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「角立て」


ある時、感じた、思った事を掲載しております。
第二回目は右にも置いてある「千社札」の話、京都の清水寺で感じました。

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京都の千社札 1998/10/20


 先日、京都・清水寺に修学旅行以来30年ぶりに行って来ました。
 山門の手前にたくさんの土産品店が並んでいますが、その並びに寺でもないようなのですが、観音さんを祭った土間を持った家屋があります。天井や壁にたくさんの千社札が貼ってあります。修学旅行の時には興味がなかったのですが、今では大いに興味のある千社札です、さっそく中に入り、貼ってある千社札を見てみるとなじみの札がおおく、地名を見ると多くが関東です。驚きました。

 当然京都ですから、地元の方の関西はむろん近畿・中国・四国などの札が多いと思ったのですが、これが多くないのです。ほとんどが関東の人たちの札ばかりです。札だけ見たら、秩父のだと言われても「そうですね」と思うほどに関東の札ばかりです。(写真を見て下さい、天井の写真です)

 私は納札の流行は関東(江戸)が本場であるとは思っていましたが、それでもある程度は、どの地方もそれなりの流行をしていると思っていました。しかしこの写真や、他にも見てきたものを勘案すると、私の考えは誤解だったようです。思っていた以上に、納札は非常に地域性のあるものだったようです。

そこで千社札の話をまとめました。浮世絵版画摺り師で東京都荒川区指定無形文化財の関岡扇令さんから聞いた話と、関岡さん書かれた『江戸コレクション 千社札』(1983/講談社)からまとめてあります。 

●千社札の起こり

「せんじゃふだ」と聞くことがありますが、濁らずに「せんしゃふだ」と言います。

 もともとは神仏信仰に基づく納札でしたが。永延二年(988)に六十五代「花山天皇」が粉川寺に歌を札に書いて納札した古い記録があります。

 江戸時代からは粋な洒落心を持つ遊びになり18-19世紀に盛んになったそうです。しかし、信仰からかけ離れ「遊び」になり、交換会等が余りにも盛んに、贅沢になりすぎて寛政11年(1799)には、禁止令が町触れとして出たほどだそうです。

 千社札の材質は古いものは銅板の金属製や木製漆塗りなどもあるそうですが、室町時代までは紙は高価だったため一般的なのは木製でした。木製といっても薄い板で幅5センチ高さ15センチほどの「木簡」に近いものでした。江戸時代からは紙製がほとんどですが、ごく最近では印刷札(シール)が圧倒的でしょう。

柱の高いところや天井には、19世紀の初めに作られ始めた「振り出し竿」という継ぎ足し式の竿と「夫婦刷毛(ばけ)」を使い手の届かない所に札を貼ります。

●千社札の大きさ

 奉書全判は十六丁です。紙寸法は395×530ミリ。この紙全体を切らずに一枚のもで作った札を16丁札といいます。通常はこの紙を短辺を半分にして、これを左右8分割して、全判を16分割したものを一丁札(いっちょうふだ)といいます。

 一丁札の紙寸法は幅一寸六分(58ミリ)、高さ四寸八分(173ミリ)。この一丁札の中に子持ち枠と呼ばれる子持ち罫囲みがあり、この中に文字などを入れます。子持ち囲みは外枠が太枠、内が細枠です。明治20年にまちまちだった子持ち囲みの寸法が外寸法で幅48ミリ高さ144ミリと決められたそうです。比率は1:3になっています。

 連札(れんふだ)と呼ばれる横幅が二枚分の二丁札、そして三丁札、八丁札など大きさもいろいろあります。

●千社札の種類 

 千社札には、「はりふだ」と言われ神社仏閣に納札するための屋号や土地名、模様と名前をスミ刷にした「題名札」。また、「色札/いろふだ)」と呼ばる色を何色も使い、デザインにも凝った千社札を「交換納札」といいます。

「交換納札」は浮世絵の巨匠「広重」や「英泉」「国芳」「芳雪」浮世絵絵師がほとんど作っていて『納札交換札が商業出版の浮世絵版画と比較しても少しも遜色はありません。むしろ作品価値としては優れているほどであった。』(関岡扇令)そうです。たかが千社札と思うなかれです。

左が私の題名納札、右が色札です。

「交換納札」は納札の札ではなく同好の士の鑑賞、コレクション用に作るものです。集まりは「納札交換会」とよばれ、始まりは古くは寛政十一年(1799)四月に江戸・京橋の長島銀市宅の二階で行われた記録が残っています。このときには十六丁が三枚刊行されたそうです。初めに書いた禁止令が出たのはこの三ヶ月後のことです。「納札交換会」は現在でも続けられております。

どちらにしても、千社札は浮世絵などと全く同じ江戸木版画の独創的な造形を伝承してきた刷りものです。

●江戸文字
 千社札に使われる文字は「江戸文字」の「力文字」です。

 提灯や千社札に使われる肉太の力強い書体をさして「江戸文字」といいます。または別に「力文字」「籠文字」とも言われます。画の両端に明朝体の音引きの止めのような形をしたアクセントがつけられているもじです。

 1800年頃までは題名納札は色々な書体が使われていましたが、この頃から納札交換会が盛んになると木版で多量に刷るようになると、御家流の系譜を伝承する書家であり、浮世絵絵師でもあった梅素停玄魚(ばいそてい げんぎょ)が専門に揮毫し始めた。書家名を「田キサ」となのり、御家流の書家の武田交来に師儀して「田キサ流」を作ったのが始まりです。この後に「田てう<たちょう>」(浮世絵絵師)、「福新」「福志ん」などが書き続け、明治の中程に「しま米」「高橋藤」「櫛朝」が「江戸文字」を確立させた。

 千社札に使う江戸文字は、写植に写研さんの「江戸鈴」や、フォントにNIS江戸文字「風雲」、TRSプランニング「創英新江戸文字」、「HG篭字」、「千社文字マール」などあります。

●小型のシール印刷
 最近よく目にするものは小型のシール印刷でつくられたものでしょう。町の印刷屋さんで安価に作れます、また、プリンタでタック紙に印字すれば簡単に作れます。これが問題なのです。

『江戸コレクション 千社札』の解説冒頭にこう記されています。

「ちかごろ、「千社札」は粋なもの、という安易なディレッタンティズムが横行して、だんだんブームになってくると、次第にファッション化し、低俗化し、その結果千社札の美が損なわれる様相を呈してきた。そしてデパートや文具店、はては民芸店までも、千社札と称する粗悪な印刷物を大量に販売するようになってきた。
 千社札ステッカーが、バーのボトルキープの記名用に使用されたり、自分の持ち物である鞄や車の名札代わりに貼られているうちはご愛敬だが、やがて納札の連中が永年伝承してきた、信仰的な規制や約束間でも無視して、神社仏閣の本堂、山門など、ところかまわず添付するようになると、寺社側からもその美観を損ない建物を破損するという理由で、千社札の添付を禁止するするところが多くなってきた。また甚だしいものは、千社札ステッカーを、寺社を対象とする広告宣伝の媒体として利用するものまで現れ、いまや千社札と「鳩の糞」は神社仏閣の二大公害といわれるまでに顰蹙を買っている。」

 下の写真に貼られてる札は殆どがシールの千社札です。左にある納札に千社札シールが上に無遠慮に貼られています。
 あるところでは、納札されてから何十年経ってようやく文字が抜けた納札の上にシールが貼られていのを目にしました。これも悲惨です。
 東都納札会の神社仏閣納札の心得に「一、先人の題名納札、同好の士の題名納札の上へは重ねて貼らぬこと。」と当たり前の事が最後にあります。

京都の清水寺は千社札納札禁止でした。

●インターネット納札
http://www2.begin.or.jp/tanzan/

 奈良県桜井にある談山神社さんのウェブではインターネット上に納札所を作っています。「千社札貼り付け所」です。
くわしいことは談山神社さんのウェブでご覧下さい。

●千社札の博物館があります。興味のある方はぜひ、行ってみて下さい。
「千社札博物館」東京都墨田区京島2-10-9 電話03-3612-1691