一休さんの研究のお部屋2

〜アニメと現実の相違点についての考察〜

しんえもんさん  ピピの部屋 一休さんのお部屋  「一休さん登場人物能力表」 
一休さん掲示板に落書きする
  

      足利義満(あしかがよしみつ)について
 義満は、アニメでは室町幕府第3代将軍として、わがまま放題である。が、義満は、1392年、南北朝合一を果たし、1394年(応永元年)12月には将軍職を、息子の義持に譲っているのだ。
 一休さんの誕生日は、1394年1月1日なので、アニメで、義満が登場するのは、よしとしても、将軍であるのは、いかにも変だ。登場するなら、日本史の資料のごとく、出家して(天山道有(てんざんどうゆう)天山(てんざん)道義(どうぎ)剃髪(ていはつ)した姿でなくてはおかしいことになる。
 が、隠居した将軍なんていう設定は、子供様たちには理解が難しいし、当時の実際の権力者は、義満だったであろう事を考慮すると(義満は出家後も、4代将軍
(よし)(もち)をさしおいて権力を掌握していた)、いたしかたない気もする。
 私の調べた文献によると、一休さんは、8才のときに金閣の義満と実際にあっているそうだ。しかし、修行中の一休さんが、そう頻繁に金閣に訪れたかは、定かでない。(一休さんが公家(それも天皇の御子!)であることを考えると、会見してないことのほうがむしろ考えにくいとおもう…。)
 この、足利義満は当代随一の権力者で、正二位左大臣のくらいにして征夷大将軍さらに(じゅん)三后(さんごう)(1394年に太政(だじょう)大臣(だいじん))。その権勢たるや、他の公家をもしのぐ。摂政の二条良基(にじょうよしもと)でさえも迂闊に動けないのだ。祈雨の祈祷を行ったり、他人を出家させるのも訳はない。なお、義満は、聖徳天皇の流れをくむ母(紀良子)を通して、当時の治天(ちてん)(きみ)である後円融(ごえんゆう)上皇(じょうこう)(後小松天皇は幼少)といとこ関係にある。


 

・足利義持(あしかがよしもち)について
 足利義持。足利室町幕府第4代将軍。
義持は、「じゃんけんぽん」のお話で、生まれたばかりの赤ん坊として登場する。これもおかしい。義持(1386〜1428)は、一休さん(1394〜1481)より年上なのだ。義持は長男で、征夷大将軍に9歳にして就任(実権は義満のものだった様子)。
 義満公は、次男の義嗣(よしつぐ)のほうをむしろ可愛がっていた模様。義嗣を天皇に据えるよていだったとも。


・安国寺について
 安国寺はアニメでは、住職外観和尚と、しゅうねん以下6人の小坊主しかいない貧乏寺に描かれている。これも話を面白くさせているのだが、実はウソのようだ。
 安国寺は、足利尊氏・直義の兄弟が臨済宗の、天竜寺開山となる夢窓(むそう)疎石(そせき)(正覚国師)のすすめで、元弘の乱以来の戦死病没者の霊を弔うことを名目に、日本の各州に一寺ずつ、全国66ヶ国2島にたてたお寺で、京の安国寺もそのひとつだった。これは、国分寺とおなじように、治安維持・民心安堵(あんど)が目的の官寺である。
 安国寺は、3代将軍義満の禅院管理政策により、鹿苑(ろくおん)院僧録司(いんそうろくし)によって管理されるヒエラルキーにくみこまれている。安国寺は、「五山(ござん)之上(のうえ)」とされる南禅寺、「五山(相国寺・天竜寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)」に次ぐ、「十刹(じっさつ)(広覚寺・宝幢寺(ほうどうじ)・禅興寺・妙覚寺などなど)」のなかにある。
 現在の四条大宮付近にあったようで、五重塔ももっている、大きなお寺だったということだ。住職「外観」は、実在の人物である。



・「一休さん」について
 1392年、義満は南北朝合一を達成する。その2年後のことであった。
 一休さんは、1394年(応永元年)元旦に誕生したとされる。父は第100代 ()小松(こまつ)天皇(てんのう)、母は伊予(いよ)(つぼね)(アニメでは)となっている。が、いろんな本を読んでいると、母は「藤氏(とうし)」という藤原氏の流れの人らしい。この二人が同一人物なのかは定かでない。母が南朝方だったため周りの嫉妬(しっと)のいい攻撃材料になり、朝廷を追われ、一休さんは、京都嵯峨(さが)の天竜寺のちかくで生まれたそうだ。幼名、千菊丸(せんぎくまる)は6歳になるまで、母とくらした。
 さて、ここまでは大体アニメは通説と異ならないのだ。ここからである。
 アニメでは、6歳になった千菊丸は、「かそう禅師」(一休生涯最大の師で、京都堅田(かただ)の祥瑞寺の住職。)のところに母に連れられ、「一休」と名付けられる。その足で外観和尚の安国寺で剃髪をされ、仏に仕える身になる。(第1話)
 これが、全編にわたって禍根を残す、誤りの元であった。なぜなら、安国寺で一休さんはまだ「周建(しゅうけん)」という名だったからだ。「一休」と名乗るのは、「宗純(そうじゅん)」をへて、24歳(数えで25)になったときだ。「洞山(とうざん)三頓(さんとん)(ぼう)」という「無門漢(むもんかん)」という禅書の難しい公案(こうあん)(問題)をとき、かそう禅師から、一休さんが作った歌から名を取り、「一休」という法名を授かったという。
 
うろじより むろじへ帰る 一休み
      雨ふらば降れ 風ふかば吹け

 さて、はたして、アニメ「周建さん」で、人気が出ただろうか?それは、矢吹プロデューサーも考えただろうが、疑問がのこる。そもそも坊主が主人公のアニメなんてのが前代未聞である。折角のネームヴァリューがむだになるし、マイナーなイメージがのこる。「周建」?だれ?それ?ってな具合である。そこで、史実とは異なっても「一休さん」としたのだろう。
 なにしろ「さん付け」で呼ばれるのは「一休さん」と「良寛(りょうかん)さん((りょう)寛大愚(かんたいぐ))」くらいなものだから。


 

・伊予局(いよのつぼね)について
 アニメ「一休さん」では、一休の母は伊予局(いよのつぼね)とされている。(声優は峰不二子(Fromルパン3世)の人である。)この人は、実在の人物である。才女にして美人。南朝出身で、(とう)()出身である。ここまではいい。
 さらに調べると、「(とう)()」とは、藤原氏関係の支族を含む総称であり、五摂家(ごせっけ)近衛(このえ)・一条・二条・九条・鷹司)や、花山院(かざんいん)・日野・閑院・四条・勧修寺(かじゅうじ)・中御門などたくさんある中のどれかにすぎないのだ。
 伊予局は、この「(とう)()」の傍系の日野家(ひのけ)にあたり、日野中(ひのちゅう)納言(なごん)資朝(すけもと)の息女、照子姫という人なのだ。これは、一休さんの弟子の祖心紹越(そしんしょうえつ)筆の「一休和尚年譜」や、同じく弟子の没倫紹等(墨斎(ぼくさい)さん)筆の「東海一休和尚年譜」(こちらのほうが有名なご様子)などの記述による、南朝方、「(とう)()」出身、という情報をもとにしているのだが、それだけで伊予局にしてしまうのは、根拠がうすい。どうやら、江戸時代に書かれた「一休咄(いっきゅうばなし)」などから伊予の局という人がピックアップされはじめたようだ。
 ようするに、一休さんの母親としての真偽はかなり薄く、アニメ化のときももっとも流布されていた伊予局を採用したにすぎないと思われる。



・外観和尚(がいかんおしょう)について
 安国寺住職として超有名な僧侶。アニメ「一休さん」序盤では、一休さんのとんちの凄さをはかる比較のための人物として使われていた。
 ゆえに、何度も一休さんに挑戦しては、一休さんに一本とられる。だから「こりゃまいったわい(ゾイ)。」がよく耳にのこっている人もいるだろう。
 外観は、アニメのなかで、一休さんのみならず蜷川新右衛門さんまで「破門(はもん)」にしている。「おまえのようなひねくれものは、安国寺にはいらん。とっとと出でいけ!」とたんかを切る。一休さんの醍醐味(だいごみ)である。しかし、ことごとく許され、無事に最終回まで安国寺にいるのである。
 そんなアニメの外観和尚だが、坊主としての位はそんなに高いわけではないようだ。「かそう禅師」「けんおう様」をはじめ、永平寺に一休さんを連れていったときも頭をよく下げていた。これも「負けるが勝ち」と、徳の高さを示している・・・と言いたいが、実際はどうやら違うようだ。
 
 外観は、一休さんから、「さとり」の開けていない和尚として見られていた様子である。
 和尚の大事にしている高価な茶碗を友人がわったとき、外観は激怒!それをみた一休さんは情けなくおもって、

  高砂(たかさご)の  尾上(おのえ)の松も  枯るるなり
     土(つち)でつくねた  茶碗大事か

という歌をのこしている。(と、いう逸話があるが、アニメでは、この歌は将軍足利義満公にたいして送っている。(花器(かき)の話の時))
 実際の外観和尚は、像外集観(ぞうがいしゅうかん)といい、どうやら、一休宗純の、「一休」に当たる部分が「像外」、「宗純」の部分が「集観」のようであり、像外和尚、集観和尚、というのがしぜんのような気がする。(武者(むしゃの)小路(こうじ)実篤(さねあつ)氏は、像外和尚と表記している。)

(蜷川新右衛門は、南朝のさむらいをやめて安国寺に戻ってきた「てっさい」を北朝に弓弾く者として疑いをすてなかったので、外観和尚にしかられた。・・のち、桔梗(ききょう)やに意地悪をされているテッサイを一休さんらと一緒に助けたので許された。)



・かそう禅師について
 華そう宗曇(かそうそうどん 1351-1428)は、かそう禅師として、一休さん第1話から登場し、以来時々出てくる。琵琶湖北岸の堅田のぼろ寺「祥瑞(しょうずい)(あん)」にすんでいる、徳の高い和尚として登場する。
 外観和尚がしきりに頭を下げているので、かなりの高僧であることが窺える。が、個人的には、人物像は、もう少し厳しい人ではないかと想像したい。安国寺よりもさらに貧乏な寺で、小坊主も殆ど姿を見せない。桔梗やから貢ぎ物をもらっている外観とは違い、浮いた話もでてこない。
 史実に出てくる禅師は、播州(ばんしゅう)に生まれ、8歳から大徳寺の徹翁義亨(てつおうぎこう-大徳寺第2祖)に師事、言外宗忠(ごんがいそうちゅう)の法嗣となり、一休や、その兄弟子「ようそう」らを、祥瑞(しょうずい)(あん)で育てた。一休の名付け親で、一休の悟りを認めた、一休生涯の師である、まことの禅師である。
 華そう禅師の禅風は、峻厳無比として世に有名であり、当時の堕落した五山(ござん)十刹(じっさつ)の禅院と一線を画し、大徳寺の禅を継ぐものでありながら大徳寺に座住することをしなかった。それだけに祥瑞庵は、清貧とは聞こえはイイが、その実、貧乏極まりなく、まともな食事もとれなかったと言われる。そのため、一休さんも京にいって香袋や雛人形(ひなにんぎょう)を作る内職をしていたというのは、有名なはなしである。しかし、このような庶民にとけ込む経験により、純粋な禅者をめざす一休さんに庶民的な感覚を植え付け、交友関係も多種多様(庶民から武家公家まで)になったことを考えると、よい経験であったといえるだろう。

 かそう禅師の墓は小さく、「これが・・・」というくらいのものらしい。このささやかなかそう禅師の墓と比べ、一休さんの立派はお墓をみて、一休最大の失敗という人もいる。(拙者も思わんではないが・・)まあ、一休さんのお墓もそんなに大きくなく、弟子がすることだからよしとしよう。
 なお、現在の「祥瑞庵」は、滋賀県の琵琶湖北岸の堅田駅(JR湖西線)から歩いて15分くらいのところにある。浮身堂も近く、蓮如(れんにょ)のお寺も近い。「祥瑞庵」の入り口には、「一休和尚修養の地」の石碑がある。中庭には、かの俳句マスター松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)もおとずれたという証拠に芭蕉の俳句などあり、たいへんいい感じの和風のお庭になっていた。現在のお寺は、畑などもある様子で、お金に困っていそうなそぶりは見受けられず、貧乏寺ではないと思われる。



・為謙宗為((けん)(おう)さま)について
 けんおう様として登場する禅師が、為謙宗為(いけんそうい ?-1414)である。
 けんおう様は、外観和尚も頭を下げる偉い坊主で、子供をかわいがる、やさしい和尚として登場する。が、ほとんど登場機会はないが・・・
 実際の(けん)(おう)の存在感は、一休さんにとって、途轍(とてつ)もなくおおきなものだった。それこそ、謙翁死去のさいに1週間の断食(石山寺(いしやまでら))ののちの入水自殺未遂にまでなるくらいだ。(…一休さんの入水自殺未遂の原因は他にもある。)
 妙心寺(みょうしんじ)開山の関山(かんざん)慧玄(えげん)の法流を継ぐ、無因宗因(むいんそういん)の高弟で、関山派(かんざんは)の法灯をつぐ清貧の禅者で、西金寺(さいこんじ)にすんだ。一休さんは、「年譜」によると、17歳から5年間師事したとある。
 謙翁は、師の無因から、「左券(さけん)」とよばれる悟りを証明する印可(いんか)証明(しょうめい)を譲られたが、謙遜してどうしても受けようとしなかった。その謙遜ぶりから「謙翁」と名をとったそうだ。一休さんは、印可証明をもらっていない謙翁から、印可状を渡せないことを詫びられるのだが、このことが一因となり、かそう禅師の印可状をも受けなかったし、印可状をすべて廃棄したのではないかとも思う。
(兄弟子「ようそう」らも拍車をかける禅宗のサロン化を嘆いていたため、いずれにしても印可はうけなかったように思うが。)
 けんおう様は、「宗純」の名付け親でもあり、アニメでの登場はわずかだが、じつにおおきな影響を与えた人物なのであった。
 この、(けん)(おう)さまも、西金寺も鹿苑(ろくおん)院僧録司(いんそうろくし)の管理からははずれており、一休さんの意図が、足利の体制からの脱却にあったことは想像に難くない。



・吾作(ごさく)について
 さよちゃんのお爺さんである。
 吾作さんは、さよちゃんのお爺さんという偉い人?なので、武士であるしんえもんさんからも「吾作爺さん」「吾作サン」などと、さん付けでよばれている。
 吾作さんは、なにを隠そう、大根作りの名人である。また、多くのひとに禅問答を仕掛けられ、「無言(むごん)(ぎょう)」で負かした、禅問答?の達人?である。(一休さんの補佐があってのことだが)
 じつは、吾作サンも実在しない。(実在の根拠がない)職業は寺男(てらおとこ)であるが、文献にでてこない。どうも、彼は、「亀の甲より年の功」をときどき示し、さよちゃんのために生きているようだ。



・さよについて
 「一休さん」の誇る人気No1のアイドル、それがさよちゃんだ。
 さよちゃんは非常に多くの人から(さよちゃん)とよばれているが、外観和尚と、吾作(ごさく)さん(さよちゃんのお爺さん)からのみ、「さよぼう」とよばれている。
 さよちゃんは、一休さんより2つくらい年下に設定されているように見受けられる。が、さよちゃんは、非常に出来た子で、字は読めないが、思いやり・慈しむ心を持ち合わせている。一休さんにひそかに?恋心をいだき、「一休さん」をあやうくラブコメにしかねない存在だった。
 そんな「さよちゃん」だが、その境遇は可哀想(かわいそう)なものだ。なにしろ両親が死んでいないのだ。いくさで両親と離ればなれになったのち、運良く吾作(ごさく)爺さん(どうも、母方の爺さんのような気がする)が見つかり、一緒に住んでいるようだ。
 一休さん第1話あたりでさよちゃんは登場するので、安国寺の小僧とは一休さんよりなじみである。一休さんをみんなから良くかばう、愛情あふれるさよちゃんであった。
 さよちゃんと一休さんは特別な関係のようである。一休さんとやよいさんがいちゃついているのを目撃したさよちゃんが嫉妬(しっと)するのを見たことのあるひとは、少なくないはずだ。独占欲のある少女である。そんなさよちゃんは、最終回にとんでもないものを一休さんからもらう。
 さよちゃんは、最終回に、(きく)御紋(ごもん)(天皇家の象徴)のお守り(父・後小松天皇からおくられた)を一休さんからうけとる。(しんえもんさんは、それを見て、一休さんが旅立つのを感づく。)これは一休さんの、さよちゃんに対する感謝の念と、すべて裸になって真剣に修行する気構えが現れているシーンである。
 また、さよちゃんはその晩、自分の小袖(こそで)でつくったピンクのテルテル坊主を一休さんに「私の代わりにもっていって」とプレゼントしており、なぜか、一休さんは快く受け取り、母のテルテル坊主と一緒に持っていくのである。あの、お守りでさえ手放したのに、だ。
これは、いかにも変ではないか?一休さんの修行に対する気構えに疑いがかかる。さよちゃんの面前で受け取らないと、話がすすまないから受け取ってみせたておいて、後から捨てる気なのか?・・・うーん。
 というわけで、さよちゃんは、酬恩庵(しゅうおんあん)公認の架空のキャラクター(酬恩庵一休寺では、さよちゃんのセル画が貼ってあり、さよちゃんハンカチが売っていた。)なのでした。



・てっさいについて
 新田家に縁のある者として、楠家の侍、千早(ちはや)六蔵(ろくぞう)とともに戦にもでたことのある、安国寺最強の小坊主、それが「てっさい」さんだ。一休さんの父親が帝であることを知ったテッサイは、「一休様」とよび、千早六蔵にそそのかされ、一休さんを南朝方の大将に戦をおこそうとする、覇気をもった小坊主である。お家再興をねがい、戦う姿はまさに侍であり、安国寺一の美形小坊主との呼び声も高い。
 そんなテッサイさんだが、どうやら、実在しないようだ。(裏付けはないが)ただ、安国寺には実際には、いろんな出身の小坊主がいたようなので、(公家、武家含む)テッサイのような境遇の者がいなかったとは言い切れない。(このころは、五山のサロン化が顕著なほど禅宗が大人気だったため、坊主は人気職業だったようだ。)



・蜷川新右衛門親当(にながわしんえもんちかまさ)について
 シンエモンさんは実在するのか?これが私の研究の原点だった。日本史の人名辞典ごときではなかなか登場しない。しかし、実在するのであった。アニメでは、当初、南朝方の一休さんをみはる侍かつ、将軍さまの片腕の「寺社(じしゃ)奉行(ぶぎょう)」として登場したのだが、第20話くらいから、サヨチャンのように「一休さん」とよぶようになり、その頃から給料泥棒のごとく日常茶飯事のように安国寺に遊びにくるようになる。
 人間味あふるるばかりのシンエモンさんは、足利家最強の剣の達人に描かれる反面(武力99!)、さよちゃんに滅法弱く、やんちゃ姫に不意打ちをくらったり、一休さんと一騎打ちして負けたり、大内家の「すえ姫」さまに惚れてふにゃふにゃになったりする。
 しかし、実在のシンエモンさんは、3代義満ではなく、6代義教(よしのり)につかえる、政所(まんどころ)公役(くやく)であった。(アニメで寺社奉行なのは、一休さんのところに遊びに行きやすいようにしかけた、スタッフのアイデアだったようだ・・・と、書いたが、武者小路実篤氏の一休さんの読み物には、寺社奉行でかかれている。また、しんえもんではなく、新左衛門となっている。・・・昇進したりしているのか?謎?)
 実際に一休さんと交流があり、「道歌(どうか)問答(もんどう)」には、一休さんとの掛け合いの歌がしるされている。また、歌を正徹(しょうてつ)に学び、連歌を梵燈庵(ぼんとうあん)にまなぶ。かなりの連歌師(号は「ちうん」)としてぶいぶいいわせていた模様。(アニメでも歌はよく披露している) 蜷川作の歌には、

 浮き世をば
   なんのへちまとおもうなよ
  ぶらりとしては
    くさられもせず

などなどある。
 生年不詳で、1448年5月12日になくなっている。ホントにあごが割れていて、もみ上げが長かったかどうかは不明。シンエモンさんの奥さんは、すえ姫さま・・・・と言いたいところだが、一休さんに目を付けられたこともあるらしい、辰女という人(歌が残っているので、本物であろう)である。
子の親元(ちかもと)(1433〜1488)も政所に勤め、不白を号する。「蜷川親元日記」が残されている。


・やんちゃ姫について
 第55話で初登場(たぶん)の五条家の露姫(つゆひめ)をやんちゃ姫というのだが、彼女はアニメでの強烈な存在感にもかかわらず、実在しない。(あたりまえ)
 彼女は、反面教師的な存在として、彩りを添えるのを生業としているようだ。実際、やんちゃ姫は、こどもらしさの一つでもある「わがまま」を将軍様にまで発揮し、そのさまは、「泣く子と地頭には勝てぬ」の「泣く子」に相当する。しかし、存外聞き分けもよく、一休さんにとんちでまけて、「一休殿、わかったぞよ」などと、よく降参している。
 そんなやんちゃ姫だが、「どちてぼうや」のどちて攻撃には辟易(へきえき)していた模様。
 「一休さん」の数少ない女性キャラクターのなかでも、もっとも異彩をはなつ人物である。