明治41年生まれ、大正、昭和、平成を生きる。

 

1908年7月9日

 

京都市に生まれる。父は若狭小浜に医院を開業。上に一人、下に二人兄弟あり。小学校途中で兄と共に上京。母方の伯母宅で世話になる。

1909年

伊藤博文暗殺

1919年ころ

当時の重病、腸チフスにかかるが、一命を取りとめる。

 

1923年9月1日

関東大震災起こる。この時、宿題ができていなかったばかりに、連れて行って貰えるはずの三越に行けず、そのために命拾いした。

1928年

敬愛してやまない父親と性格の激しい兄に、勘当すると脅され、不承不承11歳年上の男性と結婚。当時20歳。相手のことをすごいオジサンだと思う。夫になる人が「天女のようだ」とラブレターをよこした、というが証拠はなく、証人もいない。

1929年11月30日

 

ただ一人の子どもとなった娘を出産。

この年に世界恐慌おこる

1933年

重病となり生死の境をさまようが、生還。

1935年

長野県にあった富士見高原療養所で結核の治療。この時、「風立ちぬ」の作者 堀辰雄と婚約者と、療養生活の時期を同じくした。

1937年

日中戦争始まる。

1941年

太平洋戦争開始

都心爆撃の時、地下鉄銀座線に飛び乗った瞬間、間一髪で難を逃れる。

1945年

敗戦 奈良市内にて終戦を知る。

1950年10月10日

ひとり娘、養子縁組で結婚。

1951年10月18日

 

初孫(男児)誕生。この子のために抱き人形を作ったのが近所で評判となり、バザー出品を求められるようになり大人気を呼ぶ。それがきっかけで、人形制作を始めることとなる。

この年にサンフランシスコ講和条約結ばれる。

1955年

女の子の孫を授かるが、生後一ヶ月で医療ミスのために死亡。また、この年に主婦の友社の手芸展に2作出品。一等と佳作入選を得る。

1957年8月30日

亡き孫娘とは似ず、頑丈でごつい孫娘を授かる。

1958年

日本人形美術展(朝日新聞社主宰)に初入選。

1963年

 

現代人形美術展(朝日新聞社主宰)で「寒い日」で朝日賞を受賞。

1964年

東京オリンピック

1968年1月15日

 

夫70歳にて逝去。

1970年

大阪万国博覧会

1973年

 

療養生活を過ごして以来、憧れの土地となった八ヶ岳山麓に移り住む。

石油ショック この年に起こる。

1979年4月7日

孫息子結婚。

1980年

田園調布の画廊「土楽」で初個展。

1982年

孫娘と初めての海外旅行。ヨーロッパ周遊する。

1985年

銀座松屋にて個展。好評を得る。1冊目の写真集発行。

1984年1月11日

初ひ孫に恵まれる。

1989年

昭和天皇崩御 平成となる 

1986年10月

銀座松屋で2回目の個展開催。

1988年10月

銀座松屋で3回目の個展開催。2冊目の写真集発行。

1994年

 

銀座松屋にて3回目の個展を行う。3冊目の写真集発行。この年に一人娘が療養生活に入る。

1995年

 

阪神大震災の起った朝、YBSで人形作者を尋ねる、という短時間のインタビュー番組が放映される。あと30分遅れていたらオンエアは不可能なところであった。この年は地下鉄サリン事件など、ショックな事件のあった年だが、一人娘が先立った事が最大のショック、悲しみとなる。

兵庫県南部大震災・オウム真理教世間を騒がす

1996年

 

八ヶ岳にIターン就職した孫息子一家と隣居する。悲しみを振り払うようにして「人形の部屋」を作る。

1997年

神戸児童連続殺人事件 

1998年

満90歳の誕生日を迎える。

1999年5月

山形県鶴岡市郊外羽黒町の「ギャラリーまつ」にて、個展を開催。

1999年7月9日

満91才となる。まだまだ元気。

2000年6月

姪に招かれ、下関「蛍泉亭」にて個展

2000年7月9日

満92才となる。

2000年夏休み

孫娘である私と今年も楽しく色々とおしゃべり。「明日の友」に掲載されたために、お客様が常日頃より多し。


2003年4月 当年とって94歳。まだまだ元気です。(^_^) ただいまある企画があります。
実現したらお知らせさせていただきます。


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