メサイア解説

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rombul1a.gif (164 バイト)ヘンデル誕生

1685年ドイツは2人の類まれなる大作曲家を生んだ。

一人はヨハン・セバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)であり、もう一人は「メサイア」の作曲者であるゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Handel)である。当時のドイツは三十年戦争によって深刻な打撃を受けており、政治的には300もの領邦国家に分かれているという不安定な状況にあった。

そのドイツのハレにおいて、ヘンデルは医者の父と牧師の娘である母の間に生まれる。ヘンデルは幼いころから既に音楽に対して異常なまでの興味を示していたが、彼の父は我が子が生活の保障のない芸術家になる事を心配し、彼に法律家となるための勉強をさせ音楽に触れる事を禁じた。しかしいくら禁じられても、彼が音楽に対する情熱を失うことはなかった。

ヘンデルは12歳のころ父親を亡くし、その後も法律の勉強を続け、17歳でハレ大学に入学する。しかし彼は大学の大聖堂ではオルガン奏者として活躍し、入学して一年ほど経った頃大学生活と故郷を後にして、本格的に音楽活動を始めるため自由都市ハンブルクへと向かうのである。

ヘンデルは、ハンブルクをはじめ、イタリアのフィレンツェ、ナポリなど各地を遍歴し、一年と同じところにはいなかった。彼はこの時期多くの人と交流を持ち、多くの音楽と出会ったことで、彼自身の音楽に大きな影響を与えた。特にオペラ発祥の地イタリアにおいて、彼はオペラの作曲に取り組み、また自ら教会音楽などを作曲し、イタリアの音楽様式を十分に身につけた。ヘンデルは25歳の時ロンドンへと足を向け、その人脈を大いに活用して自由な作曲生活を送るのである。

 

rombul1a.gif (164 バイト)バッハとヘンデル

バロック後期の二大巨匠であるバッハとヘンデルが、同じドイツに、しかも同年に生まれているという余りにも有名なことは前述したが、よく比較されるようにその性格、音楽性さらにはその人生までもが全く異なるものであった。

バッハの家系は代々音楽家を輩出している音楽一族で、彼が音楽家になる事は当然とも言える事であった。一方ヘンデルはというと音楽とはほぼ無縁の家系であった。そしてバッハが自分の神への信仰心を最も表現できる教会音楽で主に活躍していたこととは対照的に、自由の地イギリスで生涯を送ったヘンデルの音楽は生気と弾力に富む明るい楽想であり、劇場音楽や公開演奏会のための音楽を中心として活躍していた。

さらに彼らの性質的な違いは、その譜面上からもう既に表われていたという。バッハの自筆譜はぎっしりと緻密に書き込まれていたが、対してヘンデルの自筆譜は、速筆の人のようでのびのびとした書き方で、空白も多く残されていた。この理由としては経済的な境遇等も考慮されるが、最も大きな要因として両者の性格の違いがあったと思われる。バッハは密度高く内側に集中するタイプと言え、楽譜を意味深く仕上げようという志向があり、ヘンデルはおおらかで、外に発散するタイプと言える。また、ヘンデルは状況に応じてそれに手を加えては惜しげもなく変更してしまうので、「メサイア」のような多くのヴァージョンが出来てしまった。

ドイツ国内で自己の音楽を掘り下げ、己の技を限りなく拓こうとするバッハと、聴衆にはたらきかけながらも、耳に快い響きを追い求めるヘンデルとは、生き方も音楽も質的に異なっていたと言える。

ところが興味深いことに、どちらも晩年に視力を失うという悲運に見舞われた。両者とも目の手術の失敗が原因であり、しかも同じ医者が担当していた。この眼科医は視力障害に苦しむバッハに手術を施した末、死においやった人物であった。

そしてヘンデルが視力回復の望みを託した手術でも失敗し、さらには彼の健康をも奪ってしまうのである。

 

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rombul1a.gif (164 バイト)イギリスでのヘンデル

イタリアでオペラを学んだヘンデルが訪れた当時のイギリスは、2つの革命を終え市民層が台頭し始め、国家権力の弱化に伴って宮廷音楽が衰退し、劇場音楽へと移行している頃であった。イギリスの持つ自由な空気はヘンデルにとって魅力的であり、ヘンデルはオペラの創作に燃え、ロンドンに劇場を設立しその運営の中心となるなど、音楽事業にも意欲的に取り組んだ。イギリスでのヘンデルの活躍は順風満帆であるように思われた。

しかし対立勢力の出現、オペラ・スタッフ内部での人間関係、金銭的問題、さらには彼が50代になる頃、聴衆がブルジョア趣味的なイタリア・オペラに飽きを感じ始め興行の失敗が続き、華々しい活躍も長くは続かなかった。

そこでヘンデルはこのような風潮の変化に伴って、新しいスタイルの音楽を作る事に挑戦し始めた。

 

rombul1a.gif (164 バイト)オラトリオへの転向

ヘンデルは、イギリス独特の音楽形式であるオラトリオへの転向を試みた。オラトリオとは一言で表すならば「宗教的な主題を持ったオペラ」、「聖譚曲」。テーマが聖書の内容に基づいている事、役を与えられた歌手が演技をしない事以外はオペラと同じであり、当時聖書への理解がまだ薄かった中産階級にその理解を深めてもらうため考え出された音楽であった。

ヘンデルが着目したこのジャンルは、オペラの世界で鍛え抜いた彼にとって格好の世界であった。舞台のドラマ性と、洗練された音楽、聖なる言葉とがひとつところに身を寄せ合った時、気品に満ちて崇高ですらあるヘンデルのオラトリオは偉大な力を発揮した。

 

rombul1a.gif (164 バイト)メサイア作曲

1741年、ヘンデルは彼の活動の本拠地であるロンドンではなく、アイルランドの総督ウィリアム・カヴェンディッシュ(William Cavendish)から、慈善演奏会用のオラトリオの作曲を依頼された。ヘンデルはこの申し出を受け、以前「サウル」など過去何度か彼のためにオラトリオのテキストを書いた友人チャールズ・ジェネンズ(Charles Jennens)に新しいテキストを依頼した。深い聖書への理解なくしては書けない素晴らしい「救世主」の物語、「メサイア」の台本は当時窮地に陥っていたヘンデルの意欲をかきたてた。ヘンデルは部屋に閉じこもり、食事にも手をつけない日々が続き、時として祈りと共に涙を流しながら作曲したという伝説も残っている。かくしてオラトリオ「メサイア」は僅か24日間にして書き上げられ、アイルランド・ダブリンの初演では大評判となった。

その後「メサイア」は後にロンドンでも上演され、低落傾向にあったヘンデルの人気を呼び戻すと共に、オラトリオ作家としてのヘンデルの地位を不動のものにした。彼は遂に決断を下し、オペラの作曲を止め、「メサイア」以降も優れたオラトリオを書き続けた。「メサイア」は、彼にとっても彼の音楽家としての人生を救う「救い主」であったのかもしれない。

 

rombul1a.gif (164 バイト)メサイアのテキスト                            →歌詞対訳

「Messiah」とは、ユダヤの人々が自分達を解放し、楽土を実現するもの、すなわち「救世主」の意で用いていた。

「メサイア」のテキストは「イザヤ書」第40章の「慰めよ、我が民よ」という聴き手に語りかけるような預言の部分で始まる。ここで来るべき救世主の到来を預言しているが、しかし神はすぐに人々を救いはしない。「光」と「闇」の対比が描き出された後、救世主が誕生する。

そして「ピファ(田園交響曲)」、オーケストラのみの平和な音楽が挿入される。これはヘンデルがかつて訪れたイタリアで知って以来愛好していたシチリアーナという田園舞曲を基にするものである。

その後の布教活動や奇跡の行いによって、信じる者の安心感のうちに第一部は幕を閉じる。

続く第二部では、キリストの受難が取り上げられ、キリストの到来に気づきながらも、期待していたものとの落差に受け入れられずに反発し、死に追いやる人々の様子や、キリストが復活した後、その知らせとその教えを全世界に広めようとする動きを描く。

しかし人々の動きはそれでは終わらず、民は騒ぎ発ち、またしても神に対して反発をはじめる。それに対する神の嘲りと怒り、そして改心した人々が神の国の到来を賛美するハレルヤコーラスへと続く。

第三部ではキリストを信じる者への復活の約束が記され、最後の審判を次げるラッパが鳴り響く。そして最後に信仰告白、長大なアーメン・コーラスによってこの「メサイア」は全ての幕を閉じるのである。

  

rombul1a.gif (164 バイト)メサイアの性格

「メサイア」は、やや特殊なオラトリオといえる。例えば、テキストが全て聖書からの抜粋であり、新しく作られている言葉が一つも無いこと、具体的な登場人物がいないこと、歌手には具体的な配役がなく、合唱ともども「救世主」の物語を演じるのではなく語らせていること、などが挙げられる。

もはや教養ある上流階級のエリートやイギリスの聴衆だけでなく、世界中の人々に理解できるような普遍性を「メサイア」に持たせたかったヘンデルとジェネンズには、おそらく物語が客観的に観衆に伝わるようにという意向があったのだと思われる。

原文の新約聖書ではキリストが一人称で語っているセリフを、"He"を主語にした間接話法にしたり、またこの作品のテーマでもある「救世主」に対し、イエス・キリストを意識してはいるものの、具体的な人物名はあげていない。

このようにして、「メサイア」ははっきりと誰かは分からない「救世主」の物語を、救世主役の歌手に演じさせるのではなく、合唱や独唱によって客観的に語らせている。「メサイア」は聴衆一人一人が心に思う「救世主」の性格を持つようにテキストが組み立てられており、言い換えればテキストに足りない主観的なものは、聴衆一人一人のそれぞれの主観が埋めていく、という形を取っている。

ヘンデルはそのテキストに、フランス風序曲、イギリスの教会音楽風の曲、ドイツの受難曲の形を受け継いでいる曲、イタリア・オペラの影響が見られる曲、など多種多様の曲をつけることによってイギリス以外の人々にも共感を与え、作詞者や作曲者の宗教観の主観的な部分を排し、「救世主」をキリストに限定しない事でキリスト教以外の人々にも訴えかける。これが「メサイア」がどんな宗教観を持つ人々も受け入れられる普遍性を持ち、もはやオラトリオというジャンルだけでは限定できないスケールの大きな作品となった理由であろう。

《第35回定期演奏会パンフレットより》

中央大学音楽研究会混声合唱団は、宗教音楽をハーモニーなど音楽的な側面だけではなく、テキストの理解や時代背景など総合的に楽曲を理解することで、作曲家の意図を忠実な再現をしつつオリジナリティを創り出すという高い理想のもとに、年1回の定期演奏会に最高の音楽を伝えるため、日々練習を重ねています。来年度定期演奏会の予定及び、その他の演奏会については、以下のコンサート情報をご覧ください。

コンサート情報

 

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