"Old Soldiers Never Die"Speech by Douglas A. MacArthur
ダグラス・マッカーサー/演説「老兵は死なず」

 第二次世界大戦時には連合国軍司令官として対日反攻作戦を指揮し、終戦後にはGHQ(日本進駐連合国軍総司令部)最高司令官を務めたダグラス・マッカーサー。パフォーマンスが得意で人心をつかむ才に優れ演説も巧みだったといわれ、いくつもの名言を残しています。
 たとえば、“I shall return.”(私は必ず戻ってくる)。マッカーサーがフィリピンで軍務に就いていた際、本国アメリカから「真珠湾が奇襲された」という連絡が入ります。それからわずか10時間後、フィリピンもまた勢いに乗った日本軍に急襲され、マニラはあっさり陥落。マッカーサーらはからくも脱出し、オーストラリアまで退きます。“I shall return.”はその際の言葉です。
 1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越えて韓国に侵攻することで始まった朝鮮戦争で、マッカーサーは国連軍の司令官として指揮をとります。絶対成功するはずがないと言われた仁川(インチョン)上陸作戦を成功させ、北朝鮮軍を中国国境地帯まで追い詰める手際を見せますが、中国参戦によってマッカーサーの運命は狂います。あくまで中国と直接対決しようとするマッカーサーに対して、時のトルーマン政権はソ連をも巻き込んだ第三次世界大戦となることを危惧、外交による停戦に持ち込もうとしていました。1951年4月11日、マッカーサーはトルーマンによって解任され、その軍歴にピリオドを打ちます。
 1週間後の4月18日、ワシントンに帰ってきたマッカーサーが、上下院両院合同会議でなした演説のハイライト部分がこれです。自らの朝鮮政策の正当性を主張したあと、マッカーサーは、アメリカ国民に別れを告げます。




Speech

 I have just left your fighting sons in Korea. They have met all tests there, and I can report to you without reservation, they are splendid in every way.
 It was my constant effort to preserve them and end this savage conflict honorably and with the least loss of time and minimum sacrifice of life. Its growing bloodshed has caused me the deepest anguish and anxiety.
 Those gallant men will remain often in my thoughts and in my prayers always.

 I am closing my fifty-two years of military service. When I joined the army, even before the turn of the century, it was the fulfillment of all my boyish hopes and dreams.
 The world has turned over many times since I took the oath on the plain at *West Point, and *the hopes and dreams have long since vanished, but I still remember the refrain of one of the most popular barracks ballads of that day which proclaimed most proudly that
old soldiers never die; they just fade away.
 And like the old soldier of that ballad, I now colse my military career and just fade away, an old soldier who tried to do his duty as God gave him the light to see that duty. Good-bye.


your fighting sons「あなた方(国民)の戦っている息子たち=兵士」
met all tests(met all tests)「あらゆる試練に出くわす(た)」
growing bloodshed「拡大する流血の惨事」
barracks ballads「兵舎で歌われているバラード」



*West Point「陸軍士官学校」
ウエスト・ポイントは、もともとニューヨーク州にある軍用地名だが、陸軍士官学校があるため、その代名詞ともなっている。マッカーサーは1898年にトップで合格、過去25年間で最高という好成績をおさめて1903年に首席で卒業した。

*the hopes and dreams have long since vanished「その後、夢と希望が失われて久しい」
このsinceは「その後、ある過去の一時点と現在の間に」という意味。通例、haveと過去分詞の間に置かれて使われる。〜have long vanished(長い間失われている)に「その後」という一語が加わったと考えると、わかりやすい。


対訳

 私は戦地で戦う皆さん方の子を朝鮮に残してきました。彼らはそこであらゆる試練にぶつかりました。そして私は今、なんのためらいもなく申し上げることができます。彼らは、あらゆる意味において素晴らしいということを――。
 彼らを守り、この野蛮なる戦闘を誇り高く、最小限の時間と人命の犠牲で終らせるようにすることが、私の絶えず努力してきたことでありました。しかるに、はからずも流血のとどまるを知らぬは私の深い苦悩と心労の原因でもありました。
 勇敢なる、彼らますらおのことは、今後も常に私の思いと、祈りの中に生き続けるでありましょう。

 今私は、52年間におよぶ軍歴に終止符を打とうとしています。今世紀の幕がまだ上がっていない時期に陸軍に入隊し、当時は少年時代の全ての希望と夢がかなったように思ったものでした。
 私が陸軍士官学校の校庭で宣誓をしてから、世界は幾度となく転変を重ね、私の少年時代の夢と希望ははるかかなたに消え去っていきました。しかし、今なお、あの時代、よく兵舎で歌われていたあのバラードの一節がまざまざと思い起こされるのです。誇り高く歌い上げていたあの一節。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
 この歌の老兵のように、私は今、軍人としての職歴を終え、ただ消えていきます。神の光に導かれて自らの責務を知り、これを全うすべく努めた老兵として。お別れです。



 演説から引用したテキストは“I am closing my fifty-two years of military service.”の一文を境に、二つに分かれます。
 前半は、司令官として、朝鮮半島に残してきた「わが子たち(兵士たち)」に思いをはせ、そしてこの一文から
訣別の辞となるのです。その訣別の辞が、たとえフィクションであるにせよ、自らを一兵士(a soldier)となぞられているからこそ、この演説は長く人々の記憶に残ったのでした。
 司令官も、社長も、最初は誰もがただの一兵卒でした。その長い職歴に別れを告げるとき、再び誰もが一兵卒に戻るのだと思います。しかし、その彼の残したものが何ものかでありさえすれば、その別れの辞は長く人の記憶に残ります。



「感動する英語!」 著者 近江 誠  発行者 平尾隆弘  発行所 (株)文芸春秋 より。




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