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| レスラー名
| 得票数
| 投票者数
| ホームリング、全盛期の活躍地
| 寸評
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| 1位
| ルー・テーズ
| 74
| 12
| アメリカ、世界
| 鉄人。NWA黄金期、いや、20世紀中盤アメリカン・プロレスの大黒柱。本投票において、二位以下の倍以上の得点を集めたのは、やはり現代のプロレスの惨状を救えるのは、これくらい偉大なヒーローがいてくれればなあ、というオールド・ファンの願望からだろうか
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| 2位
| アントニオ猪木
| 32
| 5
| 日本
| 燃える闘魂! ある年代の人にとっては、人生に大きな影響さえ与えた。師・力道山を押さえて2位に! いまだに熱狂的なファンが多いのも、レスラーとして、とにかくカッコ良かったからでもあろう
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| 3位
| 力道山
| 29
| 6
| 日本
| 言わずと知れた日本プロレスの開祖。テレビの黎明期、戦後日本の社会現象ともなった。本投票において、当初はなかなか票が伸びなかったが、蓋を開けてみれば、堂々の3位。「若い野郎ども、そうはいくかい!」ってとこかな
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| 4位
| ミル・マスカラス
| 21
| 6
| メキシコ、アメリカ
| 千の顔を持つ男。初来日では空港に大量のファンがつめかけ、人気を決定的に。仮面貴族が第四位とは、十年前にこういう投票をしていたとしたら、ありえない話。それだけプロレスの魅力が再認識されてきたってことですかね
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| 5位
| フリッツ・フォン・エリック
| 18
| 5
| アメリカ
| あの貫禄。あの存在感。泣く子もひきつけを起こす「鉄の爪」! もっとも恐かったレスラーが、やはりこれだけの上位にランクイン。テキサスでは、常に自分のライバルとなるレスラーにクロー技を使わせるなど、プロモーターとしても一流だった
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| 6位
| ジャイアント馬場
| 13
| 5
| 日本、アメリカ
| 全盛期と晩年ではまた別の人気を集めた、長嶋茂雄同様の国民的ヒーロー。今はまだ権利問題などで難しい部分もあるだろうが、ぜひともDVDなどで、インター選手権初戴冠の前後の映像を見てみたいもの。シリーズを通して挑戦者を良く立てていたっけなあ
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| 7位
| カール・ゴッチ
| 12
| 2
| アメリカ、ドイツ、日本
| ドイツのトーナメントで生活費を稼いでは、オフにはイギリスのウイガン道場でシュート磨きに明け暮れていたプロレス職人。ひと旗あげんと移住したアメリカでは概して不遇だったが、日本では「神様」の称号も
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| 8位
| アンドレ・ザ・ジャイアント
| 9
| 2
| アメリカ
| フレンチ・エンジェルの二代目とも言うべき、強さと動きを兼ね備えた人間山脈。国際プロレスでレスラーとして開眼させられた。WWEのポール・ワイトが、「自分はアンドレの落とし胤」とカミングアウトしていたが、本当なのかなあ…
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| 9位
| ダニー・ホッジ
| 9
| 2
| アメリカ、世界
| いま評価されるのは、NWA世界ジュニアのタイトルを長年守っていたことではなく、「この人なら、『総合』に出ても、むざむざとやられることはあるまい」という、オールド・ファンからの期待ゆえであろう
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| 10位
| ドリー・ファンク・ジュニア
| 8
| 3
| アメリカ
| 1970年代最高峰のレスラー。いわゆる「女顔」の持ち主で凄みはなかったが、卓越したグラウンド技術と、大技のラッシュを交互に繰り出すことで、60分フルタイムを見事に演じきってしまう人。農場でのトラクター事故さえなければなあ…
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| 11位
| ボボ・ブラジル
| 7
| 4
| アメリカ
| 黒い魔神。伝説のココバット。馬場と同じく野球選手からプロレス入りした選手。得意技にはドロップキックとスリーパーホールドもありました。花束むしゃむしゃの頃になると、ちょっともの悲しさを感じさせた。訃報記事は朝日新聞の一面にもなりました
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| 12位
| バディー・ロジャース
| 7
| 3
| アメリカ
| 黄金期における全米最大のドル箱レスラー。ビデオで見たジョニー・バレンタインとの一戦は、これなら日本のファンにも受けそうと目から鱗のノンストップ、ジェットコースター・ファイト。やっぱ、超一流だったんだなあ。良い意味で、見ると聞くとでは大違いでした
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| 13位
| ブルーノ・サンマルチノ
| 6
| 3
| アメリカ
| そのロジャースが心臓病でよれよれになっていたのを48秒で破り、WWWFのトップスターにのぼりつめた風雲児。怪力無双の人間発電所。人望厚く、首の骨を折ったスタン・ハンセンに新日本行きを薦めた人でもありました
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| 14位
| ディック・ザ・ブルーザー
| 5
| 3
| アメリカ
| 言わずと知れたブル&クラ・コンビのリーダー。葉巻をくわえたその風貌は、とにかくもう、シカゴのマフィアそのものでした。あんなに小っちゃい体をしていたのに、もの凄く恐かった。年齢とともにベビーフェイスに転向してゆき、最後はキールの名物おじさんに
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| 15位
| ザ・デストロイヤー
| 4
| 2
| アメリカ、日本
| 隠れ「シューター」。西海岸と日本ではデストロイヤー、AWA圏ではドクターXと、二つのリングネームを使い分けた人。正式なリングネームは、センセーショナル・インテリジェント・ザ・デストロイヤー。力道山最後のライバルでもあった
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| 15位
| ハリー・レイス
| 4
| 2
| アメリカ
| デストと同点、同得票者数で15位タイ。カーニバル・レスリングの出身。馬場派レスラーの中で、新日本時代の猪木との対戦がいちばん見たかった選手。ありえない事だけれど、スイッチがはずれたらどっちも何をやるか分からないでしょ
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| 17位
| ジャンボ鶴田
| 3
| 1
| アメリカ
| デビュー曲は「ローリング・ドリーマー」。天龍、そして三沢らが台頭してきて分かったことは、攻めよりも守りのほうにこの人の本領だったこと。さすがはファンク・ジュニアからフレアーにいたるNWA歴代と当たってきただけのことはある
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| 17位
| テリー・ファンク
| 3
| 1
| アメリカ
| ショーマン派だとばかり思われていた人。本領はNWA王者ならではのオーソドックスなファイト。狂乱ラフも長時間のタフマッチも得意。アマリロからプロレスの灯が消えたあと、単発で「サマー・シズル」なる興行を手がけたが、そのときのブッチャー戦を見たかったなあ
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| 17位
| ビル・ロビンソン
| 3
| 1
| ヨーロッパ、カナダ、アメリカ
| AWA入りする前までの、ロビンソンの人間風車は本当にカッコ良かった。無精なグレート草津を45分間ひっぱりまわし、これぞプロレスの技の品評会とでもいうべき試合を量産。ゴッチとの試合も、彼がいっしょうけんめい尽くしていたという感じだった。猪木との一戦が、キャリアのなかのピークだが、鶴田との一連の試合もノンストップであった
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| 17位
| パット・オコーナー
| 3
| 1
| アメリカ
| 寝て良し、立って良しのオールラウンドプレイヤー。思うに、新日本を設立した当初、猪木が本当に欲しかったのは、ゴッチじゃなくて、この人だったのではなかろうか。日本で考えられていた以上に、アメリカでは活躍していた選手
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| エド・ストロングラー・ルイス
| 2
| 2
| アメリカ
| ヘッドロックの名人。どこをどう締めれば外れないか、もっともダメージが与えられるか、解剖学・骨学的な研究までしていたと言われている。テキサスにおける、ジョー・ステッカー相手に5時間を超えたマラソンマッチは伝説。ルー・テーズの師匠でもあった
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| ジョージ・ハッケンシュミット
| 2
| 2
| ヨーロッパ全土、アメリカ
| 欧州やロシアのトーナメントではほぼ敵なしの状態になり、世界各地を回ったあと渡米。前後して当時のアメリカンヘビー級王者であったトム・ジェンキンズを破って頂点にのぼりつめた同士、フランク・ゴッチとの対決は、田鶴浜弘さん曰く、「米国フリー・スタイル vs. 欧州グレコローマンの決定戦」
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| フランク・ゴッチ
| 2
| 2
| アメリカ
| 元祖、世界チャンピオン。どんな試合スタイルを持っていたのかはまったく想像がつかないが、記録を見るだけでも不世出の選手。あのカール・イスタスがこの人の名字をリングネームとしたのだから、いかにレスラー達のあいだで語り継がれてきた選手かは分かろうというもの
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| ニック・ボックウインクル
| 2
| 1
| アメリカ
| 眼鏡のCMにでも起用したいくらいの伊達男。ベテランになってからは相手に合わせまくるスタイルをあみだしたが、若き日の彼は前髪をふりみだしてのラッシュが魅力だった。ティーネージャーにして、ハワイでテーズの世界タイトルに挑戦した
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| アブドーラ・ザ・ブッチャー
| 1
| 1
| アメリカ
| 黒人とインド人の混血だったとはビックリ! 70年代から80年代にかけては、日本でもっとも有名なプロレスラーでありました。彼のプロフィール紹介でかならず用いられるあの有名な写真で肩にかけているベルトは、のちに猪木の虎の子ともなったNWFの王座。ジュジュプソー!
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| 大木 金太郎
| 1
| 1
| 日本、韓国
| 韓国の猛虎。力道山存命中も亡き後も、豊登にはけっこういじめられていたらしい。そのあたりに、グレート東郷がつけこむ隙があったのであろう。日プロを最後まで死守しようとしたが、全日本、新日本と渡り歩いて、最後はキム・ドクとのタッグで狂い咲き。原爆頭突きが切り札
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| ギディオン・ギダ
| 1
| 1
| ドイツ
| 17世紀に存在したと言われる伝説の錬金術師の名をリングネームにしていた強豪。アマレス、ランカシャー・レスリング、カンバーランドと、あらゆる組み技系の格闘技をものにしていたと言われている。ホースト・ホフマン以前の西ドイツの帝王
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| キング・コング(・シザヤ)
| 1
| 1
| シンガポール、オーストラリア
| ビア樽のような体型をした、ハンガリー生まれのシンガポールの総帥。初代アジア・タッグ王者にも就いた、力道山時代の日本プロレスを盛り上げてくれた立役者。アムステルダム五輪では、グレコローマンで銀メダルを獲得した実力者でもあった
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| クラッシャー・リソワスキー
| 1
| 1
| アメリカ
| ブル&クラのタッグでエントリーされるも、ブルーザーのほうにも票が入ったので、右と左の泣き別れ。凶悪タッグにおいては、こちらのほうが試合を成立させるために律儀に動いていましたっけ。GIカットがじつにクールだった元警察官
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| グレート・ガマ
| 1
| 1
| インド
| 20世紀前半、インド(のちにパキスタンとして独立)の伝説の強豪。インディアン・デスロックの元祖・考案者とも言われる。欧米から遠征してきたスタニスラス・ズビスコら、一流強豪を退けて無敗であった。フランク・ゴッチやジョージ・ハッケンシュミットすらも、彼との対戦を避けたと言われる
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| ゴージャス・ジョージ
| 1
| 1
| アメリカ
| ショーマン派の代表。しかし今では信じられないことであろうが、テレビプロレス創世記には全米ネット中継における、絶対的なスターだった。その後、Bロジャースやテーズらが台頭してくると行き場を失い、アル中となって西海岸でひっそりと死去
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| ジャン・ウィルキンス
| 1
| 1
| 南アフリカ
| 重量挙げから転向した南アフリカのヒーロー。逆十字架固めやベンジュラム・バックブリーカーが得意技だったが、けっこう木偶の坊であった。珍しく遠征してきた坂口征二と、世界スーパーヘビー級タイトルを取奪ったり奪られたり。ウィリアム・ホールとのタッグは名物
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| ジョー・ステッカー
| 1
| 1
| アメリカ
| 胴締め王。エド・ストロングラー・ルイスやスタニスラス・ズビスコとのライバル対決は、かつての全米ドル箱。ファイトマネーを株投資につぎ込んだが、かの大恐慌でそのすべてを失い、ショックから廃人となったのは有名な話
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| スタン・ハンセン
| 1
| 1
| アメリカ、日本
| AWA世界ヘビーを奪取するや、アメリカマットにUターンするかな、とも思わせたが、日本女性との結婚を機に、全日本に骨を埋める。リングの上とはべつに、テリーとの抗争ツアーも語りぐさ。猪木・馬場という、日本の二大スターを蘇らせた選手でもある
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| タイガー・ジェット・シン
| 1
| 1
| カナダ、豪州、日本、アメリカ
| 日本マット界というものがあって良かったね、の人。新日本と提携していたメキシコ遠征がきっかけとなった家具輸入のサイドビジネスも大ヒット! 億万長者となって、カナダのインド人社会では名士。あの狂乱ファイトは日本であみだしたものと言われている
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| チャボ・ゲレロ
| 1
| 1
| アメリカ
| 「小さな巨人」。日本では藤波のライバル、大仁田やハル薗田らの前に立ちはだかった「ジュニアの壁」といった印象が強いが、テキサスではヘビー、ジュニアの境界線などものともしなかった、堂々たるトップエース。NWA王者だったレイスに、幻の勝利もおさめている
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| バーン・ガニア
| 1
| 1
| アメリカ
| AWAの帝王。最後にビンス・マクマホン・ジュニアに出し抜かれた不運のプロモーター。国際プロレスから法外なブッキング料をむしりとって経営を傾かせたのであるから、自業自得と言えるのかもしれない。必殺技は相手によりそうようにしてかけるスリーパー・ホールド。ドロップキックも上手い
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| ハルク・ホーガン
| 1
| 1
| アメリカ
| 映画、テレビドラマにも大活躍した現代のヒーロー。一流レスラーとしてはかなりおお味の部類に入るが、カリスマ性ゆえに観衆は大熱狂。なかば引退してからが長いが、今は娘ひとすじで、何とか芸能人にしようと東奔西走の毎日らしい、と思ったら、息子も売り込んでいることが判明
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| ビリー・ジョイス
| 1
| 1
| イギリス
| ロビンソン登場以前に英国マットに君臨。初期の国際プロレスに来日しているが、峠をとうに過ぎていたことと、下痢による体調不良と激ヤセが禍して、本領発揮とはまったくいかなかったようである。全盛期に吉村あたりとやらせてみたかった選手
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| 藤波 辰巳
| 1
| 1
| 日本
| メヒコでは「ドクトル・フヒナミ」としてルード、南部では第一試合の要員と、下積みが長かったが、新時代のスターをとのNETテレビと猪木の要請に見事にこたえ、MSGでジュニアヘビーのチャンピオンに。凱旋帰国の颯爽とした若者らしさは、今でも印象に残る
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| ブルーザー・ブロディ
| 1
| 1
| アメリカ
| マット界のジョン・レノン。学生時代からつきあいのあったスタン・ハンセンの自伝によると、レスラーとしてかなり若い頃から孤立した生き方をしていた人だったらしい。自宅には世界の株式相場を追うためのパラボラ・アンテナも
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| ホセ・アローヨ
| 1
| 1
| スペイン、イギリス
| スペインの帝王。もしくはイベリア半島の大木金太郎(笑)。ジャンプしてのツームストーン・パイルドライバーはとっても危険に見えました。日本には国際プロレスに二度来日しているが、送り込んできた何人かの配下レスラーがみんなチビだったのは、何やらドリフのメンバーを思わせた
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| リック・フレアー
| 1
| 1
| アメリカ
| ネイチャーボーイ。「はい、今度はオレの番!」とばかりに、バックハンドチョップで流れをかえると、足攻めから四の字へ。でも何だかんだ言っても、NWAの世界チャンピオンは、この人の代までは信用があったものなあ。意外なことにAWAが出発点
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