栄光なき宇宙飛行士 〜或るライカ犬の旅〜


彼女の名前はクドリャフカ、巻き毛という意味である。
この体重5kg程の小さな雌のライカ犬が、嘗て世界を震撼させたことがあった。

「ライカ犬を思うと胸が痛む。十分な食べ物も積まず、犬を宇宙に送るなんて。
人類の進歩のために、望んだ訳でもないのに」

長らく地球の生命を拒絶してきた世界…宇宙。
古代から我々の心を魅きつけた夢であり、人類最後の辺境地でもある。

この厳しい環境に初めて足を踏み入れた地球の生命は、
特別な訓練を受けた人間でもなく、知能の高いチンパンジーでもなく、
クドリャフカと名付けられた、旧ソ連生まれの小さな雌のライカ犬であった。

最初が人間でなかった理由は明解である。
それだけ宇宙空間が危険であったということだ。
酸素、食料、温度の問題、
そして何より宇宙という未知の空間が人体に及ぼす影響を恐れたからである。
そこで当然、人間以外の生物で実験するということになり、
旧ソ連の場合は犬を選択した(アメリカでは最初にチンパンジーで実験)。

なぜ犬を選んだのだろうか。

旧ソ連の科学者たちは、随分古くから犬の研究を行っていた。
『パブロフの犬』に代表されるように、大脳生理学の分野について云えば、
当時既に60年以上の歴史を持っていたことになる。
犬は古くから人間の友で、人間に対して恐怖や抵抗を示すことが少ないため、
実験動物として最適だったというのである。

ロシア人にとって身近な飼い犬であったライカ犬が
人工衛星の実験動物として選ばれた理由も、これと全く同じであった。

当時ソ連では、“宇宙犬”として20頭以上が訓練されていたようだ。
これらの殆どが小さな雌のライカ犬だったが、
それはどうも環境に適応する能力は雄犬よりも雌犬の方が優れていると、
担当の科学者が判断したことかららしい。
このエリート犬たちは、ロケットで高度200キロまで打ち上げられ、
パラシュートで降下するという訓練や、
数週間小さな気密室に閉じ込められるという訓練を何度も受けていた。
その中の一頭がクドリャフカだった。

1957年(昭和32年)11月。
当時世界最大規模を誇っていたカザフ共和国のバイコヌール宇宙基地では、
スプートニク2号の打ち上げ準備が進んでいた。
1ヶ月前には世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、
世界各国に大きな衝撃(スプートニク・ショック)を与えたばかりだった。
発射台には、人工衛星を搭載したロケット『R-7』がそびえ立っていた。

人工衛星にただ一匹乗せられるライカ犬は、
訓練の成績、体調などからクドリャフカに決定しており、
彼女には人工衛星内で食べる特別食(宇宙食)に慣れる訓練が施された。

クドリャフカの運命の日が近付いていた。



発射直前のクドリャフカ


11月3日(日)

クドリャフカは特別の気密服を着せられ、
スプートニク2号内部の、アルミ合金でできた小さな気密室に入れられた。
やがてロケットのブースターエンジンに点火され、
この瞬間、秒速8q(人工衛星になるのに必要な速度)まで加速するときの、
人間さえ経験したことのない激しい衝撃がクドリャフカを襲った。
それでも、彼女はきっと今までの訓練と同様に、
また地上に戻って来られると信じていたにちがいない。
しかし、この人工衛星は違っていた。

パラシュートの代わりに搭載されていたのは、
紫外線やエックス線を計測する観測機器、クドリャフカの脈拍、呼吸数、
血圧の計測装置、無線送信機などだけだった。
そして用意された酸素と食糧は数日分、
クドリャフカは二度と戻ることのない片道切符の旅に出たのだった。


11月4日(月)

旧ソ連・モスクワ放送の発表により、
『宇宙空間に初の生物』というニュースが世界中に伝わる。

この打ち上げ直後、ニュースを知った人々の興味はクドリャフカの命に向けられ、
特に犬好きのイギリス人はかなり敏感に反応したようだ。
“ライカ犬を無事地球へ戻す計画”があるとも報道され、
その回収方法までを詳細に解説しているような新聞もあった。

タス通信によると、この日のクドリャフカの健康状態は極めて“良好”。
彼女の生態データは無線機で送信され、
地上の基地ではそのデータが随時分析されていた。
しかし当時の状況から推測して、
その生態データはソ連の有利になるよう発表された可能性もあった。
狭い気密室に閉じ込められたまま、微かに聞こえるのは観測機器の音だけ。
淋しくて、彼女は何度も遠吠えしたかもしれない。
この孤独の中で、彼女は一体何を考えていたのだろうか。


11月5日(火)

スプートニク2号の姿が日本各地で観測され始める。
それまでに人工衛星は一つしか打ち上げられておらず、
現在ほど都会の夜も明るくはなかったので、
東京の真ん中でも、スプートニク2号の姿は肉眼でもはっきり捉えられた。

そしてこの日、クドリャフカに関する一つのニュースが流れた。
イギリスのデイリー・ミラーの記者が、
旧ソ連の人工衛星計画の担当者に行ったインタビューに関してである。

問:犬は地球に帰るだろうか。
答:帰らないだろう。
問:犬は宇宙で死ぬだろうか。
答:そうだ。
問:犬は人工衛星の中で殺されるのか。
答:それは云えない。


11月6日(水)

旧ソ連当局の発表は、相変わらず“犬の健康は満足すべき状態”となっていた。
スプートニク2号に関するニュースが流れるたびに、
アメリカ政府は焦りの色を濃くしていった。
宇宙開発の遅れと、人工衛星に乗っているのがライカ犬ではなく、
核兵器にすり替えられていた場合の恐怖からだった。
彼らは威厳を取り戻そうと、人工衛星打ち上げ計画を発表するのだが、
失敗を繰り返し、実際に打ち上げに成功するのは翌年1月31日。

やがてクドリャフカの存在は、大国をも動かすほどのものとなっていった。



スプートニクから送られてきたクドリャフカの映像


11月7日(木)

アメリカのある研究機関が、
既に人工衛星から犬を収容した容器が発射されたのではと報告を行ったが、
事実はクドリャフカはまだ人工衛星の狭い気密室の中に居た。

宇宙に打ち出されて5日目。
ソ連当局の発表とは裏腹に、彼女の精神は想像以上に荒んでいたに違いない。
食糧も少なく、身動きも取れず、何よりも孤独だった。
たった一つ取り付けられた窓らしきものから、
彼女は暗い宇宙や地球を、そっと眺めることができたのだろうか?

このときにはスプートニク2号とクドリャフカは、
もう地球を60周以上も回っていた。


11月8日(金)

クドリャフカにとって最後の食事は、
これまでの5日間と同じように細いチューブで喉の奥に流し込まれた。
その直後、彼女が苦しんだのか、眠るように意識を失ったのか誰にも判らない。
当局の発表を要約すれば、「酸素が無くなり苦しむ前に、
睡眠薬入りの毒物で安楽死させた」らしいが、真相は不明のままだ。

とにかくクドリャフカは“独りで”死んだのだ。
殺されたと云った方が正しいかもしれない。
世界初の宇宙飛行士は、同時に世界初の宇宙での犠牲者にもなってしまった。

地上ではまだ、「犬は3日以内に戻る」というニュースが流れていた。

それからの数日は“薬殺された”と報じる新聞や、
“モスクワから30キロの地点に無事着陸した”と伝える通信社などもあった。

クドリャフカが死んだことをソ連が正式に公表したのは11日。
これ以降、スプートニク2号と、それに乗って宇宙へ出たクドリャフカの話は、
マスコミにあまり登場しなくなった。


1958年4月14日(月)

夜のモスクワ放送は、
徐々に高度を下げていた人工衛星スプートニク2号の消滅を次のように伝えた。

「昨年11月3日に打ち上げられ、軌道に乗ったソ連の第二人工衛星は、
4月14日午前、濃密なる大気中に突入し、破壊、消滅した」

「破壊されたその各部分は小アンチル諸島(カリブ海)、ブラジル、
及び大西洋上空を東南方に通過する線上に散乱した」

やがてクドリャフカの長い旅は、終わった。


1961年4月12日(水)

歴史的な一日だった。
バイコヌール宇宙基地から、若い空軍少佐ユーリ・ガガーリンの搭乗した、
世界初の有人宇宙船ヴォストーク1号が打ち上げられたのである。
宇宙船は周回軌道に乗り、見事に地球を一周、
2時間後、無事地球に帰還したガガーリンは世界の英雄として迎えられた。

このガガーリン無事帰還の裏には、有人宇宙飛行の材料として、
クドリャフカの残した生態データが十分に活かされていた。
人類最初の宇宙飛行士は、あるライカ犬の犠牲によって守られていたのだ。

その後、宇宙開発は更に加速し、
ソユーズという有人宇宙船や、アポロという月面着陸船の時代へ突入していく。

どうか、この栄光なき宇宙飛行士の犠牲を忘れないでほしい。
凡ての健康と繁栄は犠牲の元に成り立つものだということさえも。

彼女の名前はクドリャフカ、巻き毛という意味である。


七日分の酸素と水 誰かの強い願いと
スプートニクのライカ犬 二度と開かない扉が閉まる
あなたの知らない遠い場所で 暮らしてくなんて
同じ気持ちになれないなんて

『スプートニク』/新居昭乃



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