スランプ
ああ、とうとう五月に入っているではないか。作家になって六年目、やっと気が付いたことなのであるが、どうも私は四月、五月というのは毎年スランプに入るらしい。なんにも、少しも、ちょっとも書けないのである。ただ、だらだらと数行をつづるばかり。そして数時間、机に向かい、嫌悪をおぼえるだけ。あとは酒を飲んでいる。逃げているのだ。やなのである。この時期は升目に文字を埋めるのが恐いのだ。なぜか、分からない。理解できない。苦しいだけである。これが広告なら、いくらでもごまかしてやっつけるだろう。しかし小説は最後の仕事と決めているので、それは最低限やらない。結果、SFセミナーで東浩紀さんにからんだり、西島大介さんにからんだり、迷惑ばかり。要するに八つ当たりなのだ。他にもたくさん、ひどいことをいっている(風野くん、福井ケンちゃん、ごめん。山田さんのトークには遅れるし、最低だ)。どうしたものかと、ちょっとだけ、倉阪キーさんに愚痴をこぼすと「まあ、それぞれペースがあるやないか。できることと、できへんことがあるねん。仕方ないやないの」と慰められる。とはいえと今日も窓の外を見る。もう朝の五時だ。しらじらと夜が明けようとしている。さっき牛乳屋が帰ったばかり。新聞を取りに外へ出ると、爽やかな風が大きな木の梢をならし、葉をさらさらとなびかせている。ああ、どこかに行きたいな。釣りに、旅に、野球に、見知らぬどこかに。風が誘うんですよ。砂糖菓子のように。そうか、それが原因なのか。私のどこかに四月、五月に旅をするように植え付けられたトラウマか遺伝子があるのか。私は前世、春祭りのテキ屋だったんですね。要するに、そういうことです。なぜに日記を更新しないのかとリクエストされた方々、浅暮は悶々としているのですよ。ここしばらく日記が更新されなかったのは、それが理由なのです。堪忍してください。で、さてはて。ははあ、だけど、どうしよう。
2004年05月05日 02時03分43秒

あれから
現在、二十年も前の僕、僕がまだ二十歳半ばの頃のことを一生懸命に思い出して書いている。思い出すたびに、ああ、自分はどれだけ、なにもできなくて、よく一人前の振りをしていたなと実感する。通り過ぎてきた過去を振り返ると、靴下は臭かったし、髪の毛はぼうぼうだったし、よくまあ、回りの人々が僕を受け入れてくれたものだと感謝しか思いつかない。
 例えば東京へ出る前の数年、広告業界の営業マンで、なんとかものを書く仕事に就こうとあがいていた僕が、たまたま知り合い、お世話になった大学の先輩に藤澤さんがいる。当時、すでに京都電通でばりばりのクリエーターだった方だが、「どこそこのプロダクションがコピーライターを募集している」とか「なになにの代理店にちょっと欠員ができるかもしれない」などと僕に情報をくれ、そればかりか、面接の段取りをとってくれたり、酒をごちそうしてくれたりした。
 藤澤さんもそもそもは一匹狼として、広告業界で苦労された経験があり、コピーライターという商売が世に認知される黎明期、喫茶店やら飲食店を回って、マッチの裏にコピーを書く仕事をしていたという苦労人だから、余計に駄目な駆け出し前のコピーライターの卵を放っておけなかったのだと今になって、やっとその真意が理解できる。
 その方が今般、定年退職される。時間というのは時に残酷だなと実感する。僕の中では未だに、あの輝くような藤澤の兄貴であり、銀座をさっそうと歩くトップクリエーターだったのに。でも藤澤さんはやっぱり、藤澤さんだ。
 今回、その旨の葉書を頂戴し、退職の記念に自分の今までのクリエーター経験を一冊の本にまとめられたそうな。今週はその出版記念パーティーに京都まで顔を出そう。いや、いかねば義理がすたる。あれだけお世話になったのだから。
 あの当時、安酒場につきあっていただいた藤澤さんが僕に教えてくれた名言がひとつある。「目標を持て。その目標に向かって五年計画で具体的にスケジュールを作って進め。なにか成果を得るには三年では短い。だが五年以上では長い」。
 なんと具体的で分かりやすい助言だったろう。僕はそれを未だに愚鈍なまでに守っている。推理作家協会賞を頂戴したとき、藤澤さんは近所のバラ園から花束とともにメッセージをくれた。「やったな。もっと、がんばれ」と。僕は本当にどうしようもない人間だけど、唯一、人に自慢できるのは師匠・先輩・友人に誠に恵まれていることだ。どうして僕みたいな駄目な奴に、みんな真摯に付き合ってくれるのか。間違っても人格などとは、思っていない。ではなにか。運だ。僕が人に自慢できるものがあるとすれば、才能も根性もないけれど、人間運だけは天が与えてくれた財産だと、つくづく思う。
2004年03月07日 02時59分14秒

猫について情報を
 猫について書いている。久し振りの更新になってしまって大変、皆さんには申し訳ないけれど、どうにもこうにも、いつもの執筆状況になってしまっていて、昼夜逆転という僕のよくない生活癖が出ているから、一日が短く、ちゃんと時間の配分ができないのである。電話で打ち合わせしなければならない人、メールに返事しなければならない人、いろいろ困ってられるだろけれど勘弁して欲しい。
 さて今、なぜ猫について書いているかというと、今年の書き下ろしの第一弾がそれだからである。すでに原稿を二社に渡しているけれど、ただ今のホットな執筆中作品はK社から頼まれた文庫の書き下ろし。「ファンタジーかSFでよろしい」というお墨付きをもらっていて、じゃファンタジーでとお願いしたが、いろいろプロットを考える内に、やっぱり普通のファンタジーでは物足りなくなるという生来のへそ曲がり感覚が始まって、ではなにを書くかいろいろと考えた末、ファンタジーと私小説とエッセイのすれすの境界線を書けないかと思ったのだ。
 アイデアの発端はファンタジーで動物小説をと思ったのが始まりで、それを考える内に自分の東京での青春時代、二十四から三十までの貧しい時代に同居していた猫について思い至り、それがそのまま、青春自伝小説にも絡められないかと発展させると、小説よりもエッセイに近づいた記述方式がよいのではと思いいたった(倉阪キーさんの活字狂想曲みたいなイメージも頭によぎっていたんだと思う)。
 ただ、こういった私小説の部分のあるものはプロットの効力をいかせる部分が少ない。フィクションの魔力が効果を発揮しづらいからだ。一方、重要となるのはそのとき、その時期、自分はなにをどのように感じ、行動したかという記憶で、それを必死で思い出しつつ、ぽつりぽつりと書いている。
 僕は平行して作品を書くことができないタイプなので、今書いているものがすべてで、これが終わるまでは次へと進めない。別のホームグラウンドであるK社の書き下ろしも、それから多大な期待を寄せてくれているS社の作品も早く取りかかりたいけれど、とにかく前倒しの二つが終わらなければ、正月が明けないのだ。
 そんなわけで浅暮はただ今、おこもり状態です。誰か猫について覚えている変なこと、変な体験があったなら、助けると思って掲示板に書き込んでください。二月一杯に終わろうと思っていたけれど、少しずれこみそうだな。でも三月の第二週までには絶対に終えておくつもりなのだ。次があるし、ちょっとは遊びたいんだから
2004年02月28日 23時14分05秒

いろいろ
 皆様いつも日記の更新が遅れて、もうしわけありせん。少しばたばたし続けている昨今でありまする。さて、ここのところ年末からいろいろな面白いお話が続いているのは掲示板の方でご報告している通りでござんして。まず「石の中の蜘蛛」を韓国の方が翻訳したいとの話。異形コレクションなどの短編をイタリアのアンソロジーに収録したい。それから「10センチの空」を教科書に掲載したいなどなど。初の地上波TV出演があったかと思うと、いろいろな話が湧き起こって、ダ・ヴィンチの「針」のインタビュウもありました。ううむ。どうも、人間というのは行動を起こすバイオリズム(私に対するアクション)というのは周波が同期しているのだなと実感しています。先月、教科書の掲載案を頂戴しましたが、第二章の頭から段落二つ分(P42〜54まで)。教科書のページにすると10ページ分もスペースを割いていて、え? いいのか、オジチャンの小説なんかをこんなに掲載してと当惑しております。まあ、検定というのがあるそうで、実際に生徒の皆さんが教材として僕の小説を読むのは二年間後になるのですが、それまでに変な事件、悪い噂を起こさないように自粛しないといけませんね。とはいえ、爽やかな「10センチ」の後はどろどろの「針」をすでに上梓してしまっていますから、手遅れかな。出版社の方、検定に落ちたら勘弁してくださいね。今年は「針」の後にスラップスティックなミステリーと週刊アスキーの連載の二冊がまず続きます。そしてK社の文庫フェアに薄目の書き下ろし、別のK社のノベルスに「鯖」の続編をと、年間最低四冊を予定しております。S社の大仕掛けの小説は春以降から全力投球となるはずです。毎月、お仕事をまとめた紙を書斎の壁に貼るのですが、数えてみると現在、書き下ろしだけで、なんと13冊分も注文を請け負っておりました(すでに渡してある二冊分を除く)。短編やらエッセイやらを含めると、あああ、一体、私はどうなることでしょう。嘆いても結末は皆様、お分かりですよね。結論としては、どうにもならない。書くしかない。そして春は近い。魚が呼んでいる。ううむ。

※浅暮三文が参加するバンド「中嶋敬太」ライブ決定! 
●3/8(月) ライブハウス銀座ロッキートップにて 03-3571-1955
会場の地図はhttp://www.asahi-net.or.jp/~sd5h-mksm/rockytop12.htmlをご覧下さい。
●オープンは6:30、ライブは7:30から10:30
●料金ミュージックフュー¥1700、テーブルチャージ¥300と注文分
●ご好評だったタイバンにためいき月の介、浅暮三文の短編朗読セット。
※小さなお店ですのでお越しの方はなるべくテーブルの予約を、キャンセルは当日でもOK。
2004年02月11日 01時54分29秒

祖母について
●1896(明治31)年西口りゆ生まれる。第一回オリンピックがアテネで。
●1897年ギリシア・トルコ戦争、アメリカ25大統領マッキンリー就任。
●1898年キューバ反乱。ゾラ「私は弾劾する」発表。
●1899年ボーア戦争始まる。
●1900年義和団北京事件。フロイト「夢判断」刊行。
●1901年ロシア社会革命党結成。
●1904年日露戦争。
●1905年血の日曜日〜ロシア第一革命。ベンガル分割令。インド国民大会議。孫文、東京で中国革命会議同盟結成。
●1912年バルカン戦争。清朝の滅亡。明治天皇死去。
●1914年第一次世界大戦。日本軍、山東に上陸、11月に青島占領。
●1915年マクマホン、フセインにアラブ独立に関する書簡を送る。
●1916年レーニン「帝国主義論」、フロイト「精神分析入門」、アインシュタイン「一般相対性理論」刊行。
●1917年ロシア二月革命。英バルフォア宣言でユダヤ人にパレスチナを提供。
●1918年日本シベリア出兵を宣言。
●1919年ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)結成。オーストリア皇帝退位。朝鮮独立宣言。北京の学生が排日デモ、五・四事件。
●1920年国際連盟結成。毛沢東、社会主義青年団を組織。
●1921年ワシントン会議。日英米仏四国条約締結。外蒙古人民政府成立。魯迅「阿Q正伝」刊行。
●1922年スターリンソ連共産党書記長に。イタリアにムッソリーニ内閣。モスクワの極東会議に片山潜ら出席。オスマン帝国滅亡。
●1923年、関東大震災。ローザンヌ条約締結。ネパール独立。
●1927年ハイデッカー「存在と時間」刊行。上海で蒋介石クーデター。日本で金融恐慌始まる。毛沢東、江西省に革命拠点建設。
●1929年トロツキー国外亡命。暗黒の日曜日。張作霖爆死事件の責任者処分を発表。連合国のアイルランド撤退始まる。
●1931年満州事変勃発。英マクドナルド労働党総辞職。
●1932年関東軍、上海占領。五・一五事件。ドイツ総選挙、ナチスが第一党に。
●1935年フランス人民戦線結成。
●1936年スペイン内乱。ソビエト社会主義共和国憲法採択。イタリア、エチオピア侵略開始。
●1937年蘆溝橋事件、日華事変始まる。
●1939年第二次世界大戦。ノモンハン事件。日独伊三国同盟条約調印。
●1941年真珠湾攻撃、太平洋戦争始まる。
●1945年ポツダム宣言受諾。
  ↓
 第二次世界大戦後の世界の動きは、ご存じの通り。

●2004年西口りゆ死亡。享年106歳。すべてを見てきたといっても過言ではない人生。晩年は居住地枚方市で最長老だった。あっぱれ!
2004年02月03日 18時57分25秒

針 見本完成
さすがに本日は疲れました。昨日、アスキーで連載している「魔法使い」をS社が本にしたいとオファーを受けているので、約百数十枚書き足して、なんとかこなし、今日は最終チェックとプリントアウト。同時に新連載の釣りエッセイの詰め、日刊ゲンダイのエッセイ、ダヴィンチの四月号のコラム、e-NOVELSのファイルの訂正。「魔法使い」のPDFファイルの著者校正……。暮れからまったく休み無しで仕事をしているのに、まだ書き下ろしにかかれないという状況です。情けない、悔しい、申し訳ない。ただひとつ嬉しかったのは新作「針」の見本が早川書房から届いたこと。
2004年01月21日 02時45分07秒

DVDを獲ったぞ
皆様、新年明けましておめでとうございます。ながらく日記を更新せずに申し訳ありません。その間、浅暮三文は徳間書店の新作「10センチの空」、来年一月二十三日に出る早川書房Jコレクション「針」(BK1にて予約発売中!)を仕上げ、さらに今年の新作二本のプロットを昨日送り、大晦日の今晩は来年から新装開店となる問題小説の釣りエッセイを書いていました。明日からは週刊アスキーで連載中の「魔法使いは缶詰にいる」の単行本化に向けて書き足しの作業に入る予定です。小説家には盆も正月もない。  などと書きつつ、こっそり年末恒例の釣り大会にも参加いたしまして、今回は目玉賞品であるDVDをゲットしてきました。前回は名誉のためにチャンピオン狙いだったのですが、今年は週刊アスキーの編集担当のK田さんが、TV放送されたウォッチのインタビュー(山本一力さんと「10センチの空」について対談しました)をDVD録画してくれていたので、当方になかったそのDVDプレヤーをどうしても獲得しなければならなかったのです(K田さんだけでなく、大森望兄さんにも推協賞のときのスピーチをDVD録画して戴いていたのですが、プレーヤーがないため、ずっと見ることができなかった)。  ところが我々の釣り仲間は、まったく底意地が悪く、簡単に賞品を獲得できるようにはしておりません。今回の釣り大会のシステムは、チャンピオンはトロフィーと名誉のみ。さらに大会でもっとも大きな魚を釣った大物賞も別の賞品。会長賞として与えられる目玉賞品のDVDは、魚種を問わずに二番目に大きな魚を釣った者に贈られるのです。但し43センチを越えていなければ失格。そのためには、大きすぎず、しかし大きくなければならないという、矛盾した釣りをしいられます。  大会が開催されるいつもの釣り場は、大物では五十センチオーバーがときおりでるのですが、通常のビッグフィッシュは四十五、六センチと考えてよいところです。ですが大きいサイズを釣るというのは、割合に難しいことで、四十センチクラスとか、五十センチクラスというのは、針かがりした段階で手応えで分かるのですが、四十五、六センチ以下43センチ以上という身体測定のように狙って釣るのは、まず不可能です。とはいえ、僕は43.5センチを朝一番にゲットし、とりあえず、第一目標はクリアしました。残りはもう少し大きめの44〜45センチ辺りを抑えておけば、なんとか射程距離には入るだろうと、リキをいれたのが、大失敗。大会規定には一時からの昼食に遅れた場合は、午前中の記録は無効になるというのがありまして、当日、腕時計を忘れていった僕は、あっと気が付くと十五分の遅刻。関係者全員一致で記録が白紙にされたのです。  それからの午後の釣りは何度、大物に糸を切られたことでしょう。目の前に寄せたブラウンや虹鱒は明らかに45〜6センチクラスが三匹はいました。ところが午前中の記録無効というのが頭にちらつき、思わず無理矢理に、また思わず馬鹿丁寧に魚を寄せようとしてはぷつりと無情にも糸が切れること……。とうとう最悪の結果に終わったのでした。しかし、釣り仲間は厳格ですが無慈悲ではありませんでした。大会規定として会長賞に匹敵する選手がいない場合は、賞品授受は会長の判断によって決定するという規定があり、まあ、記録としては無効だが、釣ったことには変わりないし、今年は小説で賞もとったし、堪忍してやるかということでDVDは無事に当方の手に。ありがとうございます、宮澤会長。おかげさまで、TV放映も、授賞式のスピーチも目にすることができました。来年は、切れない太めの糸を用意して、名誉を挽回してみせるぞ。ちなみに今回の大物は47センチの虹鱒。二番目の大物は42センチ。チャンピオンは前々回の優勝者の遠藤さん。ふう、危い、危ない。43.5センチときっちり計っておいてよかった。
2004年01月01日 03時39分09秒

さてはて
 忙中閑あり。とはいえ来年度に向けて進行中の仕事のプロットを、あれこれまとめなければならないのだが、十一月でたまっていた仕事は一区切りついた。少しのんびりしつつ、プロット作業に従事しよう。で、ちょっと暇ができたのだが、その時間を何に費やすか、となると僕は暇つぶしが苦手で、そうそう、あれをしようということがすぐにピンとこない。楽器練習でもするか、とマンドリンに手を伸ばしても五分ほどで飽きてしまう。本でも読むか、と思っても今のところ、もの凄く読みたい物が手元にない。釣りに行くにはシーズンオフだし、結果、こうやって日記を書いているというテイタラク。  最近、なにがどうしたのか、どうもインタビュウやら取材やらが多い。こんなマイナーな小説家になにを聞いても、どうということないと思うのに、どうしたのかしらん。先日はなにやらムック本に載せたいってことで御茶ノ水でインタビュウ。インタビュアーはご存じの笹川の笹やんなので、気は楽。案の定、終始、なごやかに、かつこれで記事になるのかといった世間話をして、結局、居酒屋へ流れていった。  続いて講談社の新担当のT中ケンちゃんからメールがきて、新聞の別刷りに紹介したいとの依頼があるから、プロフィール用の写真を送れとのこと。同様の写真送れは12月の新作の宣伝用に書店に送る宣材に必要だと徳間のK治氏からも。これがいつも困った依頼なのだが、当方には著者近影などにつかえるようなちゃんとした顔写真がない。せいぜいなにかのおりのスナップや記念写真ばかりで、そのような場での写真は大概、何人か一緒に写るものである。数人で写っている写真を送っても、誰が誰か分からなくなるので意味がない。唯一、使えるのは二年前に箱根のブルーグラスフェスで、撮ってもらったデジタル写真だけ(重宝してます。ブルーグラス・フーズ・フー、感謝)。一度、ちゃんと使えるのを用意しといた方がいいのかな。さらに来月はどうもテレビのインタビュウもあるようだ。はっきりしたら、またここに書きます。新聞は朝日の別刷りBEで12/7だとか。ムック本は文化社のミステリーに関する物。お目に止まれば幸いです。 ところで、皆様。皆様のお近くの書店で我が可愛い「ダブ」はいかがな様子ですか。ぜひ、売れ行きにの感じなど掲示板にお書きいただければ幸いです。ちょっと気になる感じなもので。よろしくお願いします。
2003年12月01日 03時09分59秒

帽子の男
食事中に特命リサーチを見ていたら異形に書いた短編「帽子の男」が出てきた。おやおやと思うと、当方が知らなかった情報が伝えられるではないか。なんとあの帽子の男は西ドイツ人ということなのだ。そもそも日本の交通標識のいくつかは国際的な取り決めのものをそのまま採用しているそうだが、あの帽子の男もそのひとつでヨーロッパが始まりらしい。そして最初に彼を採用したのが西ドイツなのだそうだが、今はあちらではその標識を使っていないらしい。代わりに母親が子供を連れているデザインに変更されているという。なぜかというとあの男が少女の手を引いている図柄は少女誘拐を彷彿させて、あらぬ刺激を与えてはならないからだそうだ。そう感想を示したのは西ドイツの首相だったという。そうか、奴は少女誘拐のぬれぎぬさえかぶせられていたのか。帽子の男について調べて欲しいというのは視聴者からの投稿だったらしい。みんなあの男のことが気になっていたのね。そうそうずっとうっとうしかった日記冒頭部に刷り込まれていたライブ告知の文章を削る方法が分からず、日記を新たに上書きしてしまった。きっと保管するのを忘れた部分があるやらもしれませんが、ま、消えちゃったんだから、仕方ないやね。ということで勘弁してね。なんとかメフィスト、小説すばる、来年出る早川書房と怒濤のゲラ戻しを終えて一段落。月末までにエッセイと、もしかすると短編を書かなくちゃならんのかな? 一応、用意しておこうかな……。いざとなってからでは遅いものな。うううむ。 2003年11月24日 02時03分39秒

スピーチ
倉阪キーさんや福井健ちゃんが楽しく京都でSFしている頃、浅暮三文は六本木でスピーチをさせられていた。結婚式である。まったく結婚式のスピーチというのは、ご勘弁願いたい。もっとも緊張する場である。それにほとんどの参加者は初対面なので、なにを話していいのか分からない。僕がもっと有名な小説家ならまだそれなりになにか手がかりがあるでしょうが、それも便りにならないとなるとどうしたものやら。一方で新郎新婦は僕を小説家としてスピーチさせたいとの希望だ。まいった。仕方なくショートショートを作ってそれをプレゼントしたが、案の定、ほとんどのお客さんはなんのことやらと首を傾げているし、そもそも司会の女性がスピーチ前に読み上げた僕のプロフィールなんか聞いていなくて、あいつは誰やねんという顔をしていた。ま、仕方ないやね。それはそれで、いいじゃない。要するに人に耳をそばだたさせるスピーチにはまだまだ腕が足りないということなのだから。しかし京都で東さんと麻雀やってみたかったなあ。
 明けて日曜日は我がバンド「中嶋敬太」のライブ前日練習。シビアでした。指はぼろぼろ、マンドリンの弦の痕がきつく指先で溝になり、それでも翌日のステージは夜七時より、四十分ステージを三回。久し振りのためにかなりしんどく、最後は汗だくでした。途中にはさむMCもやらねばならないし、そもそも覚えていたソロやオカズも話しながら脳の別の部分で確認するという、久し振りの左右脳稼働を体験しました。構成はファーストステージは中嶋敬太のみ。セカンドステージは中嶋敬太→浅暮三文コーナー(本のプレゼントと短編の朗読)→ためいき月之介のオリジナル弾き語り。サードステージはぶっとばしの中嶋敬太、早い曲特集。おかげさまでアンコールを二曲も頂戴する大盛況。満員のお客さんでとても楽しく演奏できました。お越し頂いた皆様、大変有り難うございます。さっそくメンバー一同、次のライブについて調整中です。おそらく来年二月頃、またお目にかかれることとなりましょう。 2003年11月20日 02時11分31秒

私のホームページへ | Hollywoodのページへ | メイン | 今すぐ登録