周辺領域の才能たち
落ち穂拾いギャラリー


ジャズやクラシックを愛でる貴方の耳で聴いても,どこかに面白みを感じる
かも知れぬ他ジャンルの音楽をご紹介するお部屋。しかし,その実あっしの
懐古趣味のお部屋に過ぎなかったり致します。


凡 例
星勘定 悦びの度合い
神盤です。伏して聴きます。
傑作だ。一生付いて行きます。
かなり良いぞ,また聴こう。
お,結構良いんじゃないでしょうか。



どーせ場末です
だから万年工事中です
気が向いたとき,地味に追補します



ジャケット 解題 ジャケット 解題

Steely Dan
Two Against Nature (BMG : BVCG-21003)

過去の音楽的遺産を手広く学んだうえで止揚し,坩堝から新たな音楽語法の開拓を狙う。密室性と職人芸的要素の濃い1970年代の音楽を,ある意味象徴するグループがスティーリー・ダンだった。ジャズ屋を含むスタジオ・ミュージシャンを贅沢に使って演奏の濃度を可能な限り上げ,緻密かつ独創的なコード魔術を駆使して,ロックとジャズ境界線上に巧みな平衡感覚を発揮。専門家集団の有機的分業による効果を,文字通り最大限に生かした希有なグループだった。その後約20年のブランクに突入したが復活。往事ほどの輝きは感じられないものの,禿げかかった頭で今もラップ全盛の斯界に挑むドンキホーテー振りには胸のすく思いがする。「彩」以降の作品は,フェイゲンの2枚のソロ作を含めどれを聴いても面白く,外れることはないだろう。ただし,最近作『エブリシング・マスト・ゴー』はヤキが回ったか,大きくレベルが落ちた。

Donald Fagen
The Nightfly (Warner Bros : 7599-23696-2) 

2名の頭脳によって牽引されていたスティーリー・ダンの片割れドナルド・フェイゲンは,1970年代後半に同バンドで大成功を収めた。しかし,1980年代に入り,音楽界に商業主義の波が押し寄せてくると,入れ違いに活動を休止。世紀の変わり目まで実に20年近くに及ぶブランク期へと入る。本盤はその直前に出たソロ名義での処女作。冒険的に転調されながら拡張していく主題と,オリジナルこの上ないコード進行。それらが幸福に噛み合った職人芸的な楽曲を,贅沢にあしらわれたジャズメンやスタジオ職人の,暖かみのある演奏が支える。フェイゲンの頭脳と演奏屋の腕による有機的分業が,セールスの上でも正当に評価される時代の,まさしく最期の姿がここにある。CDの出現から3年。ターンテーブルを前に物憂い表情を浮かべる彼は,テクノロジーによって自らの手法がアナクロ化されることを,既に予見していたのかも知れない。

Airplay
Airplay (BMG : DRF-5309)

ベンソンやアル・ジャロウのプロデュースで知られるジェイ・グレイドンと,シカゴやホール&オーツ,果ては映画『ボディガード』の主題歌に至るまで悉くヒットさせる敏腕デヴィッド・フォスターが組んだ夢のユニット【エアプレイ】唯一の録音。電子ピアノとピアノのユニゾンで膨らみを与え,ギターのオブリガード,分厚いホーン,さらにはコーラスまで加わるアンサンブルが,全く消化不良になることなく巧みに配された編曲の妙。シカゴやTOTO(日本で言えばオフコース)に通じる,凝ったコードのメロウな曲想。それらが高次元に融合した,贅沢な音だ。ここに,あらん限りの時間・資力・技巧をつぎ込むことで,ジャンルを超えた良質の音楽を生み出そうとする1970年代カルチャーの爛熟した一瞬の輝きが,紛れもなく刻印されている。こんな作品が,スティーリー『ガウチョ』やエイジア『時への浪漫』とほぼ同時期に出たのは,決して偶然ではない。そのどれもが,以降水準を維持できなかった。ここに時代の転換点が見える。一方では膨大な浪費を隠しながら「人智を結集して理想郷へ」と高らかに,そしてけばけばしく謳うオプティミズムの,最後の凱歌でもあった。

Randy Goodrum
Fool's Paradise (Polygram : POCP-2042)

現在ではAORマニア以外にはほぼ無名と思われるグッドラムは,1947年アーカンソー州生まれ。歌手のアン・マレイに提供した自作曲が全米一位の挙げ句グラミー賞を受賞し,知名度を得た。その後もジャーニーのスティーブ・ペリーに「オー・シェリー」を卸して全米3位にしたり,シカゴへ「フェイスフル」を書いてトップ10ヒットさせたりと活躍し,西海岸の敏腕として成功を収めた。その余勢を駆って,1982年に制作したのが本盤。脇を固める面々がTOTO人脈であることを見れば,音は聴く前から予想可能。この時代の西海岸を象徴する,上品な白人ソフト・ロック。ソフトなフェンダー・ローズをたっぷりと使い,清涼感のあるコーラスとシンセで彩りを添える。甘さの中に微かなハードボイルドさをたたえたヴォーカルも,余芸とは思えぬ味があるし,さすがはヒットメーカー。小粒ながら楽曲はどれも心憎いほど粒ぞろいだ。適度に意外性を含むコード進行で耳を愉しませつつ,程良いポピュラリティがオタク落ちを寸止め。広い間口と深い懐を両立させた周到な音作りには,ただ感心する。ちなみに彼は,現在でも地味にリーダー盤の発表を続けている数少ないAORの生き残りだ。

Michael Sembello
Bossa Nova Hotel (Warner Bros. : WPCP-3481)

およそ優男とは正反対な髭もじゃの風貌だが,彼はスティービー・ワンダー最絶頂期の名作群で,ギターと編曲の労をとっていた才人だった。その後シンガー・ソングライター業へ転向。映画《フラッシュダンス》に提供した《マニアック》で全米一位を獲りながら,この1曲で消えてしまったカワイソーな人物である。本盤はヒットの余勢を駆って1983年に作られたデビュー作。くだんのマニアックも収録されているが,アルバムをちゃんと聴けば,他の曲が驚くほど粒ぞろいだとすぐお気づきになるだろう。音的には電子音を程良く使ってポップになった白人西海岸ソウル。残念なのは,それら佳曲にどれも今ひとつヒットを狙う華が無いところか。その後の苦労が窺えるのだが,ジャズやR&Bとソフト・ロックを絶妙に案配した音は,地味ながらひたすらに手堅く,スティービーに認められた才能は並のものではないと如実に分かる。大変良心的な西海岸ポップ・アルバム。

Samuel Purdey
Musically Adrift (Good Sound : QTCY-73009)

ひと頃,1970年代のモータウンとクラブ音楽を上手くミックスした音で一世を風靡したジャミロクワイ。そのツアーに,サイドメンとして同行していた太鼓とヴォーカルが組んで作ったのが,このアルバムだった。中身は,1970年代が好きで堪らない若者による,1970年代音楽カルチャーへの讃歌。フェンダー・ローズを目一杯散りばめ,洒落たブラスと弦楽四重奏をオブリガードのためだけに使う。モータウンからイーグルスまでを味付けに用い,ポップなのにちょっと捻りの利いた佳曲がずらりと並ぶ。スティーリー・ダンの名脇役エリオット・ランドールに,ジャミロクワイのファンク・ベースも加わり,打ち込み全盛の世に背を向けた彼らの音は,1970年代の音楽が持っていた暖かな手作り感覚と確かな職人気質を正しく称揚する,音楽屋としての良心に裏打ちされたものだ。西海岸らしい,からっとしたファンク乗りが,スタジオ職人気質と上手くバランスした好内容作。

Mr.Mister
Welcome to the Real World (RCA : R32P-1010)

このバンドは4人組だが,実際はリチャード・ペイジとスティーブ・ジョージの2名が司令塔。というのもMr.ミスターは,彼らにとって2度目のバンド。その前は,洗練されたコード・マジックと作編曲で隠れたファンも多い《ペイジズ》というユニットを組んでいた。ペイジズは,1970年代後半から1980年初頭に掛けて3枚のアルバムを発表。3枚がいずれ劣らぬ素晴らしい出来なのは,20年を経た今でも再発される事実ひとつ挙げれば十分だろうが,どういうわけか時代から全くスルーされてしまう。臥薪嘗胆,よりコマーシャルな要素を取り込んで成功したのがMr.ミスターだった。AOR路線から一転,サバイバーやナイト・レンジャーに通じるシンセ入りハード・ポップ路線へと変貌。彼らよりも流麗で透明感があり,ブリティッシュ・ポップ然とした音作りが持ち味だった。2枚目にあたる本盤からは3曲が全米チャートを席巻。彼ら最大のヒット作となる。シンセをてんこ盛りにしたロックだが,音そのものは非常に良く整理され無駄がなく,楽曲が怖ろしく粒揃い。これだけ高密度のロック・アルバムはそうないと思う。表面的な音の経時劣化やジャンルの違いに惑わされず,ただ各ジャンルの美学でいい仕事をしたアルバムを探す方には,ぜひ聴いて貰いたい作品だ。

Pages
Pages (EMI : TOCP-53189)

Mr.ミスターで成功を手にする前に,2人が組んでいた【ペイジズ】は,1978年から1981年の解散までに,3枚を残す。こういう路線ですぐに思いつくのはスティーリー・ダン。ペイジズもまた彼らと同様バンドから始まったものの,みるみるヒッキー化。3枚目の本盤では,スタジオ職人一色になってしまった。本盤の最大の売りは,名匠ジェイ・グレイドンの参加。加えて作編曲をMr.ミスターの司令塔がやるのだから,悪かろう筈がない。音的には西海岸の爽やかな風が吹くロックAOR。大成功を収めたMr.ミスターに聴ける,ハード・エッジな中にも独特の清涼感を持った音をご存じの方は,あれを数歩メロウな方向へ進めた音をイメージすると良い。曲想もさることながら,きびきびした変拍子やコーラス・ワーク,ヴォーカルの上手さ(笑)など,どれを取ってもスティーリー・ダンというより初期のTOTOだ(太鼓は実際にTOTO)。これが全米チャートで100位にも入れなかったとは,俄かには信じられない。そこここで腕利きが宝石みたいなアルバムをホイホイ作っていた良い時代だった。余談ながら,ジャズ色が好きな人は,ぜひデビュー盤『ペイジズ』を。こちらはローズ,ホーン,うにょうにょギターを駆使し,3枚中最もジャズ色濃い音を愉しめる。

Tear for fears
The Seeds of Love (Fontana : PPD-1060)
オタクで内向的なローランド・オーザバルと,ネアカでポップ志向なカート・スミスの2名が結成した英国のグループ。デビュー直後は電子リズムを使ったポップスだったが,次第に曲を書く司令塔オーザバルがイニシアチブを執り,思索的でシリアスな傾向が強まった。これが呼び水となったか,二人は1990年代に入って喧嘩別れ。バンドも空中分解。人気は泡沫のように消え去ってしまった。本盤は彼らが喧嘩別れする直前の1989年に発表した作品で,プログレやジャズの色を大胆に採り入れた意欲作。最も売れた前作「シャウト」も掛け値なしに素晴らしいアルバムだった。しかし大ヒットした前作を受けての大事な局面で,ここまで売れ線と迎合しなかった心意気には,大層驚かされた。案の定,およそシングル化できそうにない長尺かつプログレ風の楽曲が詰まった本盤は,人気凋落のきっかけを作ってしまったのだが,これは覚悟の上だったろう。売れることを目的化することなく,掛けられる手間と精力は全て掛け,記録よりも記憶に残る名盤を作ろうとした彼らの生真面目過ぎるほどの良心が,かけがえのない作品となって私たちに残された。手塩の掛かったこういう良心的な作品が,中古で250円に格付けされている世の中は,やっぱりどこか間違っていると思う。

The Outfield
Voices of Babylon (CBS : 25DP 5408)

1985年に結成されるも,ヒットは翌年に出た全米9位がピーク。一般にはほとんど人気の出ないまま,アルバム三枚でマイナー落ちしてしまった英国の3ピース・ロック・バンド。それがアウトフィールドである。本盤は1989年に発表されたグループ第三作。中身は2ギターのトリオ編成という体裁から想像される音とはだいぶ異質なハード・ポップだ。喩えるなら商業化路線で成功した後のスターシップやMr.ミスターを下地としつつ,透明なコーラスワークを駆使し,ポリスに代表される英国系ポップスのノーブルな透明感を巧く挿入。アメリカで受けが良かったのも,スターシップやMr.ミスターを連想させる音作りのお陰だろう。セールス的には人気凋落のきっかけとなってしまったが,バンド最大のヒットを受けて作られただけに期するものがあったのだろう。楽曲はかなり粒ぞろいで,アレンジも簡にして要を得ている。実際,たった3人のメンバーは,全員がプロデュース業の顔も持つ職人だった。さもありなんである。意匠の堅実さは,喩えに出したMr.ミスター同様,豊穣な音楽的教養の為せる業。こうした良心的な作品が誰にも顧みられることなく,250円で叩き売られているのを見ると,良い音楽を探す上で,セールスという指標がいかに意味を為さないか,実感せざるを得ない。

Level 42
Level 42 (Polydor : 821 935-2)

レヴェル42は,スタンリー・クラークの弟子で,馬鹿みたいにスラップ奏法の上手いベーシスト,マーク・キングを中心とする都会派白人ジャズ・ファンク・グループ。本盤はメジャー・デビュー作だった。古い録音で音もチープだが,演奏と曲はロック・フュージョン乗りでバンド志向。かなり洒落ている。インストを複数含み,良い意味で人気よりもやりたい音を優先。きびきびとしたメカニカルな変拍子と意外性のあるコードはジャズ畑から借用しつつ,清涼感のあるコーラスと透明感のあるシンセの用法は,米国のバンドにはない彼ら独自の持ち味だった。こののち,グループはヴォーカルを前面に出し,メカニカルなビートと洗練されたコード進行を武器にしたポップ・ロックへと変化を遂げて成功する。本盤以外なら,ポップ化の後に作られた「ワールド・マシーン」と「ラニング・イン・ザ・ファミリー」の二枚が傑出。良い意味で1970年代の職人芸的要素と,ポピュラリティを上手く案配した,1980年代の感性が光る。

Level 42
Running in the Family (Polydor : P33P 20100)

白っぽく乾燥肌なファンク・グルーヴと,フュージョン経由の流麗なリズムのセンスを武器に登場したレヴェル42は,デビュー後一気に,司令塔のヴォーカルを中心とするポップ路線を推し進めて成功した。形の上ではとかくマニアなファンの嫌う迎合パターンなのだが,1980年代半ばまでは,マニア受けする都会的フュージョンのコアと,一般受けするポップでテクノ風の表層を,実に巧く案分していた。本盤は彼ら最大のヒット作となり,セールス面でも仕上がりの良さでも,まさしく旬であることを,数字で証明して見せた。バンドの内紛からか,或いは欲が出たのか。続く「ステアリング・アット・ザ・サン」で彼らは全く変わってしまう。泥臭いギター・シンセを押し出し,粘着系のモタリを加えた音は,彼らの生命線だった白人らしい清涼感を綺麗に奪い去ってしまった。このバンドを盲目的に愛するファンが幾ら口答えしようと,その後の迷走と凋落は目論見の失敗を何より雄弁に物語っている。

Finis Henderson
Finis (Motown-Polydor : POCT-1937)

シカゴ出身の彼は,サミー・デイヴィスのバック・バンドに居た父の影響で音楽に興味を持ち,1970年代にはウェポンズ・オブ・ピースなるファンク・ユニットを組んで活動。アルバムを2枚出すも鳴かず飛ばずに終わり,その後はタレント業で生計を立てていた。そんな彼を大手モータウンに引き合わせたのはスティービー・ワンダー。同じ1983年に『マニアック』で一躍,時の人となったマイケル・センベロと,奇妙にシンクロするのは面白い。スティービーの肝煎りも多分にあったのだろう。アース・ウィンド&ファイアのアル・マッケイがプロデュース。AOR色の導入で自分たちが成功した経緯もあってか,マッケイはモータウン,フュージョン,西海岸ロックから凄腕のスタジオ職人を結集。新人のアルバムとは到底思えぬ陣容に唖然とする。これだけ腕利きが揃って音が詰まらないなんてことはありようがなく,このアルバム兎に角作編曲が周到。コーラス・ワークやダンサンブルなリズム配置はマッケイ経由でモータウンから拝借し,TOTOのルカサーやポーカロ以下,西海岸の職人集団からは高度な転調技法と爽やかな透明感を拝借。白黒双方のテイストを巧みにバランスしたアレンジメントに感嘆する。後半息切れするも,曲も良く準備されており,ボズ・スキャッグスにエル・デパージを足して二で割ったようなヴォーカルも上手い。全盛期の西海岸やモータウンの秀作群にも引けを取らない出来なのでは。

Eric Tagg
Dreamwalkin' (Canyon-Pony Canyon : POCY-01085)

1953年イリノイ州出身の彼は,高校卒業と同時にアムステルダムへ。キーボード奏者として参加した【ビーハイブ】のデモ・テープがオランダEMIの目に留まり,1970年代半ばにまず彼岸でキャリアを積む。1975年吹込みの『スマイリン・メモリーズ』は,商業的には全く成功しなかったものの,ここでリー・リトナーと懇意になり,帰米後は彼のグループで活動しながらソロ活動を続けた。本盤は1982年に発表された帰米後初のリーダー作。くだんのオランダ盤で共演したリトナーとデヴィッド・フォスターが脇を固め,TOTOのデイヴ・ハンゲイトがベースを担当。西海岸系のソフトでメロウなテイストのAORだ。いっぽうでリトナーがプロデュースを担当し,ネイザン・イースト,ドン・グルーシン,エイブラハム・ラボリエルら,ジャズ寄りの演奏陣が揃ったせいか,音的には随分と大人っぽく,ジャズ寄りになっていて驚く。マイケル・センベロやマイケル・マクドナルド(ドゥービーズ)を思わせる,鼻に掛かったタッグのヴォーカルも,くだんのオランダ盤よりかなり上手くなっている。ボビー・コールドウェルが書きそうな◆ぅ吋法次Ε蹈ンス風の,ペイジズそっくりなァTOTOの「ジョージー・ポーギー」を思わせる─ぅ螢肇福爾大活躍し,殆どフュージョン状態のなど,充実の佳曲が配され,実に手堅い。ソフトロックの最も良い姿を捉えた作品の一つとして,安心して聴いていただけると思う。

Gino Vannelli
Brother to Brother (A&M : CD 3170)

リーダーは,メイナード・ファーガソン楽団のメンバーだったラス・ヴァネリを父に持ち,マッギール大学で太鼓と楽典を学ぶ。その後ロスへ進出し,ハープ・アルバートに認められてA&Mと契約。1974年のデビュー曲がいきなり全米チャート22位を記録してグラミー賞にノミネート。70年代後半に一世を風靡した。本盤は1978年に発表された知る人ぞ知る名作。恐ろしく良く書けた´△法に粗から唖然呆然。掉尾に至るまで,どこにも中だるみが見あたらないどころか,むしろ凝った変拍子やコードのアイデアをてんこ盛り。止まるところを知らぬテンションの上昇に目が点になる。スパイロ・ジャイラ顔負けのΔ筺せ廚錣GTRを思い出す辺りになると,もはやプログレ並み。それでいてどの曲も見事なまでにポップなのだ。イエロー・ジャケッツの黒幕ジミー・ハスリップを始め,当時すっかりスタジオ職人になっていたフェルドマン,アーニー・ワッツなど,ジャズ畑からも腕利き集合。イ任魯魯好螢奪廚離献礇灰僖皇イ蠅離愁蹐皀侫ーチャーされ,ジャズ好きへの配慮も忘れない。作編曲と歌,いわば音楽の頭脳や顔を司るシンガー・ソングライターと,彼の頭脳から送られるどんな要請にも応える腕利き演奏屋。ポピュラー音楽において,書き手と演り手の有機的分業が最も理想的に機能し,ポップスの音楽性が極限まで高められた時代・・1970年代後半のクロスオーヴァー爛熟期はそういう時代だった。

Gino Vanelli
Nightwalker (BMG : BVCA-7363)

モントリオール出身のシンガー・ソングライター,ジノ・ヴァネリ7枚目にあたる本盤は,AOR史に残る傑作『ブラザー・トゥ・ブラザー』に続いて1981年に発表され,アルバム・チャートで最高位15位,シングル化されたΔ最高位6位まで上がるヒットとなった。ロック・フュージョン的ですらある多彩な拍節構成と,「森田健作か山下真司ですか?」と言わずには聴けぬ体臭漲る熱っぽいヴォーカル,「スクールウォーズ」も真っ青なほど大仰な装飾音をちりばめた,ドラマ仕立てのアレンジ。そして何より捨て曲のない卓越した作編曲力。これらが幸福に和合する高密度の仕立て上がりは前作と同様。惚れ惚れするような才能だ。前作のヒットで正念場を迎える中,同盤で唯一のバラードがシングル化されてヒットしたのを意識したのだろう。このアルバムには,やはりシングルに選ばれたΔ里曚┐裡俺淵丱蕁璽匹加わり,AOR趣味へとやや軸足を乗せ換え始めた印象を受ける。相変わらずアップテンポの曲では,1970年代を席巻したゴングや後期リターン・トゥ・フォーエヴァー周辺を彷彿させる凝ったリズムが横溢。その陰に隠れ,余り目立たないが,自らのエネルギーを削りながら歌ってきた彼は,既にこの辺りで精力を使い果たしたのかも知れない。こののち彼は急速に輝きを失い,中途半端な電化路線やジャズもどきへ走って失笑を買うことになる。

Dane Donohue
Dane Donohue (Sony : SICP 8049)

ドナヒューは,1948年オハイオ州マンスフィールド出身。カントリーに興味を持ったのがきっかけで音楽を始め,10代半ばはビートルズ。ありがちな道を辿ったのち,あの有名な『ジーザス・クライスト・スーパースター』のオーディションに合格し,1970年にプロの道へ。その後,デモテープがCBSに認められ,1978年に本盤でデビューの機会を手にした。1978年といえば,シンガー・ソングライター・ブームから,フォークとプログレが音楽シーンを牽引した1970年代半ばを経て,西海岸ロックへ昇華していく微妙な時期。この時期を往く有象無象が殆ど,折衷案で過渡期を乗り切ろうとしたのと同じく,本盤も雑多なイディオムの折衷案。長閑なカントリー趣味の入ったフォーク調の下地は,クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングをピアノ伴奏にしたような雰囲気。いっぽう,その上に施される表装は,間もなく一時代を作るスタジオ職人たちが前へ出ての,AOR志向。エリック・タッグに通じる,鼻に掛かった甘めのヴォーカルが絡み,スティーリーにも引けを取らない洒落たソフト・ロックが展開される。音の新鮮さでは決して引けを取っていなかった。しかし折衷主義が災いしたか,本盤は全く売れず。スティーリーがジャズ色を強め大成する中,彼はひっそり消えてしまう。いつの時代も,「一将功成って万骨枯る」・・嗚呼これが世の中なのだ。

Michael Franks
The Art of Tea (Reprise-Warner Bros : WPCR-2542)

マイケル・フランクスは1944年サン・ディエゴ生まれ。カリフォルニア大学を出たのち,モントリオール大学で現代音楽の博士号を取得したインテリだ。本盤は1975年のデビュー作。代表作の一つとされる『エレガント・ジプシー』の前作にあたる。売れたのは断然続作だが,ジョビンに傾倒した初期の彼の美学は,むしろこちらのほうが良く出ている。ミディアム・テンポの曲が挿入されている分,売れ線狙いのあざとさも少なく,ラテン風味のリズムが良く利いている。ジャズ畑のジョー・サンプルのローズにラリー・カールトンのギター,ここに鉄琴を加えて核を作り,メロウに曲を構成していく音の組み立ては,殆どスティーリー・ダンの『彩』と同じ。良い意味でメロウかつイージー・リスニング的。模範的なまでの,1970年代クロスオーヴァーAORだ。彼の声質は鼻に掛かった甘く気怠いもの。正直,何でこんな豪華メンバーを侍らせることが可能だったのか良く分からないほど,歌い手としての技量は危なっかしく,音程はふらつき,かなりビミョー(笑)なのだが,ダン同様豪華ミュージシャンを侍らせるのが大好きだったおかげで腕利き集合。細かいオブリガードに遺憾なく至芸がちりばめられ,ジャズの耳でも充分聴き所のあるものになっていると思う。ちなみにその後の作品では『ドラゴンフライ・サマー』の出来が良い。

Robert Byrne
"Blame It on the Night" (Mercury : UICY-3055)

1954年デトロイト生まれの彼は早くから音楽に親しみ,流行のフォークやロックをやっていた。18才でロスへ出たものの仕事はなく,バンドは解散。細々曲を売り歩く日々を送る。そんな彼に目を付けたのが,モータウン初の白人制作チームだったクレイトン・アイヴィとテリー・ウッドフォード。専属契約を交わしたバーンは,1977年に全米作曲祭ポップス部門で優勝。翌年にはカントリー部門でも優勝し,デビューのチャンスを手にする。無名の新人を取り敢えず売るためには仕方なかったのだろう。クリームをパクりつつも,何とも空々しいR&B調が《タモリ倶楽部》にしか聞こえない冒頭,砲魯殴鵐淵蝓しかし,これが客寄せパンダだったことは,別人の如く豹変する2曲目以降が証明する。キャリアを裏打ける西海岸フォーク・ロックの懐かしげな香りがAORと彩りよく絡む。ディン・ドナヒューやマイケル・マクドナルドらに共通する,セピア色の甘美なソフト・ロック。白眉の△魍砲法い匹譴眦案徹尾趣味が良い。これほどの作品を創りながら,取り巻きの意向で作らされたであろう,100位にも入れず,本国では一年も経たずに廃盤。彼は2年後,のちブライアン・マックナイトを手掛けることになるブランドン・バーンズと連名であと一枚アルバムを制作するも,本国ではリリースも許されず。やがて裏方に回り,散発的に活動を続けていたが,先頃ひっそりと世を去った。20年を経てなお,こういう録音のCD化に邁進する日本のファンは遙かに心暖かく,いい耳をしていると感心する。

Byrne & Barnes
An Eye for an Eye (TYO : YDCD-0055)

唯一のリーダー作「ワン・ナイト・ロマンス」だけで,四半世紀を経てなおAOR界にその名を留める才人ロバート・バーン。本盤は彼が,のちブライアン・マックナイトを手掛けたブランドン・バーンズと連名で,1981年に発表したAOR史に残る傑作。当初,バーンの第二作として着手されながら,ブランドンの貢献著しく,敢えて連名で発表することになった経緯がある。実際,デイン・ドナヒューに通じるフォーク風の哀愁漂うアレンジが,AORのしっぽりムードに西海岸の涼風を吹き込み,得も言われぬダンディズムを醸し出すくだんのリーダー作に対し,本盤はより都会的な香りの濃いAORだ。ギター弾きのバーンと,鍵盤弾きブランドンのテイストの違いが,そのまま出た結果だろう。それでいて少しも相克することなく,怖ろしく粒揃いの楽曲と過不足無い編曲の相乗効果を生んだ双方の手管は見事に尽きる。これほど完成度の高い作品,滅多に聴けるものではない。唯一残念なのは,じり貧だったせいか録音が劣悪。マスタリングで修正を試みたようだが,サ行の声がビリビリ棘を帯びてしまい,聞き苦しいのは返す返すも無念だ。この宝石箱のような作品が,かくも貧相にしか録って貰えなかったところに,世の無情が透けて見える。ちなみにバーンは,本盤を最後に事実上表舞台から姿を消すが,プロデューサーとしてはなお細々と活動。本盤からおよそ3年後にはリック・ボウルズ「ノー・マンズ・ランド」を手掛け,大半の曲で第二著者として健筆を揮っている。興味がお有りの方は御一聴なさるのも一興だ。

Al Jarreau
"Jarreau" (Wea : 2 50070-2)


リーダーはミルウォーキー出身。羽の如くゆうゆうと伸びる歌声からはおよそ想像できないが,実はアイオワ大学大学院ではリハビリテーション学を専攻。週末は歌っていたものの,本格的に斯界へと入ったのは,修士号取得ののちカウンセラーとして赴任したサンフランシスコだった。ジョージ・デュークのグループを経て,LAのTVショーに出演。徐々に知名度を上げ,1975年に処女作『ウィ・ゴット・バイ』を発表。これが独グラミー賞の最優秀ソリスト賞を受賞し,ポップ,ジャズ,ソウルの全部門でグラミー賞を獲る大物へ成長を遂げた。1983年作の本盤は,ご存じグレイドンとフォスターがイニシアチヴを掌握。ディオンヌの名盤『フレンズ・イン・ラヴ』に入っていた「フォー・ユー」と瓜二つの第一弾シングル「モーニン」は象徴的だ。エアプレイやシカゴ,ペイジズにTOTOと,集まった顔触れがそのまま音になった楽曲には,カッティングの一音型に至るまで目配りが行き届き,爽やかな西海岸系ソフト・ロックと,主役のソフトな声質が,心憎いほど良く絡む。6曲で第一著者を務めた彼自身にも,非凡な曲書きの才があった点は見逃せない。黒人の声と筆運びが曲の表層にアース,ウィンド&ファイアーの香りを持ち込み,ともすれば白人の傀儡に収まりがちな楽曲に程良いアクセントを与える。惜しむらくは自作中心の前半5曲と,他人のペンを交えた後半がややバランスを欠くか。不自然に黒人カラーを強調した後半戦が,涼しげな白黒折衷ソウル色に泥臭い影を落とし,全体を散漫にしてしまう。もう一工夫欲しかった。

Dionne Warwick
Friends in Love (Arista-BMG : BVCM 37275)

意味不明な方には申し訳ないが,ディオンヌ・ワーウィックはソウル界の中村美津子のような存在である。ヴォーカリストとしての資質自体は決してサラブレッドではなく,むしろB級グルメなのだが,努力と人望があるのだろう。アリスタの看板アーティストとしてコンスタントにアルバムを出し,地味に固定ファンを持っている。基本的に歌を歌うだけの人なので,アルバムの出来は製作陣次第。実際この小傑作は,実質上プロデュースに迎えられたジェイ・グレイドンと腕利きスタジオ・ミュージシャンたちの確かな仕事が生み出した。集まったメンバーが,今ではちょっと信じられないほど豪華絢爛。名盤請負人S.ガッド以下,エイブラハム・ラボリエル,ラリー・カールトン,ヴィクター・フェルドマンらフュージョン勢の揃い踏み。かたやAOR側からはTOTOの司令塔ジェフ・ポーカロ,スティーヴ・ルカサーに,シカゴの司令塔デヴィッド・フォスター,ビル・チャンプリン。かつて西海岸随一の編曲家として鳴らしたジョニー・マンデルまで加わる。スティーリー・ダンも真っ青だ。これほど趣向を凝らした作品を発表しながら,どういうわけか次のアルバムを半年後すぐに出してしまい,おかげでセールス的には大失敗。最高位はたったの83位。長いことCD化もされず,再発が待たれていた。祝CD化である。曲の出来にはばらつきもあるが,時にシカゴ色,時に初期TOTO色をちらつかせながら,西海岸の涼やかな風とブラコンのコブシが,巧みに溶け合った贅沢な音を愉しめる。

Bobby Caldwell
Heart of Mine (Sin Drome : 768888)

ブラス・ロック・バンドの最高峰シカゴの極上名盤《18》にも秀抜な「ナイアガラ・フォールズ」を提供していたボビー・コールドウェルは,魔女みたいな鍵っ鼻のせいで割を食っている裏方ミュージシャン。良いものは良いと評価するはずのアメリカですら,クリストファー・クロスが若禿げの肥満体型だと知った途端,踵を返して時代の波間へ葬り去る大衆のミーハーさには些かの違いもない。音楽家は音楽が素晴らしいことこそ第一義でなくてはならぬのに困ったものだ。本盤は,彼が他のミュージシャンに卸した曲を,自分の歌とアレンジで再録したもの。曲書きとして,彼がどれだけ多方面に渡って重用されているかを如実に示す内容となっている。この人に関しては日本のファンのほうが遙かに義理堅く,本盤にも日本映画の主題歌に使われた「ステイ・ウィズ・ミー」や,パーラメントのCM曲に採用された「ハート・オブ・マイン」が収録され,プラチナ・ディスクになった。日本の3倍人口がおり,マーケットは遙かに広いはずのアメリカで,こんな話は聞かない。つまりは折角素晴らしい才能を抱えながら,肝心の顧客に評価する力がなく,需要と供給の空間的ミスマッチが起きているのだろう。ひたすら心地良い音を追求する彼の楽曲は,どれも左から右に抜けていくほど爽やか。とにかく口当たりがメロウで甘い。いわゆる《女性受けする》BGMタイプなのだが,要は曲が良ければ良いのだ。アレンジの甘辛など表装の問題であり,聴き手の嗜好に過ぎない。あらゆるジャンルを差別無く聴き,音楽に対する《メタ表象》をお持ちの方なら,きっと彼の素晴らしい曲書きの才能に瞠目するだろう。正しくポップスの神髄を知っている,数少ない真性シンガー・ソングライターだと思う。

Bruce Hibbard
Never Turnin' Back (Word-Cool Sound : 046)

オクラホマ出身のヒバードは,1970年代はカンサス・シティを拠点に活動。ウェスト・コースト・ロック隆盛で,徐々に西海岸での仕事が増えたのを受け,1979年にロスへ進出する。本盤はその翌年に制作した第二作。好青年然とした主役のヴォーカルを,メロウなローズの和音と心浮き立つリズム・ギターのカッティング,フラッピングしながらもきびきびとリズムを刻むベースと太鼓が核になって支え,ギターとローズのオブリガードと清涼感のあるコーラスで簡素に装飾。爽やかな西海岸の気候を思わせるスカスカに風通しの良い音像と,仄かに漂う良い意味で垢抜けのしないカントリーの匂いは,西海岸の異郷人ヒバードのルーツを端的に表すものだろう。そのためか,前面に鍵盤を押し出す都会的でジャジーに洗練されたAORというよりは,コーラスとギターを中心に曲を組み立てる,白っぽくからりと乾いたソフト・ロック。ジェイ・グレイドンやデヴィッド・フォスターらの作る,洗練された都会的曲想に比べると,いかにも朴訥だ。しかし,のちフュージョン・バンド【コイノニア】を組むハドリー,ハーラン,マクスウェルの脇役三名を核にした手堅い伴奏と,簡にして要を得たアレンジメントが曲想をうまく引き立てている。小粒ながら捨て曲もほとんど見あたらず,作品としての仕上がりは相当に良い。ちなみに本盤を録音後ヒバードは,コイノニアの三名に,ネイザン・イーストとエイブラハム・ラボリエルを迎えて三枚目の録音を開始。しかし,発売は叶わずお蔵入り。その後,クインシー・ジョーンズの【クエスト】に一時在籍したものの,1992年にはナッシュビルへ隠棲。現在はロック・クライミングのジムを経営し,音楽の世界からは離れてしまったんだとか。勿体ない話である。

Incognito
Positivity (Talkin'Loud : PHCR-1217)

1990年代始めの一頃,1970年代の服飾雑誌から抜け出してきたような出で立ちの若僧が,都心を闊歩していた時期があり,流行地の名を借りて《渋谷系》と呼ばれていた。往年のらっぱズボンがベルボトムやブーツカットなる有り難い呼び名で復権したのはその象徴。1970年代に多感な時期を送った世代が流行を生み出す側に回って来た当然の帰結だった。彼らの嗜好様式は,音楽においても1970年代の再解釈が基本。1981年から長い活動歴を誇る意外に老舗の本ユニットが,10年後の日本で俄かに売れ線へ浮上してしまったのも,こうした時流に音楽性が乗った結果だった。ゆえに彼らの音もまた,1970年代の再解釈。CTIの諸作を思わせるエレピ入りスムース・ジャズをモータウン風味で折半するクロスオーヴァー志向を基調に,リズム面でクラブ・ビートを導入。1990年代の感性でリフォームする。1993年に出た本盤も,司令塔の芳醇な音楽遍歴を物語る洒脱なジャズ・ファンク。のちの諸作に比しても楽曲は推敲され,編曲も丁寧。代表作に恥じない快作なのでは。こののち同ユニットは,ちょうど渋谷系の流行が退潮していくのと合わせるように求心力を失っていく。彼らにとってもユニットの一体感において傑出したこんな作品が,ちょうど他分野の流行とシンクロしてピークに達するのは,偶然の中の必然を見るようで,何とも因果な巡り合わせを感じてしまう。ちなみに,ジャケットはチコ・ハミルトン五重奏団の某有名盤を捻った彼ら一流のオマージュ。

Newtone
Newtone (MCA : UMD 87123)

70年代の混沌を,あくまでお洒落のレベルで着こなそうとする渋谷の若人は,かつては泥臭い試行錯誤の末に生み出されたはずの音楽も,巧みにその上澄みだけを掬い取り,踊れるBGMとしてアイテム化していくのだった。ジャズ風の上物に,クラブのリズムを合体させたアシッド・ジャズは,その象徴である。もとは英国が発信地だが,瞬く間に日本へ上陸。90年代半ばには,気取った都会っ子のカップル成立に多大な貢献を果たした(はずである)。本盤は,珍しいスウェーデン人バンドのデビュー作。佐藤竹善氏が帯に推薦文まで書く念の入れようで,当時は通向けの一枚として重宝されたようだ。実際,3管オブリガードを効果的に使い,手打ちながら乗りはクラブ紛い。全編にギターのカッティング。本家を意識した感はありありだ。作編曲担当のリンデール氏が,インコの司令塔と同じギタリストなのと,無縁ではあるまい。ただ,音自体はずっとソリッド。白人でもあり,ヴォーカルはジェイ・ケイ(ジャミロクワイ)や,古い例ながらメン・アット・ワークのコリン・ヘイ似。同じ声質の面々も充分意識しつつ,自身の好きなモータウンやクロスオーヴァー音楽との境界線を巧く模索したのだろう。実際,作編曲はかなり達者。二番煎じと片づけるには惜しい。既に俄かブームが潮を引くように褪めつつあった1996年の発表。時機が全てに優先してしまうポップス界の新譜としては,いかにもタイミングが悪かった。案の定,売れたとの噂も聞かぬまま,彼らはこの一枚を残し時代の波間に消え去ってしまう。勿体ない。

Take 6
Take 6 (Reprise : WPCR-319)

ゴスペラーズ効果で,少しは見直された感のある無伴奏コーラス。恐らく日本のブームは,1990年代初頭に馬鹿売れしたボーイズIIメンに依るところが大きい。一世代前のブラコンをルーツとする彼らに対し,黒人霊歌をルーツに持ち,代名詞を使わず「ジーザス」を口にする本格派のゴスペルを身上にしていたのがテイク6だった。グループは中心メンバーのクロード・マックナイトが,アラバマ州オークウッドで組んでいた【アライアンス】を母体とし,1987年に結成。翌年,デビュー作にあたる本盤でグラミー賞を二部門受賞。彼らを評価して憚らなかったスティービーが,自腹で200枚買ったとの逸話まで残した。器楽に頼らず肉声の可能性を極大化してみせる硬派な態度と,高レベルに拮抗した歌唱が織りなす端正なハーモニー,ブラコンを消化した周到な作編曲力が幸福に調和している希有なグループで,これを聴いたときは余りの見事さにたまげたものだ。しかし,せっかく卓越した技量を持ちながら,第二作では一部に電子パーカッションを,続く3枚目では全面導入。4枚目では一部で,5枚目に至っては全部にインストを導入。市場拡大を計ってしまう。指ぱっちんと生声でどこまで可能性が拡がるのか興味津々だっただけに,安直な趣旨替えに落胆した人は多かったのでは。その意味でも,機械音と異なり,決して風化しない肉声だけで作られた本デビュー作の価値は今もって不変だ。

Glenn Jones
Here I Go Again (Atrantic : 82352-2)

グレン・ジョーンズは,1962年フロリダ州ジャクソンヴィル生まれ。まずゴスペル・シンガーとしてプロ活動を開始し,ノーマン・コナーズのアルバムでヴォーカルを担当した『メランコリー・ファイブ』のヒット(1981年)を契機にソロ・デビュー。以後1980年代を通じてR&B畑を席巻した。2005年現在リーダー作は9枚あり,本盤は1992年,アトランティック移籍後第1作となった通算6枚目。標題曲がR&Bチャートで1位になり,代表作の一つとなった。ハスキーな中にもビロードのような甘美さのある声は良く鍛錬され,ほぼ全曲を担当する作曲センスが素晴らしい。捨て曲なく推敲された佳曲がずらりと並ぶアルバムの仕上がりの良さに驚く。アメリカで高く評価された割に日本で認知度が上がらなかったのは,あまり見た目が芳しくないからだろうか。しかし,その分才能は本物。下手な売れっ子コンテンポラリー・ゴスペル歌手より力量は遙かに上。もっと聴かれて良いと思う。欲を言えばシンガー路線だけに,ニュー・ジャックもどきの編曲がややお手軽か。打ち込みに頼りすぎでペラペラだ。折角作曲センスが良いのだから,編曲は専門職に任せれば,曲の良さもさらに活きてくるのではないか。こののち彼はレーベルとの確執が原因で活動の縮小を余儀なくされ,シーンから姿を消すが,1998年に復帰。マイナー落ちはしたものの,今も元気に活動を続けている。

Deni Hines
Imagination (Mushroom : TVD93453)

豪州の黒人モデルが1996年に発表した唯一のリーダー作。余芸にもかかわらず,素人離れした歌唱力で吃驚する。音はインコグニート的なアシッド臭(ジャジーなコード進行と弦,ホーンのオブリガード)を付帯した打ち込みクラブ音楽か。なにぶん機械リズム。そのぶんお手軽さも拭えないが,プロデュースを担当したイアン・グリーンの貢献が大きかった。どの曲も無駄なくアレンジされ,アシッド・ジャズやクラブ・ビート乗りのブラコンものがお好きな方なら,隠れた好内容作として,興じ入って頂けるものと保証する。こののち,彼女は契約問題に巻き込まれ,ついに2枚目の録音を世に出すことなく時代の波間へ消えてしまった。勿体ない話である。曲も書けず歌もヘタクソなのに,軽々と復帰できてしまう鈴木あみ。歌手としての素養は遙かに上でありながら,2枚目を出すことすら許されなかった彼女との落差は,そのまま内外の歌手層の厚さを反映していよう。

Stevie Wonder
Original Musiquarium (Motown-Universal : 012 159 741-2)

いわずと知れた重鎮。活動歴ははや半世紀。全盲にもかかわらず実に多才で,電子楽器に精通。太鼓やハーモニカも嗜み,アルバムもほぼ一人で作る。最近の人には,「首を振りながらキーボードを弾く黒人のおっさん」よりも,缶コーヒー【ファイア】のCMで歌っていた人と言った方が良いだろうか。彼の真価を評価するなら,ぜひ1970年代から1980年代前半までのものを。まず一枚という方には,ジャズ界の大御所ディジー・ギレスピーも参加している左のベスト盤【ミュージックエイリアム】が良いだろう。ちゃちな機材で驚くほど斬新なファンクを披露する「回想」,魔術的なコード進行に滲む途方もない暖かさに思わず陶然となる「愛を贈れば」。文字通り輝くばかりの才気だ。機材が未熟な分,却って「楽器を使ってする何か」の可能性が限りなく豊かで,音楽家が楽器「を使いこなす」ことのできた時代の幸福な産物である。

Ivan Lins
Chama Acesa (Polo Industrial De Manaus-BMG : 74321866252)

イヴァン・リンスは,1945年リオ生まれのシンガー・ソングライター。ボサノヴァの創始者ジョビンの第二世代にあたる。1980年代には国際的な知名度を獲得。今やクインシー・ジョーンズやテレンス・ブランチャードにも演奏される大物と化した。本盤は,彼が国際的な知名度を確立する少し前,1975年の作品。電気ピアノとリード奏者を加えたカルテット編成で,60年代クロスオーヴァー界に一つの類型を作ったCTIの流れを汲むコンテンポラリーかつジャジーなラテン・ポップを展開する。本盤と同じ1975年に発表されたショーターの『ネイティブ・ダンサー』と気味が悪いほど似ているのは抗いようのない事実。ジャズ屋の演奏するショーター盤には,遠く及ばぬ演奏技量だが,それをやすやすと補って余りあるシンガーソングライターとしての才気にただ目を丸くする。かの大御所に引けを取らない洒落た楽曲は,どれもコンパクトで非常にメロディアス。全編捨て曲なし。素晴らしい才能だ。傑作と断言する。ちなみに前作の『モード・リーヴリ』も大傑作。同盤から数年間の彼はまさしく神の領域にいた。

Oleta Adams
Evolution (Fontana : 514965-2)

もと場末で歌う無名の歌手に過ぎなかった彼女は,偶然,ライブに居合わせたティアーズ・フォー・フィアーズの司令塔オーザバルに見出され,彼の発表した『シーズ・オブ・ラブ』へ加わって成功を手にした黒いシンデレラ。いかにも一発屋になる条件が揃いすぎている。実際デビュー作は決して悪い作品ではないものの,当時流行りのクラブ風打ち込みビートにソウルフルなヴォーカルを乗せたヒット狙いのトラックと,出自を示すかのように合唱団まで加わるゴスペル色濃い後半とが如何にもちぐはぐで,「無名だからオーザバルの言うなりか・・」との印象を禁じ得ないものだった。しかし,2枚目となる本盤では,プロデュースをスチュアート・レヴィンへ一任。これで統一感が得られ,大きくステップアップした。全曲が将来の弾き語りを意図したアレンジになり,音的にも洗練されている。もともと歌手としては,鍛え込まれた朗々たる声の持ち主だが,曲書きとしての才能も素晴らしい。荘重なゴスペル感覚を,独自の案分で都会的なサウンドへ乗せていくセンスに,トータルな音楽家としての才覚を見る。

Anita Baker
Rapture (Atlantic : 60444-2)

アニタ・ベイカーは1980年代後半,ジャケットそのまま艶気たっぷりの気怠いヴォーカルで一世を風靡した女流ソウル歌手。電化された音楽性は,狭義のジャズ・ヴォーカルではない。しかし,1980年代半ばに彼女が残した3枚のリーダー盤は,いずれ劣らぬ第一級の黒人ヴォーカル作品である。彼女は必ず一つ,アルバムに第三者の作品を入れる。このアルバムで言えば《No one in the World》がそれだ。しかし,それ以外の曲に比べ,何と落差が大きいことか。そのいっぽうで,この不出来な楽曲は,彼女の辿り着いた高みが,プロデュースを担当したマイケル・パウエルとの幸福なコラボレーションによって初めて可能となる奇蹟だったことを,間接的に証明してもいた。1986年に発表された本盤は,彼女が一躍メジャーでの評価を確立した作品。純ジャズ畑の人間は少ないものの,ポウリーニョ・ダ・コスタやジミー・ハスリップ,グレグ・フィリンゲインズらお馴染みの面々が脇をきっちり補佐。下手なジャズ盤よりは,余程ジャズの薫りがする。ジャズの周辺も,出来が良ければ拘りなく聴きますと言う方には,ぜひ聴いて貰いたい人の一人だ。マイケル・パウエル自身も,2曲でクラシック・ギターを弾いている。

Anita Baker
Giving You the Best I Got (Elektra : 9 60827-2)

1980年代に突如彗星の如く現れ,『ラプチュアー』,『ギヴィング・ユー・ザ・ベスト』,『コンポジションズ』の三枚で一時代を築いた人物。それがアニタ・ベイカー女史である。艶めかしく《しな》を作るクセの強い歌い回しで,ヴォーカリストとしてはややB級グルメ的な傾向が強かった彼女は,クセのないホイットニー嬢のように,アイドル然とした売れ方はしなかった。しかし,自らペンを執って凝ったオリジナルを書き,ジャズ屋を贅沢に配して丁寧に作品を創り込むトータルな才能は,歌の上手なアイドル(偶像)に過ぎなかったホイットニーを遙かに上回るものであった。一聴それと分かる名匠パウエルの見事なサウンド・プロダクションと,本人の周到な作曲センスが幸福に噛み合ったアダルトな音は,のちに《クワイエット・ストーム》なるサブカテゴリを確立するほど,透徹した独自の世界を誇るものだった。本盤は左記盤の成功を受けて発表されたメジャー第三作。数百万枚を売り,アルバムとしても捨て曲無く大変良くできている。ここでも,他人の提供曲でヒットもしたはずの《Just because》を,他の楽曲と比べてみて欲しい。サビの旋律が隠しようもなく上滑りしていることに,どなたもお気づきになるはずである。

Anita Baker
Compositions (Elektra : WPCP-3465)

1980年代後半の5年間を席巻したアニタ・ベイカーは,1990年に本盤を発表し,次の10年へ向けた布石を打つ。ネイザン・イーストやリッキー・ロウソンがリズム隊を固め,「モア・ザン・ユー・ノウ」ではアール・クルーが客演。バンドの強化で,事実上キーボード付帯のピアノ・トリオが伴奏する体になり,演奏の格が上がったのは確かだろう。音そのものも,過去二枚に比してジャズ色が濃いと言えるかも知れない。歌手としては勿論バンドとしても,ライブハウスの原点へ立ち返り,ステップアップを狙ったのであろう。微妙な変化は,クレジットからも見てとれる。無名の第三者が第一著者となり,アニタとパウエルが控えに回る楽曲が増加。作品全体の彩りを豊かにした。むろん二人はなお全体を統制。これらの変化もアクセントに止まってはいる。しかし,ライブ色の強化は,演奏の統制を困難にする憂慮をはらみ,他者の楽曲は,二人の音世界を擾乱する危険とも表裏一体だった。2年後,この僅かな亀裂は,最もフェータルな《パウエルとの決別》の形で顕在化する。「一人のアーティストとして自立したい」。独立を尊ぶアメリカで,才知ある彼女がそう思ったとしても責められない。しかしながら,続く『リズム・オブ・ラヴ』での凋落は,彼女の独立心が向こう見ずであったことを,最も哀しい形で証明してしまったのであった。

Whitney Houston
Whitney Houseton (Arista : A32D-5)

颯爽と立つ純白の水着姿。すらりと伸びる有蹄類の如きおみ足に,全ての足フェチが瞠目した本盤は,ご存じホイットニー嬢が1985年に発表したデビュー作。歌手デビューに先立つこと4年の17才からモデルとして活躍。ジャケットにも,応分の実績と自信の裏付けがあった。実は彼女,玄人好みのゴスペル歌手シシー・ヒューストンの実娘。同じアリスタの看板スターだったディオンヌ・ワーウィックも叔母だった。母の下で早くからバック・コーラスを務めてゴスペルの下地を修得。モデルの余芸は日本にも良くあるパターンだが,この時点で俄か仕込みのそれとは比較するのも憚られるほど本格派になっていた。佳曲揃いながら,ありがちなブラコン・サウンド。その雲間を突き抜けるかの如く,朗々と伸びる美声に目を丸くした人は多かろう。ただ,これほど才色兼備な彼女にも,ひとつだけ決定的に足りないものがあった。音楽家としての素養である。なまじ歌が並外れて上手く,美貌も備えていたことが,結果として彼女を不幸へ駆り立てることになる。本盤の大ヒットにより,彼女の周りには大挙,音楽商人が群がった。彼らの意のまま流行りの音を歌わされる彼女に,自らを省みて《彼女の色》を探求する暇など与えられる筈もない。やがてアルコール依存症となる彼女の痛々しい姿は,そのまま音楽業界の毒々しい華の色を体現していた。

Earth, Wind and Fire
Touch the World (Columbia : FC 40596)

1970年代後半に一世を風靡した彼らは,黒人ファンクとディスコの隆盛に上手く跨って成功。その後もAORブームをいち早く感知して傑作『黙示録』を出すなど,器用に時代を先読みしながらヒットを重ねていった。そんな彼らの最大の落とし穴は,なまじ優秀だったがゆえテクのみならず音楽的素養も豊かで,目先が利くことにあった。打込み隆盛の1980年代の時流に対しても,彼らはまともに向き合い咀嚼を図ってしまう。音楽屋と演奏家の二つの顔が自己矛盾をきたしかねない危険な賭けだった。結果は凶。彼らは行き詰まりのなか活動休止へと落ち込んでしまう。通算15枚目の本盤は1987年発表。休止中に中核メンバーの2人がソロで成功し,「このまま自然消滅か?」とファンをやきもきさせた末のリリースであった。一聴,右顧左眄の果てにテクノロジーへ悲劇的な降伏をしたようにも聞こえるのだが,敢えて肉を切らせた彼らが何を得たかは,驚くほど粒の揃った楽曲群が証明する。人気凋落の契機となり,古くからのファンが完全に離れる結果を招いた本作の評価は低い。しかし,敢えて技術革新を受け入れ,何とかそれを効果的に「使いこなし」て音楽へ昇華しようと画策した痕が随所に見られる本作は,音の創り手としての矜持の現れでもあった。こののち彼らはラップにしがみついた『ヘリテッジ』を作ってさらに失笑を買い,同じ1970年代組音楽屋文化の申し子だったスティービー・ワンダーと同様,依って立つものと時流とが乖離してゆく音の職人の悲喜劇を演じてしまったのだが,職人であったがゆえにこそ,楽曲自体の質はその後も一定水準をきちんとキープしていた。『ミレニウム』所収の「イーヴン・イフ・ユー・ワンダー」などは,ちょっとした名曲である。

Robert Palmer
Don't Explain (EMI : TOCP-6457)

ロバート・パーマーがセールス的に絶頂を迎えたのは,1980年代半ば。デュラン・デュランの面々と組み,渋いだみ声でゴリゴリのロックを歌った【パワー・ステーション】の成功によってのことだった。それから僅か5年。思わぬところで彼は,足下を掬われることになる。本格派シンガーとして一ランク上のレベルへと脱皮したい彼の思惑と,ダンディな親父ロッカーを望む市場の間に生まれた僅かな溝。前作で現れた双方の思惑の僅かなズレは,ここに至って露骨に表面化。市場やレーベルの要求を飲み,ハード・エッジなギターを押し出したA面と,ヴォーカル色濃いB面が完全に二項対立。統一感は大きく損なわれてしまった。しかし,敢えて統一感を犠牲にしてヴォーカル・トラックをごり押ししたパーマー。期するところがあったに相違ない。喩え既往のファンにそっぽを向かれようと,オノレの信念を曲げなかった歌い手としての矜持が,本盤を面白みのあるものにした。その良心を物語るのが,知る人ぞ知る名編曲家クレア・フィッシャーの起用。怖ろしく周到な管弦楽配置を利して,泣く子も黙る大スタンダードを独自の色合いへ染め変えるフィッシャーの手腕の確かさは,そのままパーマーのシナトラ贔屓が下手の横好きではないことを鮮やかに物語っていよう。残念ながら本盤は人気凋落の契機を作り,今なおファンからは総すかんを食っている。ポップスのファンは,ジャズのファンほど一人のアーティストの過渡期を受け止め,成熟を受け入れる気概はないということであろう。ジャズのファンは,数の上では確かに少ないかも知れない。しかし,その分アーティストには義理堅く,数段愛情が深いのではないか・・ポップスの冷たさを見てきた小生には,つくづくそう思えてならない。

Yellowjackets
Greenhouse (MCA : WMC5-307)

イエロージャケッツは,狭義のジャズとはひと味違った音を創造し,フュージョンのレゾンデートルを示すことのできる数少ないグループの一つ。本盤は,スタンダーズに触発されて本格的にジャズを採り入れた『スピン』に続く1991年作。同盤でサックスを吹いていたマーク・ルッソが脱退し,のちに正式メンバーとなるボブ・ミンツァーを迎えたものの,サウンド・プロダクションは大幅に修正を強いられたことだろう。ピーター・アースキンも多数オリジナルを採り上げるヴィンス・メンドーサをアレンジャーに迎えたこの作品は,その後現在に至るまでのイエロージャケッツの作品中でも,極めて異色。大規模な管弦楽団を付帯して,現代音楽やアイリッシュ・フレーバーの要素まで加味。上質の映画音楽のようにスケールの大きなサウンド・プロダクションがアルバムを二分している。その内省的な佇まいが,結果としてややアルバムの統一感を希薄にした感は否めないものの,この先どんな風に音楽的広がりを見せるのか,興味をそそらずにはおかない一枚だったことだけは確かだ。この後ミンツァーはルッソ以上にグループへ馴染み,彼らは持ち前のタイトなリズムとコンテンポラリー・ジャズ色を巧みに融合してグループのカラーを確立するが,手探り状態が生み出した,この盤に横溢する異様なまでの緊張感はついぞ聴けないままだ。

Spyro Gyra
Rites of Summer (MCA : 25XD-1090)

現在も新譜を出して意気軒昂なスパイロ・ジャイラは,生々流転の激しいフュージョン界にあっては殆ど長老格といっても良いバンド。結成は1975年だから,もう四半世紀以上演ってるという計算になる。元々バンド名を決めるときも,「何にしようか?」と聞かれたリーダーが,大学時代の講義で出てきた「アオミドロ(spirogira)」をとっさに思い出し,ふざけて「これにしようぜ」。それがそのまま定着してしまった。そんなエピソードが物語る通り,デビュー当時は陽気で屈託のないラテン・フュージョン・バンドだった。本盤は,1988年に発表された通算12枚目。この前に出た『言葉のない物語』辺りから,ちょうど同じ頃にジャズ志向を強めたイエロージャケッツの後を追うかの如く,みるみる音がシリアス志向になり,本盤ではタイトなロック・フュージョンへと衣替えに成功。ラテン色は残しつつも,音的には驚くほど成熟した。曲が良く書けているので,アドリブがどうしたの音が硬いだのと煩く言わない方なら,充分興じ入っていただける快作だと思う。ちなみに,最近スティープル界隈で良く見かけるようになった鉄琴のデイブ・サミュエルズは案の定,多忙から既に脱退してしまったが,中心メンバーのジェイ・ベッケンスタイン,トム・シューマン,フリオ・フェルナンデスは現在もグループを率いて元気なようだ。


Bob James & David Sanborn
Double Vision (Warner Bros : 9 25393-2)

フュージョン界を代表する有名人ボブ・ジェームスとデヴィッド・サンボーンがコラボレーションしたこの作品は,1986年に出た。私事ながら,小生がジャズへ足を踏み入れた頃に,良く聴いた懐かしい作品である。メタリックで硬質な音色を武器にしたハードボイルドな音作りで,アルトの世界をひとつ広げた御仁サンボーン。エピゴーネンも数多く輩出したが,リーダー盤の多くはファンク趣味の出たものが中心で,サックス小僧やフュージョン・ファンを除くと,じっくり聴くには些かカシマシイのも確かだった。この盤のミソは,エレガントなキーボード奏者ボブ・ジェームスによって提供される趣味の良い編曲により,いつになくソフトでエモーショナル,外連味のない演奏が愉しめることだろう。ジェームスは自らもスカルラッティのソナタ集を録音するほど基礎のしっかりしたピアノ弾きで,ピアノのタッチはエレガント。作編曲も大変に理知的だ。本盤も一聴,決して派手なレコードではない。しかし,ジェームスの落ち着いた楽曲が,サンボーンからこれまでになく情感豊かな燻し銀の職人芸を引き出している点は聴き逃せないだろう。流行を追わない堅実な作りだけに古くもならず,今聴いても新鮮。『ワインライト』や『ガウチョ』などでお馴染み保守・中道系スタジオ・ミュージシャン勢揃いの顔触れがそのまま音になる。

Bob James
Grand Piano Canyon (Warner : WPCP-3598)

キーボード界の長老ボブ・ジェームスの1990年作。標題が示す通り,全編に渡ってソロをアコースティック・ピアノで通し,弾き手の原点に立ち返って話題を呼んだ。もともと彼は前衛ピアノを弾いていたバリバリのジャズメンで,チェット・ベイカー『枯葉』にエレピで入っているのは良く知られている。また,収録曲「サラの翼」を捧げたサラ・ヴォーンの歌伴でもあった。フュージョンに転んだお陰で名をあげたものの,必要以上にイージー・リスニング扱いされるのは我慢ならなかったのかも知れない。それだけに,本盤のソロは意外に硬派。ニュー・ジャック・スイングを導入した打ち込みバップ「ストップ・ザット」では,スケール・アウトを多用してのゴリゴリ弾き。当時最もヒップだったロヴァーノ一派のサウンドへ敏感に反応したものと聴けばさらに妙味が増す(この1曲だけテナーをブレッカーに替えている点に注意)。もちろん普段が普段なだけに,本職と比べれば薄味でまとまりを欠くのも事実。しかし,アコースティックなピアノを核として,シンセや機械リズムを味付けしていくスタイルが,彼の存在をワン&オンリーなものへ変えたのは間違いないだろうし,結果として本盤で共演した仲間が,フォープレイの母体になっていくのだから,彼自身にとっても,新境地を開く作品だったのではないだろうか。

Hatfield and the North
Hatfield and the North (Carol : 1833-2)

ケネディ暗殺からベトナム戦争。次第に社会の欺瞞が明らかになった1960年代後半。失望感は,ロックを攻撃的で退廃的なものへ変えていった。ピストルズやブラック・サバスら《痴性派》は,みな時代の申し子である。いっぽう,人類が蓄積した音の遺産のうえに新たな表現様式としてロックを置き,止揚から可能性を探ろうと考えるオプティミストたちも数多く現れた。彼ら知性派の作る音楽が,プログレッシブ・ロック。斯界で有名なイエス,ピンク・フロイドらが,大仰でクラシカル,独歌劇的な壮麗さを備えていたのに対し,よりメランコリックでジャズ色濃いプログレを追求したのが,俗に《カンタベリー派》と呼ばれる英国のプログレ屋だった。大上段に構えることのない彼らの音楽は,プログレ一般の大仰なポーズの陰に隠れ,知名度こそ恵まれぬままだが,充分一聴に値する。ハットフィールド&ザ・ノースは,残された作品が僅か2枚にも拘わらず,カンタベリー派を語る際には必ず挙げられる中核。本盤は1974年に発表された第1作である。西海岸ロックの人懐こさを備えた2作目に対し,本盤は紛う方なき探求肌。プログレの起伏に富んだ曲展開のうえに,CTIジャズのたおやかな表情を巧みに添えて,リリカルな佇まいを練り上げる手腕に感服した。ジャズメンに比べれば技術面の拙さは多々見られるのだが,そうした制約を超えてなお,作品の隅々から創造的意志のオーラが煌めきを放つ。音楽になお未開拓の領野が残り,ダーウィニアン的なパラダイムに立って,創造へのユートピア的幻想を期待することが可能だった時代の,幸福な遺産であろう。

National Health
National Health (Century : 29ED6030)

ジャズ・フュージョンとプログレの境界線で蠢いた英国の一潮流,カンタベリー・ロック。その最高峰ハットフィールド&ザ・ノースは,2枚のアルバムを残しただけであっけなく空中分解してしまった。しかし,カンタベリー・ロック自体が,10万枚売れるのに30年掛かるような狭いマーケット。解散したところで,ハットフィールド&ザ・ノースの構成員が行くところなどあろう筈もない。結局ベース以外3人はそのまま残留。そこへ,当時折良く解散した兄弟分的グループ【ギルガメッシュ】から,ベースのニール・マレーとキーボードのアラン・ゴーエン(ゲスト扱い)が合流。2キーボード編成で,1975年には実質ほとんど何も変わらないこのバンド【ナショナル・ヘルス】が結成された。本盤はナショナル・ヘルス名義の第一作にあたり,マニア間でもハットフィールド&ザ・ノースと同じくらい知られた古典的名盤だ。エレピとオルガンを目一杯利かせ,さながら麻薬中毒患者のトランス状態か最終解脱中の麻原彰晃のような,浮遊感たっぷりの音もそのまま。くだんの『ハットフィールド&ザ・ノース』に比べると,よりリズムはソリッドになり,混沌としていた曲形式も具象化されてロック色が濃くなっている。冒頭からひたすら転調に次ぐ転調,そして細かく変相するリズムを利して,14分間聴き手を飽かさず連れ回す「テネモス・ローズ」は凄い。全てを渾然とパルスに還元して止揚を得ようとした,ハットフィールド&ザ・ノースのデビュー作とはある意味対極の方法論から,類同的なカタルシスを練り上げていく職人芸的な手腕に瞠目する。

Yes
Magnification (Eagle Records : EAGCD 189)

ピンク・フロイドやELPと並ぶプログレ界の大御所イエスも,もはやマイナー落ち。往時の栄光を知る者には何とももの寂しい状況になってしまった。2001年発表の本盤は,紆余曲折の末にキーボード奏者のイゴール・コロシェフが解任され,とうとう鍵盤不在の4人編成にまで縮小。リック・ウェイクマンの穴は大きい。この危機を,彼らは弦楽オーケストラを全面的に加える荒技で乗り越えようとした。指揮棒を執るラリー・グルーペはエミー賞の受賞経験もある人物。彼のお陰か,間に合わせとは思えぬ周到な弦がバンドの音に良く絡み,「浮くんじゃないか」との不安をみごと杞憂に変えて面目躍如。確かにオケが加わる分,ロック・バンドらしい野趣は後退せざるを得ないのだが,メロウになった分プログレ色は強まり,重厚長大でドラマチック。かつての大作主義イエスの面持ちが戻ってきた。加えて,近年稀に見るほど楽曲が充実。昔帰りの効果を最大にしている。豊かな音楽的教養を裏づける多彩なスタイルが盛り込まれていながら,曲自体が良いため散漫にならない。グループ存亡の危機を発奮材料とし,ここまで充実した作品を作った長老方に意気を感じて嬉しくなった。トレヴァー・ラビンが幅を利かせた1980年代のハードなイエスよりも,1970年代のイエスのほうが懐かしい方には,かなり溜飲を下げて聴いていただけるのではないか。ちなみに彼ら,オケを連れてツアーもやったとか。昔のバンドは貧しくなっても高楊枝。やることが大きくて気持ちいい。機械任せで経費を浮かす昨今のミュージシャンは爪の垢を煎じて飲んで欲しいものだ。

Scott Henderson & Gary Willis
"Tribal-Tech" (Relativity : 88561-1049-2)

【トライバルテック】は,1984年に腕利きセッションマンのスコットとゲイリーの2人が核となって結成。鍵盤と太鼓はのち交替するも,ケニーG系の間延びしたフュージョンが席巻する状況下にあって,異常にプレイヤー志向の強い,トリッキーなフュージョンを一貫して作り続けてきた奇特なユニットだ。当初はジャズ・フュージョン色が濃かったが,やがてロックやプログレの影響下に独自の進化を遂げ,マニア受けするオリジナルなスタイルに。快く者の耳を快く裏切る冒険的な転調と凝った変拍子群を,モザイク状に連結して組み上げられた楽曲は,ウェザー・リポートやザヴィヌル・シンジケートの流れを汲んでいた。スコットは無名時代にザヴィヌルの,ウィリスはショーターの脇を固めた経歴があり,恐らくそこで影響を受けたのだろう。いっぽうで,彼らの音は本家に比べよりソリッドかつロック指向が強くプログレ的。この辺りが,ジャズに軸足のあった本家と,アラン・ホールズワースの影響濃いスコットや,スラッピングに逃げずグルーヴに徹するフレットレス通電ベース専科ウィリスとの演奏流儀の違いを反映していよう。本盤は1991年に発表されたグループ第4作で,ジャズ・フュージョンを出発したこのグループが,トリッキーなロック・フュージョンへと飛躍を遂げる過渡期の一枚。両方のエッセンスが程良く溶け合い,音楽的にも相当に出来が良い。秒刻みで相貌の変わるハイテンションな楽曲を,淀みなく弾き仰せる構成員諸兄の技量に感嘆する。2000年以降はメンバーのソロ活動がメインとなって半ば活動休止状態。惜しい限りだ。

Radiohead
Kid A (EMI-Parlophone : 7243 8 55229 2 5)

彼らは英オックスフォード出身の五人組。1991年バンドを結成し,1993年にデビュー作を発表。2枚目のシングルがアメリカのラジオ・チャートに乗って人気に火が点き,1990年代屈指の人気バンドへ成長した。特に1997年に発表した第3作『OKコンピュータ』は名作との誉れが高く,オリジナリティが増したのもこの頃。次第にオルタナティブ・ロックの下地にテクノ風のリズムを採り入れ,独自のニヒルで内向的な語法へと向かったようだ。本作は2000年に出た第4作。どこかピンク・フロイドの影響を感じさせるアンビエントな頽廃と内省性を秘めつつも,基本的にミニマル・ミュージック志向。オルガンやシンセによる所在なげな和音の反復が夢遊病のように揺らめく中を,エフェクターで歪ませたヴォーカルの褪めた詩吟が虚ろにこだましていく。ミニマルだけに,音楽としての生命線は和声。ユラユラと漂って一向に解決をみない気怠い反復は,ボサノバと同根でメルドー君とも通じるところ大。かつて,制約を破壊することで音楽を脱構築しようとしたフリー・ジャズやヘヴィ・メタルには,それでも破壊しようとするエネルギーの温度があった。さしずめ彼らに代表される現代のロックにとっては,破壊する情熱も意味による解決も放棄し,思考停止した後に訪れる快い諦観が,それに代わるものなのだろう。「透明な存在・・」の文言に象徴される現代の若者の心には,い良限蝓「完全に消滅する方法」)に象徴されるこの頽廃と諦観がリアリティを伴って響くのかも知れない。

Steve Vai
Passion & Warfare (Relativity : 88561-1037-2)

フランク・ザッパ門下で最も成功した人物と言っても過言ではないと思われるスティーヴ・ヴァイは,1960年ニューヨーク州出身。1974年,速弾きの元祖とも言われるジョー・サトリアーニに師事したのち,1978年に採譜係から抜擢されてフランク・ザッパのグループへと加入。その後も,ヴァン・ヘイレンを抜けたデイヴィッド・リー・ロスのソロ盤や,アルカトラス,ホワイトスネイクなど,名だたるグループを渡り歩いて用心棒稼業をこなし,ソロで喰っていける数少ない大物ギタリストへと成長した。この人のギターは,上手いだけでなく奔放。音楽性の幅も他のギタリストとは段違いに広い。ヨガの呼吸音が入る電気シタールの(7)や中近東音階てんこ盛りの(12),さらには「お喋り奏法」も登場する(8)。あらゆる奏法を貪欲に吸収し,遊び心と奔放さを失わない演奏の魅力は,紛れもなくザッパの薫陶を得たものだろう。1990年に出た,彼の2枚目にあたるソロ作の本盤は,持ち前の多彩で変態的なギタリズムと,緻密な作品構成力とが,消化不良になることなく幸福にバランスした,稀に見る秀作。彼のギターと若干のキーボードと太鼓だけで多重録音。イベンタイド社のハーモナイザ《H-3000》を始め各種エフェクト類を駆使し,細部に至るまで緻密に推敲の行き届いたプログレッシブで壮大なコンセプト・アルバム。リディア,ミクソリディア旋法を多用する彼のフレージングはジャズ度も高く,ジャズ・フュージョン方面の方でも間違いなく面白く聴いていただけると保証する。

Nik Kershaw
The Works (MCA : 22P2-2393)

売れてナンボのポップス業界。ハワード・ジョーンズにポール・ヤング。デビュー作を頂点として,その後,一直線に人気を失墜してしまったミュージシャンは枚挙に暇がない。1958年英ブリストル出身のポップス歌手ニック・カーショウもその一人だった。『ザ・リドル』で大きな成功を収めたものの,その後人気は凋落の一途。それと反比例するかのように,彼の音楽性が成熟していったのは何とも皮肉だった。本盤は1989年に作られた4枚目のアルバム。自身がジャズ・ファンク・バンド【フュージョン】に在籍した経験があるからだろうか。バンド志向の本家より音作りがソフトでポップなことを除けば,同郷イギリスのレヴェル42に通じるアーバン・ファンクの香りと,ノーブルで清涼感溢れるサウンド・プロダクションが実に清々しい。確かに,少し地味な音ではある。しかし,どこを切っても捨て曲なく,細部に至るまで丁寧にアレンジされた良心の塊のような仕上がりには溜息が出る。シングル偏重でヒットの寿命もすっかり短くなったポップス業界。アルバムとして堪能できる,手の掛かった作品に出逢う夢は,もはや叶わないだろう。その一方で,良心的に作られたこういう作品が,時代の彼方へと忘れられていく。罪作りな話だ。

Julian Lennon
Mr. Jordan (Victor : VCD-32208)

ビートルズの構成員中,唯一殺害されたために,最も神格化されてしまった人物,それがジョン・レノンである(苦笑)。愛だ平和だと美辞麗句を並べた彼の言説が,ベトナム敗戦で荒んだ若人の心を巧みに捕らえたのは認めよう。しかし,理想主義者も現実はこんなもの。彼と前妻との愛の産物として1963年に生まれたジュリアン君は,偉大すぎる父親の影と,その父に捨てられた自分との間で葛藤し,非行に走って荒んだ青春期を過ごすことになった。それらを乗り越えた青年は,やがて音楽を志す。本盤は大ヒットした『ヴァロッテ』ののち,1枚を挟んだ彼の第三作。はっきり言って売れなかったが,中身はといえば驚くほど濃密なもので,当時これを聴いたときはその才気に仰天したものだ。グラム・ロック,フォーク・ロック,プログレ。多彩な音楽語法を作品の統一感を損なわぬまま案分する教養の深さ,教条にくみしない巧みなコードあしらい,イギリス育ちの出自を,ノーブルでひねくれたアレンジに込めるしたたかな編曲力。レノンの息子という色眼鏡でくくられて終るのは余りに惜しい。今はもう手に入らないかも知れないが,中古で見かけたら,ぜひお試しを。下手なプログレより面白い白眉のΔ蓮ずもって新鮮だ。

Peter Gabriel
So (Charisma-Victor : VCD-32010)

元ジェネシスの司令塔ピーター・ガブリエルが1986年に出したこの作品は,△梁腑劵奪箸巴里蕕譴詒爐梁緝什遒砲靴董1980年代の英国ポップスを代表する名盤の一つ。もともとプログレ色の強かったジェネシスの司令塔だけに,ソロ作であるこの盤でも,語法はいたって内省的であり,プログレ色も濃い。しかし,ポピュラー音楽でありながら一種ワグネリスト的な誇大妄想ぶりを売りにしていたプログレ時代とは異なり,あくまで等身大のまま独自の音楽性を探求した潔い一貫性が,この作品最大の強み。大仰なプログレと通俗的なポップスとの間で巧みにバランスを保つしたたかな平衡感覚。各種機材・楽器を完璧に自分のものとして操りながら,ケルト風の荒涼とした独自の音場へと,一貫して昇華させていく並外れた構成力。どれをとっても彼の非凡な才気を示していた。簡にして要を得た楽曲を提示しなければならぬポップスは,芸術音楽とは別の修練を要求される。彼はそれを実に良く理解していた。聴いて損はない名作だと思う。ちなみに,しばしの沈黙ののち,彼は『Us』を引っさげてカムバックするが,音楽的にはこの盤の緊密さが嘘のような腑抜け。この盤に充満するダークで濃密な音場を再び現前することは,彼ほどの才能を持ってしてもついに叶わなかった。

Peter Cetera
Solitude Solitaire (Warner Bros. : 32XD-522)

アメリカ屈指の長寿命を誇ったシカゴは,ビル・チャンプリンやデヴィッド・フォスターら,玄人筋にも評価の高い作編曲の才能を抱え,一世を風靡したブラス・ロック・バンド。1970年代に隆盛を極めたのち,一時は低迷するも,1980年代半ば『16』のヒットを契機に復活。『19』までの4枚を,次々と全米チャートの最上位へ送り込んだ。結成から『17』に到るまで,このバンドのヴォーカリストを務めていたのがピーター・セテラ。人気が頂点に達しつつあった時期の脱退は波紋を呼び,母体のシカゴは新たなヴォーカリストを迎えて『18』を大ヒットさせることになる。いっぽう彼の方も,本盤にも収録されている映画《ベスト・キッド2》の主題歌が大きくヒット。満を持して本アルバムを発表する。清涼感のある持ち前の甘いヴォーカルと,シカゴ路線を継承した上質な白人電化ポップスを志向。少し地味ながら楽曲も粒が揃っている。本家のヒットと前後しただけに,期するところもあったろう。さすがに10数年を経た今では楽器音など古臭いが,今でも充分聴くに堪える快作と思う。残念ながら,彼はこののち,見る見る時代に取り残され,輝きを失っていった。当初,勝ったように思われたシカゴのほうも,『19』以降はベスト盤を連発して枯渇。一時代の終わりを告げる。

Steve Winwood
Back in the High Life (Island : CID9844)

幾つかの僥倖が重なったとき,稀に当人の思惑を超えた名作が生まれることがある。そんな作品からは,奇蹟と僥倖とを体現したオーラが出るものだ。リーダーは《トラフィック》の中核メンバーとして,1970年代の英国で活躍。やがてソロへ転じ2枚のヒットを飛ばしたが,程なく4年に渡って沈黙してしまう。1986年,沈黙を破り満を持して世に問うたのが本盤だった。創作中,彼の身に何が起きたのかは定かでない。やがて産み落とされたのは《10年に一度》,そう憚りなく形容しうる神懸かり的な出来映えのお化け盤だった。大胆に打ち込みリズムを援用しているにもかかわらず,パーカッション類に細かく変化をつけて起伏を与え,シンセは生楽器の質感を邪魔せぬようごく控えめに選定。和音の中心はオルガンに,オブリガードは管部,ギター,マンドリン,アコーディオンの生演奏に託す。従来から独自のサウンド・カラーとして探求してきた,ブルージーで質感の暖かなポップ・ロックを,ここで完全に我がものとした。また4年の歳月を掛けていながら,8曲にまで楽曲を絞り込んだのも奏功。ほぼ全曲が5分を超える長尺で,怖ろしく粒揃い。ポップでいて起伏に富み,ネアカでトロピカルなのに捻りと苦みが利いている。初めて聴いた時はまさしくお手上げの体になり,「どうしたらこんな曲を思いつくのか」,そう顔面蒼白に陥ったものだ。彼にとっても神の舞い降りた瞬間だったに違いない。再度の沈黙ののち発表された新作『ロール・ウィズ・イット』には,この名盤を創造した孤高の天才の面影など,最早どこにも無かった。

Yes
Big Generator (Warner : 32XD-559)

3コード・ロックが,プログレの登場で様式的ピークを迎えるまで,僅か10余年。その創造者としてロックのオプティミズムを支えていたバンドの1つがイエスである。強力なインストとヴォーカルの融合を旗印に,長大で起伏に富んだ曲想と,ハスキーなハイトーン・ヴォイスを兼ね備えた彼らは,『危機』と『こわれもの』の2枚でスターダムへのし上がる。高度な楽識とアイデアを詰め込んだ《作品》が,セールスの上でも正当に評価を受ける。反逆を気取る道化としてではなく,クラシックやジャズがその表現様式ゆえに超えられなかった限界を超える音楽として。ロックの可能性を誰もが信じられた,文字通りのピークだった。やがて押し寄せる商業化のなか,その多くは売り上げと音楽的良心の間で迷走を余儀なくされていく。イエスもまたそうだった。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった打ち込み屋トレヴァー・ホーンに意匠を丸投げした《90125》は,音の全能者たる彼らの,ある意味において悲劇的な降伏だったといえる。最早,過去へ戻るのはアナクロに過ぎず,大衆化は敗北を意味する。難しい立場にいた1980年代の彼らによる,極めてクレバーな解答が本盤だった。僅か8曲に絞られた楽曲は,劇的展開において往時の硬派な姿勢を彷彿させ,【もう一人のトレヴァー】トレヴァー・ラビンの若い感性に寄り掛かり,歪みギターへ依拠したゴリ感の濃い音は,やがて時代を席巻するグランジを予見したようにすら見える。自らの手で全てを練り上げ,粒揃いの楽曲と程良いポピュリズムを絶妙にバランスした本盤こそ,彼らにとっての『時へのロマン』だったのかも知れない。

Dead or Alive
Mad, Bad and Dangerous to Know (Epic : 32 8P-162)


バブル隆盛期。OLは大挙してディスコへ押し寄せた。当時大流行したのが,いわゆるユーロ・ビート。デッド・オア・アライブは,このブームに乗ってシーンに浮上してきたグループである。ゲイ文化のはしりとも言うべき奇抜なルックスと,ハード・エッジでテクノロジー偏重のユーロ・ビートが売りだった。流行りものの末路は哀れなもの。やがてブームは去り,彼らはつむじ風よりも早く消え去ってしまう。しかし,確信犯的にヴィジュアル戦略を仕掛けていた司令塔ピート・バーンズは,作編曲も自分でこなす才人。同じ頃ストック,エイトケン&ウォーターマンにプロデュースを託した歌い手たちが,みな彼らの傀儡と化するなか,自分たちのカラーを保ったまま共同作業をやり仰せた殆ど唯一のグループでもあり,音作りの芯はしっかりしていた。あまりに売れなさそうな標題を,日本盤では差し替えられてしまった本盤は,売れっ子プロデューサー陣との共同作業が最も良い形で結実した秀作。前作が初めて本国でヒットし,期するところもあったに違いない。プロデュース陣が得意とするスッチキ乗りのグルーヴィなビートを効果的に導入してポピュラリティをまとい,音楽的にも驚くほど成熟した。アウト・オブ・デイトな表層に踊ることなく,ツボを心得たメロディアスな楽曲本体に耳を傾けて欲しい。捨て曲らしい捨て曲が驚くほど少ないことに気づくだろう。文字通りこの時,彼らは来るはずのない明日へ向かって,生死を賭けた勝負を挑んでいた。

Kenny Loggins
Back to Avalon (CBS : 25DP 5188)

見ての通りのハンサムな容貌が個人的には羨ましくてならないケニー・ロギンスは,アメリカのシンガー・ソングライター。元々は,1970年代に人気を得たロギンス&メッシーナの片割れとして頭角を表したが,その後ソロに転向。映画『フットルース』の主題歌を歌い,キャリア最大の成功を収める。彼はその後も《トップガン》の主題歌「デンジャー・ゾーン」に,《ロッキー4》挿入歌「ダブル・オア・ナッシン」,果ては《キャディシャック2》主題歌「ノーバディーズ・フール」(本盤収録)と,本人の思惑以上に映画絡みのヒットが続いてしまう。イメージというものは怖ろしい。満を持して発表したこのアルバムは大コケしてしまい,完全に歯車が噛み合わなくなった彼は,程なくシーンから姿を消してしまった。イメージが重要な人気の要素になるポップス業界のこと。続けて映画に関わりすぎたことで《ロギンスは映画音楽を作る(普通のポップス歌手ではない)職人》とのイメージが定着し,キャリアに暗い影を落としてしまったと思えてならない。職人気質な彼の制作流儀は,奇を衒った細工を弄することなく,AORを薬味に利かせた玄人好みのポップ・ロック路線を堅持。確かに,流行りものとしては一聴地味なのだが,楽曲は丁寧に推敲され,アレンジも丁寧。堅実な仕事ぶりの行き届いた良心的な好内容作だと思う。こういうアルバムを聴くにつけ,優秀な才能を次々食いつぶしていくポップス業界は,いかにも罪作りだと思うがいかがだろうか。

Culture Club
This Time (Virgin : VJCP-23234)

ご覧の通り,キモいと綺麗の境界スレスレを往く厚化粧の男ボーイ・ジョージ。本名ジョージ・オダウドがボーイ(Boy)を源氏名とした背景に,中学へ上がるころ目にしたデヴィッド・ボウイ(Bowie)の衝撃があったと考えるのは乱暴ではないだろう。高校時代,彼女の影響で化粧に凝り,道を踏み外した彼は服飾業界を転々。モデルとして知られるようになるが,あくまで歌手になることを目指し,機会を窺っていた。音楽青年だった他のメンバーと邂逅,バンドの前身が形作られたのは1981年。音楽好きだが,むしろキャリアはモデルだった彼と,専門化した職人よりも万人受けするアイドルを求めた時代の思惑が,静かに一致をみた瞬間だった。徹底した派手な演出と,ひたすらポップでキャッチーな楽曲。メディアの力を最大限に生かし,「君は完璧さ」をチャートの最上位に送り込んだのは僅か1年後。1983年に発表した第二作『カラー・バイ・ナンバーズ』で人気はピークを迎え,見事一山当てることに成功する。しかし,皮肉にも彼らはまた,飽きられるのも異様に早かった。急速に人気が下降したのは1986年。文字通りたった4年の天下だった。感じるところがあったのだろう。1987年,彼らは4年間を総括して本ベスト盤を発表。間もなく自身が去ることになる華やかな夢舞台を,これ以上ない選曲で形に残していったのだった。1980年代の音楽文化を,これほど端的に説明したアルバムもない。その意味で,まさしく傑作と思うのだが如何だろうか。

Thompson Twins
Here's to Future Days (Arista : ARCD 8276)

髪の毛をぴんぴんに逆立て,サイケな衣装を身に纏った英国のテクノ・ポップ集団トンプソン・ツインズ。打楽器担当の女性に,ヴォーカルの白人とベースの黒人が相乗りする微妙なバランスが音になった,不思議ちゃん的音楽性が持ち味だった。《味がある》と《ヘタ》の境界スレスレをフワフワ漂うトム・ベイリーの不安定かつ頼りないヴォーカルに,唯一の黒人ジョー・リーウェイが持ち込む微妙なファンク・グルーヴ。あからさまにキッチュで乗りの悪いパーカッションとキーボードで,アフロ臭を換骨奪胎する彼らのポップスは,引き籠もりさながらの青白さと,夢遊病のような実体感の希薄さを伴って,生まれ出る音に強烈なシニスムとインパクトをもたらしていた。1985年に発表された本盤は,2曲の米トップ10ヒットを生んだ彼らの代表作。サイケで病的な彼らの世界観が,驚くほど粒ぞろいな楽曲と幸福に和合した一世一代の傑作だった。彼ら一流の頽廃感溢れる音世界に,故国が生んだ天下のアイドル・バンドを見事貶めた「レボリューション」は,紛う方なき傑作カヴァーだと思う。しかし,肌の色も違い,もともと互いの利得で集まった微妙な三角関係に,色恋沙汰を持ち込んだのが運の尽きだった。一旦バランスが崩れ始めるともう止まらない。本盤発表後,たちまち黒人が飛び出し,バンドは空中分解。残る二人で活動を継続するも,人を喰った夢遊病的音世界はすっかり失われ,人気も嘘のように消えてしまった。

Madonna
True Blue (Sire : 18P2-2702)

既に中年。籐も立ってしまったが,今なお往事の体型を維持し,逞しいダンスを披露しているマドンナ。もともとダンサー志望で,ブロンドに憧れては出自にコンプレックスを抱いていた彼女は,憧れと現実,実像と偶像の距離感を熟知していた。グロリア・エステファンと同じヒスパニックながら,髪を金髪に染め,裸の自己を微塵も見せることなく平均値的な白人タレント像を演じての成功だった。そんな彼女にとっては音楽もプロモーションの一部。まずセックス・アピール一辺倒のアイドルで一般受け。ここから時流に合わせてカメレオンの如く変化しつつ,人気を維持。有名人と浮き名を流しては,芸の肥やしにしていった。ブランド維持の手練手管もここまで来ると立派な才能。ショービズ隆盛の時代が生んだ,最強のカッコ付き芸能人だろう。1985年発表の『ライク・ア・ヴァージン』で,当時女性歌手としては世界最高の売上げを記録。並みの商才なら,暫くこの路線で売る筈だ。しかし彼女は,シリアス路線へ大きく舵を切る。頭の弱そうな小娘から一転。大人びた曲に乗り,「子どもは堕さないわ」と凄んで一気に女性ティーンを味方につける。偶像の成長は音楽性の成熟に象徴させる。浜崎あゆみも真似た,したたかなメディア戦略だ。目立たないが,これを支えたのは自身の作曲力。全曲を共作し,第一級のポップスを作り上げた。アイドルで終わるかの正念場。期するところ大だったのだろう。その後スターダムを得た彼女に,いまだこれを凌ぐアルバムは作れていない。

Gloria Estefan & Miami Sound Machine
Let It Loose (CBS : EK 40769)

浮薄と誹られるポップスでさえ,ミュージシャンには持って生まれた音楽家としての性向があり,育った環境に根ざす音楽性(Rootedness)が備わっている。必ずしも同じ環境を共有しない不特定多数の購買者に対し,そのままに向き合えば,聴き手の好き嫌いは分かれるだろう。畢竟,彼らは不特定多数に支持される八方美人の自己(ポピュリズム)と,音楽屋としての個性(Rootedness)の間で揺れながら,自らを売る難しさと戦っていかなければならない。美貌の歌姫グロリア・エステファンを擁したマイアミ・サウンド・マシーンほど,その難しさを痛感させたバンドもなかった。南国マイアミ出身のヒスパニックだった彼らは,1980年代半ばに『プリミティヴ・ラヴ』で大成功。スペイン語を織り交ぜた歌詞を,小気味良いラテン・ビートに乗せるスタイルの成功は,拡大する米国のヒスパニック人口が,《綺麗なおネエさん》の姿を借りて,初めて憧憬の対象となる瞬間の到来を意味していた。思惑以上の成功だったに違いない。グロリア姉さんを前に出すか,乗りのいいラテン・バンドに生きるか。彼らの迷走が始まる。2つの顔が最もバランスした傑作と思われる本盤で,突如彼女の名前が冠された点に注目して欲しい。続く『カッツ・ボース・ウェイズ』は,彼女のソロ名義になる。彼らはRootednessを捨て,歌姫とそのバック・バンドになることを選んだのだ。この美貌である。人気はなお続いた。しかし,その後の彼らが作る音に,何一つ魅力がなくなった事は,説明するまでもないであろう。

John Couger Mellencamp
The Lonesome Jubilee (Mercury : PPD-1021)

ヤンキー上がりのガテン系。日本ならさしずめ長渕剛にあたるのがこの人である。酒と煙草に焼けた喉で,荒々しく歌われる武骨なロック。基本的に無教養な彼らは,実体がそうであるように,リアルな生活実態をそのまま詩に乗せる。ストレートな感情表現を,不器用かつ無教養と聴くか,衒いなく率直と聴くかで,聴き手を選ぶ音楽かも知れない。そんな音楽だけに,往々にして作り手自身のライフステージが,そのまま音に反映される。彼もまた,そうだった。彼の本名はジョン・メレンキャンプだが,デビューに際して,レーベルから《クーガー》を名乗らされる。彼は本名にこだわり,やがて名乗るようになるが,音楽もまたクーガー期,クーガー・メレンキャンプ期,本名に戻った時期で,綺麗に分かれるから面白い。クーガー時代の彼は若さが先に立ち,キャッチーだが青臭い。いっぽう本名に戻ってからは,妻子をめとってすっかり好々爺となり,覇気を失ってしまうのだ。熟年の渋みと若き日の熱情。その両方が最もバランス良く音になったのが,1980年代半ばから暮れに掛けての数年間。クーガー・メレンキャンプの時期である。分けても,アコーディオン,ヴァイオリン,ハーモニカを導入し,田舎(カントリー)の土臭い香りをギター・ロックに融合した本盤は,200万枚を超える売り上げが示すとおり,キャリアの上でも音楽性の上でも,全てが幸福にバランスした快作だった。本盤以外なら,『スケアクロウ』と『アメリカン・フール』が良いだろう。

Brian Adams
Reckless (A&M : CD 5013 DIDX 140)

アメリカの田舎でくすぶる労務者ロッカー,ジョン・クーガーが長渕ならば,カナダ出身の好青年ブライアン・アダムスはさしずめ,浜田省吾や尾崎豊,もう少し言えば福山雅治辺りに通じる爽やか系ロックンローラーだった。面白いことにこの二人は,スターダムにのし上がった時期も重なっている。クーガーが成功を手にしたのは,1982年に発表した『アメリカン・フール』だったが,アダムスもその後を追いかけるように,1984年発表の本盤でキャリア最大のヒットを手にした。成功を手にした時期も,音楽性の上でも接近していながら,ファン層が被らなかった背景には,お互い白人ロックンロール像の異なる層に,アプローチしていたことがあるだろう。アメリカ人であるクーガーが,カントリーやブルースを採り入れて土臭く垢抜けない生活者のロックを目指したのとは対照的に,異邦人アダムスは,一般大衆のイメージの中にある平均値としての《ギターを抱えた好青年》を演じ,その位置に留まり続けようとした。二人は似て非なる美学の持ち主だったのだ。等身大のロックを演じたクーガーが,やがて自らの老いによって勢いを失っていくのと前後して,青春ロッカーの偶像を演じたアダムスもまた,坂道を転がり落ちるように人気を失墜していくことになる。青春はやはり,一瞬の光陰。かくも短く儚いからこそ美しい。自身の青春と演じられた青春とが幸福にシンクロしていた1984年,彼の作るロックンロールは溌剌と輝いていた。

Judas Priest
Painkiller (Epic : ESCA 5159)

ハード・ロックという言葉が指す対象を最初に確立したのは,ディープ・パープルやレッド・ツェッペリン辺りだと思うが,案外ヘヴィ・メタルにおけるそれは,1970年代半ばに登場したこのバンド辺りではないか。絞り出すような叫声と重いツイン・ギター。《イージーライダー》世代の美意識を継承する,ハーレーに乗った皮ジャケ集団の出で立ちも,今にして思えば彼ら辺りが先鞭をつけていた。その後,有名な《ステンド・グラス裁判(サブリミナル効果で死人が出た)》により,オジー・オズボーンと並んで勇名を馳せた彼らは,百万枚売ることのできる数少ない実力派メタル・バンドとして評価を確立する。1990年に出た本盤は,太鼓の脱退を乗り越えて作られた復活作。バスドラを整数的に打ち込む,新入りの硬い乗りのせいなのか,或いは解散を疑われた状況下で気合いを入れたからか。当時やや軟化していた音作りがぐっと重くハードになる一方,捨て曲なくアルバム全体でも楽しめる充実作に。古いファンにはプリースト復活として,新しいファンにはベテラン健在を示す奮起作として広く受け,ポップ・チャートでもトップ40に入る大きなヒットとなった。実は,2ギターを前に出し硬派なメタル路線を取る前半と,シンセや効果音を加えた後半とではアプローチが全く違い,初期と後期で路線がずれてしまったこのバンドの両面が巧みに俯瞰されている。一見気合いを入れて作ったようでいて,かなり冷静な計算のうえに推敲された作品だ。個人的にもプリーストの諸作では一番出来が良いんじゃないかと思う。

Steve Stevens
Steve Stevens Atomic Playboys (Warner Bros : 22P2-2951)

ハード・ロックやヘヴィ・メタルの世界は,シビアな技巧が問われ,優秀な演奏家ひしめく激戦区。映画『トップ・ガン』のテーマ曲を作って,1986年のグラミー賞最優秀ポップ・インストルメンタル楽曲賞を受賞したスティーブ・スティーブンスもその一人だった。もとはビリー・アイドルのバンドでギターを弾いていたが,受賞を契機に,初リーダー作の本盤で独立。特に知名度があったわけでもないのに,あんな仕事を獲た力量は伊達ではなく,本盤も楽曲が良く書けている。もちろん美点と欠点はコインの表裏で,彼も豊かな教養を自分の語法としてまとめあげるだけの器は乏しく,悪く言えば器用貧乏。全編ソツなく演奏された作りの確かさに感嘆するいっぽう,どこか仏作って魂入れずな物足りなさが残るのは,彼がバイプレーヤーに終わったゆえんでもあるだろう。しかし,ハード・ポップを下地に,R&Bやファンクの臭いを織り交ぜて円味を加えていく案分の心憎いこと確かなこと。誰とでも組み,どんな注文にも応じなくてはならない脇役職人たる彼の豊穣な教養を裏づけるものだ。ヴォーカルのペリー・マカーティも,エグ味があって好き嫌いは分かれるものの歌唱力は達者。下手な売れ線ハードロック・バンドより,アルバムの完成度は一枚も二枚も上ではないか。余談ながら,彼はその後も脇役人生まっしぐら。ビリー・アイドルやヴィンス・ニールとくっついたり離れたり,びっくりするところでは氷室京介なんかとも懇意にしている。

Slayer
Reign in Blood (American Recordings-CBS : SRCS 8781)

スラッシュ・メタル界でも特にコアなバンドとして知られたスレイヤーが,1986年に出した第3作。とにかくこの盤を形容する言葉は阿鼻叫喚である。絶叫である。10曲で収録時間29分。一曲あたり3分ない(笑)。それくらい驚異的な急速調。僅か3分の間に,詰め込めるだけ詰め込まれた罵声・情念・ノイズ・技巧が,渾一体となって津波の如く押し寄せる。ここをご覧になる方の殆どは,メタルなんぞ全く興味がないだろう。しかし本盤は,メタルというサブカルチャーがひとつ頂きに到達した一枚として,それでもなお一聴に値する怪作。嵐のようなギターのリフ,尋常でない速力にもかかわらず異様なほど幾何学的に整然としたバスドラの生み出す八方破れの疾走感は,ただただ凄い。表面的なジャンルの違いや音色(おんしょく)を超え,その奥にある音響構造を読みとって聴くことのできる方にはこの《異教徒の音楽》,大いに興じ入って聴けることだろう。本盤の歌詞や意匠を見るにつけ,キリスト教社会における反逆の意志表示が,自ずと反キリスト思想になる事実を興味深く思わないだろうか。どちらも信じない日本人からは,これもまたアンチであれ価値観のテーゼと映る。神を崇める宗教音楽,愛を讃えるロマン派音楽。メタルはそれらと表裏一体のミューズなのだ。音楽はその本質の中に両義性を含んでいるのである。

Anthrax
Among the Living (Island-Polygram : PHCR-4867)

1980年代後半に一世を風靡したスラッシュ・メタル(死語)には,四天王と呼ばれた4組の看板グループがいた。メタリカ,メガデス,スレイヤー,アンスラックスの4組だ。その中で最もパンク色が濃く,陽気なアメリカン路線だったのがアンスラックスだった。彼らは『狂気のスラッシュ感染(Spreading the Disease)』という,恐怖以前に笑いしか出てこない邦題を冠されたアルバムで有名になったが,のちに炭疽菌(アンスラックス)テロ騒ぎでシャレが現実になってしまい,「俺たちは関係ありません」なんて,冗談なのか本気なのか分からないコメントを出す羽目に陥ったのは記憶に新しい。本盤は1987年に発表された第三作で,愛好家の間では今なお彼らの代表作として知られる。疾走感は前作のほうが上なのだが,いかんせん録音が酷い。翻って次作はポップな方向へ舵を切りすぎ,失速してしまう。パンキッシュで野放図な自前の音と,ポピュリズムへの色目が最も幸福にバランスしていたのは,やはり二者に挟まれた本盤だろう。シングル化された「俺が法律」は,リフが凝っていた反面メロディックでテンポも遅く,今にして思えば,彼らのつまづきの予兆が既に含まれていた。それでも,シンプルなメロディとスピード感溢れるテンポが衒いなくマッチして,真っ直ぐ快楽中枢を刺激する大半の曲は,小賢しいところのない彼らの美点が良く出ているのでは。

Kansas
Leftoverture (CBS : CSCS 6038)

(コメント後日)

Chicago
18 (Warner Bros : 32XD-523)

(コメント後日)

Huey Lewis & The News
Fore! (EMI : CP32-5160)

(コメント後日)

Bruce Hornsby & The Range
Scenes from the Southside (RCA : R32P-1147)

(コメント後日)

Billy Joel
The Bridge (CBS : 25DP 5170)

(コメント後日)

Prince
Sign of the Times (Warner Bros : 25577)

(コメント後日)

Duran Duran
Notorious (Capitol : CDP 7 46415 2)

(コメント後日)

A-ha
Hunting High and Low (Warner : 32XD-375)

(コメント後日)

Mike & The Mechanics
Living Years (Wea : 25P2 2307)

(コメント後日)

Toto
The Seventh One (Sony : SRCS 6490)

(コメント後日)

Dream Theater
Images and Words (Atco : AMCY-3113)

(コメント後日)

Sting
The Soul Cages (A&M : 7502164052)

(10年前のニヒルはこの人だった。父の死を受けて作られたこのソロ作は,荒涼としたイギリス北方の音風景が,彼のスノビズムやジャズ趣味と巧く溶け合い,独自のほの暗い世界を作り上げている。本盤の前に出た『ナッシング・ライク・ザ・サン』と並べて2枚が,恐らく今後も彼のソロ名義での最高作になるのではないか。この2枚で世界観を確立した彼は,その後も同じ方向性で数枚のリーダー作を作っているが,どれも佳作止まり。本盤に比べると見劣りする)

Stevie Wonder
In Square Circle (Motown : 530 046-2)

(コメント後日)

Tears for Fears
Songs from the Big Chair (Mercury : PHCR-6103)

(コメント後日)

Asia
Asia (Geffen : GEF 85577)

(コメント後日)

Queensryche
Operation: Mindcrime (EMI Manhattan : CP32-5618)

(コメント後日)

Swing Out Sister
It's Better to Travel (Mercury : 32PD-282)

1987年に出たこのアルバムを発表して一世を風靡したスイング・アウト・シスターは,音楽畑で活動してきた男性演奏屋2名のフロントを,モデルの世界から歌に転身した華々しい女性が固めた三角関係ユニット。1985年の結成後,最初のシングル「ブルームード」はやっと1000枚売れるか売れないかだったというが,翌年に発表した「ブレイクアウト」でブレイク。
アンテナ風でも楠田絵里子風でもあるおかっぱ髪を今風に刈ったヘアスタイルのコリーン女史を顔役に,マンチェスター大学時代から,ニューオーダーの前身となる【サードゥン・レイシオ】の一員としてジャズやファンクを演奏していたアンディを司令塔にするコンビネーションで,実は1980年代的なバランスの取れていたグループだった。都会的な白人ソウルポップスになったのであろう。太鼓のマーチンはパンクっ子で,こののち程なく脱退。寄せ集めの三角関係バンドの当然の帰結だった。しかし今にして思えば,アシッド・ジャズの先鞭を付けたのは彼女たち辺りだったのかも知れない。

Steely Dan
Aja (MCA : MVCM-18520)

(コメント後日)
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Marc Jordan
Blue Desert (Warner : BSK3362)

恥ずかしながら,実はこのアルバムは未架蔵。中身だけを知っていて,現物を買えないでいる,ある意味最も隔靴掻痒な一枚の一つである。おまけに内容がとびきり上等なのだから始末に負えない。主人公は1949年ニューヨーク生まれ。70年代はトロントを拠点にソングライターとして活動。それがワーナーの目に留まって,ゲイリー・カッツのプロデュースでデビューの機会を手にした。1978年のことである。本盤はその翌年に発表したソロ第二作で,ジェイ・グレイドンがプロデュースを担当。カッツが担当した前作は,スティーリー・ダンの『摩天楼』に通じる乾いた都会派の香りが,少ない音数で表現されていた。翻ってこちらは,クレイドン芸術の真骨頂。得意のキラキラ音が豪華に盛られた,みずみずしい音の洪水である。本業がソングライターだけに本盤,楽曲の粒がとにかく良く揃っているのに驚嘆。これほど良い曲が揃ったAOR作品は,他にはバーン&バーンズやフェイゲンのナイトフライくらいしか記憶にない。1970年代末期の西海岸系AORのもつ美味しいところを,ほとんど独り占めしたような名作と思う。再発を熱望しているのだが・・。いつになることやら。

Megadeth
Rust in Peace (EMI : TOCP-3029)

メタリカをクビになったデイヴ・ムステインがデイヴ・エレフソンと組んで結成したメガデスは,メンバーを変えながら次第に緊密なグループへと成長。多彩な変拍子とオフビート,細部まで描き込まれたメカニカルなリフを組み合わせた知性派スラッシュ・メタル・バンドとして評価を確立していきます。その象徴とも言えるのが,『ソー・ファー・ソー・グッド・・』発表後の大幅なメンバー・チェンジ。上手いは上手いが,ライト・ハンド奏法に頼りがちで一本調子だったジョン・ヤングから,ブルージーなフィーリングをも併せ持つギター職人マーティ・フリードマンへ,ややバタバタともたついていたチャック・ビーラーから,タイトなスネア使いニック・メンザへメンバーを変える。人気に火が点き掛けていた時期に,敢えて大鉈を振るった両司令塔は期するところ大だったことでしょう。果たして,その直後に出た本作品は,堅実なドラミングを十分に生かすプログレッシブ・ロック然とした緊密な楽曲と,泣きの妙技が十全に生きたフリードマンのソロが見事にバンドを一段上の次元に押し上げ,勝負作に相応しい秀作となりました。この作品以降このグループは,近作で太鼓が交代するまで10年近くに渡って固定メンバーで活動し,売り上げの面でも音楽的にも黄金時代を迎えることになりました。その後の作品を一部聴く限り,次第に速力も落ち,ポップなグランジ方向へと向かったようです。その意味でもこの作品は,元々から備わっていたスラッシュ界のトップ・バンドとしての職人魂と,いよいよ人気が定着してきたのを受け「売れる作品を」という色気が,最も良い形でバランスした作品だったのではないかと思います。


George Harrison
Cloud Nine (Dark Horse : 32XD-848)

(コメント後日)

Greg Howe
Introspection (Shrapnel : SH1064-2)

イングウェイ・マルムスティーンを見いだし,速弾きブームの黒幕となったマイク・ヴァーニーが設立したシュラプネル・レコーズは,1980年代後半,ポール・ギルバートやジェイソン・ベッカーらテク自慢のギタリストを鬼のように輩出して気を吐いた独立系レーベルである。1990年代に入るとその多くは独立し,往時の勢いは徐々に失われるが,この人などは同レーベルが生んだ最強の隠し球だったといえるかも知れない。本盤は1993年に発表した二枚目。メカニカルかつハード・エッジなロック・フュージョン作である。完璧なリズム感で繰り出される流れるようなレガート・タッピング。そして,鬼のような変拍子群。それに加えて,ホールズワースの流れを汲む,宅録とは思えないほど凝った楽曲。怖ろしく上手い,そして巧いギタリストである。 初めて聴いたときは心底驚愕した。ちなみに次作『パララックス』では,さらにメタル度をアップした,ハイパー・フュージョンを聴ける。こちらも素晴らしい出来映えだ。

Stevie Wonder
The Woman in Red (Motown : R32M-1008)

い今でも古典的名曲としてしばしばCMに使われる’80年代スティーヴィーの懐かしい秀作をCDで。しかしキャッチーな売れ線のぐ奮阿癲い海糧廚龍覆呂覆なか良く出来ている。い離ぅ瓠璽犬世韻埜譴蕕譴討靴泙Δ里鰐淆里覆さいします。後日ご紹介しますが,↓ΝГ濃臆辰垢襯妊オンヌ女史はAOR路線のヴォーカル名盤『フレンズ・イン・ラヴ』を録音した当時で,事実ΝГ任牢尭暗なバラードを披露。これを筆頭に美しいバラッドの◆じ渋紊鉾罎摧かにチャチなキーボードから恐ろしく想像力溢れるアレンジを捻り出す,砲蓮せ欧蠅泙靴燭反修珪紊欧襪靴ございません。数多いスティービーの作品中でも優れた一枚であると思います。それだけに惜しいのは,サントラということで入ったと思しき。ギターで参加したベン・ブリッジズの書いたインストで,ハーモニカの入るジャズ風の曲なのですが,はっきり申し上げてスティービーの輝くばかりの才気に比してあまりに凡庸。こんなゴミならアルバムの完成度を下げるだけ。入れない方が良かったのでは?

(First uploaded, 2006. 3. 31)




こんな場末に用はない








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