俺達卒業して27年 “朱雀門”探訪の旅
1999年5月18日
訪問の動機
 1969年5月、大学2年の春 精力的な作曲活動を続ける鈴木静一先生の“朱雀門”の初演を聴いた。日本女子大M.C.第7回
定演は忘れらないだろう!岩見さんの繊細且つダイナミックな指揮。渚のメロディはこの方の為に書かれたと思わせる永田
さんのフルート。初演を聴くと解釈の違いや演奏のアラを見付けついついファイトが湧く事があるがこの夜の“朱雀門”は
全てに完成された演奏であった。それ以降、私自身が参加した演奏や他団体の演奏に接したが残念ながら初演には到底及ぶ
ものではなかった。“朱雀門”に対しては一回表に勝負がついた野球のような…そんなコンプレックスのような…近寄りが
たい片想いを抱きつづけている。
 物語の舞台となった平安京の朱雀門は現在は存在してはいない。かつての存在したと思われる場所に朱雀門と羅生門の遺
址の碑が残されているのみである。 しかし400年の歴史が流れた平安京に遷都される前の都…平城京・僅か80年の奈良の地
にまったく同様の都と宮殿が作られていた。つまり羅生門より入場し朱雀大路を北上しやがて朱雀門をくぐって大内裏(宮
城)に入る都の姿が存在していた。その朱雀門の復元工事が1991年から始まり、1997年10月17日についに完成一般公開され
たのだ。憧憬とも言えた朱雀門にようやく会うことが出来た。
 
鈴木先生から一言 “私の近作について”鈴木静一
 私は仕事の上で京都には年間の半分以上滞在することが多かった。京都には古典の香り豊かな行事
が多く、ことに祭典には音楽的興味をそそられるものが多かったが、職業としての製作に追われ、作
曲に托すきっかけを掴めずに過ぎた。昨年楽友高橋三男がある日突然「鬼の話だが?」と朱雀門絵巻
を持ち込み私を驚かせた。それから一年間を経て書く気になったのは、舞台が京都であることもある
が、予想外の結末の構成に音楽的興味(?)を感じたからである。作曲は意識して劇的とし、京に残
る土俗音楽や雅楽のニュアンスを取入れた。
 平安の京と呼ばれた時代、京都御所(皇居)は現在の烏丸より西に位置していた(千本丸太町附近
)。朱雀大路は皇都のメインストリートであり、それは皇居の大手に立つ朱雀門に始まり南下して京
果てる所に聳える羅生門までを謂う。羅生門は現在形を留めず一基の石標に名残りを留めているが、
この物語の舞台となる朱雀門は名のみでその所在位置も明かでない。しかしかつては羅生門と共に京
では最大の華麗な楼門であったことは想像される。
 この物語はその朱雀門にまつわる怪奇な“鬼”のお話である。伝説や民話では、鬼は怪物にされて
いるが“鬼人”とも“鬼神”とも呼ばれていた。いずれにしても“鬼の如き”と言う形容詞がある以
上、通常の人間には決して親しまれる存在ではなかったらしい。“鬼”“妖怪”ともに暗かったその
時代の夜が生んだ恐怖の産物であろう。
 時代設定については、皇居の正門に怪物が住むという異常な状態から少なくとも皇居の移転以後と
考え、さらに絵巻に見る服装だから応仁の頃とした。尚この絵巻は鎌倉時代(13世紀)に作られたが
作者は不明である。
 昨年の定演で私の細川ガラシャ(東京初演)を上演した日本女子大M.C.は今年も古典的“朱雀門”を上演するが、これ
の上演交渉を受けた時、作品は未だオーケストラスケッチもできていないデッサンであった。それなのに幹部諸嬢は見も
せぬ作品をためらいもなく要請された。作者としてこれ以上の悦びはない。だがひとつの不安があった。この「朱雀門」
は私の好んで書く物語りの音楽であり、これまで発表した“人魚”“氷姫”“マッチ売りの少女”の三作とも例外なく白
身の手で初演している。即ち見本?を提示し一般に発表してきた。しかも朱雀門はこうした種目の中では尤もやりにくい
古典(?)的な作品である。物語音楽の難点は単に「正しく演奏すればよい」だけでは完全とは言えない。物語と密接併
行し音楽を進める煩雑さの上に、ナレーターの個性に合せる為当然予測されるひんばんな楽想の変化・・・それに伴う作
曲の改訂は演奏者に多大の負担をかけることになる。私はそれに不安を感じたのであるがそれ等の悪い条件を呑み、上演
に踏みきった幹部譜嬢の意欲を信頼しこれの初演をゆだねた次第である。
 初演の良否は作品の生死を決定すると言われる。しかし前々回の“春の海”(宮城道雄作曲)昨年のガラシャと一連の
日本的な作品に見事な成果をあげた日本女子大M.C.はきっと佳き演奏でこれの初演を飾って下さることを信じ、その成功
をひたすらに祈るものである。      
        1969年4月 鈴木静一 記  (1969年5月24日 日本女子大M.C. 第7回定期演奏会プログラムより)
歴史年表
710年(和銅3年) 飛鳥地方の藤原京から奈良の平城京へ遷都
    ↓ 奈良時代 約80年間 古事記・風土記・日本書紀編纂
784年(延暦3年) 平城京から京都山城の長岡京へ遷都
794年(延暦13年) 桓武天皇により長岡京から平安京へ遷都
    ↓ 平安時代 約400年間 平清盛大政大臣
1192年(建久3年) 源 頼朝が征夷大将軍に就任し鎌倉幕府を成立
マンクラ資料室
歴史を解りやすく勉強したい方は! 平城京から平安京へ 大阪書籍
京都の朱雀門跡の石碑を見たい方は! 平安京と大内裏 京の住人たより
朱雀門の構造を知りたい方は! 朱雀門の復元作業 竹中工務店
平城京の復原記念事業を知りたい方は! 平城宮跡 近畿日本鉄道
平城京のレイアウトを知りたい方は! 平城京宮殿配置図  配置図引用:私の故郷 奈良
物語に合わせて探訪しよう
朱雀門のにぎわい (朱雀門前のプレートより)
“山は紫に水清く平安の京は美しき都として栄えていた
花の都も西太路を境に太秦へかけては庶民の集落が続き
その街は物売りの呼び声に日暮れ前にひと時混雑する
その中を皇居に仕える若き公卿長谷雄は二人の伴人をつれ
おうらかに歩いていた”
朱雀門は平城京の正面玄関にあたるところである
ここでは外国使節の送迎や天皇の祝賀行事などが
行われたという その為この道の両側だけはきれい
に立派な建物で整備されていたそうだ
都の入口である羅生門をくぐると 
平城京の中央の大通りである75m幅の朱雀大路がまっすぐ北に伸びていた
4km北に行くと平城宮の正面玄関である朱雀門がそこに建つていた
“「何処でもよいが昔は宮廷の大手を守ったこの朱雀門」
大いなる楼門は いつの間にか夕闇にぬりこめられ
朱の色もどすぐろく無気味に見えた
心配する伴人を先に帰し 長谷雄は怪しい男に導かれ
楼上に上った”
1997年 朱雀門が復元された
復元には吉野と木曽の国産ヒノキ約3000本が
使われたという
建設費35億円 (景気対策補正予算で建設)
“その頃から長谷雄は遠雷の轟きとも 地震の地鳴りとも
とれる鳴動を聞くともなく感じていた
「どうじゃっ! この手をどう防ぐ!」
勝ち誇って盤面から目を上げた長谷雄はギョッとした!
手詰りに苦悩する男の形相のすさまじさ!
それは話に聞く鬼だった!
現在でも発掘の続く平城京大極殿の礎石より若草山を望む
2010年に平城京遷都1300年を迎えるにあたって大極殿など
が次々と復元される計画だという。
“怪しい男のうめくのにつれ鳴動はいよいよたかまり巨大な朱雀門
は今を限りと凄まじくひしめき揺れる…揺れる!
そして長谷雄は目前にはっきりと鬼神の現身を姿を認め のけ反った
意外なことに怪しい男は約束どおり「渚」と呼ぶ美女を長谷雄に与
えた”
平城宮の正門で間口約25m・奥行約10m・高さは基壇ともで約22m 二層の瓦屋根
をもつ堂々たる門である 古代の手法をふまえ長い歳月を費やして復元された 
柱は丹色・連子(れんじ)は緑青・そして白壁 きらびやかで豪快な天平文化の再現で
ある 門の両側にはごく一部であるが大垣も築かれている 諸外国の使節は4kmに及
ぶ朱雀大路を経て この雄大な門をくぐったのである     文章引用:近鉄のHPより
“長谷雄は雨あがりの暗い街にさまよい出た
どこをどう歩いたかも知らず
暗黒の中に立ちふさがる
大いなる影を見た
朱雀門であった!”
初夏の夕暮れ 平城宮に流れる風に囲まれ
まじかに見た朱雀門  その大きさに驚かされました
機会があれば初演を超える朱雀門に関わりたいですナ

また聞えて来ました
“山は紫に水清く平安の京は美しき都として栄えていた”
“米国西海岸で古典を読む”        2001.9.3 小峰 進
 先日、梅原猛の ” 古代幻視”と言う本を読んでいましたら、 朱雀門の テーマそのものの、 紀長谷雄が鬼と出会い
美女を得る長谷雄絵巻きの話が出てきました。
紀長谷雄は、人も知る菅原道真の愛弟子です。菅原道真が、筑紫に流罪された後も藤原時平(菅原道真を筑紫に流罪に
した張本人)に取りたてられ出世しました。 菅原道真が流罪地から紀長谷雄に、血の出るような訴えの文章が彼の所へ
届けられたが、自分を保身するのみで、長谷雄は無聊をかこい、ただ時平に報告するだけであった。それからまもなく道
真が死ぬと、妙な噂がたちました。道真は怨霊となり、時平を初めとする道真を流罪にした公卿達に復讐するというので
ある。あいにくその年は御所に落雷が多く。その落雷に当たって多くの公卿が死にました。この道真の怨霊の祟りの噂が
紀長谷雄の宮中における位置を変え紀長谷雄を高位高官につければ、道真の怨霊の鎮魂になると考えた時平は、紀長谷雄
を中納言まで出世させました。ただ、彼の地位が上がるにつれ、彼は怨霊と付き合いがある不気味な男として敬遠される
ようになりました。彼と付き合う公卿もなく、全く孤独になったが、彼は学問に没頭し、文学、儒学、陰陽学など広く古
今東西に及びました。
ただ彼にはもう一つの趣味があった。それは双六であった。紀長谷雄、 怨霊 (鬼)、双六 ....... 朱雀門の物語りの
背景がここにある訳です。
 失われた都、 朱雀門 と菅原道真、紀長谷雄.......何か因縁めいた結び付きがあったのですね。
平成14年は、菅原道真没後、1、100年忌との事です。 延喜三年 (903年)2月25日道真は、59歳で死にました。
道真を葬った場所が、今の太宰府天満宮です。
“「朱雀門」初演版を聴き直す”       2002.4.13 藤本 匡孝
 藤井氏から届いたMDを拝聴しました 「朱雀門」初演版(日本女子大MC)です
今ではレコードプレーヤーがないので我が家では再生できませんでしたが藤井氏の資本投下?で聴けることになりました
あの満席の文京公会堂の雰囲気を期待してPLAYボタンを押しました
時代の変遷か! はたまた自分の嗜好の変化なのか! あの時の感動は残念ながら甦りませんでした
確かに演奏している若者の情熱は伝わってきますが・・・・・あれだけ人数がいればいたし方ないのかチューニングが気になっ
てしょうがない・・・・・ あの当時の楽器環境だったらあんなものだったのかとも思う
現在本業でこの世界に身をおいているので 痛感!
同じことが当時の中大MCにも言えるのかと思うとあんまり期待すまい 
だけど怖いもの見たさ聞きたさもあり非常に微妙!
 しかし鈴木先生の作品内容は全然色あせてない! しっかり現代にも通用する! 確信しました・・・・・
それと清水紘治氏のナレーション! 圧巻!
“鈴木先生の要求は?”           2003.8.23 北村 眞一郎
 1976年3月13日都市センターホールで行われたコムラードマンドリンアンサンブルの第4回定期演奏会で朱雀門を取り上
げました 当日のリハーサルの時会場の中ほどにいらしゃった先生がいつのまにか「なぎさのテーマ」を弾くギターパー
トのところに近寄り 舞台の下から「もっと強くもっと強く!クレッシェンド!クレッシェンド!クレッシェンド!」と
要望されました テーマを登りきった高音はすでに音がつぶれるくらいfffになっていました
数小節でしたが先生の曲への想いが感じられ 胸が熱くなったのを思い出します
このように私たちは練習から先生の情熱を教えて頂いたと思っています
“「朱雀門」初演版を聴き直す”       2003.10.6  駒崎 明
 「朱雀門」のCDを有難うございました。
戸田の頃誰かにレコードを借りてテープに録音したものを聴いていたのですが千葉に引越してからどこに消えたのか?
ホント久し振りに聴かせて戴きました。やはりこれは名演だと私は思います。トラを入れない編成でやっていた頃ですか
ら、当時としては最高の出来だったのではないでしょうか?
清水紘治氏のナレーションも上手いし、スチール弦を張ったギターのタタキの重厚な音は、ある意味では「朱雀門」演奏
における記念碑的サウンドだと思います。迷演奏だなんてとんでもない!! 骨格もしっかりしていて、表現に少しも媚
びたところの無い名演奏ですよ。 ポルタビアンカの「ローラ」序曲も懐かしかった。
Last updated 2003/10/07