あの名場面の直前を描く!
「先生、出番です!」第三回

「行って来まーす」
・・・って言っても誰も居ないか。しのぶは低血圧だから朝早く起きられないのは仕方ないけど、早人は大丈夫かな?学校遅刻しないのかなあ・・・まあいいか。そういえば最近アイツの顔見てないなあ・・・帰りはなるべく早く帰ろうと思って居るんだけど、帰るといつもアイツは部屋に閉じこもって出てこない。だんだん難しい年齢になってきたからなあ・・・たまには男同士、風呂でも一緒に入ってハダカの付き合いをしたほうがいいかなあ・・・
川尻浩作は32歳のサラリーマン。一つ年下の妻と、小学5年生の息子が居る。
家は一戸建て・・・とは言っても借家だが、なかなか広くて駅にも近いので気に入っている。
会社は中堅どころの商社の支店。彼はそこで営業をやっている。
就職時はバブル景気でドンドン採用してもらえたのだが、彼の会社にも最近リストラの嵐が吹いてきた。
愛する妻のため、息子のためにも少しでも出世しようと会社には早目に出かける。
しかし早く行けば出世するってもんじゃあないのだが。

最近朝食抜きで学校に行く子供が増えてるって話だが、アイツちゃんと食べているのかなあ・・・オレは朝は食欲無いから牛乳と夕べコンビニで買って置いた菓子パンだけで十分だけど・・・でもあれ?牛乳古かったかな?腹具合がおかしいぞ・・・うう
川尻浩作は駅に着くや否や、WCに駆け込んだ。そしてズボンを下ろしてしゃがみ込み、何とか無事用を足したのだが、紙がない。慌てて駆け込んだのでトイレットペーパーの有無を調べるのを忘れて飛び込んだのだった。
こりゃ大変だ。ティッシュティッシュ・・・と無い!(泣)ああ、いつもそんな物はしのぶは用意してくれないし、会社に行けば箱のティッシュで鼻かんだりするので今は持って居ない・・・ああどうしよう
ふと足下を見ると、何やらクシャクシャに丸めた紙屑が落ちている。
つまんで拾ってひろげてみるとそれは一枚の宝くじだった。
う〜ん・・・紙は紙だけどなあ・・・これ一枚で尻を拭けるかどうか・・・そういえば昔何かの本で、キャラメルの包み紙でウンコを拭う方法ってのを読んだ覚えがあるけれど、あれはどうやったんだっけ・・・
彼がWCにしゃがみこんだまま、それを思い出そうと考えを巡らせていると、そのドアをドンドンと叩く者が居る
「もしもしー!!WCの中にカバンを忘れたんですが、そこに有りませんかあッ!?」
ふと見ると棚の上にボストンバッグが置いてある
「有りますよ〜」
「良かった!!早く出て、そのカバンをください!」
「そんな事言われても・・・そうカンタンに出られないっていうか・・・紙が無くて困っているんですよ。何か有ったら下さい」
「ティッシュでしたらどうぞどうぞ!!」
ティッシュペーパーが足下の隙間から手渡され、川尻浩作は事なきを得た。
そしてカバンの持ち主は無事忘れ物を取り戻すことが出来た。
「ああ助かりました。お礼と言ってはなんですが、これをどうぞ」
渡された物は一冊の本だった。
なんだこんなもの・・・金くれよ金
そう川尻浩作は思ったのだが、ピンチの所ティッシュペーパーを貰ったわけだし、ニッコリ笑って素直に受け取った。
『パーティ・ジョーク百選』?なんだこりゃ
それはくだらない文庫本だった。駅で買って目的地に着くまで読んで、あとはポイッとゴミバコに捨てられるような、何の重みもないただの読み物だった。
くだらないな・・・でもまあ、読んで見ようか
30分程度の通勤時間だったが、その本のほとんどは読めた。そして川尻浩作は駅のゴミバコにその本を捨てた。

会社に着くと駅で手間取ったせいか、もうだいぶ社員が来ていた。そして一番苦手な部長も・・・
「川尻くん、昨日の見積もりの件でちょっと・・・」
しまった!昨日の書類、見直さずに提出して帰ったので、朝早く来てもう一度チェックしておくつもりだったのに、部長に先に見られた?!
「これ!この数字は・・・」
「申し訳ありません部長!すぐに訂正します」
「何?何を言っているんだね川尻くん。私は誉めているんだよ。ここに掛かれた項目、普通みんな省略するか、こちらの項目に一緒に合わせて計上してしまうものだが、キミはちゃんと個別に出している。この細やかな配慮がキミらしくていいと言うんだ。いや・・・実はいつも『簡略化』『時間の節約』を提唱しているワシだがな、夕べ経済セミナーに参加して、無駄だ無駄だと省略してきた物の中に経営戦略のヒントがあると言うのだよ。確かにキミの書類は無駄が多い。しかしこうやって全部の項目に目を通すとき、いままで見えて来なかったものが見える気がするな」
「本当ですか?」
それはボクが朝イチで書き直そう、削除しようとしていた項目だった。いつもそれを書くたびに部長が『無駄な項目が多すぎて見にくい』と文句をいうからだ。ラッキー・・・ティッシュの件といい、今日はツイてるぞ

それから昼になると川尻浩作は部長のお供で取引先の社長との会食に行った。
ここの社長は気難しい人で、部長は話題をつなぐのに苦労している。しかし川尻浩作とてそう話し上手な方でも無いので、パッといい話題が思いつかない。
部長が目で「なんか言え」と言って来る。窮地に立たされた川尻浩作のクチをついて出てきたのは・・・
「初対面の重役風の紳士がふたり・・・」
それはさっき彼が電車の中で読んでいたパーティージョークだった。
部長は彼の言動にギョッとして目をむいていた。
川尻浩作は続けた。
「初対面の重役風の紳士がふたり、パートナーになってゴルフを始めたんです。やがて第9ホールまできた時、先にいるふたり連れの中年女性に追いつきそうになり、一人が言いました。『いずれご紹介しますが、あの鬼婆ァみたいなのと並んで打っている女性、実はウチの家内なんです』そうひとりの紳士がいうと、もうひとりの紳士は苦虫をかみつぶしたような顔をして、言いました。『実はわたしがこれから言おうとしたセリフですよ、それは!』
場は一瞬静かになり、川尻浩作はシマッタと思った。
しかし次の瞬間、社長の笑い声が響き渡った。
「ワッハッハハハ」
驚く事に、社長は気難しい人に思われていたが、昔渡米していた関係で、パーティージョークには目が無いのだった
「もっと無いか?川尻くんとか言ったな。聞いたことの無いジョークだ。面白い、もっと無いか?」
「ええと・・・ある男が言いました。『君は独身だったっけ?』友人が答えて『いや、結婚は3度したけれども、3度とも妻が死んでしまって・・・』そこで男が『そりゃ気の毒に。で、3人ともどうして亡くなったんだい?』と聞いたら友人は『はじめのふたりの妻は、毒キノコを食べて死んだんだ。しかし3人目の妻は、頭蓋骨の骨折だった』と答えました。男が『どうしてそんな事に・・・』と聞いたら、友人の言うことには『なにしろ3人目のやつはしぶとくて、毒キノコを食わせても効かなかったから・・・』」
「ワッハッハッハ」
「アッハッハハ」
今度は部長もお追従笑いをした。川尻浩作はこんなにウケるなんて思わなかったので驚いた。
「もっと無いか?もっと」
川尻浩作はテストはいつも、前の夜に徹夜で詰め込んで、テスト後にはあっという間に忘れるタイプだった。しかし朝読んだ本なので次々と思い出す。   
「医者が、ケントの奥さんの口に、体温計をふくませて言いました。『さあ、奥さん。それで、5分間は、何もしゃべれませんよ』 すると、側で心配そうにしていたケント氏が、小声で医者に言いました。『先生。その便利な道具は、どこに売ってますかね』」
「ギャッハッハッハ」
接待は大成功、契約も上手くいった。

「いやあ川尻くん、キミがあんなに気の利いた冗談を言えるなんて思わなかったよ。あの社長も、あんなに冗談が好きだとは知らなかったが、大手柄だ。次の商談の際もぜひ、同行してくれたまえ」
部長は満面の笑みをたたえて川尻浩作の肩をたたいた。
パーティジョークねえ・・・もうちょっと仕込んでおこうかな。ああ、あの本捨てるんじゃなかったな
そう思って川尻浩作はポケットの中に手を突っ込んだ。何か有る。
取り出して広げてみるとさっきWCで拾った宝くじだった。無意識にポケットに入れていたのだ。
うわ、汚ねえ
そう言ってゴミバコに捨てようとした矢先、同僚の机の上の新聞に目がいった
まてよ・・・当たっているかも知れない。なんせ今日は我が人生で10年に一度有るか無いかのラッキーデイだから。
そういえば・・・前にもこんな日が有った。12年前・・・しのぶと初めて出会った日だ。合コンで一番輝いていた彼女が選んだのはなんとこのボクだった・・・あれは嬉しかったなあ・・・あの時も、前日TVで見た漫才の話で花が咲いて、彼女はボクの前でケラケラ笑って・・・それからお酒を飲んで・・・彼女が気分が悪いと言ったのでホテルに連れ込んで・・・あの日はトントン拍子に上手いこと行ったなあ・・・子供が出来て結婚まですることになったけど、今でも美しい愛する妻だ。まだ若い身空で子供を産んで家を守ってくれている・・・文句を言ったらバチが当たる。彼女の青春のほとんどを、オレは自分のものにしてしまったんだからな。
川尻浩作は昔のことに思いをはせ、しばらくボーッとしていたがハッとして我に返った。
目の前で数人のOLがクスクス笑っている
「川尻さんってなんか、いつまでも少年の心を持っているってカンジで素敵よね」
「まじめで努力家、なのにカワイイ所あるし・・・母性本能くすぐられちゃう」
「奥さんがうらやましいなあ」
そんな話が聞くとも無しに聞こえてくる
しかしOLがすり寄って来ても川尻浩作は浮気などしない。彼は妻一筋なのだ。川尻浩作は新聞に目を落とす。
「あっ・・・あああ〜〜〜〜ッ!!」
やっぱり当たっていた!3等で100万円だ!!夢のマイホームは買えないが、たまっていた家賃は一気に返せる。それにこれだけあれば、家族旅行だって出来る。もうすぐシーズンだし、しのぶと早人を連れて北海道でも行こうか・・・いや、やはり暖かい沖縄がいいかな・・・結婚して12年、子供の小さい頃はそれどころじゃなかったし、子供が大きくなってからは景気が悪くなって・・・結局一度も旅行になんか連れていった事は無かったからな。よし!最近しのぶは『つまんない』ばっかりくり返してるし、早人とのコミュニケーションの為にも、行こう!!
川尻浩作は決意した。そして彼はOLや同僚達に「良いことが有ったんだ」とケーキをおごり、退社時間を待ちきれないように急いで帰った。

駅前に旅行社・・・有ったよなあ。早速手配して、段取りの良いところを見せてやるんだ。しのぶはいつも『アンタってトロイ』と言うけれど、オレだってやる時はやるんだから。ああ、何かおみやげも買って帰ろう。残業無しに帰れるのも久しぶりだ・・・今日はいい日だな・・・本当に・・・・あと10年の間に、こんなに良い日がまた来るんだろうか・・・
川尻浩作は駅に降り立った。周りも会社帰りのサラリーマンであふれていた
ええと・・・旅行社・・・最近出来た・・・あれ?あの建物だっけな・・・看板が出ていないけどこりゃ喫茶店かな?なになに?『幸せをつかむメイク致します』なんだろこれ・・・
川尻浩作はフラフラとその建物に引き寄せられた。
それが彼の「ここ10年間で一番いい一日」に起こった最後の出来事だった。
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