瑞雲の法話「仏の教えをわかりやすく、少しずつ」
仏像彫刻と法話の世界

仏師、瑞雲の法話(第6章)

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1)仏師、瑞雲の法話 (第六章)

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お稲荷様を知ろう!(ショップの宣伝)
地蔵菩薩
地蔵菩薩・瑞雲作白檀材)
第1巻 第2巻
仏師、瑞雲の法話集第1巻 仏師、瑞雲の法話集第2巻
第1章  法話1〜法話14 (2000) 第1章 法話101〜113
第2章 法話15〜法話21 第2章 法話114〜126
第3章 法話22〜法話29 第3章 法話127〜140
第4章 法話30〜法話39 第4章 法話141〜153
第5章 法話40〜法話48 最終版 法話154〜
(仏師瑞雲の法話最新版)
第6章 法話49〜法話57 (2001) NEW
第7章 法話58〜法話66 2011以降の新法話
第8章 法話67〜法話76 ますます、おもしろくなった
仏師 瑞雲の仏像彫刻と法話
第9章 法話77〜法話87 (2002)
第10章 法話88〜法話100

法話57・アポロ11号

1969年7月16日、アメリカから月に向かったアポロ11号の中に、人類として、始めて
地球以外の天体である月に着陸することになるアームストロング船長と月着陸船操縦士
のエドウィン・オルドリンの2人がいました。

エドウィン・オルドリンは空軍の優秀な戦闘機パイロットから宇宙飛行士に抜擢された
人で、厳格な父親に「何をやるにも一番になれ」というような教育を受けたそうです。
そのせいか、トントン拍子に出世して月に行くまでになったわけです。

ところが7月24日の地球への帰還後、彼の人生は大きく変わることになります。
人類として始めて月に行った人ということで世界中から拍手喝采され、英雄扱いに
されますが、それがレッテルとなり、もっぱらNASAの宣伝に使われてしまいます。
これに失望したオルドリンは再び空軍へ戻ろうとしますが、既に仕事はなく、何をしたら
いいのかわからず、人生の目的を失って、次第にうつ病になっていきます。
酒で気を紛らわすようになり、とうとうアルコール中毒になって精神病院にはいります。
彼が最も辛い時期と後で回顧する苦悩の時代に入りました。

話はお釈迦様のことになりますが、「過去現在因果経」に若い頃のお釈迦様は、釈迦族の
王子として生まれ、あらゆるものに恵まれた宮殿での生活に疑問を持ち、道を求め、
出家されます。出家とは妻や子、王としての未来、栄華の生活を全て捨てることでした。

35才で悟りを開かれるまでの難行苦行は「血も涸れよ、肉もただれよ、骨も腐れよ」と
いうくらい、かつて誰も経験したことのない激しいものでありました。

私は宇宙飛行士、エドウィン・オルドリンにお釈迦様との共通点を感じています。それは
無上道」というこのうえない最高の道を求めようとする心を持っていることです。
家柄、学歴など世俗のレッテルを越えたところに真の価値があるのではないですか?

今、人生の苦悩から立ち直ったエドウィン・オルドリンは火星への有人宇宙旅行を成功
させようと、自ら宇宙ビジネスコンサルタント会社を立ち上げ夢に燃えているそうです。(TV放送より)


法話56・もう少し詰めてもらえないか

5月末、東京のある駅のホームで乗車の際、乗客に「もう少し詰めてもらえないか」と
言った会社員が因縁を付けられ、暴行されて死亡するという事件が起きました。
被害者は大変正義感の強い人でしたが、容疑者は、「目と目があって腹が立った」
というだけでいとも簡単に人を傷つけるとは、閻魔王様もさぞかしビックリされてる
ことでしょう。

人は誰でも三つの煩悩の火を持っています。気に入らないといって人を傷つけるのを
瞋(いか)りの火、気に入ったといって執着をおこす貪(むさぼ)りの火、ものの道理が
わからなくて、やってはいけないことをしてしまう愚かさの火です。
これら煩悩の火が炎々と燃え上がっているのが此の世であります。この煩悩の一つでも
燃え出すと迷いと苦しみが始まり、他人をも傷つけます。仏教で言うところの末法とは
この三つの火という悪魔に支配された世の中を言います。今がそうです。だから、
いつも火が燃え出さないように注意する必要があります。もし、燃えだしてしまったら
急いで消さなくてはなりません。お経を読む、写経や仏像を彫る、こうして法話を聴く
などは悪魔の虜にならない良い方法と思います。

この世で悪いことをして死んでから地獄に堕ちた罪人に、閻魔王が尋ねました。
閻魔王様「お前は人間の世界にいたとき、三人の天使に会わなかったか?」
罪人「いいえ、会ったことはありません。」
閻魔王様「それでは、年老いてよぼよぼしている人は見なかったか?」
罪人「大王様、そういう老人なら、いくらでも見ました。」
閻魔王様「次に、病にかかり、寝起きもできない人は見なかったか?」
罪人「大王様、そういう病人なら、いくらでも見ました。」
閻魔王様「最後に、死んだ人は見なかったか?」
罪人「大王様、死人なら、いくらでも見ました。」
閻魔王様「お前は老人という天使に会いながら、自分も老いゆくものであり、急いで善を
なさなければならないと思わず、病人という天使に会いながら、自分も病むものと思わず
死人という天使に会いながら、善をなすことがなく煩悩のおこるまま好き勝手に生きた
ので、この地獄で、お前自身がしたことの報いを受けなければならない。」(仏典パーリ・増支部より)


法話55・レーナ・マリアさんに学ぶ

5月3日、東京プリンスホテルで日本ホーリネス教団(プロテスタント)創立100周年の
記念大会に両腕がなく右足だけが自由に動くレーナ・マリアさんが招かれました。スエーデン
出身の彼女は重い障害を乗り越え、パラリンピックの水泳選手として、また歌手として
世界的に注目されていて、多くの人々に生きる勇気と喜びを与えております。

英会話の先生が出席され、彼女の「イエス様がいつも一緒にいてくださって、生きる力と
喜びを下さるので不自由なことはありません。」という言葉と美しい歌声に心をうたれた
そうです。
彼女のご両親は熱心なキリスト教徒で、最初は「なぜ神様は私達にだけこういう障害のある
子供を下さったのだろう」と愚痴をこぼしたこともありましたが、「神様に、なにか目的が
あってのこと」と前向きに受け取って、普通の子と同じように育てたので、料理も出きるし
車も運転する子持ちの主婦にもなりました。

きっと世間の人は、彼女は並はずれた強さを持つ努力家と思うでしょうが、マリアさんは
「でも、私は自分を強い人間だと思ったことはありません、神様から力をいただかなかったら
そうはいきませんでした。」といつも心に神の存在があることを喜び、神様と共に生きる
すばらしさを話しておられます。

道元禅師の教えに「仏道をならふといふは 自己をならふなり」という言葉があります。
煩悩の虜になって愚痴をこぼしがちな表面の心を無明の自己といい、大概の人々は、
それが真の自分だと信じ込んで迷いの人生を渡ります。
困り果てて、私達凡人は、あっちの神様、こっちの仏様という具合に御利益を先に望み、
自己を見つめずに、カリスマ的な力を他に求めようとしますが、信仰とはそういうもの
ではありません。自分を生かしてくれている自己を越えた力に気づくことであり、
自分を生かしてくれている自己を越えた力を清浄なる本心、仏性といいます。これに気づく
ことを人として最もと尊いこととしておりますが仏と法によってのみなしえることです。 (大般涅槃経より)


法話54・誰にでも出きる仏道(その2)

ニューヨークに始めていったときのこと、ストリートのあるオモチャ屋に入ったら、いきなり
「ハーイ!」とアジア系の店員に笑顔で声を掛けられました。あれ?私をどうしてニューヨー
クの人が知っているのだろうと不思議でした。また、たいていの店は接客態度が良いし、
エレベーターに乗り合わせた人もミュージックシアターで隣の席の人も「ハーイ」と会釈す
るのは、「私はあやしいものじゃありませんよ」という好意的挨拶の一種Hiだと知ったのは
日本に帰ってからでした。それで、アメリカに好感を持ち、これは英会話を勉強しなければ
と思ったものです。

最近の日本では子供に限らず、挨拶するのがおっくうな風で何食わない顔をしている人が
多いと思いませんか? 一番困るのは、エレベーターのような個室に乗り合わせたとき
日本語に「ハーイ」のような便利な言葉がないことです。室内ですから「良い天気ですね」
はいいにくいし、だまってニコリと微笑を浮かべるのも気持ち悪がられるかもしれません。
「こんにちは」にかわるしゃれた挨拶をだれか考え出してもらいたいです。

さて、仏道修行といえば六波羅蜜(ろくはらみつ)を修めることは既に述べました。
一つ目が布施ですが、お寺さんや困った人にお金を施すのを財施(ざいせ)といいます。
また、お金のない人でも出きるお布施に七つあり、思いやりの心(心施)で、やさしい
まなざし(眼施)で、いつも柔和な顔(和顔施)で、あたたかい言葉をかける(言施
などは誰でも出きることです。

つい最近、線路に落ちた人を助けようとして電車にはねられる悲しい事故がありましたが
これは(捨身行)という身施です。電車内で席を譲ったりするのを(しょう座施)、
人を我が家に泊めてやるのを(房舎施)といいます。(雑宝蔵経より)


法話53・誰にでも出きる仏道(その1)

仏典に「遠塵離垢(おんじんりく)」という言葉があります。これは、例えば庭をいつも
掃き掃除してちり一つないようにしていれば気持ちがよいように、煩悩や欲望でおおわれ
がちな心をいつもピカピカに磨きなさい。そうすることにより、悟りと心の平安が得られる
という教えです。

私が寺で小僧をしていたときは、トイレ、寺の境内、お堂の隅々まで毎朝掃除しなくては
なりませんでした。寺というところは町の商店と違って毎日お客様がくるわけではないので
師のお供で出かける以外は大した仕事はありません。師から便所掃除だけは人にやらすなよ、
わしが出世できたのも誰もがいやがるトイレの掃除を修業時代にやったからで、これは秘法
だと教えてもらったものです。お掃除は仏道にとって非常に大事な修行であると同時に善徳
でもあります。

釈迦の弟子の須梨槃特(スリハンドク)は自分の名前さえ覚えられない人でありました。
自分の愚かさに気づいた須梨槃特は釈迦に破門を願いますが、釈迦は「槃特よ、お前は
自分が愚かであることに気づいたのだから、もう愚か者ではない」と教えられて、
毎日、掃除だけしなさいと一つの修行を与えられました。

釈迦の弟子の中で、他の頭の良い弟子達より早く普明如来という仏になったのは須梨槃特
この人です。愚直でもきれいにしようとする一念から仏になることが出来ました。

最近、アメリカでは青少年の犯罪が増えていて、更正施設では「掃除」の大切さを教え
ていて、それが功を奏していると聞いています。(法華経等より)


法話52・弥勒菩薩に学ぶ美人になる方法

先週、六本木でピアノリサイタルがあり行ってきました。ピアニストも美しい方でしたが
特別出演のソプラノ歌手も国際的に活躍されてる方で、非常に美しい人でした。ニューヨー
ク個展のとき現地で見て以来久しぶりに、世の中には弥勒さまのような美人がいるものだなと感心した次第です。

さて、マッリカーとい女性がお釈迦様に尋ねました。
「同じ人間として生まれながら、醜い人もいれば美しい人もいるのはどうしてでしょうか?」
お釈迦様は彼女に教えられました。
「怒りやすい人は顔が醜くなる。柔和な心の人は美しくなる。」

仏典に「衆人愛嬌」という言葉が出てきます。これは、誰からも好かれるという意味で
あり、女性や芸能人、芸術家など不特定多数の人から好感を持たれなければならない職業
の人にとっては大事な要素であります。「美しい人だなー、一緒にお茶でも飲みたい」、
「美しい芸術作品だなー、とにかく買いたい」、「美しい曲だなーCD買っちゃえ」と
人に思わせる力、これが衆人愛嬌であります。

で、どうしたら衆人愛嬌の力を頂けるかというと、仏典に六波羅蜜という修行方法が出ており
一つ目は布施で三つ目に「忍辱(にんにく)」という言葉がでてきます。これは苦難や屈辱
によく耐えて怒らず、心をいつも柔和にすることの意味であります。そのような生き方を
した人には衆人愛嬌の力が与えられ、生きてる間は誰からでも好かれる運命となり、死んで
次の世に生まれて万人に慕われる逸材、または美人になるのです。

仏像ファンに人気の広隆寺弥勒菩薩像ご存じでしょうか。頬に右手を当てて微笑をたたえておられます。弥勒菩薩釈迦の入滅後56億7千万年経って、次の如来となる下生の日にそなえて、いかに人々を救うかという思索にふけるお姿で飛鳥時代、奈良時代に作例が多いですが、このお顔の口端が上がったアルカイックスマイルが人々にすかれているのです。

全ては、先ず堪え忍ぶところから先が見えてきます。あわてても仕方がないのです。(華厳経・法華経・涅槃経等より)



法話51・魔の八回裏表

プロ野球ファンにとっては待望の4月になりました。今年のペナントレース楽しみですね。

野球ではピッチャーにとって8回は完投出きるか出来ないかの正念場です。7回まで打者を
パーフェクトに押さえていたとしても、疲れかちょっとした油断で打ち込まれる場合が多々
あります。逆に言えば、打者にとっては相手チームの投手を引きずりおろすチャンスの回と
も言えますね。

日蓮上人は「始めより終わりまでいよいよ信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずら
ん」と仰せです。いかなる世界でも、決めた物事を貫徹しようとすると困難や障害があります。
「好事魔多し」と言って、あともう少しというところで邪魔され挫折させられるのです。

「信心を強くしなさい」とは、完投は間近という8回ごろになって神仏を拝みなさいという
意味ではありません。仏教には「不動心」、「禅定」と言う言葉があって、これは物事を
行う場合、精神を統一して、あと何人抑えれば完投だと言ったような雑念を起こさず、一心
不乱にそのことにだけ打ち込みなさいという意味です。魔はいつもつけねらっていて、すき
があれば、やられます。

これはプロ野球に限らず、あらゆるスポーツ、日常生活にも当てはまります。「信心」とは
不動の自分の心を信じる切ること。凡人は、ちょっとした困難で自身をなくし、自分は
おろか神仏まで信じられなくなるものです。

世界にその名を知られる版画家、棟方志功は、制作に取り組むときに、まわりに一切目も
くれず作品に没頭したといわれます。これが「禅定」の境地、だから大芸術家になったと
思います。(新池御書等より)


法話50・八風

春の微風が快い季節となりました。仏典に、人を狂わす八つの風がこの世には吹いている
と説かれております。

日蓮上人は御書の中で
「賢人は八風と申して、八のかぜにをかされぬを賢人とは申すなり。利・衰・毀(やぶれ)
誉・称(たたえ)・譏(そしり)・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうる
になげかず等の事なり。」
 利・誉・称・楽を四順(しじゅん)といい、衰・毀・譏・苦を四違(しい)といいます。
凡夫は四順ばかりを追い求め、四違を避けようとするので苦しみの世を送るわけです。

名聞名利にとらわれ、目先の欲を追うのが凡夫、普通の人。誉められると、自分が偉く
なったと思いこみ心が浮つく。批判されると心が動揺する。生きている限り八風に吹かれて
一生をあてどもなくさまようのが本当の姿です。人生苦もあり楽もあるのは当たり前。だから、
利益があったとしても喜ばず、年をとったからといって嘆かず、誉められても誹られても心を
動かさず、安らかな心を保つのが賢人ということです。

釈迦様は「悟りの木の実を求めよ」とお説きになられました。健康なことは第一の利、
足を知るは第一の富、信頼されるは第一の誉れ、教えの味わいと悟りは第一の楽しみ。
誰でも一度は気づきたいものです。先が見えない大不況のご時世、人生で真に大切なものは
何か、考えてみるチャンスです。(法句経・四条金吾殿御返事等より)


法話49・身代わり地蔵の仏像

昔の話には仏像を信仰した功徳で不思議なご利益があった話がたくさんあります。

昔、越中の国の立山で僧侶が夜中の2時頃修行をしていますと女のすすり泣く声が聞こえて
人の影が現れました。

この人影が言うには
「私は京都の七条あたりに住んでいた女です。西洞院からは□方向、七条からは□方向で
西北の端から一軒目の家です。私の父母は、今もそこに住んでいます。私はこの世の果報
が尽きてしまい若くして死んで、この立山の地獄に堕ちました。
生前は少しも信仰心などなく善根も積んでいません。ほんの二、三度地蔵講にお参りした
ことがあるご縁で、地蔵さまがこの地獄にいらして下さって、早朝、日中、日没の三回、私の
苦をかわって受けて下さいます。どうか上人様、私の家に行って、父母にこのことを告げ、
良い行いと供養をするようお話下さい。そうすることにより私は成仏でき救われます。」

僧侶は憐れみの心から早速に京の七条付近に行って、その女の家を探してみると、実際
女の言った通り、その場所に父母が住んでいた。父母はこの話を聞いて、涙を流し泣き悲
しみ、すぐに、娘のためにと仏師に依頼して、三尺の地蔵菩薩の仏像をお造りし、法華三部
経を書写してお寺で法要をしたのです。列席した親戚、僧侶に至るまでこの仏像を見て話を
涙を流さないというものはいなかったということです。仏像とは有り難いものですね。

3月17日から23日までお彼岸ですね。このお話が教えているのは仏道修行や良い行いは
生きているうちしか出来ないということです。だから、死者の成仏のために法事が営まれる
わけです。「心地観経」に、過去を知りたければ現在の自分を見よ。未来の自分を知りたけ
れば現在の自分を見よと説かれています。今の自分の生き方が未来の結果を既に作っているのです。善徳を積みましょう。(今昔物語・開目抄等より)

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