感あふれるダンス・シーンを演出。 通常、ミュージカル映画の撮影では、ダンサーたちの踊りの躍動感を見せるためにキャメラを動かすことは少なかったが、ワイズは従来の方式を覆してキャメラを縦横無尽に動き回らせることによって、それまでにない斬新なダンス・シーンを作り上げた。 舞台で使われた曲は全て映画に使用されたが、舞台ではリフが殺されたあとにジェット団が歌うナンバー『Gee, Officer Krupke!』は、映画版ではリフが殺害される前に移された。 ウッド、ベイマー、モレノ、ベイマーの歌はそれぞれマーニ・ニクソン、ジム・ブライアント、ベティ・ウォンド、タッカー・スミスによって吹き替えられ、 ウッドの歌を吹き替えたニクソンは、3年後『マイ・フェア・レディ』(64)オードリー・ヘプバーンの歌も吹き替えた。 ウッドは自分の歌が使われるものだと信じてボーカル・レッスンを受けて全曲録音していたが、スタッフたちはウッドの機嫌を損ねないために、歌が吹き替えになる事は撮影終了まで秘密にしていた。 6ヶ月の撮影期間と7ヶ月のポスト・プロダクションを経て映画は完成。 アメリカ社会が抱える人種問題や少年の非行化問題に娯楽映画が真正面から取り組んだ事によって、映画版はオリジナルの舞台以上の評価を獲得し、観客からも絶大な人気を博して『101匹わんちゃん』(61)に次いで61年の興行収入第2位を記録。 プレミア上映されたニューヨークでは77週間にわたるロングランを記録した。映画はアメリカだけでなく世界中で大きな成功を収め、日本でも73週間のロングランを記録し、パリでは259週ものロングランを記録する大ヒットとなった。 第34回アカデミー賞では11部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞(チャキリス)、助演女優賞(モレノ)、カラー撮影賞、カラー美術監督・装置賞、音響賞、編集賞、ミュージカル映画音楽賞、カラー衣装デザイン賞の10部門を独占。ニューヨーク批評家協会の作品賞にも選出された。


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