俳句入門

(15)俳句は自分の詠みたいものを詠むのが本筋(続)

昭和六十年ごろ、「ねこのうた」の詩人牧陽子さんが酸漿会員のお一人として在籍なさっていました。
牧さんは今は亡き詩人高田敏子先生の詩誌「野火」の会員でした。
牧さんの俳句を見て「やはり詩人」と思うことがよくありました。

  鬼灯でピエロ人形創りたり   牧陽子
  鬼灯を鳴らすを知らぬ子等ばかり
  鬼灯はさびしき庭の灯となれり

右の三句は猫の詩以外は書かれなかった牧さんの作品で、「酸漿」の昭和六十年十二月号に載っているものです。
一つのものに徹底して取り組む姿勢がいかにも詩人らしく、かえって好ましく思いました。
  
  どんぐりが老人ホームの池に落つ   牧陽子
  どんぐりの転がる音よ老の宿
  おみやげはどんぐり二つ三つなり
  人黙すどんぐり落つる音ばかり

改めて牧さんのこれらの句を見て私は、犬目町の多摩第二老人ホームの庭の林を思い出して懐かしく思いました。
牧さんは「鬼灯」に対してその本質に迫ろうとしています。
〈鬼灯でピエロ人形創りたり〉と、人形を作りながら鬼灯に外から迫り、〈鬼灯を鳴らすを知らぬ子等ばかり〉と、その周りから近付き、〈鬼灯はさびしき庭の灯となれり〉と鬼灯をまん中に置いて一層近付いていきます。
近付いては離れ、離れては近寄りながら、繰り返して迫ることによって鬼灯は作者に本質を明かそうとしてくれます。
しかし、何回目でとか、何時とかは分かりません。
平成二年一月発行(揺藍社刊)の『ねこのうた3―とらこにささぐ』を頂いたが、牧さんは昭和五十七年六月に『詩集ねこのうた』をお出しになっているから、第三詩集に至り、その後現在に至るまでの十年余、一途に「ねこの詩」を書きつづけておられるのです。
第一詩集の「1 みいこ」の中の

  庭に クローバーの花が咲いた
  猫の一家は 横に並んでゆっくり歩く
  芝生は 仔猫の背丈に ちょうどよい高さで
  ほら これが芝草の匂い
  こちらは たんぽぽの花
  あれが蝶  (冒頭の部分)

のような詩から始ってほとんど猫の詩です。
あえて言えば、俳句作者に牧さんのような一つのテーマなり、一っの物を詠みつづける人がいてもよいし、不思議でもないと思います。
いつも私が提唱しているように、「すべての分野(季語の範囲)を器用に詠みこなす俳人」を養成するつもりはありません。
ただし「すべての分野を理解する(分かる)俳人を育てるのとはおのずと違います。
いろいろの句を自分では詠めないが、いろいろの人の句を分かろうとする作者にはなってもらいたいと私はいつも思っています。