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普賢菩薩 極彩色普賢菩薩像

普賢菩薩(仏像霊験記)

普賢菩薩像 瑞雲作

瑞雲作 普賢菩薩像

普賢菩薩霊験記1

京に西石蔵(にしのいはくら)という山寺があったが、仙久(せんく)という住僧が住んでいて、この僧は法華経の功徳によって大往生した話。
   
今は昔、京に西石蔵(にしのいはくら)という山寺があったが、仙久(せんく)という住僧が住んでいて、日夜、法華経を読誦(どくじゅ)して少しも怠ることがなく、また大変道心が深かったので、世間の人々には「仙久聖人は普賢菩薩の化身であるから、ぜひ近づくべきだ」と夢のお告げを聞くものが多く、村から町から人々が結縁しようと集まった。
 やがて、仙久聖人は老いて、長年の法華経読誦の功徳によって、臨終の時、心乱れず念仏を唱えながら往生した。世間の人はこれを聞いていっそうの信仰心を深めたと伝えている。
(今昔物語巻17の39)

普賢菩薩霊験記2

近江の国の金勝寺(こんしょうじ)の住僧、光空は兵平介(ひょうへいすけ)という武者にその妻との密通を疑われ殺されかえるが法華経読誦の功徳によって助かった話。
 
今は昔、近江の国の金勝寺(こんしょうじ)の住僧、光空は長年、法華経を読誦(どくじゅ)して道心深く、またお経の声がまことに美しかった。
 さて、兵平介(ひょうへいすけ)という猛々しい武者がいて、この光空の美しいお経の声を聞いて感激し、自分の家に迎えてしばらく帰依していたが、家来が、兵平介の若い妻と光空が密通していると讒言したので兵平介は激怒し、光空を木に縛り弓矢で射偉殺そうとしたが何ベン射ても矢は当たらず落ちた。無実の罪を着せられた光空は「於此命終 即往安楽世界 阿弥陀仏 大菩薩衆 囲遶住所 青蓮華中 寶座之上」と法華経の薬王品二十三を唱えた。
 兵平介は、何度矢を射ても当たらないのはもしや仏天が守っておられるのではと恐れをなし、涙を流して懺悔した。兵平介は光空を家に連れ帰って、その夜、夢に金色の普賢菩薩に矢が三筋射られているのを見て、いっそう恐れをなし、「無実の罪を法華経の持経者に着せ殺そうとしたので、普賢菩薩さまがさとされたのだ」と懺悔したということだ。
(今昔物語巻17の40)

普賢菩薩霊験記3

比叡山西塔の僧、貞遠(じょうおん)は三河国に帰郷したおり、国守に下馬の礼(身分の高い者に馬から下りて迎えること)を怠ったことで責められるが法華経読誦の功徳によって助かった話。
 
 今は昔、比叡山西塔の僧、貞遠(じょうおん)は三河国に帰郷したおり、国守に下馬の礼を怠ったことで責められるが、真言の秘法を学び長年にわたり法華経を読誦した功徳か、国守は貞遠を責めたその夜、夢に普賢菩薩を貞遠を閉じこめた同じ厩(うまや)に閉じこめる夢を見た。
 国守はたいそう驚き恐れ貞遠を解き放させて、「聖人はどんなお勤めをなさっておられるのですか?」と問うと、貞遠は「私は幼いときからただ法華経を日夜、読誦しているだけだ」と答えた。以後、国守は貞遠に格別に帰依し生涯篤い供養をしたという。
(今昔物語巻17の41)
一口知識
阿弥陀如来
西方極楽浄土の主である阿弥陀如来さまは、アミタ(無量)アミターユス(無量寿如来)、アミターバ(無量光如来)と訳し、阿弥陀とは「計り知れない」という意味で極楽浄土に導いてくださる仏様。
聖徳太子
推古1年、推古天皇即位 太子30才、摂政となるお姿が聖徳太子摂政太子像。冠位十二階や十七条憲法を制定して政治の基礎も作ったことで知られています。

鬼子母神
初めハーリティ(訶梨帝母)といい、他人の子供を奪って食べてしまう鬼神でしたが、お釈迦さまが彼女が一番可愛がっている末子を隠して、子を失う母の悲しみを諭しました。これより、鬼子母神(訶梨帝母)は仏教に帰依して、子供の守り神となった。
癒しの仏像かわいい仏様 こちらの作品群はお仏壇はもちろん、気軽にリビングルームや寝室に置いて、鑑賞と癒し、信仰が出来ますよう現代風にアレンジした瑞雲作オリジナルかわいい微笑仏集です。また、美術コレクションとしても注目度が高い創作芸術で、思わず微笑がこぼれるような愛らしさがあるお顔に自然と心が和み、殺伐とした現代にふさわしい癒し効果抜群の作品です。



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