新米魔道師の悲劇




「――これで晴れて、きみたちもわれわれパロ魔道師ギルドの一員となったわけだ」

黒いフードを目深にかぶり、その暗いフードのうちから目だけを光らせた陰気で小柄な魔道師のいんいんと響く声で、ぼくはようやく我に返った。

ここはパロ、クリスタルの魔道師の塔の地下にある《誓約の間》――年に一度、王立学問所で魔道学を修め、卒業試験に合格して魔道師となる道を選択したものが一堂に会して、魔道師ギルド加入の誓約の儀式を行う室だ。実は、今日がまさにその誓約の日で、ぼくは王立学問所を卒業したばかりの新米魔道師。つまり、いまぼくはギルドに対して誓約を行い、魔道師ギルドの一員として認められたところ、というわけだ。

誓約の儀式そのものは、要するにどこにでもあるような退屈な儀式だった。もちろん、魔道師ギルドのお偉方がそろっている前で、厳粛な雰囲気の中ひとりひとり誓約を行うわけだから、自分の番のときにはとても緊張はしたけれど、でも自分の誓約がすんでしまえば、あとは眠気との戦いが残されているだけだった。

ところが――その人が目のまえに現れたときだけは違った。ろうそくの光だけがゆらめくその暗い部屋が、その人が現れたときだけ明るくなったように思えた。ぼくたち新米魔道師に優しい声で訓話を述べてくれたその人――クリスタル公アルド・ナリス殿下がやってきたときだけは。ぼくは思わず見とれてしまった。なんという美しい人なのだろう――長くつややかな絹の黒髪、真紅の薔薇のようにあざやかな唇……いや、ここでナリスさまの美しさについて語るのはやめよう。それを語るのは吟遊詩人にまかせよう。要するに、そこにいらしたのはあのナリスさまで、そしてぼく――ぼくたち――はナリスさまに見とれてしまっていた、ということだ。

ナリスさまの短かすぎも長すぎもしない、ウィットにとんだ訓話が終わったあとも、ぼくはナリスさまのあまりの美しさにぼおっとしたままだった。ぼくはこう見えても自分の容姿には自信があるほうで、もちろん王立学問所に入るくらいだから成績もよかったし、以前はけっこう女の子たちにももてていたのだ。ナリスさまに似ている、と云われたこともあるくらい――だから、ぼくが王立学問所の女人禁制の魔道学科に入るときいて涙した女の子もたくさんいたらしい――もっとも、そのころのぼくは学問に燃えていたから、それをもったいないとも思いはしなかっし、いまでもそんなには思ってはいないのだけれど。でも、なまじそんなことがあっただけに、ナリスさまの美しさはぼくにとっては想像以上に衝撃的だった。ぼくがナリスさまに似ている、と云ったところで、その美しさはお話にならないほどレベルが違うことは明らかだった。そう――ある意味、ぼくは瞬間的にナリスさまへの恋に落ちていたのかもしれない――もちろん、それは性的な意味ではなく、強烈な憧れに近いという意味での恋だ。いま思えば、ナリスさまになりたい――という気持は、そのころから少しづつ強くなっていったのかもしれない。ギルドに入ったら髪を切ろうと思っていたのに――ぼくはそのころ肩の下くらいまで髪を伸ばしていたのだ――その気が急になくなってしまったのも、ナリスさまの長く美しい髪を目の前で見て、少しでもナリスさまに近づきたい、という気持からだったのかもしれない。そのくらい、自分でも気づかないくらい、ナリスさまへの憧れの気持は強かった、ということなのだろう。

でも、それきりぼくはナリスさまにお会いすることはなかった。ぼくが魔道師ギルドの一員となってまもなくのころ、あの忌まわしい黒竜戦役が起こったのだ。魔道師の塔のすべてが――いや、クリスタル全体があわてふためき、戦況に関する情報が錯綜する中、ナリスさまは重傷をおってどこかへ落ちのびられたらしい、という噂だけが流れた。もちろん、魔道師ギルドの上層部では、もう少しナリスさまの動向はつかんでいたようだったけれど、ぼくたち下っ端にはそんな話は伝わってくるわけもなかった。それからしばらくの間、ぼくはモンゴールの監視下のもと、魔道師の塔に閉じこめられて、ひたすら先輩魔道師にしごかれる毎日を送ることになったのだった。

   *

それから季節が少し巡り――とはいっても、魔道師の塔に閉じこめられているぼくにとっては、季節なんてなんの実感もなかったけれど――ぼくが魔道師ギルドに入って一年ほどがすぎた。ぼくがフードの下でひそかに伸ばしつづけていた髪の毛は、もう腰に達するくらいになっていた。その先輩魔道師が突然にぼくのところにやってきたのは、そんなときだったのだ。

「きみは、髪の毛を伸ばしているらしいな」

先輩魔道師の言葉にぼくはどきりとした。規則で禁止されているわけではなかったが、魔道師の塔に属する魔道師が髪の毛を伸ばすことはあまり誉められたことではない、とされているのだ。魔道においては、髪の毛や爪など、からだの一部が悪用されてしまうことがままある。だから、魔道師――特に力の弱いぼくたちのような新米魔道師はなるべく髪の毛は伸ばさずに、きれいに剃っていることがほとんどなのだ。たちの悪いことに、先輩魔道師がぼくたち新米魔道師を魔道でからかうのに使われたりしてしまうことも多いらしい。この先輩もまた、ぼくの髪の毛を使って、なにかいじわるをしようとしているのだろうか――と思い、ぼくはとっさに否定しようとした。が、先輩魔道師の真剣な目の光が気になって思いとどまった。

「――はい。すみません。伸ばしております」

「謝ることはないさ」

先輩はぼくを安心させるかのように微笑んだ。ぼくは少しほっとして、しらずしらずに入っていた肩の力を抜いた。

「何も謝ることはない。私も多少は伸ばしている。それに、別にきみの髪の毛で何かしようとしているわけでもないから、安心してくれていいよ」

「――はい」

「ちょっとフードをとって、髪の毛を見せてくれるかい?」

ぼくはまだなんとなく疑心暗鬼でこわごわだったけれど、意を決してフードをとった。先輩はちょっと感心したように小さく「へぇ」と云って、ぼくの髪の毛をしげしげと見た。

「きみはきれいな髪の毛をしているんだね――これはどこまで伸ばしているの? ちょっとマントもとってしっかりみせてくれるかな」

ぼくはちょっとためらったあと、思いきってマントをとって、ようやく腰まで伸びた自慢の髪の毛を見せた。先輩は何かに納得したかのように、小さく二、三度うなづいた。

「なるほど――これはすばらしい。どうしてきみは髪の毛を伸ばすようになったの?」

ぼくは少し迷ったが、先輩の真剣な顔にうながされるように、おずおずと云った。

「――それは……その――ナリスさまに……」

云いながらぼくはかあっと顔が火照るのを感じた。

「――ナリスさまに、憧れて……」

それを聞いて先輩魔道師は大声で笑いだした。ぼくはますます恥ずかしくなると同時に、ちょっとむっとして、脱いでいたマントを急いではおるとフードを深くかぶって一礼し、その場を立ち去ろうとした。すると先輩はあわててぼくを呼び止めた。

「ああ、ちょっと待って。ごめん、笑ったりしてごめん。でも、笑ったのは、きみの答えがおかしかったからではなくて、ぼくが考えていることにあまりにもぴったりだったからなんだ」

「……?」

振り返ったぼくの顔が、よっぽど不審そうだったのだろう。先輩はまた少し笑って、ぼくにこういった。

「――きみ、ナリスさまになってみたくないかい?」

   *

先輩の話では、先輩は人の容姿をかえる魔道を研究しているのだ、ということだった。もう何年もその研究を続けているのだが、ようやくここにきてその研究も実を結びはじめ、少しづつではあるが成果が現れはじめてきた、その話が魔道師の塔の上層部に届き、今度その研究評価を受けることになった、というのだ。

「ただ、まだまだ人の容姿を完全に変えることはできないのでね」

先輩は云った。

「髪の毛の長さを変えることなどはまだできないし、顔の形も少しいじることができるくらいで、すっかり別人に――というところまで変えることはできないのだ」

「――で、その話がぼくとどのような関係があるのですか?」

ぼくは尋ねた。先輩はにこりとして云った。

「だから、きみに研究評価のモデル役になってほしいのさ」

「――モデル?」

「そう――やはり研究評価というものはインパクトが大事なのでね。ただ、なんのへんてつもない人を、なんのへんてつもない顔に変えたところで、誰も感心してはくれないだろう? だから私は、少しでもインパクトのある方法がないか、探していたのさ。と、そのとききみの噂を聞いた」

「………」

「去年入った魔道師の中に、髪の毛を伸ばしている人がいる、ってね。そして、その魔道師はナリスさまに面ざしが似ているらしい、と」

「――それで、ぼくを魔道でナリスさまに――?」

「そう」

先輩は得たり、とばかりに云った。

「魔道で容姿をかえた結果が、あのナリスさまにそっくりだったら、これほどインパクトがあることはないだろう? だから、ぜひきみに引き受けてほしいんだ。いいだろう?」

ぼくは思わぬ話に少しぼおっとなった。あの憧れのナリスさまになれる――ナリスさまそっくりの姿になれる。こんなことが本当に許されるのだろうか――ぼくはなんだかふわふわとした不思議な気分になっていた。頭はますますぼおっとして、よく考えられないようになっていた。ぼくは自分でもよく判らぬうちに、先輩に向かってうなずいていた。

「――わかりました。お引き受けします」

「ありがとう!」

先輩は満面の笑みを浮かべると、ぼくの右手を両手で握りしめ、力強く上下に振り回した。

「実は、研究評価までもう日にちがないんだ。さっそく今日からその準備に入りたいんだけれど、いいかな?」

ぼくはうなずいた。先輩は大喜びで、ぼくの手を引っ張らんばかりの勢いで、先輩の研究室へとぼくを連れていった。

   *

それからのことは実はよく覚えていない。途中、「うまくいったよ」という先輩の声が聞こえ、鏡で自分の顔――ナリスさまそっくりになった顔を見せられたような気がする。大勢にまわりをかこまれ「これならば――」とか「よろしいのでは」という声を聞いたような気もする。あれが研究評価だったのだろうか――まるで夢のなかをさまよっているような――意識があるようなないような、自分のからだが自分のものではないような、そんな状態で時間が過ぎていったような気がする。いや、もしかしたら本当に夢だったのかもしれない、とも思う。でも、それは夢ではなかったのだ。

気づいたとき、ぼくはなんと祭壇の前にたたされていた。まわりには大勢の人の気配があり、目の前にはサリアの神官の姿があった。ふと隣を見ると、花嫁のヴェールをかぶった金髪の大柄な、緑の目のとても美しい女性が立っていた。ぼくは驚きのあまり、声を出すことも、誰かに尋ねることもできずに、ただ茫然と立ちつくしていた。

(結婚――結婚式? ぼくは……ぼくは、この女性と結婚しようとしているのか? でも、この女性はいったい――?)

ぼくは自分の正気を疑った。ぼくは記憶喪失に陥ったのだろうか――そのとき、ぼくは自分が魔道師であることを思いだした。そして、魔道師の塔に入るときに立てた不犯の誓いのことも。そう――ぼくは不犯の誓いを立てた魔道師なのだ。だから、相手が誰であれ、結婚することなどできないのだ。ぼくは目の前で式をすすめる神官に抗議しようと口を開いた。

その、時だった。

ぼくのうしろからたくさんの驚きの声があがったかと思うと、ぼくは激しく突き飛ばされた。次の瞬間、ぼくに向かって振り下ろされる短剣の刃が光にきらめいて見え、ぼくはとっさに顔をかばった右腕に鋭い痛みを感じた。と、ほとんど同時に、ぼくの上にのしかかっていた何者かがぼくからひきはなされ、大勢の人がぼくの体をささえるのを感じた。

「――さま! お怪我は!」

ぼくの怪我を気づかってくれているらしい声に、ぼくは「大丈夫」と答え、立ち上がろうとした――が、その時、急に自分の体のコントロールを失い、ぼくはその場に崩れ落ちた。

「――さま! ナリスさま!」

違う、ぼくはナリスさまじゃない――そう、ぼくは答えようとした。だが、ぼくはもう声を出すことはできなかった。もう目を開けることもできなかった――何も考えられず、何も聞こえなくなっていった。何でこんなことになったのだろう――こんなはずではなかったのに……急速に薄れていくぼくの意識に最後に届いたのは、ぼくの隣に立っていた女性のものらしい「アストリアス、お前か!」といううめきにも似た声だった。


[蛇足]
あの「彼」の正体って、結構な謎ですよね。というわけで、こんな解答はいかが? というつもりで書いてみました。('00.4.26)



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