

18世紀末、それまでの華美なパニエ.スタイルに代わって、ネオ.ギリシャ、ローマ風のシンプルなシュミーズ.ドレスが登場しエンパイア.スタイルと呼ばれた。「自然への復帰」「人間の振る舞いの簡素化」などを説く、ジャン.ジャック.ルソーの思想の影響などもあった。しかし、シンプルなモードへの急変が絹織り業に恐慌をひきおこし、フランスの経済危機を深めた。そして、それまでの王制は、完全に行きづまり、王制の崩壊から大革命へと歴史は大きく暗転する。
ルイ16世とマリー.アントワネットは、コンコルド広場の処刑場の露と消える。
ナポレオンの帝政期の始まりである。19世紀には、モードのリーダーが、貴族から新興富裕層(ブルジョワジー)に移行し、ブルジョワジーは、その富と権力を拡大していった。
シンプルでハイウエストな白いエンパイアスタイルの流行は 18世紀末から根強い人気で、当時の社交サロンの花形達には、ナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌ、レカミエ夫人、タリアン夫人などがいた。

ジョセフィーヌの肖像 ポリーヌ.ボルゲーズ公妃 レカミエ夫人の肖像

レカミエ夫人像

ルブラン夫人とその娘ジュリー
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ア.ラ.ジラフ 1830年
ルイ.フィリップの時代(ロマン主義時代のはじまり)(1830〜48)
ハイウエストで、ふくらみのないドレスから、ウエストを絞った中世風、オリエント風のスタイルが流行りだす。この時代は、髪も、センターで分けて、横に流しカールさせる形が流行。1830年以後のこの傾向は、文学や演劇、音楽などの分野で発展しはじめていたロマン主義の潮流に呼応するものだった。
ダンディ、次いでリオン、リオンヌの登場。ダンディとは本来「衣装とその着方、趣味、社会的態度の上で最高のエレガンスを代表する男性。これに対し、リオンは一層きざっぽいタイプのダンディである。
リオンヌは、熱狂的で行動的な女性で、乗馬服を着て、馬を駆り立て、喫煙し、シャンパンをたしなむ、当時としては型破りなギャルソンヌの走り。ジョルジュ.サンドは、文学的リオンヌの代表的存在で、男装の女流作家として名を馳せていた。うわべばかりのリオンヌ達とは異なり、当代の知的エリート族として女性解放運動の先駆者として位置づけられている。
1840年には、繊細で、か弱いことが上品とされ、健康的、活発は下品とされた。全般的に、ほほ紅、口紅はあまり使用せず、病めるような青白さを追求した。
なかには、病的に見えるようにと目の周囲にくまを作ったりする夫人もいたという。
ドレスは、釣鐘型になり、手にはブーケと扇子を持ち、髪やドレスにはブーケとお揃いの花飾りをほどこしたりした。




