
イシュトヴァーンはアレルギー
うららかな春の午後、アルセイスの中心に建つ紅玉宮のバルコニーに、少し遅めの昼食を取るカメロンとイシュトヴァーンの姿があった。と、突然カメロンが食事をする手をとめて、大きなくしゃみをした。
「――ハックショイ!」
「どうした、カメロン。風邪か?」
心配そうにたずねるイシュトヴァーンにひとつ手を振ってカメロンは答えた。
「いや、風邪ではない。アレルギー、なんだそうだ」
「アレルギー? なんだい、そりゃ」
「いや、俺もよくは判らんのだが――医者に云わせると、俺は花粉アレルギーとやらだそうだ。なんでも、この季節はスギが花粉という細かい粉を空中にまき散らすのだとか。俺はどうもその花粉に過敏な体質らしくてな。特にこういう暖かな日には、くしゃみが出るし、目はかゆいし、どうもたまらん」
「――ふーん。俺はなんともないけどなあ」
「ああ。医者によると、アレルギーを持っている人もいれば、持っていない人もいるし、そのアレルギーにも花粉アレルギーや蕎麦アレルギーや、いろいろなものがあるそうだ。持っている人でもアレルギーには強い弱いがあるらしいのだが……」
それを聞いてイシュトヴァーンは、何かに思い当たったように手を叩いて叫んだ。
「――ああ、判ったよ、カメロン! そういえば、俺も、そのアレルギーとやらを持っているんだ」
「おいおい、本当か? どうしてそんなことが判ったんだ」
「ああ、前に例のコウモリ男――知ってるだろ? パロのヴァレリウス宰相。奴に教えてもらったのさ」
「ヴァレリウス宰相? 医者に教えてもらったわけではないのか」
「医者じゃねえけど、でも、ほら、魔道師ってやつは医者のまねごともするんだろ? だから奴にもわかったんじゃねえかな」
「ふーむ」
疑わしげに腕を組んで首をひねるカメロンに、イシュトヴァーンは勢い込んで云った。
「なんでも、ヴァレリウスによると、俺は人一倍強いアレルギー持ちらしいぜ」
「なんだと? 大丈夫なのか、そんな強い……ハックション!」
「お前こそ大丈夫かよ、カメロン……そういえば、俺はなんともねえもんな。ヴァレリウスの奴、嘘つきやがったかな。あの野郎――」
「そうじゃないだろう。さっきも云ったが、アレルギーにはいろんな種類があるそうだから、お前のアレルギーは花粉アレルギーじゃない、別のアレルギーなんじゃないかな。ヴァレリウスはお前が何のアレルギーかは教えてくれなかったのか」
「――そういえば、何か云っていたような気もするな……よく覚えてねえが……うん、確かに花粉アレルギー、とはいわなかったようだ」
「そうか――しかし、それはちゃんと確かめておいたほうがいいぞ。場合によってはひどく苦しむこともあるそうだからな、このアレルギーってやつは」
「そうか? いまんとこ、なんともねえけどな――ま、そんときはそんときのことよ」
イシュトヴァーンはニヤリとして云った。
「でもよ、ヴァレリウスに云わせると、俺よりすごいアレルギー持ちがいるらしい」
「ほう? 誰だ、それは」
「聞いておどろくなよ――グインの野郎さ」
「グイン? ケイロニアのグイン将軍か?」
「そうよ。こいつはちょっとした情報だと思わねえか? あいつが何のアレルギーだか判れば、それを利用してあいつをちょいとひどい目に――」
「おいおい、イシュト――そんな姑息な……お前らしくもない。まるで、あのガルムの野郎が考えそうなことを――」
「冗談、冗談だよ、カメロン。よしてくれ、いくらなんでもあの野郎なんかと比べるのは――」
イシュトヴァーンは思いっきり顔をしかめたが、すぐに気を取り直して云った。
「しかしよ、魔道師ってやつらは変なやつらだぜ――お前もくるしんでる、このアレルギーってやつが、どうもやつらにとっては、なんていうか――ごちそうらしい」
「ごちそうだと?」
「ああ――だから、グインとか俺とか、強いアレルギーを持っているやつってのには、魔道師どもが群がってくるらしい。あのぐらちーとかってやつが、グインや俺にまとわりつくのも、それが目的よ。特にグインのやつのアレルギーの強さは宇宙のしくみを変えられるほど強いんだとかなんとか、ほざいてたっけな。あのヴァレリウスの野郎は――相当でっかいくしゃみでもするのかね、あの豹あたまは」
自分の冗談に大声で笑いだしたイシュトヴァーンとは対照的に、カメロンはますます怪訝そうな顔になった。
「――おい、イシュト、お前、何か勘違い……」
「そうそう、そういえば、お前にも見せたかったよ、カメロン!」
そんなカメロンの様子には少しも気づかずに、すっかり興奮したイシュトヴァーンは云った。
「あのヴァレリウスとオーノの野郎の戦い! 魔道師の戦いってえのは、アレルギーとアレルギーのぶつかりあいなんだってな! そりゃあすごかったぜ、あのふたりのアレルギーは。それこそ、お前のくしゃみなんてもんじゃねえよ。嵐よ、嵐。そばで見てた俺もマルコも吹き飛ばされそうになっちまってよ――あんなアレルギーの前じゃ、お前のそのちっぽけなアレルギーなんて、きっとあっという間にふっとんじまったんじゃねえかな!」
「おい、イシュト、だからお前……」
「ああ、思い出したよ、カメロン!」
イシュトヴァーンは黒曜石の瞳をくるくると輝かせて云った。
「ヴァレリウスはこういったんだ――俺は強い精神アレルギーを持っている、ってな。精神アレルギーだぜ、精神アレルギー。花粉アレルギーよりなんだかカッコいいじゃねえか、なあ、カメロン。お前もそんなちゃちな花粉アレルギーなんかじゃなくて、俺みたいな精神アレルギーだったらよかったのにな――ところで、おい、精神アレルギーって、なんだろうな?」
この会話を閉じた空間から盗み聞いて笑い死にしそうになっているアルノーのみならず、さすがにカメロンもイシュトヴァーンが何と勘違いしているのかに気づいたが、あまりの彼の上機嫌に、誰も「それはエネルギーだ」と突っ込むこともできぬまま、うららかな春の午後は過ぎていった。
[蛇足]
暖かくなってくると、毎年出てくる「花粉症」の話題に、ふと思いついたものです。
[栗本薫の部屋][ルールバの顔]