女性No.1 Woman of the Year
公開:
1942年
女性No.1
製作:
監督:
ジョージ・スティーブンス
脚本:
リング・ラードナー・ジュニア

マイケル・ケイニン
撮影:
ジョセフ・ラッテンバーグ
音楽:
フランツ・ワックスマン
出演:

ニューヨークの大手新聞社で働く政治コラムニストのテスと、スポーツ記者のサムは新聞の花形記者として活躍。いつしか二人は愛し合うようになって結婚するが、生活習慣も考え方も違う二人の共同生活はなかなかうまくいかない。夫婦の危機を感じたテスは、サムの良き妻になろうと奮闘するが…。 これが初共演となったハリウッドを代表する名コンビ、キャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーの息の合ったやりとりが楽しいソフィスティケーテッド・コメディの傑作。

ヘプバーンの友人ガースン・ケイニンは、ノーベル賞受賞作家のシンクレア・ルイスと、1943年にアドルフ・ヒットラーが直々にドイツ追放を命令した女性ジャーナリストで、35年にウーマン・オブ・ザ・イヤー(女性No.1)に選出されたドロシー・トンプソンとの結婚生活をモチーフにして、『女性に関すること』と題された78ページのアウトラインを執筆。 ケイニンはアメリカ陸軍の為にドキュメンタリー映画を製作する契約をしていたために、兄のマイケル・ケイニンと、スポーツや政治に通じたリング・ラードナー・ジュニアにアウトラインの脚本化を依頼する。 トレイシーとペプバーンの共演を想定して書き上げられたこの脚本にヘプバーンは興味を示し、前作『フィラデルフィア物語』(40)の制作を務めたジョセフ・L・マンキーウィッツに話を持ちかける。 ストーリーが気に入ったマンキーウィッツがプロデュースを引き受けると、続いてヘプバーンはM-G-M社の総帥ルイス・B・メイヤーに話を持ちかける。 メイヤーは脚本家の名前を知りたがったが、ヘプバーンは脚本の作者を伏せて交渉を続け、M-G-Mはそれまで1本3,000ドル以下のギャラしかもらえなかった2人の脚本家に5万ドルづつ、ヘプバーンに10万ドルの出演料とエージェント料として1万1,000ドルを支払い、彼女に監督と共演者を選ぶ権利を与えるという条件で映画化権を獲得する。 ヘプバーンは『偽装の女』(37)でのコメディ演出を高く買っていたジョージ・スティーブンスを監督に推薦し、共演者には当時M-G-Mの大スターだったトレイシーを指名する。 トレイシーはフロリダで『仔鹿物語』の撮影中だったが、撮影現場でキャメラのレンズに昆虫の群れがつくトラブルに見舞われた上に、監督の手腕とトレイシーと共演した子役の演技に満足できないスタジオは映画の製作を中断(映画は46年にクレゴリー・ペック主演で完成された)。 トラブルに嫌気がさして映画をおりたトレイシーは、『女性No.1』の脚本は気に入ったものの、勝気な性格のヘプバーンと共演することに難色を示すが、『フィラデルフィア物語』を観て考えを改め、出演を承諾する。 スタジオのカフェでトレイシーに初めて紹介されたヘプバーンが、「私、貴方と共演するには背が高すぎるかしら」と言ったところ、トレイシーが「気にすることはない。君を僕のサイズに合わせてみせる」と答えたエピソードは有名である。 オリジナル脚本では、テスが夫サムの好きな野球に興味を持って、夫以上に熱中するエンディングが用意されていたが、男性優越主義者のスティーブンスとマンキーウィッツはテスに報いを受けさせるべきだと考え、スティーブンスは以前サイレント映画で使ったことのある、ヒロインが朝食を作って見事に失敗するコミカルなシーンに変更することにして、『我は海の子』(37)の脚本家ジョン・リー・メーインに書き直させる。 ヘプバーンはこのシーンを愚劣と評し、ケイニンとラードナーもこのシーンに満足できなかったが、試写会での女性の反応が良かったのでそのまま残されることになった。 映画は観客からも批評家からも好評を持って迎えられ、第15回アカデミー賞ではヘプバーンの主演女優賞とオリジナル脚本賞の2部門にノミネートされ、脚本賞を獲得する。 この作品の撮影を通してヘプバーンとトレイシーの関係は親密になり、二人は実生活だけでなく『アダム氏とマダム』(49)や『招かれざる客』(67)など8本の映画で共演して名コンビぶりを披露する。

76年にテレビ用映画としてリメイクされ、81年には舞台ミュージカル化されて、主演のテスを演じたローレン・バコールトニー賞を獲得する。


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