二つのMLをめぐって(村上龍村上春樹)

二人の村上における「リアリズムと闇と境界に」




村上龍の「共生虫」(2000年3月20日発行)
を読んで、彼によるインターネットサイバースペースの
小説への取り込み方を知るにあたり、
インターネットによる創作活動やその展開の可能性に
より深く興味を持つようになりました。

そして同時に、見えない視線の暴力が
仮想現実という名を借りて行われる事の危惧も強くいたしました。

そこで彼のファンサイトやオフィシャル頁のあり様を眺め、
提供されている情報や議論、会話などをもう少し掘り下げて見ることで、
その捉え方や可能性を注意深くみてみたいと考えました。

私はこれまで作家関連のHPを見る事もキーワード検索をする事も少なかったのですが
これを機に、まず、共生虫における「防空壕」を
そして村上龍関連のHPを検索して
ある種の期待も抱きながら、先日2000年6月13日に
村上龍のファンサイトによるメーリングリスト「ryuml」に入会させて致しました。
そしてその流れの中で、続いて2000年6月15日
村上春樹のファンサイト「村上春樹 ML」にも参加させて頂いております。


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二人の村上における「リアリズムと闇と境界に」



ご存知のように龍と春樹は、ほぼ同世代の作家であり、幅広い読者層を持ち且つ
時代への影響力を共に持ちえるだけの批評性を常に呈示してきたと考えられます。

そしてそれぞれのファンは

春樹では「物語」の優しさと「健全さ」に
龍では「現実」のクールさと「エロティシズム」に

惹かれているように感じています。


私には彼等の手法は対極的でありながら
実は同様に「闇」への境界をめぐって
語ろうとしてきたように感じています。

村上龍がリアリズムの社会性の中でその暗部に擦り寄り
時代のマイノリティを疾走してきたとするならば、
村上春樹は物語として抽象的なる個の内面に徹底的に拘る事で
その裏側の社会性や「闇」を浮き彫りにしてきたように考えられます。

そうした彼等は実は今、この時代性の中で
ちょうどクロスするかのようにある種の転回点を
迎えているように感じています。

村上龍は例えば神戸須磨事件を境に
そしてインターネットの広がりと共に
サイバースペースの持つ
仮想性ゆえのリアリズムに敏感に即応して
社会性そのものが内面化として物語化へ移行する現実に晒されているとし、
その文体を社会から個へ向わせているように感じられます。

対して、村上春樹は
ご存知のように日常性に潜みそれを支えているであろう
「闇」や「こころの井戸」を抽象的「個」あるいは「固」を
徹底的に掘り下げる事で浮き彫りにしよう試みられてきましたが
その記号化された隠喩のはずのものが
「地下鉄サリン事件」や「神戸の地震」によって
具体的現実になってしまった事で
その文体は個から社会を意識するものへ確実に変わりつつあると感じています。


このように彼等の作品は対極的でありながらも、
必ずどこかで時代と共にシンクロし、
社会と個、日常と非日常のせめぎあいに
そして「闇」への境界へと私達自身を深く見つめさせ、
論考していくには相応しいテキストを提供してくれていると感じています。


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追記

昨日、上記の『二人の村上における「リアリズムと闇と境界に」』
を書いてから、変化の意味について再考したい事があります。
じつは、彼等はその基本的スタンスは変える気など全くない。
ただ時代が彼等のテリトリーを脅かし、あるいは滑り込んで
それに触れざるを得ないようにさせているのではないかと。

社会的断層や変節点は人によって、その捉え方は大きく異なるでしょう。
それは結局、個人史の中でより大きな関わりやインパクトがあるかにかかるわけで
そうした契機の訪れをそれぞれにある意味で都合のいい様に解釈されて
その方向性のみをシフトさせつつあるようにも考えられます。

NASCI/000708


これより以下私がMLをめぐって発言した内容の主なるものを
要約してここに御紹介いたします。

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春樹ML参加を解除いたしました

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龍ML春樹ML(フレーム機能付
 龍ML 
RENEW/000717
春樹ML
2000年6月15日〜7月13日



presentation & photo by

NASCI/000707

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