瑞雲の法話「仏の教えをわかりやすく、少しずつ」
仏像彫刻と法話の世界

仏師、瑞雲の法話(第5章)
仏像画像付き

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仏師、瑞雲の法話 (第五章)

大黒天 瑞雲作
(瑞雲流大黒天)
第1巻 第2巻
仏師、瑞雲の法話集第1巻 仏師、瑞雲の法話集第2巻
第1章  法話1〜法話14 (2000) 第1章 法話101〜113
第2章 法話15〜法話21 第2章 法話114〜126
第3章 法話22〜法話29 第3章 法話127〜140
第4章 法話30〜法話39 第4章 法話141〜153
第5章 法話40〜法話48 最終版 法話154〜
(仏師瑞雲の法話最新版)
第6章 法話49〜法話57 (2001) NEW
第7章 法話58〜法話66 2011以降の新法話
第8章 法話67〜法話76 ますます、おもしろくなった
仏師 瑞雲の仏像彫刻と法話
第9章 法話77〜法話87 (2002)
第10章 法話88〜法話100

法話48・梅や桜に学ぶ恩

日蓮上人は「報恩抄」の中で「花は根にかえり、親味は土にとどまる」と仰せです。
これは梅や桜の花にたとえれば、美しい花が咲くのは、花を育てた木のお陰であり、
その木を育てたのは、木の根と土地のお陰である。人もまた同じように、立派な人間
に育つのは親や、その親を育てたご先祖という土地のお陰であるという意味です。

世の人は咲いた花を愛でることはあっても幹や根、土地は褒めないものです。
ひとときしか咲かない上辺の美しさにのみ心を奪われて、本質が見えないのです。

世の中の成功者と言われる人、非常に幸せに暮らしている人の親やご先祖を見ますと
母親が大変立派な教育をされたか、父親が社会のために大なる貢献をされたか、
3〜5代前までの直系のご先祖が社会の為になったり、神仏を信仰して陰徳を積まれた
という場合が多いのです。

今の自分は親と先祖が咲かせた花、自分だけで咲くことは出来ないのです。
親や先祖の恩を知り、更には、雨やお天道様(仏、国の恩)、木を植えて手入れして
くれた人(一切衆生の恩)を知り、それに報いることが、人としての最高の道です。


法話47・施せば栄える

千葉の農家に1300年近く家系が代々続いている家があるそうです。普通、昔から
言われているように、「親が苦労して財産を築けば、子の代は楽をして暮らし、孫の代は
道楽して家をつぶすもの。100年くらいが平均で200年も続けばいい方です。

ここの戸主が言うには、長く家が栄えているのは、親戚はもちろんのこと、部落や、
多少の知り合いにも、病気と聞けば見舞い、不幸があればご回向という具合に、人の
悲しみを我が身と分かち合う代々の家訓を守っているからだそうです。

「無量寿経」には、おのれにのみ厚くもてなして、他人に恵むことをしなければ滅びる
とあります。施し、即ち「布施」は六波羅蜜(仏道修行)の一つで「涅槃経」では、
その報いを願わず、清らかな慈悲の心を持って、常に施すのが最上の施しであるとされます。
最初から御利益を願って新興宗教などに入信し、お布施を積んでも、いかがなものかと
思いますがどうでしょうか?

私が仏師、僧侶の修業時代に、師僧から言われたことがあります。
おまえが僧侶で仏師になれたのは、母方の先祖に信仰深い人がいて、食べ物の少ない
戦時中、たくさんの家を失った放浪者や諸国行脚の僧侶を厚くもてなした功徳のお陰だよ。
その助かったうち、坊さんの一人がその後成功していつも感謝してると。その年の秋、帰郷
して母にこのことを聞いてみましたら、祖祖母がそういうことがあったと、道に倒れて
いた坊さんを助けて、当時、米もない時代に握り飯をたくさん持たせて送り出してやって
祖祖父から怒られたそうです。米の飯は御法度の時代で警察にわかったら大変なことに
なっていたらしいです。

「人々が互いに敬愛し施し合えば、この世は極楽浄土になる」と仏典は教えています。


法話46・カルトの時代

NHK大河ドラマ「北条時宗」の時代背景は大地震と飢饉、疫病、「元寇」という他国から
攻められる国難など混迷な時代が背景となっています。鎌倉で、法華経をお説きになり
数々の予言をされ、しかもその予見が的中していく日蓮上人の波乱に満ちた人生も同時
進行していきます。現在の既成仏教で栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、法然の浄土宗、
親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗などは鎌倉仏教と呼ばれる、激動の世に誕生した、
当時としては新興宗教であります。奈良から平安時代にかけての国家のための仏教、貴族
のための仏教は鎌倉時代を迎えて民衆のための仏教の時代に入っていったのです。
そこには激動の社会を生きる人々の「救われたい」という強い願望がありました。

大きな時代の節目や激変する社会では新興宗教が必ずといって良いほど起こっています。
現在、大勢力を持つ新興宗教(創価学会・天理教・成長の家などなど多数)は暗い時代
を生きる人々の心の支えとなってきました。貧しさや病気から救われたいという人々の
現世利益の欲求が新興宗教を生んだわけです。

しかし、現今は有り余るほどの物質に恵まれ、価値観が多様化してきました。昔は
おそらく皆さんのご両親の時代は、努力していい大学へ行って、いい会社に就職して
物質的に豊かな生活を送るのが人生の目標でした。高学歴と有名会社が絶対的価値で
学歴や大会社を信仰した時代とも言えます。その競争社会はだんだん低年齢化していき、
詰め込み教育や塾などを生み出し子供達に多大なストレスを与え始めました。不登校、
学級崩壊、家庭崩壊、落ちこぼれという社会現象が今、大問題になっています。

こうした価値観の転換時代に、若者達が「救い」を求めてオウム真理教などカリスマ的
宗教に入信するのは、時代に合わない親たちの古い価値観に絶望して来たからであります。

「宗教」は人にとって最も大切なものですが良い宗教と悪い宗教があることは皆さんも
ご承知のはずです。真の宗教に会える確率は太平洋に一本の針を落として、それを見事に
探し出せる確率と同じくらいと仏典は教えています。

お釈迦様が、弟子達に問われました。
 「もし、ここに、狂った象に踏み殺されて短い命を終わった者があるとしよう。または、
邪教を信じ込まされて長い人生を生きたものがあるとする。さて、おまえたちは、その
どちらを選ぶか」
 弟子たちは口をそろえて、「お師匠様、当然私達は象に殺されることを望みます。なぜなら
肉体は早く滅びても、永遠の命「心」は殺されません。邪教は、人の全てを殺します。
 お釈迦様は3000年も昔に「邪教を恐れよ」とお説きになりました。


法話45・孫悟空

中国四大奇書の一つ、「西遊記」の主人公である孫悟空は神通力を持っていて天空を
荒らし回っていたためお釈迦様から五行山の岩に500年も閉じこめられました。仏典
をもとめて旅の途中だった三蔵法師に助けられ、旅のお供をすることとなる。お供する
にあたり、悪さをしないようにと金剛輪(こんごうわ)を頭にはめられます。三蔵法師が
呪文をとなえると金剛輪が締まって孫悟空を懲らしめるというのは皆さんも知って
いらっしゃるはずです。

私も修業時代、金剛輪に頭を締め付けられるような経験をしたことがあります。
僧侶の修行というものはきつく、お経を長時間唱えるのが辛いという意味ではありま
せん。心の修行といいますか、師僧が白いものを黒と言ったら、白色でも黒なのです。
強烈な個性の下で私の存在など全くありません。むかつくことさえ出来ないのです。
また、やることなすこと自分に不利に事が運んでいった時期がありまして、坊さんに
なるのはやめようと思いました。仏教、神仏、修行などに疑問を持ち始めたのです。
そういえば、仏像の不動明王や毘沙門天などの天部も輪っかを頭や手に付けていらっ
しゃいますね。

さあ、仏像を彫るのも坊さんへの道もやめよう、この師匠から逃げよう、自由になって好き
なことを、しようと思うと、頭の回りを何かに締め付けられるような気がしました。どうしても
普通の自由な青年のような道には行けません。私は孫悟空や手や頭に輪っかをはめていらっしゃる不動明王や毘沙門天のように金剛輪を頭にはめられていると思ったものです。

師は宗門やマスコミで非常に有名な方でありました。いつもお供をしては都内の至る
所に連れていってもらいました。そばに近づくとたいていの人はその眼光に圧倒され、
ひれ伏すほどの大変な実力者、霊能力者で、私は師のことを神様以上に畏敬の念を持
って身の回りのことなど使えたものです。

今になって思うのですが、あの金剛輪は観音様がちゃんと修行に励んでいるかわかる
ように私にはめて下さったものではないでしょうか。仏像や仏画を見ると仏の弟子に
なっているものは頭や腕、足などに金色の輪をはめています。

家畜を飼う場合、犬などペットの場合もそうですが鎖につないだり首輪をはめたりし
ます。はめていないのは野良犬か野獣です。訓育(道徳的教育)という世界では
金剛輪のような何かが人にも必要なのかも知れません。最近の中高生が犯す事件や
新年にニュースになった成人式暴動事件を見て、ふと、そう思いました。


法話44・さとりを彫る仏像彫刻

よく人から「瑞雲さんの仕事は不景気に関係ないから良いですね。」と言われます。
私は「景気が良くても関係ないですよ。」と答えます。一体のを仏像を彫刻するのに
かかる時間は景気に関係なく同じなのです。彫刻をコンピュータと彫刻機械を使って彫
れば話は別ですが、仏像の芸術作品は、ここで、はい出来上がりと言ったものではなく
彫りながら自らをも高める種のものですから、自分で、「良くできた、これなら人様に
喜んでもらえると思ったときが仏像彫刻の完成であります。ですから、作る仏像の数には
限界があるわけです。

アメリカのEddie Cantor(1892-1964)の言葉に「一夜にして成功するには、20年の
歳月を要する。」というのがあります。
仕事が詰まってくると一夜で作品を仕上げなければならないことがあります。30年
近く仏像を彫っていますから、短い時間でも仕事の段取り、彫刻刀の運び等、体が
どう彫れば良いか知っていて勝手に間に合わせてくれるのです。この30年の経験と
仏像が出来上がっていく悟りのようなものの力、これは私の財産です。
観音様を彫るときはなで肩にして、鼻は細めに。大黒様はどこもかしこも丸く、顔は
彫りは浅めに、鼻は太く渥美清さんの鼻のように小鼻をしっかりと彫る。観音を彫る、
実は長年の経験(悟り)を迷いなく彫っているのです。

世の中の色々な仕事には「悟り」が隠されています。意味のある仕事ない仕事に分ける
ことなく、はからいを離れた仏の智慧をもって見れば、全ては皆仏の教えかもしれません。

「華厳経」には仏の姿について説かれております。
姿や形は真の仏ではない。真の仏は悟りそのものである。仏のまことの相は誰も見る
事が出来ないし、描写することもできない。また、どんな言葉によっても言い尽くす
ことはできない。
実は、仏には相がない。ないにもかかわらず思いのままにすばらしい相を人々に示す。
だから、さとりを見るものが真の仏を見る。


法話43・大黒天様で始まる21世紀

明けましておめでとうございます。
2001年元旦は干支で甲子の日に当たり、大黒天の縁日です。ものの始め一陽来復
の意味があり、まさに21世紀の佳い出発点となりました。

ひるがえって世界を見渡せば、昨年のアメリカ大統領選挙に象徴されるよう、不安定な
社会状況が世界各地で政治、経済面に見られます。我が国は長期の景気後退により、
国力、国民共々意気消沈しております。

1990年頃、読経中に神霊より、「不況は長く続き、やがて銀行が倒産する時代が来
よう。経済の不振から様々な天変地異、食糧不足、小競り合いが起こって世界は悪い方向
に向かっている。原因は地上の人々が五欲煩悩をむき出しにして自分のことばかり考え
ているから。政治家から宗教家、経済界に至るまで、本当に心から人類の未来のため
無欲で頑張っている人がいったい何人いるだろうか。世界の人々がこのことに気づいて
心を改めない限り、未来は明るくない。」とのインスピレーションを得ました。

私は仏の教えにこそ、21世紀の世界を明るくする智慧があると思っています。
20世紀は大量殺戮戦争と物質文化の発展時代で個人というものが尊重されるように
なりましたが21世紀はこれまでの概念を越えた新しいものの考え方が必要です。
人口と食糧問題、資源、高齢化、地球温暖化と避けられない難問に直面しています。

「無量寿経」に「栄華の時勢は永続しない。たちまち過ぎ去る。この世の快楽も
何一つ永続するものはない。人々はおのれのみ厚くして他人に恵むことを知らない。
迷いの中にあって煩悩の虜になり、そのためにさらに苦しみの報いを受ける。」


法話42・サンタ・完結編

前回、アメリカのサンタの起源は17世紀 New York へのオランダ人移民者によると
申し上げました。1773年にWashingtonn Irving により"St. A Claus"として紹介
されました。1823年には作家Clement Clarkeが、クリスマスの前夜にサンタが
煙突からやって来る詩を書きアメリカナイズしております。

北極から9匹のトナカイと共にサンタが来る話や絵の現在のサンタクロースの姿は
アメリカのイラストレーター Thomas Nast が1860から1880年代にかけHarper's
magazine に描いたものです。その後更に1930年代コカ・コーラの宣伝など商業と
関係しながら、現在に至っています。

1925年、北極には牧草がないのでトナカイの生存は不可能として、Markus Rautioや
新聞社がサンタはフィンランドのラップランドに住んでいると発表しました。
各地域数々の伝説、更には作家、イラストレーターなどにより創造されてきたわけです。
"Learn from history" 歴史から学びましょう。

米国人宣教師の先生に、お子さまにサンタクロースについてはどう教育されたのですか、
お子さまはサンタがソリに乗ってプレゼントを持ってやって来ると信じていますかと
お聞きしましたら、事実を教えたよとのお返事でした。家族へのクリスマスプレゼントは
毎年なさるそうです。


法話41・若い内がチャンス

熱心なキリスト教徒は子供の時に洗礼を受け、主の子供になります。仏教徒の場合は
死んでから戒名をもらう場合が多いようです。戒名とは仏弟子としての名前で死後
仏様にかわいがってもらうために名付けるもので、生きているとき何も徳を積まないで
居士だの大姉だのとお寺に大金を払って立派な戒名をもらってもいかがなものかと
思います。人は生き様が大切で、仏様はちゃんとどんな人間か知っていらっしゃいます。

蓮如上人(1415-1499)は「若きとき仏法はたしなめ」と体が丈夫で記憶力の良い若い内
勉強しなさいと言われました。日蓮上人(1222-1282)も「先ず、臨終の事を学び候て後に
他事を習うべし」と仰せで、歳を取ってからでは遅いのです。

人の人生は、もちろん定められた宿命もありますが、生き方や人格、修行によって変わ
ります。20代でどんな生き方をしたかで30代、40代の人生が決まります。70代で
仏心に目覚めお経を覚えるのは大変な事でしょう。功徳は死後、子供や孫に行くでしょう
けど。

何でもそうですが、若い内に人生の目的や天職、心のより所に巡り会えた人は幸せです。


法話40・サンタと大黒天

日本人は正月には神社へ初詣りに行きお願い事をします。結婚式やクリスマスにはキリスト
教徒になって、葬式は仏教徒に変身します。宗教に対して非常に寛容な国民です。日本に
仏教が伝来したとき、それを受け入れ神道と両立させました。キリスト教は一時弾圧した
時代もありましたが、現在では定着しており12月になるとクリスマスツリーやイルミネー
ションをあちこちで見かけることが出来ます。皆さんのお宅でも、クリスマスになると
サンタクロースからのプレゼントを本気で待ち望んでおられるお子さまがいらっしゃるでしょう。


さて、赤い服に赤い帽子、白いひげをはやした、にこにこ顔の太ったサンタクロースは、
元々は四世紀、現在のトルコの司教でありました。名前をニコラウスといい、彼の伝説に
肉屋に殺され、桶に隠されていた三人の少年を死から甦らせた話、三人の少女にお金を
与えて売春をやめさせた話など特に子供を守護する聖者として11世紀頃から信仰を集め
ました。ニコラウスの祝日に子供達にプレゼントを渡す慣習は北欧で始まり、北米に移住
したオランダ人達によりアメリカで大衆の間に広く普及しました。

我が国は明治以降の西洋化により、現在のような、外国人から見れば信じられないような
宗教観を持った国になりました。森鴎外が、やがて文化の空洞化が起こると言っていたように
しっかりとした知識と宗教観を持つことが大切ではないでしょうか?

写真の仏像は大黒天様で、東洋版サンタクロースといったところかも知れません。古来から
我が国では福の神として信仰されております。打ち出の小槌を持ったニコニコ顔の大黒天様
は八万五千の眷属があり昼夜財宝や福徳を庶民に授けるために活躍されていると言われており
私にとっては大黒天は真のサンタであります。経済的にきつくなったり、仕事の依頼が少な
いときは祭ってある大黒天様のパワーが弱まっているのでお経をたくさんあげます。

大黒様をもっと理解する
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