瑞雲の法話「仏の教えをわかりやすく、少しずつ」
仏像彫刻と法話の世界

仏師、瑞雲の法話(第2章)
仏像画像付き

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仏師、瑞雲の法話第2章
法話22,今の一瞬を生きよ。
法話21,神聖なるホ−ムレス
法話20,人生は旅、人は旅人
法話19,煩悩の火を消す
法話18,出家者の道(完結編)
法話17,出家者の道(その2)
法話16,出家者の道(その1)
法話15,どんな家にお住まいですか?

第1巻 第2巻
仏師、瑞雲の法話集第1巻 仏師、瑞雲の法話集第2巻
第1章  法話1〜法話14 (2000) 第1章 法話101〜113
第2章 法話15〜法話21 第2章 法話114〜126
第3章 法話22〜法話29 第3章 法話127〜140
第4章 法話30〜法話39 第4章 法話141〜153
第5章 法話40〜法話48 最終版 法話154〜
(仏師瑞雲の法話最新版)
第6章 法話49〜法話57 (2001) NEW
第7章 法話58〜法話66 2011以降の新法話
第8章 法話67〜法話76 ますます、おもしろくなった
仏師 瑞雲の仏像彫刻と法話
第9章 法話77〜法話87 (2002)
第10章 法話88〜法話100

法話22,今の一瞬を生きよ。

 5月26日の新聞によると、借金苦から自己破産する人が急増している。99年度は前年比18%増の約12万人3千人、自殺者も98,99と2年連続3万人を突破する勢いで、自殺の原因が「生活、経済」が一番で99年は98年の6.2%から18.4%へと増えている。 長引く不況の影響、突然のリストラ、給与やボ−ナスの目減りに加え、クレジットカ−ドで簡単にサラ金から、返済能力を越えるお金を借りられる事が、更に離婚や家庭崩壊という不幸をもたらしている。公的機関や消費者金融業界の対応は功を奏していないのではと思います。
 3万もの人が最後の選択である自殺に陥るということは実際には100倍の300万人位の自殺予備軍(いつ自殺しても不思議でない人々)がいるのではと推測しております。もともと実体のないお金のために、大切な人生を失うのは悲しいことであり、通帳の残高に「0」の字が幾つついているかで、多くの人が喜び、また、苦しみ悩んでいるのは、「お金」という物差しで全てを計ろうとする貨幣社会の実態であります。

 人ははからいから、富に執着し、お金に、名誉に、命にまで執着する。大空に東西の差別はないのに東だ西だと大騒ぎし、お金の量に多少の差別はないのに通帳の「0」の字を見て満足したり悲しんだりしている。もともと、人類が誕生したとき、こうした差別の偏見はなかったはず、人間の身勝手な欲から勝手に作られた宗教、価値観であります。
 「法句経」に、まだこない未来に期待したり、心配してはならない。過ぎ去った過去を追って悔いていてもいけない、全てのものは小川の泡のように現れては消えながら、流れていく。未来と過去に取り越し苦労していたら、いずれは刈り取られた葦のように痩せしぼむ。 過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きなければならない。ものみな移り変わり、現れては滅びる。生滅に煩わされなくなって、静かさ安らかさは生まれる。信仰を持ちなさい信仰はこの世の最高の友、富、糧。他人や社会のため功徳を積むのは、この世の最上の営み。仏像や仏像の画像を見て今に集中し煩悩の炎を消すことは有意義です。


法話21,神聖なるホ−ムレス

 5月21日の読売新聞に、アメリカ、シリコンバレ−(カリフォルニア州サンノゼ)でホ−ムレスが増えているという記事がありました。あれえ? 好景気が続くアメリカでなぜと思って読んでみますと、好景気と情報産業の集中、ハイテク技術者の高額報酬で土地が値上がり家賃を払えなく、しかたなく、住み慣れた家を手放す人が増えているらしい。また、インタ−ネットなどインフォメ−ションテクノロジ−の急速な発展により、その恩恵を受けている2割の米国人が国民8割以上分の収入を得、貧富の差が大きくなっているということです。FRB議長は「所得格差はアメリカ社会にとって重大な脅威になる可能性がある」と警告しているとのこと。
 私が経済社会に大きな異変が起こり、資本主義、競争主義のシステムがいずれは破局を迎えるときが来ると感じたのは1994年の夏頃でありました。日本ではバブルの崩壊が始まった頃で、約一ヶ月間の間、今後起こる現象、神仏からのメッセ−ジを受けたことがありました。第1章の「仏は見ている」で述べた霊的体験の時期に次ぐ2回目の信仰体験をした時期で、地球の愛が冷え、天罰が下される。神は人を、その魂の向上の為、この世に送られたのであって、人間が勝手に作ったお金のため願わくば、一個人の幻覚であって欲しいと思っております。そのような、メッセ−ジを受けていた頃始めたのが、私の「ア−ト仏像」の世界です。お金と物質社会に酔いしれる人々に「本当の豊かさとは、人生の意味とは何なのか」という問いを投げかけるような芸術が出来れば、そういう彫刻を目指したかった。

 この世に、一つとして、「わがもの」というものはない。全て、ただ因縁によって人の所に来たもので、しばらくの間そこに留まっているだけの話し。もし富が集まってきたら自分一人のものと考えず、出来る限り国家、社会、貧しい人々、今必要としている人々に分け与えなければいけません。(仏教聖典六方礼経引用)
 「裕福な者が神の国に入ることは、なんとむずかしいことでしょう。」(新約聖書ーマルコの福音書第10章第23節)「貧しい人たちに与えなさい、そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。」(同第21節)


法話20,人生は旅、人は旅人

 最近、医学の進歩と食生活の向上で人の平均寿命は80才を越えるまでになりました。戦国時代、織田信長は、幸若舞の「敦盛」を舞いながら「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり、一度生を受け、めっせぬ者のあるべきか」と謡ったといいます。 「下天」とは十界の天上界の一番下の世界のことで、ここの一日の長さは人間界の五十年にあたり、この世界の人々の寿命は人間界の900万年位にあたるらしい。
 まことに、人の世は短く、ただ、あわただしく世俗の事だけが過ぎ去っていきます。皆快楽のとりこになって、ただ己の満足のためにだけ煩悩を働かせ、迷いの人生を渡っているのが現実です。吉凶禍福が次々に起こる道理を知らず、ただお金のことと目前におこる事に嘆き悲しんでいます。

 この世のものは皆移り変わり滅び、頼りとなるものは何一つないのに、なぜ、道を求め永遠の生を求めようとしないのでしょう。道を求めるとは、心を清くして良い行いをすること永遠の生とは、その善行の報いとしての成仏であります。お釈迦様は、「悟りの木の実を求めて生きよ」とお説きになられました。臨終の前に、「ああ、いい人生だった。色々な経験をさせて貰った。他人を泣かせることなく、この世を汚さないで生かしてもらった。有り難う、さよなら」と最後にお礼の言葉を言えるような生き方をしなさいと教えられたのです。
 人は一人生まれ、一人死んで行かなくてはならない。しかも、此の世で犯した罪は背負って行き、永遠にその償いをしなければならない。誰も変わってくれるものはいません。これが此の世とあの世の掟、知らないとは愚かなことではないでしょうか? 昨日、無念にも国家のために尽力されながら62才の若さで黄泉の国へ旅立たれた小渕前首相 に心からご冥福をお祈り申し上げます。


法話19,煩悩の火を消す

 ゴ−ルデンウイ−クいかがお過ごしでしたか? この期間、国内では若年者の犯罪が相次いで報道され、日本中を震撼させました。バスジャックといい、わずかな金ほしさのため、罪なき人をまるでゲ−ムでもするかのように簡単に傷つけ死に至らしむるのはとても人間の業とは思えません。
 仏教的に見て、原因は明らかに金や物質への執着、悦楽への執着、自分自身への執着であります。そのために、よこしまな思いを起こして、正しく世間を見ることが出来なくなって結局、迷いの身を生じ悪業を起こすことになってしまったわけです。煩悩の起こるままふるまうことの恐ろしさをこの事件は教えてくれたのではないでしょうか。
 情報過多の時代、しかも真に若い人々を訓育する機会の少ない現代にあっては、ますますこういう事件は増えてくるでしょう。

 仏典に、この世は三つの火が燃えていると説かれています。一つは、気に入ったものを欲しいと思って正しくない考えを持つこと。お金欲しさの為、憎しみのない人を傷つけるはこの火で「むさぼりの火」といいます。二つ目は気に入らないものを見て、正しくない考えを持つことで、ちょっと馬鹿にされたぐらいで人を傷つけたりする、{いかりの火」といいます。三つ目は、無知のため、やらねばならないことと、やってはいけないことが判断できない「愚かさの火」で、これら三つの火は何処でもいつでも誰にでも燃え上がる可能性があるものです
 どんな人でも、この火の一つでも持てば、身を焼かれる思いをしなければならない。いかに立派な御殿に住んでいても心が安まらない。人はこの煩悩の火によって悪業を起こし悪業によって未来永劫苦しみを受けることになる。だから、気に入ったものがあっても、正しく判断し、気に入らないものを見ては慈しみの心を起こし、いつも無我の心を保ち、煩悩の火を消すよう努めなければなりません。


法話18,出家者の道(完結編)

 四月は国内で大きなニュ−スが2,3ありました。その一つが北海道、有珠山の噴火です。三原山や雲仙の火山噴火等、大自然の驚異に、いくら科学文明万能の時代とはいえ、人の世のはかなさを改めて感じた人は私一人ではありませんでしょう。
 源信の「往生要集」には地獄は「一千由旬の下にあり」とありますが一由旬は約14キロなので1万4千キロくらいの地下に地獄はあるということになります。あの灼熱の溶岩は地下のマグマとつながっていて、そこはまさに仏教で説く地獄に堕ちたる者の住処です。
 「往生要集」で興味深いのは、地獄にも罪の程度により様々な苦痛の世界があって、一番どん底の無間地獄は僧侶など知識人が多いということです。出家の身でありながら金欲に身をゆだねたる者の最後に行くところ、僧俗にかかわらずむなしく信者からの布施を食える者、仏教を著しく誹謗した者も同罪でここに落とされます。一番軽い罪の人が落ちる地獄でさえ1兆6千2百億年間苦しまなければならないのですから、もし本当ならこれは大変なことであります。お釈迦様が戒められるように、正しい心で、出家、宗教の仕事をせねばなりません。
 出家者に対しては少々きつい法話になって申し訳ありませんが、あまりにも現在の姿に怒りを覚え失望し、かつ仏からのご下命と思い「往生要集」(984年頃)を引用した次第です。源信のいらした時代、僧侶が権力をもち政治への癒着、俗化に警告を発せられたとも思える、この「往生要集」をもう一度読んで貰いたい。


法話17,出家者の道(その2)

 法句経には「恥じる心がなく、烏のようにあつかましく、他人を傷つけて生きる人は生活が楽になろうが、こういう人は心が悪と欲にむしばまれて来て、次の世に生まれるときは地獄、畜生に生を受けるばかりか、生きている間に哀れな結末を受ける。謙遜の心を持ち、他人を敬い、執着を離れて清らかに生きることはなし難しいが、最後に
勝利の花が飾られる。」と説かれています。
 お釈迦様のいらした時代は貨幣社会がまだ発達していなかったことと、インドは一年を通して暖かいですから衣食住にそれほど苦労することもなかったと思われます。出家者にとっては、修業に専念できる最高によい時代であったわけです。また人々も、出家者を心から尊敬でき、お布施も出来たことでしょう。
 ところが、現代のような末法の世になってくると、特に日本のような経済大国では富と地位、享楽に心を奪われる確率が大きくなりますから、出家者らしく生きることはまるで逆風に向かって歩くようなもの、修行がきつい時代であります。拝金主義が蔓延している世間に正法(真の教え)を説くのは焼け石に水をかけるようなもので、努力も土の中に埋もれてしまうかもしれません。

 前にも述べましたが、仏は一瞬にしてあらゆる人々の性格を知り尽くしていらっしゃってどういう心を持ち、どのように生きているかお見通しなのです。出家者がいつ、欲と金に頭を下げて、その虜になるのか悲哀の思いで見ておられる。
 昔から、坊さんは三代続かないと言われるように、お布施は罪障の金、恐ろしいものであるということを考えないと、結局、一番損をするのは出家、僧侶、宗教家と呼ばれる人たちであります。誠にこの世は貪りといかりと愚かさの火が燃えている火の家、汚れをもった風呂桶。頼れる人も出家者も誰もいない。だから人は今の世の有様を見て、それぞれ尊い清らかな心を守らなければならない。動揺のない境地はそこから生まれましょう。


法話16,出家者の道(その1)

 4月19日の読売新聞の記事に、ある宗教法人が信者から修行料名目でやく800億円のお布施をだまし取ったという記事がありました。お布施は郵便為替で振り込む仕組みになっていた。幹部はこれから詐欺容疑で事情聴取を受けるらしい。信者から集めたお金は、豪華な教団施設建設と不動産関連投資に使われていた。

 仏典に、お釈迦様は、わたしの弟子は家を捨て世間を捨て財を捨てなければならない。それでこそ出家とよばれるとあります。衣を着ているから出家なのではなく、経を読んでいるから出家ではなく、大きな寺院に住んでるから出家ではなく、外形が出家の形をしているだけのこと。

 いつから宗教が集金業という卑しい業種になったのでしょうか。「宗教は民族のアヘン」とまで言った大政治家もおりました。  仏教では、釈迦の滅後五百年間を「正法時代」と呼び、正しい仏法(教え)が行われる。次の五百年を「像法時代」といい、正法時代には劣るがまだ正しい仏法を行おうという意欲のひともまれにはいる。その後の一万年を「末法時代」といい、もはや形だけの仏法になって、修行する人も悟る人もいなくなるとされています。日本では正法時代、末法時代をそれぞれ1000年ずつと見ていますので、ちょうど1000年位前にすでに「末法」に入っているわけです。3000年まえに、お釈迦様は現代のような、ふがいない時代が来ると予言されていたわけですね。---つづく

法話15,どんな家にお住まいですか?

 お釈迦様の十大弟子の一人、須菩提は「解空第一」と言われる程、「空」を理解しておりました。「空」とは般若経思想の根本で、存在するものは我(実体)がなく単体で存在しない、縁によって生じているということです。だから、一つのものにとらわれたり、絶対視してはいけないという教えでもあります。
 さて、須菩提の有徳に感心したマガダ国の国王は、彼のために小屋を寄進することになりました。実はこの小屋は屋根がまだ作って無く、雨が降ればびしょぬれというものでした。 須菩提は少しも気にせず有り難く小屋を頂戴し、その小屋に住み始めたのです。雨が降ったらどうするつもりだったのでしょうか? ところが、何日経っても雨が降らない。 天が、須菩提に同情し、屋根のない粗末な小屋に住んでいるのを見て、雨を降らすのを躊躇したらしく、あたりの農民は雨が降らないので大いに困ってしまいました。
 このことがあって思い出したのか国王はあわてて屋根を作ってあげました。すると翌日には天が曇り始め雨が降り出したのです。

 維摩経には、欲にまみれた人が建てた立派な御殿は仏の住むところではない、月の光が漏れこむような粗末な小屋も、素直な心の人を主とすれば、仏の宿る場所となるとあります。どのような家におすまいでしょうか、あなたは?

(仏教聖典より一部引用)


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