ADD(注意欠陥障害)について書かれた本、「片づけられない女たち」
(サリ・ソルデン著 WAVE出版刊)を読まれた方は、どのぐらいいらっしゃいますか? そして、自分のことだと思われた方はいらっしゃいませんか? 私は、思いあたるふしがたくさんありました。
 本のなかにも、「強迫性障害(OCD)も、ADDと独立に起こり、重複することもある」と書かれていますが、どちらも、神経伝達物質の何らかの異常が原因であるならば、強迫性障害の人が、ADDの人のように、物事をスムーズにこなせないなんていうことも充分考えられるような気がします。
 たとえば、OCDを発症するまえの自分を考えてみても、ものすごく不器用でした。試験をパスして入学した小学校、私は、期待でいっぱいでしたが、他の人のスピードについていけないという事実に少しずつ傷ついていったような気がします。
 「恥ずかしい、後ろめたい、誰にも話せないーこれらの要素が重なると、深刻な二次障害につながっていく。……二次的障害では主に、目標達成、感情、そして人間関係という三つの分野が影響を受ける。」上記の本にこのようなことが書かれていますが、強迫性障害を発症した私は、まさに、そんな経験をいやというほどしてきて、OCDの症状がほぼ消えた今、二次障害を背負っていることを痛感しています。でも、では強すぎるコンプレックスなどの二次障害が、すべてOCDのせいかというとそうでもないような気もするのです。
 記憶にないほどの幼い頃の出来事、それも影響しているように思いますし、不器用ゆえに傷ついた幼少期もかなり尾を引いているように思います。
 ともかく、私が、他の人と自分が違わないのだと証明しようと躍起になっている裏には、常に、自分が他人と違うのだという強烈なコンプレックスがあります。特にのろま恐怖はひどくて、早く早くといつも自分を急きたてていて、それゆえ神経質なくせに、ものすごく大雑把なことをして失敗につながってしまうこともあります。
 実際、手際のいい人というのはいるもので、不安感が薄らいできた今でも、ああはなれないと思います。でも、周りを見渡してみれば、自分よりスローな人というのもまたいるのですが、落ちついて仕事をこなしている彼女たちのほうが、実は、私より確実に仕事をこなしていたりもするのです。
 いつも周囲の人のスピードを気にして、肩に力が入りすぎている自分。少し失敗すれば、どうしてこんなふうに生まれてきてしまったのだろうとまで落ち込んでしまう自分。過去の経験は、肉体の緊張としてしっかり刻み込まれているように、私の心をも縛りつけています。
 リストラ、リストラといわれるようになったこの時代、能率の悪い人間は、ますます生きづらくなっていくかもしれません。でも、逆に、社会のそんな風潮にまどわされることなく、自分を受け入れ、その価値を認めている人は、たとえ神経系統に障害があっても、自分のいるべき場所で、花開いていけるようにも思います。
 私は、幼い頃に、自分を否定して、ずっと自分以外の自分になろうとしてきました。
 自分を受け入れ、自分にくつろぐ、どうすればできる?って、皆さんにききたいほどですが、来年は、そうなれることを願っています。

      2002年が、いい年でありますように。

 
こんな自分を受け入れるにはどうすればいい?
2001年の終わりに