「分からない」とは、どういうことか


勉強をしていると、説明や問題が分からなくなってしまうことがある。分からないとイライラしてくるし、そんな状態が長く続くと、勉強などやめてしまいたくなる。では、そもそも「分からない」というのは、どういうことなのだろうか。

「分からない」というのは、そのほとんどが「意味が分からない」ということなのだと私は思う。あなたは「九九」を覚えているだろうか。覚えているなら、多分あなたは「九九」の意味が分かっているのだろう。まれに「九九」が覚えられない人がいる。そういう人はおそらく、「九九」の意味が分かっていないのではないだろうか。

つまり、「シチクロクジュウサン」というのが、「七を九回足し合わせたら、それは六十三だ」というのを意味していることが、分かっていないのではないかということだ。「九九」というものを、八十一個ある呪文のようなものと考え、そして、それをただそのまま丸暗記しなければいけないものと捉えていて、だから、覚えられないのではないだろうか。

こう書くとと、「そんなバカな」と思う人もいるだろうか。けれども、多分、私の言っていることは、少なくともいくらかは当たっているはずだ。おそらく、「九九」を教わったときに、その意味が一度か二度しか説明されなかったのではないかと、私にはそう思える。

説明されて、すぐにその意味が分かる人もいるだろう。けれども、そうでない人もいる。だから大切なのは、何度も繰り返して教えることだろう。そもそも教えるというのは、そういうことではないだろうか。あることを知らない人に対して、それをただ一度だけ知らせるというのは、「教える」こととは言えないはずだ。

さて、「九九」の例と同じように、ある数学の問題についてそれが分からない人を考えるならば、そのほとんどは問題に出てくる数式や問題文そのものの意味が分からない人なのではないだろうか。「九九」の意味は説明できても、算数を学んで、数学へと勉強を進めるうちに、どこかで学んだことの説明ができなくなってしまったという訳だ。

それがどこかなのは、分からなくなってしまったその人それぞれだろう。たとえば、「x」が出てきたとこで分からなくなる、「Σ」が出てきたところで分からなくなる、あるいは、「∫」が出てきたところで分からなくなる、というようにして。つまり、学んでいるうちに、あるところで、学んだはずのものが何を意味しているのかを自分で説明できなくなってしまう、ということである。

だから当然、それが使われた問題の意味も分からない。もちろん、そんなものには答えられない。そもそも意味が分からないのだから、答えようがないのである。そういう訳で、「分からない」ということは、そのほとんどが「意味が分からない」ということではないか、と私は思うのだ。

もちろん、数式を扱う場合などには、はじめに証明がなされるけれども、その後ではほとんどその意味を離れて、単なる操作とみなせるようなものもある。だから意味ではなくて、そういう操作のやり方、式を操作する仕方が分からないということもありうる。

けれどもやはり、その場合でも結局は、「意味が分からない」のだと言えるのではないだろうか。なぜなら操作が分からないということも、意味が分からないことからはじまるのが、ほとんどだろうからだ。つまり、証明の意味やその操作が持つ意味が分からないから、証明の結果として得られた操作の意味も使い方も分からなくなってしまうのではないか、ということだ。

また、問題文と数式の意味は分かるけれども、式を操作する以前にどうやって解くかという、つまり論理的に組み立てられるべき「問題の解き方」が分からない、ということもあるだろう。けれども、それもまた、「問題が何を問うているか」という、その「意味」が分からないということだと言える。

「意味」が大事であるということが言えるのは、数学だけではない。国語にしても、同じことだ。例えば、長い文章を読んで「その内容をもっとも適切に表しているものを選べ」ということで、五つの短い文が与えられたとする。

文章を読んで、意味の分からない言葉があれば、文章の意味も分からない。どういうことに重点をおいて読まなければいけないかという、問題の持っている意味が分からなければ、それを解くことはできない。

その他、どんな分野でも変わりはない。大事なのは「意味」だ。意味が分かっているかどうかが、何より問題なのだ。だから当然、まずは「意味」が大事だということを理解するのが大切だということになる。そして、自分が「意味」を掴まえているかを、つねにチェックしなくてはいけないということになる。

「意味」が大事だということ。言ってみれば、それは当たり前のことである。けれども、自分がどこの部分のどういう意味が掴めていないかを意識することではじめて、その点を理解することによって問題の解決により一歩近づくという道筋が、明らかにされるのだ。

少しくどいようだけれども、もう一度言おう。勉強していて分からなくなってしまったときには、自分は「意味」が分かっていないという事実と、その分からない場所とを明らかにするのが、とても大切なことだ。なぜなら、「分からない」ということは、「意味が分からない」ということであり、学ぶということは、それを自覚したまさにその場所からはじまるものであるからだ。


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