◆ REI=ZEROの独り言 ◆

花泥棒


ホントはいけないんだけど、スミレを盗んで来た。

火曜日、ゴルフのショートコースレッスンの時にハズれたボールを捜している時、
コースの隅に咲いているのを見つけ、こっそり一株抜いてティッシュにくるんで
ポケットに入れたのだ。

ショートコースはいつも管理の人達が草むしりや芝刈りをしているが、
こういうスミレや、もうじき出て来るネジバナ(野生のミニ欄)だけは
きれいに残している。それを見ると優しい心遣いが伝わって来るのだが、
そのスミレがあまりにも可愛いのでつい出来心で頂いてきてしまった。

(ただし、このスミレに気が付いていたのは一緒に回っている
 レッスン生6人の中で私だけだった。地味だからねえ。)

帰宅後すぐにプランターに植えた時にはちょっとしんなりしていたのだが、
翌日の雨に打たれて元気になった。
来年はもっと株が増えていっぱい花を咲かせてくれるといいなあ。


左=野スミレ(大きさがわかるかな?白いのはサクラの花びら。)

中=私の大好きな野草、「小判草」を食べようとしてるキンタ。
  (写真を撮っていたらのぞきに来た。ケモノ顔になってる。)

右=怒られて固まるキンタ。(ほっとくとハゲになるまで食べる)


2006年4月15日

ちょっと感動

今日実家へ帰省した時聞いた父親の話しでちょっと感動した事がある。
父親の兄、つまり私の伯父の話しである。


父と5つ違いのこの伯父さんは第二次世界大戦で戦死した。
正確には満州陸軍に入隊し、終戦と共にソ連軍の捕虜となり
シベリアの捕虜収容所で栄養失調から病死(餓死)したのだ。

戦後数年経って、伯父の最後を看取ったという同じ収容所にいた
人が、わざわざ長野の実家をたずね、伯父の形見のお守りを届けてくれたそう。

で、、、ここまでは私が子供の頃から聞かされていた伯父の話し。


今日実家へ行ったら父親がうれしそうな顔をして話し始めた。

「兄貴の骨が見つかったんだよ!60年近く経って!」

もう数年前になるが、シベリアに日本の厚生省が主催する
「日本兵遺骨収集団」というのが派遣された事がある。
その時に各地の捕虜収容所を回り、そこで亡くなった元日本兵の
何百柱もあった中から多数の部分遺骨を持ち帰ったのだ。
そして残っていた軍名簿から、その骨等の遺族である可能性がある人みんなに
DNA鑑定のためのDNAサンプル提出を求められた。

そして伯父のDNA鑑定のためには父のDNAサンプルが必要だったのだ。
父は7兄妹だが上3人と下4人では母親が違う。伯父は4番目。
つまり伯父と両親共に同じ血を引くのは父とその妹2人だ。
というわけで父親がDNAサンプルを提供した。それが2年前。

鑑定には時間がかかると予想していたが、半年待っても音沙汰がないのにしびれを切らした父が
厚生省へ問い合わせをしたところ
「DNAの照合には膨大な時間がかかります。年単位だと思って下さい。」と言われたそう。

さらに1年待っても音沙汰がないので父はもうあきらめていたそう。
それがつい先日、長野の実家に連絡がはいり、DNAが一致したという。
ついに伯父のお骨が見つかったのだ。

「もう駄目だとあきらめてたんだけど、、こんな事もあるんだなあ。
 60年近くも経って兄貴が戻ってくるんだ。うれしいよ。」

そう言いながら、伯父の学生姿(学徒出陣)の写真と古い黄ばんだ
雑誌の切り抜き(破り取った)数ページを持ってきた。
裕に20〜30年は経過したと思われる数ページは、シベリアに抑留され帰還したあと
デザイナーになった人が、捕虜収容所時代の生活をイラストにまとめ当時の様子を文章で
説明してあった。

「これは、大昔、週刊新潮から切り取ったものなんだ。
 シベリア捕虜収容所の事が書いてあったもんで
『兄貴もこんな生活だったのかなあ。』と取ってあったんだけど ずっと忘れてて、
 今回の連絡をもらって引っ張りだしてみたんだよ。そしたらさ、、、、」

と、その記事の表題の脇にかかれた作者の名前を指差す。

「ここに小さく『大塚』って書いてあるだろ?
 このイラストと記事を書いた人なんだけどさ。
 今回見直して初めて気がついたんだけど、兄貴の遺品を長野まで届けてくれた人がこの人だったんだよ。
この記事の経歴を見るとシベリアから引き上げて来た後、芸大に入り直してデザイナーになったみたいだな。
もう何十年も前の記事だから、生きてるかわ からないし、銀座でデザイン事務所を開いてるってのも
今もまだあるかわからないけどね。

 でもさ、東京から長野までわざわざ遺品を届けに来てくれたし
 兄貴の最後を看取った人だから、もしまだ生きているようだったら、
『兄貴のお骨が故郷に戻りました。』って一言報告したいんだよな。
 今度の22日にお骨が実家へ戻るそうだから、兄貴を実家で迎えてやって、
戻った事を見届けたら、今度はこの大塚さんを捜し出そうと思ってるんだ。」

父は涙ぐみながらうれしそうに話していた。


学徒出陣で昭和19年10月に召集され、昭和22年4月ハバロスク捕虜収容所で
病戦死した伯父さん。享年23歳。
60年近く経ってやっと故郷に戻る。
戦後生まれの私にとって、第2時世界大戦は過去の歴史のような存在なのだが、
ここにきてあらためて認識させられた。
まさに骨とともに掘り起こされた歴史である。


2006年3月13日

子供の発想

子供と言ってもうちの子供達の事ではない。

昨日、会社へ向かう車の中でラジオを聞いていたときの話し。

視聴者からのメールをパーソナリティが読み上げていたのだが
内容は次のとおり。

20代後半の女性からで、毎日通勤する道で母親に連れられた
幼稚園児に出会うそう。その雨の日もいつものように歩いていたら
目の前で幼稚園児がたちどまり、道に落ちてふやけたタバコの吸い殻を見て
「タバコのあしあと〜〜。」と言ったそうだ。

パーソナリティはその発想がなんとも可愛くて感心してしまったと
言っていた。「大人にはできない発想ですね。」とも。


それを聞いて思い出した事がある。


うちの長女がまだ小1の頃、同級生の女の子Kちゃんを家へ連れて来た。
このKちゃんの事は長女から「かなり変わってるけど面白い友達」と
聞いてはいたが、会うのは初めてだった。
どこがどう変わってるとも言いがたいが、独特のマイペースで行動している。
いろんな事に素直に感心して好奇心も旺盛。

で、その時長女の大好物のアーモンド(おつまみ)缶詰めを
長女がKちゃんに勧めてきた。
缶の中を覗き込むが手を出そうとしないKちゃん。

「Kちゃん、アーモンド嫌い?」と長女が聞くと
「これなに?」

「アーモンドっていう何かのタネだよ。美味しいよ。」
「、、、食べれるの?」

それを聞いた長女は自分の口にアーモンドを放り込んで見せ
Kちゃんに「ほら」と缶を差し出した。
Kちゃんはおそるおそるひとつだけつまみ出したが目の前に持っていって
じっと眺めて食べようとしない。

「おいしいよ。食べてごらんよ。」と言う長女にKちゃんが一言。

「なんか、、、、ゴキブリみたい、、、。」

そばで聞いていた私はすごいショックを受けた。
あまりにその発想が突拍子もなかったのは言うまでもないが
言われてアーモンドをマジマジと見ると
手足を引っ込めたゴキブリのフォルムそのものだったのだ。
アーモンドの表面に走るシワはゴキブリの羽の葉脈そのものだ。
これに黒いニスを塗って針金の触角&手足をつければ
まさしくゴキブリ!

Kちゃんの言葉は目からウロコだった。
なんて素晴らしいんだKちゃん!そのときから私はKちゃんのファンになったのだった。

が、、、悲しいかな、Kちゃんは2年に上がるときに別の学校に
行ってしまった。私は後で知ったのだがKちゃんは知的障害児童だったのだ。
(うちは子供達がみんなちょっとヘンなので、私はKちゃんのリアクションも
個性としか考えてなかった。)

その後Kちゃんがどのように成長したかは知らない。
でも今年18歳になる今でもあのときの素直な純真なKちゃんでいてくれてると思う。
願わくば、あの楽しい発想(才能)をまわりの人が生かして「山下清」のように
のびのび暮らしてくれてるといいなあ。


2006年2月17日

パティシエhideyoshi

「バレンタインデーに女友達にあげるから」とクッキー作りに精を出す
次女につられて私もつい、、、、、、作り過ぎた。

クッキーはチョコ味とプレーンなバター味。
全粒粉を使ったがチョコは向いてない。不味い。
バター味のほうは予測どおり。いける。

生チョコのほうはプレーンなトリュフと
今回初挑戦の「オレンジピール味」(棒状のほう)

もともと市販の(外国産)オレンジチョコが好きなのだが
松戸の伊勢丹で捜してもみつからなかった。なかなかないのよ。
アップルチョコは神戸に有名なのがあるんだけどねえ。

なのでお菓子材料売場でオレンジピールのみじん切り袋詰めを買い
生チョコを作る過程で入れてみたのだ。
この出来上がったオレンジ味が(私の中では)大成功。
想像通りの味に仕上がった。

来年からは生チョコのレパートリーがひとつ増える。
(レーズンチョコは甘くなりすぎるので最近はパスしているのだ)


が、、、、、こんなに作ってしまって、、、誰が食べるのよ?


2006年2月14日

現行犯

私が夜のおやつに食べようと思っていた「信玄もち」を机の上に置いたまま
テレビ映画に夢中になっているうちに忘れてしまった。

シャカシャカ、後ろのほうで怪し気な音がするので振り向いたら
私と目が合い固まるキンタ。
「あ゛〜〜〜〜〜っ!!」というわけで現行犯逮捕。

しかし、逮捕された後も餅を離そうとしない。
ほかの事では粘りのないキンタだが、事食べ物に関しては
あきらめを知らない。
「はなすもんかっ!」と意志の強さを見せた。(鼻水たらしてるけど)
取り上げた後もしばらくあちこち捜してさまよっていた。

でも、「信玄もち」は私も好物なんだ〜〜〜。渡さへんでっ!


2005年8月26日

やっぱりね

1週間の旅行から(旦那さんと共に)帰って来た時の事。

留守の間、自宅には旦那さんの車が置いてあったので
それを免許取り立ての長男が乗り回していたらしい。
これは出発時、容易に想像できたので
「乗るな、とは言わないけど、この車はあなたの年齢の保険が
カバーされていないから、くれぐれも事故らないように。」と
口を酸っぱくして注意しておいた。


帰宅し、長男の部屋を覗くと長男(プー太郎)は寝ていた。
と、思いきやいきなりガバッとベッドから起き上がり
「かあちゃん、オレとーちゃんの車キズつけちゃった。」という。

車庫では全然気が付かなかったので「え?どこを?」と聞くと

「運転席側の前のバンパーのとこ。うちの車庫に入れるとき。
 ここんとこ一回で入れられるようになったから調子に乗ってやってたら
 うっかり前のとこ門の扉にスっちゃった。ちょっとなんだけど。
 ねえ、とーちゃん怒るよねえ?」
「うーーん、それは、、、。ま、でもとにかくおとうちゃまに伝えて
 ちゃんと謝ったほうがいいね。」

「オレ、勇気ないよ。かーちゃん、言ってくれない?」
「まさか!冗談でしょ?自分で言わなきゃ余計おとうちゃまの怒りを買うよ。」
「でも、オレまだ勇気ない。あとでちゃんと謝るから、今は
 寝てるってことにしといてくんない?」
「しょうがないなあ、、、でもとにかくすぐに謝まんなきゃダメだよ。
 取りあえず今はまだおかあちゃまは聞かなかった事にしとくから。」
「うんうん、わかった。」

日頃、旦那さんはすごく車にうるさい。
ちょっとでもキズがつこうもんなら(飛んで来た小石とかで)
すぐに工場へ運び修理してもらう。
キズのついた車に乗ってるのは彼のドライバーとしてのプライドが許さないのだ。
特にバンパーのキズなど「ヘタクソの証明」だからなおさらだ。

それを知っている長男はビビってしまったのだ。
前日に擦ってしまったらしいが、それから旦那さん帰宅まで
生きた心地もしなかったに違いない。(もちろん義母にも言っていない。)

翌日は日曜日だったが、旦那さんは出勤するという。
朝旦那さんが出勤の時、車庫には私の車が前にあったので
先に車を出し、旦那さんが車を出すのを表で待っていたのだがなかなか出て来ない。
たぶん、キズに気が付いたのだろうが、私は知らんぷりしてずっと自分の車から出なかった。

やっと出て来た旦那さんはそのまま出かけていった。
「あれ?なんにも言わなかったなあ。気が付かなかったのかな?」と思ったが
しばらくして電話がかかって来た。(ちょうど、会社に着いた頃。)

「あのさ、オレの車のバンパーにキズがついてるんだけど長男は何も言ってなかった?」
「ええ?そうなの?長男は寝ててまだ話ししてないから聞いてないけど。
 キズはひどいの?へこんでるの?」(私も役者。オホホ)
「いや、キズはたいしたことない。じゃあさ、やつが起きたら話し聞いといて。」
「うん、わかった。聞いておく。」

電話を切ったその直後、寝ていた長男をタタキ起こし
「今,おとうちゃまから電話があったよ!キズの事で!
 長男から事情を聞いといて、って言われたけど、
 今すぐおとうちゃまに電話しなさい!そのほうが絶対いいから!
 ちょっとでも早くあなたが直接おとうちゃまに事情を話しなさい!
 ちゃんと謝れば怒らないと思うから。いつまでもグズグズしてると
 余計におとうちゃまの怒りを買うよ!速攻で電話しなさい!」

半分寝ぼけ眼の長男も事態が飲み込めたようで顔が緊張してきた。
そして、私の脅しにビビり、自分の携帯から旦那さんに電話をかけた。
旦那さんにつながったのがわかったので部屋を出たが心配で
ドアの外で聞き耳を立てていた。

「あ、、もしもし?おとうちゃま?、、、、
 あのう、、、すみません!あのう、、車にキズをつけてしまって、、、。
 はい、、はい、、ほんとうにすみません、、、。
 え?、、、えっと、、、、うちの車庫に入れる時にですねえ、、、、、」

そこで、私はドアの側から離れた。
どうやらなんとか関門を無事に通過したようだ。
やっぱりすぐに電話させたのが功を奏したのだろう。
午後帰宅した時には旦那さんは長男を攻めるようなことはなかった。
おまけにキズはすでになおしてあった。表面だけだったので小一時間で終わったという。
いつもながらさすがに素早い。

時刻は2時頃だったのだが旦那さんが長男に言った。
「おい、ちょっと車みてこようか。」
「は?車?」

「そうだよ。オマエの車を見に行くんだよ。」
「はあ、、でもオレには、、、もったいないですよ、、、。」
「何言ってんだよ。いつまでもオレやおかあちゃまの車に乗ってるわけにもいかないだろ?」
「はあ、、、それはそうなんですけど、、。」
「ヒデも一緒に行くよな?」
「え、、、、あ、、、はい、、、。」

出た。やっぱりな。
長男が教習所に通いはじめたときから、
「やつの車も考えないとなあ。」とつぶやいていた旦那さんに
私は知らんぷりをしていたのだが、やっぱりこういう展開だ。
こうなると、私が反対してもこの流れは止められない。

旦那さんとしては自分の車に勝手に乗られて、おまけにキズもつけられたから
なおさら長男の車購入意欲に拍車がかかったのだ。

行きは旦那さんが長男に運転させたのだが
「おお、オマエなかなか運転うまいじゃないか。きちんと丁寧に運転してていいぞ。
 アクセルタッチもうまいしおかあちゃまよりうまくなるかもな。」と言う。

どうせ、私は乱暴運転ですよ。わかってますってば。ふん。

結局、近場のトヨタ2件とホンダ1件の店を見て歩き2台の車に試乗し
カタログを山のようにもらって帰って来た。
長男本人はすねかじりの身なので何も言えないと終始身を引いていたが
やはり好みの車があるようだ。
で、候補の車は2台にしぼられたが、一台は現物がなかったので
後日用意してもらって、それを見たあとで決めようと言う事になった。

その3日後には旦那さんはロスに行ってしまったので、
その候補の車を見に行くのは次回出張から帰ってくる今月末。
その時にはたぶん決定するだろう。

あひー。これでうちは車が4台になる。ドライバーひとりに一台ずつ。
車庫には2台しか入らないので、すでに次男の1台は
隣の義姉が持っている駐車場を借りているが(空きがあるので)
もう一台分も借りる事になるだろう。
(巨大バイクをどかせばもう一台入れられるんだけどね。とほほ)

長男の車が来るまでは、私が出張中の旦那さんの車に乗り
私の車を長男に貸す事にした。(私の車のほうがはるかに安い値段だからだ)
そのため、私の車両保険を変更せざるを得なくなった。
私は「ドライバーが35歳以上」で契約していたしゴールド免許なので
保険料が安くなっていたのだが、20歳の長男ではめちゃめちゃ高い。
私の1・5倍の保険料を上乗せするはめになった。あと半年でなんと15万。

しかし、万が一の事があっては困るので出さざるを得ない。
あきらめているとは言え、この車貧乏からは一生抜け出せそうにない。

旦那さん、もっと稼いでくれーーーーーー。(涙)


2005年4月11日

運転免許

昨日、長男が期限ギリギリでやっと運転免許を取った。
去年の10月に仮免を取ったはいいけど、その安心からか
教習所をさぼり続けて、あと一息というとこなのに放置。
今月頭に教習所のほうから電話があり
「3月28日で仮免が失効します。それまでに卒業してください。」
とハッパをかけられたのだ。

私がロスに出かける前になんとしてでも取ってほしいと
朝は寝ている長男のフトンをはいで、叩き起こしていた。
その甲斐あってか、なんとか期限内に卒業にこぎつけ
やっと昨日免許センター試験に合格したのだ。


昨日は雨が降っていたのでバイクで行くのを止め、私が免許センターまで車で送り
帰りも迎えに行ってやった。(交通の便が不便なとこにある)

センターの駐車場で待っていると、長男が走ってきて
「帰りはオレが運転して帰る。」という。
免許を取ったばかりだから乗りたくて仕方ないのだ。
まあ、帰り道は比較的広い道ばかりだから、スピードを出し過ぎなければ
大丈夫だろうと、私は助手席に移った。30分ほどの道のり。

が、、、私は家に帰り着くまで緊張に固まることになった。
長男は慎重に運転しているが、あまりにも慎重すぎて
角を曲がるたびに止まってしまうのではないかと思うくらいだ。
おまけに運転席と反対側の幅の感覚がつかめないらしく
やたらセンターに寄ったり、路肩に寄ったりする。

私の車は教習所の車よりひとまわり大きいので、どうも感覚がつかめないらしい。
ガードレールすれすれに走るときは思わず、左足をあげてよけてしまった。
それに信号のたびに私も、あるはずのないブレーキを踏んで足を突っ張ってしまう。
そのたびに思わず「あっ!ハンドル切って!」「ブレーキ踏むのが遅い!!」
「もっとまん中走って!」「ウインカー遅い!」「カーブ膨らみ過ぎ!」と
声をあげてしまう。

「うるさいなあ!もうっ!いちいち騒がないでよっ!逆にびっくりするだろっ!」
と言うのでじっと黙っていたのだが、やっぱりヒヤヒヤ。
段々慣れて来た長男は自宅近くになって安心したのか調子に乗って
タバコを吸いはじめた。

「なにやってんのっ!運転中にタバコ吸うなんて10年早いわっっっ!!!」
「平気平気。大丈夫だって!」と調子づく。
で、幹線道路から住宅地へ入る道に右折しようと対向車が途切れるのを待ち、曲がり始めた。
丁度、その道から車が一台出て来て、それをやり過ごそうと大回り右折した結果
曲がりきれなかった。角のポールにぶつかる寸前。思わず絶叫。
「ハンドル遅い!遅い!ああーーーっぶつかるっ!ブレーキっっ!!
 ハンドル切るのが遅いっつーーのっっっ!!!」両足ふんばってゼイゼイ。
バックして2回切り返してやっと脱出。その間に幹線道路の車10台ほどを止めた。

「ごちゃごちゃうるさいんだよっ!ハンドル切るのにちょっとタバコが邪魔になっただけだよっ!」
「だからタバコ吸うなんて10年早いって言ったでしょっ!」

「何いってんだよ!オレは運動神経はかあちゃんよりずっといいんだからねっ!」
「何言ってんの?はこっちの台詞。車の運転は運動神経より判断力が必要なのっ!
 いくら運動神経がよくたって、肝心の判断ができなかったら、身体に指令が出せないんだからねっ!
 あんたなんか判断力は大トロよっ!」

家に帰り着いたときは思わず神様に感謝した。
そのあとも、車庫入れでまた大トロ。車が来ないのを見計らって入れ始めたのだが
何回も切り返しするはめになり、また通りの車を数台止めた。 普通なら一回で入れるのに。

こんなんでよく自動車学校は卒業させたよなあ。まったく。
もう心臓に悪いったらありゃしない。
若者の自動車保険料が高くなるのも無理はない。


今日も夕方、長男は私の車を借りて近所に出かけた。
夜になって長男も車も無事に帰ってきたが、その時の会話。

「あれ?夕飯は?」
「友達ともう食べて来た。近所の100円均一回転寿司。」
「へえ、豪勢だねえ。」
「いや、○○と一緒だからホントはすぐそこのセブンで買って
 うちに帰って部屋で食べようと思ったんだけど、あそこの駐車場こっちからだと
 頭から車いれないとダメだろ?」
「そうだねえ。駐車場がすぐ道路に面してて奥行きがないからねえ。」
「頭からだと、今度は出る時どうやって出せばいいかわかんないから
 怖くて、結局通り過ぎて、大回りしてあっちの回転寿司に行っちゃったんだ。」
「、、、、、、うぷぷぷ。わーーはっはははは。」


長男のウイークポイントは「車庫入れ」。これからしばらくは特訓だな。


ちなみに私は車庫入れと縦列駐車が得意。
(保育園に子供の送り迎えしていた頃=12年間毎日=保育園前の狭い路肩スペースに
 強引に車を割り込ませて止めていたためのなせるわざ。)


2005年3月23日

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