ルーシェルの生涯と彼が引き起こした様々な事件



 一 ルーシェルの正体

 ルーシェルは、神様が被造物を創造される時、エデンの園の中のあらゆることを面倒みるべき、使いの立場として創造されました。神様はルーシェルを愛されました。そして彼にエデンの園の中にあるすべての被造物の世話をし、よく育て、楽しむように導かれ、教えられました。ルーシェルも神様の命令に従ってあちこち歩き回り、楽しみ、神様の前に従順に従いました。その後、神様はアダムとエバを創造され、彼らを神様の子女の格位に立てられ、ルーシェルに、惜しみなく世話をし、育て、愛しなさい、と指示されました。初めルーシェルは、とても喜びました。神様の子女の世話をしているという自負心をもち、神様の愛にとても感動し、神様の子女をよく保護し、とても大切にしながら育てました。しかしルーシェルが心配する必要もなく、アダムとエバはすくすく成長していました。ところが歳月が流れるに従って、ルーシェルは神様の愛に次第に反旗を翻し始めました。

 「いくら考えてみても、私が先にエデンの園を苦労して造り上げてきたのに、神様はなぜ私よりもアダムとエバをもっと大切にし、愛されるのか」という疑問とともに、ルーシェルには神様に対する寂しさが芽生え始めました。そしてルーシェルは時々、神様の愛に対して抗議したりもしました。ルーシェルは神様に、「どうして私には下さらないみ言をアダムとエバにだけ下さり、どうして私よりアダムとエバを格別な立場で愛されるのでしょうか、私は寂しいです。正しい道を行かれる神様が、そのようにされてもいいのでしょうか」と言いながら、反発し始めたのです。

 そのようなことが何度か起こりました。そのたびごとに、ルーシェルは自分が守るべき位置を失っても、アダムとエバと同等な位置で生活したくなったのです。

 ルーシェルは特に、エバに接近するたびに異性的な情感を感じるようになりました。ルーシェルは神様の視線をひそかに避けながら、エバにさらに強く接近し始めました。この時、天真燗漫なアダムとエバは、ルーシェルのすべての行動に、まるで父母に対するようによく従いました。

 ルーシェルは、あたかも自分が彼らの親であるかのように行動しながら、神様の視線を避けつつ、自分が彼らの主人のごとく振る舞いました。そしてアダムとエバを手の内に入れて、アダム・エバと神様の関係を次第に疎遠にさせていきました。ルーシェルは神様の視線から次第に離れて、主人のように、王のように、父母のように振る舞いながら、エバを誘惑し始めました。アダムはその事実を知らないまま、自分が行きたい所を思いのまま歩き回りながら、楽しんでいました。アダムはすくすく成熟していきましたが、ルーシェルとエバの関係を全く悟れませんでした。アダムには神様の教えもありませんでした。エバはルーシェルと身近に過ごしていたので、アダムは一人で生活するのが習慣となったまま成長していったのです。

 やがてルーシェルがエバに罪の種を芽生えさせようとする時、神様がルーシェルに、自分の居る所で自分の位置を守らなければならない、と警告されました。それにもかかわらずルーシェルは、神様に対してさらに強烈に反抗し始めました。ある時にはルーシェルは、自分の位置や身分も構わず大胆になったりもしました。神様は、いく度かルーシェルを諭しました。

 神様はルーシェルに対して、自己の位置を離れると神様の前に大きな犯罪者になるといろいろな角度から諭されましたが、そのたびに彼は神様の位置に立って、神様ができることは自分もできると反発し、自分勝手に進んでいったのです。

 神様は、ルーシェルが歴史の汚点を残さないようにするため、彼を何度か諭し警告されましたが、ルーシェルは自分が最高で、神様よりもっと高くなることができるという驕慢な心まで抱くようになりました。ルーシェルはさらにエバに接近しながら、エバに彼の驕慢性を伝え始めました。波打つ波濤のような罪のうねりの中で、神様は限りない悲しみを耐えながらルーシェルをなだめましたが、結局ルーシェルは人類歴史の前に犯罪者となってしまいました。言い換えれば、ルーシェルとエバの不倫の関係が始まったのです。その事実を知るようになった神様の心情は、いかばかりであったことでしょうか。それは、涙と悲痛と痛みの入り交じったものでした。神様はエデンの園で最も悲痛な存在になりました。そして神様は、そのような悲痛な心境を万物と共に紛らわせざるを得ませんでした。

 それが何日になったでしょうか。それが何年になったでしょうか。神様のそのような心境にもかかわらず、ルーシェルとエバは神様を避けながら狂ったように浮気をしていました。しかし物心つかないアダムは、神様の悲しい心情を少しも推し量ることができずにいました。それで神様は、ただ万物を友として、子供として、嘆きの歳月を送るしかなかったのです。

 その後、エバは次第に異性的に成熟しながら、自分とルーシェルとの関係が不倫なものであることを悟るようになりました。そのような関係の中で、エバとルーシェルの不安と恐怖は一層募っていきました。そしてエバは、ルーシェルから伝えられた不安と恐怖を、そのままアダムに移し始めました。

 物心のつかないアダムはエバの姿を見た時、成熟した女性としてよりも、不安に震える女性としてのエバを救済してあげようと、慰め、エバが言うとおりに従ってあげました。それがアダムとエバの愛でした。しかしアダムは、自分よりエバをもっと熱く愛するルーシェルがいることを知りました。

 かくして、時が流れながらアダムとエバの複雑で険しい愛がつづられたのです。これが人類罪悪史の始まりであり、人類の原罪の根となりました。神様は愛してみることもできなかった子女を、ルーシェルに先に奪われてしまいました。その時の神様の凄惨な心情は、いかばかりであったことでしょうか。

 神様はそのような悲しみと痛みの立場にあったとしても、父母の立場で子女たちを迎えたかったのですが、彼らが堕落して神様の前に立つことができないので、神様は父母の立場を去らざるを得ませんでした。神様と人間の親子の関係が、その始まりからこのように難しく、痛く、悲痛な歴史へと流れてしまいました。宿命的な愛の親子関係が、恨みと呪いと悪夢の場へ転落したのです。ですから今こそ、この罪悪歴史を正し、ルーシェルが本来の位置で神様の前に両手を挙げて謝罪する時、初めて復帰摂理の痛みと神様の恨の歴史が解かれることでしょう。

                                           (一九九九年二月十日)


 二 ルーシェルの生存

 ルーシェルの生活は、エバとの不倫の関係がなされたのち、神様から相当遠くなりました。彼のすべての生活環境が神様に反撃し、対抗する非原理的生活に発展していきました。そうしてルーシェルが行く所は、いつも不協和音が起こり始めました。

 ルーシェルとエバが過ってできた罪悪世界は、全面的にルーシェルから出発しています。その世界のすべての人たちは、心から神様が願うことと反対の方向に行くようになっていました。彼らはそのような姿勢をとって、積極的な姿に急変していったのです。

 神様が人間に東に行けと指示されれば、ルーシェルは反対方向の西へ行くように人間の心を誘導し、神様の摂理を妨害する立場で生活したのです。ルーシェルは、神様の側で働きながら寂しさを感じた人を、積極的に誘導し、自分と大の仲良しになるようにしたのちにグループを編成し、組織を拡大させていったのです。

 神様の側では、善悪をお教えにならないで神様のみ言だけを教えられました。しかしルーシェルは自分の立場から、人類に神様がなさるすべてのことは間違っていると説得しながら、神様のみ旨とは反対方向に組織を急速度で拡大したのです。そうすることによって、善側(神側)の組織はだんだん弱体化し、その数も減り始めました。

 しかし神様は、それに対して少しも弁明されませんでしたし、教えてもくださいませんでした。ここから善悪の闘争というものが生じたのです。ルーシェルの組織と勢力が急速度に大きく強化、拡大されていましたが、神様は孤独な心情でルーシェルとその一派たちが過ちを悔い改め、帰ってくることをただひたすら待っていらっしゃいました。そのような歳月が、今日まで流れてきたのです。それが、神様の恨の歳月であり、神様の痛みと、悲痛と、痛憤の歳月でした。

 悪の勢力は強化され、善の組織は踏みにじられていきましたが、長い歳月の間、神様は真の子女が現れて、間違った罪悪史を解き明かしてしてくれることを待ちに待ってこられたのです。それが、神様の恨の歴史です。

 しかし時間が流れ歳月が流れながら、人間たちの心の中には二つの心が生じ、互いに弁明し、闘いながら二人の主人を求め、仕え、生きていくようになりました。そのような姿を御覧になる時、人間を造られた神様の心情は、どれほど痛く嘆かわしかったことでしょう! それでも神様は、創造主である前に父母として子女たちに対する慈悲と忍耐と愛をもって待ちながら、人間がその本性を通じて神様を追求し、善に生きることを願われました。

 人間は良心の声に従って、いろいろな姿で神様の実存を探し始め、そこにいろいろな宗派が生まれたのです。お一人の神様のもとに数多くの宗派が出現し、互いに摩擦し、相反し、闘争するようになりました。神様はそのような姿を見つめられる時、また別の次元の痛みを通過されなければなりませんでした。唯一なる父母のもとで数多くの兄弟たちが互いに争っているので、神様の痛みはいかばかりでしょうか。

 歳月が流れていくにつれて、人間の生活の変化により様々な宗教が出現し、人類の心を善に導こうとすれば、そのたびにルーシェルとその勢力は、その宗教を妨害し、追い詰め、分裂させてきました。そのような歴史が流れるとともに数多くの教派分裂が起こったのです。ルーシェルの組織と勢力が大きくなればなるほど、また悪の勢力間でも自爆行為が起こり、そこで新しい善を追求する歴史が胎動し、天道の道をつづってきたのです。

 結論的に言えば、神様を求めていく道は開かれています。ですから誤った道にいるなら、再び後戻りしてでも正しい道を求めて行かなければなりません。善の道は前進すべき道であり、悪の道は再び帰ってこなければならない道です。ですから、結局悪は滅びるという表現は、直接的な表現なのです。

 長い歳月の間、ルーシェルは神様と反対方向の道を歩いてきたので、今こそ彼は再び帰ってこなければならないはずです。誤った道にいれば、行けば行くほど帰ってこなければならない過程がもっと難しいだけです。ルーシェルとその一派たちは、すべてのことを一日も早く整理し、悔い改めて、神様の前に早く帰り、謝罪しながら、過ちを犯した歴史の犯罪者として万天下の前に自白して現れなければならないのです。

                                         (一九九九年二月十一日)


 三 愛と堕落

 ルーシェルがエデンの園で不倫によって堕落したことが、人間において子々孫々の遺伝罪、原罪になったのです。神様が願われた本然の世界は、父母と子女が一つの囲いの中で愛と情を授け受けながら、傷もほこりもない美しい姿で、愛し合いながら生きていくようになっていました。

 しかし不倫の愛による堕落によって、人間は愛らしい愛を成すことができなくなっただけでなく、不協和音だけの限られた枠の中で愛するしかなくなりました。それはあたかも翼の付け根を怪我して、落ちた鳥が飛べずに歩き回ったり、横になったり立ったりしながら、限られた枠の中で生きなければならない姿と同じてした。人間はそのような鳥の姿のように、悲劇的な愛で愛さざるを得ませんでした。それが今日までの愛でした。

 愛する夫婦の間においても、初夜を迎える新婚夫婦においても、愛の行為を自分たちだけで隠れて行わなければならない痛みと恨みを残したのは、ルーシェルが伝えてくれた愛の行為でした。神様は父母として子女との宿命的な親子の関係に人間を創造されたのに、父母が子女の愛を祝福できないという状態に縛られてしまいました。

 神様が子女を祝福してくださる時、神様は神様だけでなく万物たちも共に祝福できる恍惚の中で子女と共に喜び、幸福であられたかったのです。そのような心情をことごとく蹂躙し、その理想を奪っていった存在が、まさにルーシェルでした。

 心情で結ばれた神様の愛が、このように部分的で限定的な愛に転落してしまい、神様は哀れな身の上となられました。こうして人間の不倫な愛が、神様に痛みと恨みと悲しみとしてとどまるようになりました。それゆえ神様の心情と愛は、ずたずたに打ち砕かれ、引き裂かれてしまいました。そのような痛みと恨の歴史が、神様と人類の前に絶え間なくつづられるようになりました。

 しかし今こそ、神様の孤独な心情と恨の歴史が終結しなければなりません。ルーシェルの不倫の堕落によって、私たち人類の前には到底表現できない悲劇と恨の歴史がつづられてきたのです。今こそ、ルーシェルが人間に残してくれた間違った愛は、きれいに清算されなければなりません。そうしてルーシェルは神様の前に数千年の間、歴史の犯罪者としての過去のすべてのことを悔い改め、両手を上げて神様の前に、そして人類歴史の前にその過ちの責任を負わなければなりません。そうして三億六千万双の祝福者と、その先祖たちと共に永遠の新天地をつくり、神様の前に、真のご父母様の前に、贖罪の供え物を捧げなければなりません。大詰めに来た間違った歴史を終結させ、神様と真のご父母様と共に新しいエデンの歌を口ずさみ、踊り、進んでいかなければならないのです。

                                         (一九九九年二月十二日)


 四 ルーシェルの生涯

 人間始祖の根本の愛と神様の摂理を、ルーシェルはみな知っていました。彼は神様に対する恐れと恐怖と自分がいるべき立場をすべて知っていたので、いつも何かに追われるような不安と恐怖に覆われ、愛と平和の観念を完全に忘れて生きていました。彼は、かって神様の愛の中で幸福に暮らした事実さえはるか昔のこととして忘れ、いつも不安と恐怖の中で生活していました。彼はそのような状況で、自分の満足を得るために闘争し、自分の思いが実現することを願いました。彼の生活は、このようなことがずっと繰り返されていたのです。

 ルーシェルは不安と恐怖と一つになって生きていました。あたかも神様において、愛と喜びと希望と平和と温かさの聖霊が連想されるのに対して、ルーシェルにおいては、不安と恐怖がすぐに連想されるというようにです。自分のものではない、人のものを盗み奪い取って実現しようとするので、ルーシェルにおいてこのような不安と恐怖が起きるのは必然的なことです。そのように、ルーシェルの本質的要素は不安と恐怖になりました。それでルーシェルにおいては、いつどこでもそれが発露するのです。いくら欺こうとしても欺くことができないのは、神様の被造物として創造されたからです。

 それではどうすれば、不安と恐怖の枠の中から抜け出して、慈愛なる神様の心情と等しくなり得るのでしょうか。それは、自分の位置と自分の身の程をわきまえる道のみです。自分の位置ではない他人の位置に居座って、主人の振る舞いをし、威張っていれば、いつも真の主人が現れるのではないかと怖くなり、不安になるようになっています。

 ですからルーシェルはすべての人に、「私は主人ではありません。ちょっと待てば主人が来るでしょう」と言いながら、自分の正体を隠さずに明かすならば、彼の心は平穏になるはずです。

 彼は謙遜な姿勢をもって、利己的な要素を捨てなければなりません。他人の位置を欲しがりながら、主人でない者が主人の振る舞いをするなら、彼の正体はいつかは明るみに出るのです。ルーシェルは明らかに自分の位置と自分の身の程を越えて、主人の地位を奪った形になりました。

 不安と恐怖は過分な欲望のために生じたものです。自分を捨てて本来の自己の位置で誠実に生きてこそ、平安と愛と幸福の土台を備えるようになるのです。今までルーシェルが人類に犯した最も大きい犯罪は、人類に原罪を伝えながら、同時に不安と恐怖まで伝えたことです。

 ですから人間の心の中に不安と恐怖が残っているということは、堕落の要素が残っていることを意味します。これを清算するのは、人間の努力と祈祷では不可能です。人間がどんなに努力し、祈祷しても、人類の罪悪史を解決することも、清算することもできません。

 私たち人類は、この貴い人間の「生」の中で、ルーシェルから受けてきた凶悪な要素を私たちの体と心の中から追放しなければなりません。そのためにはルーシェルの正体をくまなく暴き、彼の根源的な要素を根絶しなければなりません。それは静かな沈黙や瞑想の中で、自然に解決されるものでは決してありません。知らないということでは神様の前で善にはなれません。知るように努力しなければならないし、知ったことで終わってもいけません。皆さんは学校で知識を蓄えるようになりますが、その知識が知識として終わるのなら、何の意味もないでしょう。学んだことを理解し、実践してこそ、ルーシェルから受けてきた凶悪な要素を追放することができるのです。長い歳月の間、私たちはルーシェルという存在を人類の犯罪者としてのみ知っていただけであって、それを追放する方法論は誰も教えてくれませんでした。しかし今、私たちはみなその追放方法を学び、ルーシェル的要素を根絶しなければなりません。

 紛れもない事実は、人類の父母は神様であるという事実です。人類は神様に侍って生活する永遠不変の親子の関係で結ばれているという事実です。それが事実ならば、人類歴史の前で犯罪者は誰なのか、なぜ私たち人間に二人の主人ができたのかを考えなければならないはずです。おそれ多くも二人の主人という言葉を神様の前で、どうして使うことができようかというのです。私たち人類の父母は、ただ唯一なる方だけです。その方が、まさしく創造主である神様です。

 ところで今まで神様の心が、どれほど痛かったことでしょうか。どれほど気をもまれたでしょうか。どれほど待たれたでしょうか。どれほど虚しかったでしょうか。神様がどれほど凄惨で孤独な日々を過ごされたか、私たち子女たちは深く心から推し量り、今こそ神様の恩恵に報いて、報恩の人生を営まなければなりません。ルーシェルは自分の本来の位置に帰りなさい。万天下の前に贖罪の心情をもって自己の位置に戻り、自己の位置で静かに神様の命令に従い、命令を待つ姿勢をもたなければなりません。

 ルーシェルは万天下の前で犯罪者として、神様の前に贖罪の心情をもたなければなりません。彼は黒い仮面をかぶって数多くの人間をあざむきながら生きてきた長い歳月をどのように回復するか考え、自分の位置に帰らなければなりません。長い歳月の間に人類にできたあざや傷あとが残っている限り、ルーシェルは頭を上げることができない自分であることを肝に銘じながら、神様の下さる命令を待たなければなりません。

 ルーシェルは真のご父母様のサタン根絶の年を迎え、終結させなければならない歴史的曲折を一つ一つ解き放ちながら、真のご父母様の生存時に、それらを締めくくらなければなりません。神様の摂理の前にルーシェルは人類のすべての罪悪史を収拾して、自己の位置に戻りなさい。神様のもとでの貴き苦難の歴史は、万天下の前に貴き歴史として残りますが、ルーシェルのための暗闇の苦難の歴史は、行けば行くほど神様の前に犯罪者の名前で大きな汚点を残すだけです。

 どこの誰が分かるでしょうか…。私たちのご父母様の前に染み付いた傷と痛みと苦難のその場所を。私は、子女として孝行の立場とは、父母と共に同じ道を歩み、父母の傷をさすり、いやすことだと思います。恨の立場で生きてこられた神様の歴史を、私は子女として万天下の前に告げようと思います。

 歴史の前に犯罪者は、今こそ両手を上げて謝罪しなさい。私たち人類の主人はただ神様であり、私たちのご父母様だけが永遠に共におられるでしょう。神様の恨の歳月、今こそ私は子女として先駆者となり、ルーシェルを罪に定め、その罪状を万天下に暴露しようと思います。

                                         (一九九九年二月十三日)


 五 愛と祝福

 ルーシェルは神様が創造された本来の基準から離脱はしましたが、神様が願われた愛と祝福の根本の意味を知っているので、神様の方向と反対経路で生きてきました。その目的は、反対経路の道を歩むことによって神様の願いと反対のグループをつくり、さらに反対の国をつくり、反対の家庭と反対の個人をつくるためです。ルーシェルはいつも神様がなされることに逆行し、より大きな勢力をつくろうと、あらゆる努力を傾注して生きてきました。

 しかし神様は、一度もルーシェルに方向を示されませんでした。なぜならば神様は、ルーシェルが神様に敵対しようという意図を御存じだからです。神様が彼に方向を示せば、彼が逆らうからです。ルーシェルは神様の視線を避けながら逆らい、勢力確保にあらゆる計略をめぐらし、神様の心を痛めた張本人です。しかし神様の愛は、ルーシェルにも愛の手を差し伸べ、祝福のみ手を下さろうとする万天下の父母の愛です。今まで神様は胸を痛めながら待ってこられた間、ルーシェルによる数多くの傷は残っていますが、ルーシェルを愛してこられました。

 それゆえルーシェルは、神様の傷を少しでも癒していかなければなりません。ルーシェルは神様の愛を知り、理解し、慈愛をもって待たれる神様の愛の前に頭を下げなければなりません。神様は能力がなくて引き下がり、待たれるのではありません。神様は全被造物の主人であり、愛と慈愛の主人です。

 ですから、ルーシェルが自ら悔い改めて帰ってくることを待っておられる神様の心情を悟らなければなりません。そしてルーシェルは、長い歳月の間に自分が犯した雑多な血統と間違った行跡と、いろいろな誤りを早く収拾しなければなりません。神様が彼に寛容を施される時、すべてのものを整理し、神様の前で一日も早く神様の祝福の恩賜を受けなければなりません。

 ルーシェルによって人類歴史の流れは、明らかに狂ってしまいました。間違ってきた歴史は、必ず片づけて新しい歴史を出発させなければなりません。大暴風雨に遭い難破に直面した船があると仮定してみましょう。その船の船頭は暴風雨が過ぎ去り静かになれば、海の上で暴風雨が過ぎ去った跡を眺めてただじっとしているでしょうか。船頭がその船を早く収拾しなければ、再び暴風雨が押し寄せる時、その船は広い海の波に巻かれて難破し、沈没してしまうではありませんか。

 愚かな者は時を知りませんが、賢明で聡明で英明な者は時を知り、天道の道に従う者です。これが私の結論です。今はサタン根絶の年という良い時を迎えました。ですからルーシェルは、すべての歴史の誤りを収拾し、神様に対して、犯罪者たちと共に自らの過ちをくまなく打ち明け、悔い改めなさい。

 そしてルーシェルは、自分の手下たちと共に神様に屈服し、敬拝を捧げなさい。そのようにするならば、ルーシェルはとても素晴らしい者になるでしょう。その道だけが、ルーシェルが存在するための唯一のものです。今までルーシェルが神様と人類の前に強盗よりもっと残忍な行動をしたとしても、クライマックスの大詰めを素晴らしく飾るならば、それ以上に賢明な態度はないでしょう。ですから復帰摂理歴史の大詰めの成約時代を迎え、神様から大きな寛容と許しを受けられる絶好の機会を、ルーシェルが決して逃さないことを切に願うものです。神様に許しを求め悔い改めながら、最後の大詰めを締めくくり、真のご父母様から祝福の恩賜まで受けることを心から願います。

 「ルーシェルよ、お前はこの機会を決して逃さない賢明な者にならないといけない。今は、お前が歴史の前に犯した犯罪の事実を立派に清算し、最後の有終の美を飾ることのできる絶好のチャンスだと思う」。

                                         (一九九九年二月十三日)


 六 愛と愛の中で

 愛という概念は、本当に妙なるものです。神様は愛の権化です。神様は、愛という言葉を抜けば説明ができない方です。神様は愛によって天地万物の創造を始められました。神様は、すべての万物がそれぞれの特性によって美の全体を人間の前に、喜びをもって捧げることを願われながら創造されたのです。そして人間創造以後にも、神様は人間が万物と和して授受する愛の中で生きることを願われました。

 ですから神様の創造の動機は愛であり、歴史の歩みも愛であり、歴史の終着地も、生活のすべても愛でした。霊界における神様と子女との出会いも愛によるものでした。しかし歴史の出発が不倫と罪悪でなされたので、愛の本質は本来の意味と全く別のものに変質してしまいました。

 愛は父母の愛と子女の愛である縦的愛と、夫婦の愛である横的愛に大きく分けられます。さらに具体的に言えば、心と心で情を授受する精神的愛と肉的愛に分けられます。しかし今日では、前者の愛も後者の愛もみな本然の愛と違ってしまいました。

 ルーシェルは神様の視線を避けながら、自己の位置を離れ、自分の欲望の発露を主管できないまま欲を出し、自己中心の愛の世界を成そうとしました。愛とは為に生き、与えるものなのにもかかわらず、自己の欲望に従って人のものを奪い取ろうとする愛となったので、歴史の初めから不協和音の愛に変わったのです。

 夫婦の肉的愛においても奪い取ろうとする愛となったので、愛らしい愛ができなかったのです。そうして万物の前にも奪い取る愛となったので、いつも不安と恐怖でいっぱいになってしまったのです。したがって、エバはこのような心の苦痛のためにルーシェルの愛から離れなければならなかったのです。それがエバの悲劇でした。

 人類歴史の主人公は愛の大王であり、天地万物を創造された唯一なる方のみです。神様は、愛の流れと方向が逆になってきたこの歴史と世界を、いつまでもひたすら待ってだけいることはできません。そのように待っ期間は、とても耐え難い期間でした。今こそ子女たちが愛の犯人を完全に追放し、神様に捧げ、人類の父母であられる神様の歴史的恨をなくさなければなりません。

 「ルーシェル、お前はお前の罪名が何か知っているのか。愛によって生き、愛によって生まれた人類歴史の前に犯罪者として頭を上げることができるのか。ルーシェルは自分の罪目をはっきりと知っている。

 ルーシェルは愛らしい愛によって、愛の園に帰ってきてすべての暗黒の勢力を収拾しなさい。どこまで行こうとするのか。全宇宙の主人は神様である。神様の手の平で踊っているのがルーシェルだ。だから神様はお前の行為を思いどおりにできるのである。神様は愛それ自体である。今日まで愛のために忍耐してこられた神様の心情をルーシェルは知るべきである。今神様はじっとしておられても子女たちはこれ以上待つことはできない。それは人類の父母である神様に愛の平安なところで侍りたい子女の心情があるからだ。愛が本当にどんなものかルーシェルは知っており、体恤した経験ももっていたのだ。

 神様は園の外に追い出された子女でさえも、慕い、会いたくて涙を流しておられる。そのような方が私たち人類のお父様である。それが父母の愛である。ルーシェルは神様をどれほど慕い、会いたがったのか。神様の愛をどれほど恋しがったのか。

 人類歴史に現れた数多くの証人たちがルーシェル、お前の前科を審判する前に、お前は神様の愛の中に帰らなければならない。愛らしい愛の道に戻りなさい。お前は愛に背を向けて生きてきたが、神様はお前に再び愛の服を着せてくださるであろう。本然の愛の園で従順に従い喜んでいた姿に戻り、神様の愛の服に着替えなければいけない。

 これ以上待たないで帰ってきなさい。世界万邦で『罪人を捕まえる』という喚声のこだまがお前自身を自滅自爆させるほどに鳴り広がる前に、自ら立派に帰ってきなさい。日の暮れた夕方や夜に隠れて帰ってこないで、空に太陽が最も燦燗と照る明るい昼に、丁重に神様の前に立派に現れなさい。そうすればお前の有終の美の幕が下ろされるのだ。急ぐことを願う。急ぎなさい。時間がとても差し追っているのだ」。

                                         (一九九九年二月十四日)


 七 四位基台から見たルーシェルの堕落

 エデンの園で神様は人間を創造され、成育し、繁殖し、すべての上に満ちることを願われて祝福されました。また、それを見つめて喜ばれました。しかし、これは神様の瞬間的な喜びでした。神様の喜びの上にルーシェルの暗黒の罠がかけられることになり、人類歴史の流れがよじれたのです。

 誰がこの事実を知って待つことができるでしょうか。誰がこの事実を知り、手をこまねいて待つでしょうか。今や人類歴史の前に、万天下の前にルーシェルの正体をくまなく暴くのです。

 神様はアダムとエバを創造し、時が来れば彼らは神様から愛することを許され、祝福を完成し、息子、娘を繁殖するように造られました。そうすることによって、神様は人間に創造主としての威信と体面を立たせ、愛を授け受けることを望みつつ祝福を準備されていたのです。ところが、神様の位置でルーシェルが主人に成りすましたのです。そして人類は願わざる罪悪の世界と民族を繁殖するようになりました。したがって人類は、歴史が流れるにつれて願わざるルーシェルの子孫となってしまったのです。

 しかし今や私たち人類は、被害者と加害者を判断することのできる知性をもっています。どのように審判するのでしょうか。私たちはいつまで神様の愛の囲いの中で、暗黒の影を黙って見ていなければならないのでしょうか。

 全世界に多くの民族と人種が散らばって住んでいますが、神様の前では一つの子女であり、血族でした。これを引き裂いたルーシェルの行為を、今や正さなければならないのです。それは子女たちがなすべきことです。

 愛の本体であられる神様は、愛で耐え忍び待っておられ、真のご父母様は、ルーシェルの正体を突き止めて待っておられます。今や子女である私たちは、人類歴史の前に先駆者の姿で堂々と出ていき、ルーシェルの誤った行為と歴史をあからさまに追及し、ルーシェルを審判台の上に立たせ、公式的に判決しなければならないのです。

 愛の神様と真のご父母様の前に多くの証人が現れることでしょう。ルーシェルはあちこちと神様を避けながら歴史の方向をあれこれと変えては、悪の勢力を組織して強化してきましたが、エデンの園の事件がいかにして起きたのかという事実を、私たちはよく知っているのです。神様に敵対し、神様に成りすまして歴史を偽ってきたルーシェルを私たちはこれ以上待つこともできないし、これ以上ルーシェルにだまされるわけにはいかないのです。

 「ゆえにルーシェルは四位基台の形態を正しく立てるがよい。歴史の出発を正しく説明しなければない。誤った歴史がつづられてきたが、いくら歴史の前後を歪曲したとしても、ルーシェルの正体と罪が暴かれるのを避けて通る道はないであろう。いたずらに始めるものではないことはルーシェル、お前が知っているであろうから、自ら歴史的過ちをあからさまに説明するがよい。お前はお前の証人なり陳述する人を連れてきてでも自分の罪を明らかにしなければならないのだ。

 神様が痛哭し、子女が痛哭しながら、被造物が証人となり、お前の罪を明白に判決するであろう。長い歴史の流れの中でルーシェル、お前の恍惚として幸福だった時を吟ずるがいい。お前が幸福なとき、神様の哀哭の声がお前の耳に聞こえはしなかったか。ルーシェルよ、避けられるものならは避けるがよい。今や四方を見てもお前の立つ瀬はないのである。三億六千万双が完全にお前を包囲しているのである。その包囲網にお前は捕えられたのである。どうするか。自爆するのか、自滅するのか。どちらを選ぶのか。

 長い歴史の中で神様の仮面をかぶり、勢力を広げてきた堂々たるお前の姿を今現してみるがよい。お前は四位基台の包囲網に歴史の偽りの主人としてくぎ打たれたが、避けることができるのか。弁明することがあれば弁明するがよい。どこへ行ってもお前の立つべき所は決まっているのではないか。原理から見た四位基台の前にお前の立つ所がどこにあるのか、もう一度顔を上げて見るがよい。

 今や歴史の流れの前に手を合わせて謝罪するがよい。早く行動に移すべきである。神様がどなたであるか考えてみるがよい。ルーシェルの本来の位置がどこであったかよく考えてみるがよい。神様の位置がどこであったか四方を見渡して顔を上げてみよ。間違いなくお前の来た道が間違っていたことが自ら判断できるであろう」。

                                         (一九九九年二月十五日)


 八 三対象目的と神様のみ旨

 神様の願われた本来のみ旨に反し、歴史の出発が誤ってしまったことによって、歴史の背後で収拾し整理しなければならなかった様々な事情と苦痛の痕跡を子女が探し出して、父母の前に明らかにし、本来のみ旨のとおりに戻さなければならないのです。それは子女が当然なすべきことです。しかし、父母の胸の痛む心情と事情を再び論じなければならないという現実には、また胸が痛みます。

 神様が願われた三対象目的は、神様と人間が愛と美をよく授け受ける回路を形成することにありました。しかし、人類歴史は神様が願われた方向とは反対の方向に流れたがゆえに、三対象目的を本然の園の中の位置に戻さなければならないのです。そのためには誤ったものから正さなければなりません。ですからルーシェルの本質的な姿をあからさまにしなければならないのです。

 ルーシェルは神様の三対象目的の内容をよく知っていましたが、善の歴史ではなく、悪の歴史を出発させました。本来の三対象目的は、神様を中心として愛と美を授け受け、神様に喜びを返さなければならないのですが、ルーシェルを中心として愛と美を授け受けることによって、神様に喜びではなく、悲しみと恨を抱かせることになりました。それによって神様の理想は根こそぎ崩れ、ルーシェルを中心とした利己的な世界が形成されたのです。

 そうして三対象目的が、あたかもルーシェルの目的であるかのように偽装され隠されてきた歴史が、今日の現実であることを私たちは知っています。今や、どこから見ても、ルーシェルの罪は万天下に赤裸々に現れています。この事実を子女の名と権限で、父なる神様にお告げする次第です。

 ルーシェルの本質的根拠地がはっきりと明らかにされましたので、今や子女たちが取るべき態度を明白に教えてください。幼く物心のつかない子女たちは、ご父母様が苦労し、涙されるときも傍らで眺めているばかりでしたが、今や物心のついた子女たちは、ご父母様の量りようのない苦痛と悔しい事情をただ見てばかりはいられません。神様、いかにいたしましょうか。真のご父母様、いかにいたしましょうか。いつまでも待つばかりが子女の道理ではないと思います。

 そしてルーシェルのためにお父様の子女たちが嘗めざるを得なかった苦痛の事情を、今や清算しなければならないと思います。ルーシェルのために生じた霊界の悲惨で哀れな姿と現象は、父母として到底見るに堪えない場面の連続です。神様の理想は人間を中心とした万物すべてが、愛の園で愛と美を授け受けながら生きることでした。しかしルーシェルによってもたらされた罪悪の実は、このように複雑で涙ぐましい実をこの園に結実させたのです。取り入れた結実が、このように崩れたままの姿で永遠の倉庫に蓄えられているのですが、この霊人たちを誰が救ってやるのでしょうか。

 「ルーシェルが救ってくれるのか。お前が蒔いた種の実は、お前が整理すべきではないのか。なぜ私たちのご父母様に、失敗した取り入れの結実までをも、痛みと悲しみとして抱かせるのか。種を蒔いたのだから、その実はお前が取り入れなければならない。あの凄惨な園の巣窟に一度行ってみるがよい。お前の子孫がお前を呼ぶ喚声に満ちていることであろう。ところで、なぜお前は自分の子らを放置しておくのか。お前もその喚声に合せて叫ぶがいい。そしてお前が責任を負うべきである。お前は彼らを救う責任があるのではないか。ルーシェルよ、言いなさい。しっかりと顔を上げて言うべきである。『私の蒔いた種は私が責任を負う、私の蒔いた種は私が責任を負う、私の蒔いた種は私が責任を負う』と言いなさい。自信があるか、資格はあるのか。さあ、声を出して答えるがよい」。

 子女である私は、ご父母様の前にもうこれ以上の苦痛をお見せするわけにはいきません。長い長い歳月の間、子女の痛みと苦難を共にしてこられた方が私たちの父母、神様です。私たちの父なる神様は、その子女と共に打ちひしがれ、子女と共に涙し、子女と共に苦難に耐えながら長い歳月を忍んでこられました。

 「ルーシェル、お前は自分の子が打ちひしがれるとき、何をしていたか。お前の子が涙を流すとき、共に涙を流したことがあるか。子の苦難に胸を痛めたことはあるか。苦難を共にすることができなかったのであれば、お前は彼らの前に父母としての資格を失ったことにはならないか。

 では、お前は何なのか。お前はいったい何をしてきたのか。人類も売り渡し、歴史も売り渡してお前の人生の安楽のために、放蕩者として生きてきたにすぎないのではないか。人類の前に、歴史の前に補償すべきである。いくら払うつもりか。お前の生涯をすべて売ったとしても、神様の愛と涙は補償するすべがないであろう。

 ルーシェル、お前をどうしてやろうか。お前をどうすれば神様の恨の歳月、人類の苦難と悲運の歳月に対する補償を受けられるであろうか。お前が蒔いた罪悪の種を、お前はどうすれば処理できるであろうか。お前が蒔いたあらゆる罪悪の種を清算するために、今日まで険山峻嶺を越えに越えて苦労してこられた真のご父母様の生涯路程を、お前は何をもって補償するのか。神様の悲痛な事情は、私たちがいかなる手段方法を用いても、到底表現することはできないのである」。

 神様の本然の美しい愛の世界が、傷だらけになっています。今私は子女の身分でルーシェルを根本的に悔い改めさせ、ルーシェルが壊したあの愛の園をルーシェルと共に復元し、神様の創造目的を果たすことを固く決心しました。これが子女として私たちが真のご父母様に、そしてルーシェルにしなければならない最後の宿命的な使命ではないでしょうか。

 院長様はすべての記録を終えてから行く前に「奥様には分かりません。分かりません。この悲痛な事情が奥様には分かりません」と言って泣かれました。

                                         (一九九九年二月十六日)


 九 ルーシェルの堕落と地獄の行列

 ルーシェルがエデンの園で堕落して全人類の犯罪者の先祖となったことは原理でも明らかにされ、ここ霊界でもはっきりと明らかにされました。ルーシェルはこれまで長い歳月を待ってこられた神様の心情を考え、自分のやってきたことを一つ残らず清算し、堕落以前の本然の姿に返らなければならないのです。そのためにはルーシェルは自分が過ちを犯したということを認め、自分の過ちを徹底的に悔い改めるべきです。そうしてルーシェルは本然の位置に返り、神様の命令に絶対服従してその職分を忠実に遂行し、すべてのものを回復しなければなりません。

 ところで、ルーシェルが自分の位置を離れてから今日まで長い歳月の間、地上と霊界に繁殖した罪悪の実をいかにして清算すべきなのでしょうか。

 まず地上ですべてのことが整理されて初めて天上の地獄が崩れるのです。天上で地獄解放のためにいくらもがいても、地上で日々増えている罪悪の姿に対しては整理する方法がありません。その人たちが肉身を脱いでこの国に来れば地獄の行列に並ぶことになりますから、霊界の地獄は崩れるはずはありません。

 秋に取り入れた穀物が、そのままかますに入れられて蔵に蓄えられるように、人間もそれぞれの姿がそのまま永遠なる霊界の蔵に積まれるのです。これはどんなに悲痛なことでしょうか。肉身をもつ地上人にはとても理解しにくいことでしょう。これが神様と真のご父母様の恨であり痛みなのです。

 真のご父母様は地上でこれを整理するためにルーシェルの正体を根こそぎ引き抜こうとしておられます。神様は胸が痛くて地獄という所に顔を向けることさえ嫌がられるのです。そして永遠なる霊界の法度を整理すべき真のご父母様がこの国に来られたとき、このように凄惨で暗澹たる霊人の姿をどうして御覧になることができましょうか。李相軒ははっきりと息子としての孝行の道を歩みたいのです。真のご父母様がここに来られる前に、凄惨な光景を少しでも整理して、真のご父母様がその姿を見なくてもいいようにしたいのです。

 ある日、このことについて興進様と話し合ったことがあります。くいを打って、そこからは神様と真のご父母様に悲惨な姿が見えないようになっている道があったらいいと、話し合ったことがあります。しかしそのようなことはできるでしょうか。どうすればいいのでしょうか。どうすれば凄惨な地獄の行列を防ぐことができるのでしょうか。いい方法はないでしょうか。いくら考えても方法がありませんでした。

 地上での生涯を地上で整理すべきであって、天上では解決方法が全くないのです。地上で整理しなければ天上で穀物として蔵に積まれることができません。すべては真のご父母様の勇断と決断によって決められますが、何の資格も力も能力もない相軒は、このような無能力と不孝を禁じ得ません。

 ある日、「どうしようか、どうしようか」と私が悩んでいるときに、神様は「相軒よ」と呼ばれ、「お前が心配するその姿は私には有り難い。案じ、心配してくれる子女ができたので私はうれしい。ありがとう」と言われました。

 しかしおそれ多いばかりです。相軒には何らの資格も能力もなく、ルーシェルの痕跡と血肉とすべての根拠地をあからさまに告発したにすぎません。相軒にできることはそれしかありません。私が地上にいるときは、霊界に対してあまりにも無知であり、解決するすべがありませんでした。いろいろな書籍を求め、あちこち掘り起こして研究してみましたが解くことはできませんでした。それが霊界の問題でした。私がいざこの国に来て、何よりも頭の痛い問題はルーシェルが実存するという事実です。

 全人類の平和実現の理想がルーシェル一人のために、はかなく崩れ落ち、人類歴史すべてが凄惨な罪悪の根拠地となり、黒く染められてきたのです。生きた木は何度切られても新たに芽が出るごとくに、天上の凄惨な地獄の行列は日々増すばかりです。それゆえ天上の地獄の行列の問題は解決の方法がありません。「統一思想」も私の努力もこの問題に対しては、なすすべがありませんでした。私には虚脱感が残っているだけです。

 「真のご父母様! 私はどうすればよいのでしょうか。いくら真のご父母様の手助けをしようとしても、かえって真のご父母様に多くの重荷を負わせるばかりのような気がします。ルーシェルの堕落によって黒く染まった全地球上の影の痕跡は、神様も真のご父母様も言葉では表せない痛恨の傷としてそのまま残っています。この息子はその実情をくまなく暴き、告発しているにすぎません。無能で虚脱した私の心をいかにすればよいのか分かりません」。

 「ルーシェル、お前はどのように整理することを願うのか。思いのままに自由の天地を踏みにじるばかりで、踏みにじられたその地がどうなっているのか一度でも振り向いてみたことがあるのか。お前の血族の悲鳴と呪いの岬きをお前はどうするつもりなのか。彼らと共に苦悩の苦杯を嘗めるがよい。それはお前が彼らの父母としてなすべき、お前の道理ではないのか。なぜお前の子の傷まで私たちのご父母様が治療してやらなければならないのか。治療もできず、責任もとれない子らをどうして繁殖したのか。私たちのご父母様が責任を取らなければならない理由がどこにあるのか。責任転嫁をするな。私たちの真のご父母様がかわいそうで顔を上げて見ることができない。

 神様の嘆息の歳月をルーシェル、お前は知っているか。私たちの真のご父母様の傷の痛みをお前が治療してくれ。そうすれば私もお前の子らを治療してあげよう。男の名にかけて約束しなさい。私はその約束を守ろう。ルーシェル、お前も守りなさい。私たちの真のご父母様のことをお前に頼もうか。嘆息も、涙も、傷も、痛みも、すべて治療してくれ。きれいに治療してくれ。ルーシェル、お前の特別な看護がどんな特効薬よりもよく効くであろう。

 私には真のご父母様のための治療薬がない。真のご父母様のためにはお前の看護が特別に必要なのだ。頼む。ルーシェルらしく最後までお前の職分を守って特別に看護してくれることを頼む」。

                                        (一九九九年二月二十一日)


 十 ルーシェルが引き起こした様々な事件

 エデンの園でルーシェルが人間の先祖となることによって、これまでの長い歳月の間、私たち人間には願わざる罪悪の血が流れ、それゆえに人間は原罪という罪をもって生まれることになりました。人間が繁殖するときは、神様の聖霊の血統を通して善なる先祖となるべきでしたが、罪悪の血統を通して繁殖がなされました。したがって、私たち人類に流れる罪悪の血統を断絶し、神様の願われる血統を受け継がなければなりません。そのためにはまず、罪悪から出発した人類歴史の流れの血統を断絶しなければなりません。

 ところで多くの罪悪の血統が既に地上で繁殖してきたのですが、この問題をどうしたらよいのでしょうか。これを見ているしかない神様のお心はどれほど痛いことでしょうか。それでも過ちの歴史を正し、誤った族譜も正すべきだというのは、当然のことです。

 私は地上において、思想的な側面から人類に関する問題を研究し、分析することに人並み外れた努力をしてきました。しかし霊界に来てみると、あまりにも複雑で大変な事件と問題が散在していて、私個人の頭脳と思想では到底解決することができません。私は自分の無能さと虚脱感で狂いそうなほどです。この問題に関して、真のご父母様にお任せするしかないという現実は、私にとってもどかしい限りです。

 時がたつにつれて神様が私を呼ばれる回数がだんだん増えてきました。呼んだ息子の姿を見つめては、痛ましくて言葉も出ない神様の心情が感じられました。地上で真のご父母様が整理しなければならない部分があまりにも多くありました。それで神様はそれらを一つ一つ話されようとしたのですが、心が痛んで「相軒よ!」と呼ばれるものの、言葉を続けることのできないときが少なくありませんでした。私は神様のその心情が分かっていても、どうすることもできませんでした。

 「真のご父母様! また真のご父母様にご苦労をかけるしか方法がありません。この点を申し訳なく思います。今までの多くの人類の罪悪の血統を断絶しなければ、複雑で混濁した霊界の人とその暮らしを収拾することは困難です。これだけは私たちがいくら努力をしてもできないのです」。

 蔵によく実った穀物だけが蓄えられているとすれば、どれほど整理しやすいことでしょうか。人類の血統問題は真のご父母様が祝福することによって整理されます。したがって祝福を受けた多くの家庭が過去の堕落性をもったまま生きてこの国に来れば、それを収拾するのにより多くの時間がかかります。これは前回に何度か明らかにしたところです。しかし私たちはみな、霊界生活が目に見えずに、はるか昔のことと考えて暮らす傾向があります。そのように生きたのでは霊界の関門を通過することができずに、さすらい彷徨しているうちに、地獄の罠に引っ掛かるのです。

 私たちは原理の教えと祝福の本質をはっきりと知り、神様の摂理と真のご父母様の方向にしたがって、私たちの過去の姿を、誠を尽くして切瑳琢磨しなければなりません。ルーシェル的な本性をもって汚れた姿のままで生きる人が霊界に来れば、深刻なことになります。ルーシェルの本質的行為は人類を罪悪の状態に引いていくという作戦です。それがルーシェルの行為のすべてです。

 地獄の恐ろしい行列に対してルーシェルは何らの能力も力も発揮できずにいます。その複雑な過程を解決できるのは地上の真のご父母様しかありません。私たちはみな真のご父母様のご安泰を祈るだけではなく、私個人の生活を正し、真のご父母様の苦労を少しでも取り除いてさしあげなければなりません。それがご安泰のための祈祷よりも良いのです。

 現実はすべて私たちのものです。人生百年を生きる者はどれだけいるでしょうか。遠からずここ霊界に来なければならないのです。きれいで平和で純粋な愛の園で、みな共に生きたいものです。地上から澄んできれいな水が流れてくれば、霊界では掃除する必要もなく、ごみを処理する必要もありません。しかし今は地上からごみが分別されないまま、どんどんここに送られてきています。神様に侍ると言いながらも、安楽に花の香の中で清雅な音に酔いしれて琴を弾きながら生きるとすれば、それは神様の子女としての姿ではないのです。

 興進様の表情は、赤く、青く、黄色く、よく変わられます。あまりにも大変だからです。いまや私たちはみなルーシェルの後裔となったことを歯を食いしばって告発し、病める自分の姿から解放されなければなりません。私たちはみなルーシェルの追放運動に参加しなければなりません。

 地上で病気にかかりひどく苦労するのは誰のせいだと思いますか。罪ゆえに生じた病気は数えきれないほどありますが、私たちは、その病気は私たちの誤った生活とは関係がないと思い、放置して生きているのです。このような病気はルーシェルが私たちにもたらした大変な遺産なのです。悔しくはないですか。罪悪の歴史が流れ、人類の罪悪の血が流れる私たち自身が悔しくはないのですか。

 私たちはすべてのルーシェル的な要素から解放されなければなりません。そうして初めてルーシェルを完全に追放することができるのです。私たちは神様と真のご父母様に最善を尽くして侍らなければなりません。どこの誰が、このような困難な作業を自分の父母にばかり任せようとするでしょうか。私たちはみな孝の道を行くことを誓いましょう。良く生きること、正しく生きること、それが神様を解放し、天地父母様に孝行することなのです。

 ルーシェルに由来する雑多な血統を整理する方は唯一、天地のご父母様です。他に話もすることはできません。ところで、長い歴史の流れの中で、これほど複雑なことを真のご父母様だけがなさるのは、どれほど困難なことでしょうか。皆さんには想像もできないことでしょう。

 地上からは霊界がよく見えないために心の余裕があるかもしれませんが、掛け値というのが一切ありません。地上ではものを買うとき、時によっては値引きをしたりしますが、ここはそうではありません。そして誰かが地獄に閉じ込められたとしても、その人を金で出してやることはできません。何千年たっても、そこで苦痛を受けながら生きている凄惨な現場は、戦場に散らばった残骸よりも悲惨なものだといえば理解できるでしょうか。

 ところでルーシェルに何ができると思いますか。その凄惨な姿を見て胸を痛め、彼らに同情しているとでも思いますか。その事態を収拾するどころか、日々地獄の行列を増すばかりなのです。ここは、私たちがみな来るべき天国の家庭です。良い家で私たちはみな、永遠に真のご父母様に侍って幸せに暮らさなければならないのです。ルーシェルも自分が犯した罪状をはっきりと認め、悔い改めて私たちと共に天国建設の運動に参加しなければならないのです。

                                        (一九九九年二月二十四日)


 十一 ルーシェルの行跡

 ルーシェルはエデンの園で神様のもとを離れ、天道から離脱したがゆえに、神様の属性ではない罪悪から生じた不安、恐怖、憎しみ、好み、嫉妬、欲心といったものに捕らわれて生きてきました。神様の本性は、愛、平和、幸福、善といったものです。神様はこのような属性を人間に授けようとされました。

 しかし人間の本性の中には神様の属性よりも悪の要素が受け継がれ、長い歳月が流れてきたのです。しかし、父母は子を待ち、子は父母を探し求めるのが天理原則であるがゆえ、歴史の前にルーシェルを証人として立て、歴史の出発の過ちを正さなければならないのです。

 ルーシェルは本来、自分の位置から離脱し、偽ってきたので、仮面がはがされることを常に恐れて生きてきました。それゆえルーシェルの生活は愛ではなく憎しみに満ちていました。ルーシェルはいつ自分の位置が奪われるかと不安と焦りの中で生きてきたので、周囲の人をみな、競争の対象と見なしてきました。それでルーシェルは常に愛よりも憎しみが先立つのです。それゆえルーシェルの心は常に妬み、嫉妬、欲心といったものに占められるしかなかったのです。そしてこのようなルーシェルの属性、そしてその行跡と結果が人間に受け継がれ、人間の生活の領域すべてに致命的な打撃を与え、それが人間の疾病となったのです。人間の心に平和と幸福と愛が満ちれば、心が安らかになり、病気が生じることはありません。今日、現代人が患う大部分の病はルーシェルから受け継いだ罪に起因するものです。ところで時がたつにつれて、その病魔の位置が少しずつ大きくなり、その様態も深刻なものとなってきたのです。そうして現代医学は病気の根本原因をほとんど治療できずに、その病気の結果だけを見て治療するのに渾身の力を尽くしています。これが現代医学の実情なのです。

 それではルーシェルが犯した病気を、いかにして治療すべきでしょうか。今日の病気の大部分は、罪を中心としてできたものです。したがって病気を治療するときは、その病気とかかわった罪の根をまず抜いてしまわなければならないのです。『原理講論』の堕落論で明らかにされているように、罪の根は人間の不倫の愛です。これが人間個々人にその様式を異にして現れるのです。

 例えば「肝臓がん」という病名は現代医学がつけたものです。人それぞれに肝臓がんになった動機は違うこともあるでしょう。たばこや酒で肝臓を酷使しすぎた場合や、相手を憎むあまり憎悪心が肝臓に支障をきたした場合などです。同じ肝臓がんであっても前者は物理的な要因によって生じた病気であり、後者は精神的要因によって生じた病気だといえます。前者は酒とたばこをやめて、休息を取ることによって治療できるでしょうし、後者は相手を憎んだ心を悔い改めることによって治療できることでしょう。このように、その病気の治療方法は様々に分類することができます。

 しかし前者にしても後者にしても、根本要因は一つです。それはルーシェルの属性からきたものです。それゆえ私たちが病気を治療するにあたって、目に見える病気の結果に先に頼るのではなく、その病気の根本要因を取り除くことに重点を置かなければなりません。言い換えれば、神様が下さった属性にまず依存すべきなのです。現代人が最も恐れる、がんという病気もその根本要因は人間始祖の過ちから始まったものなのです。

 したがって、愛、平和、幸福といった神様の属性を中心として、私たちは心から良く授け、良く受ければルーシェルの属性は追放されることでしょう。ルーシェルの属性が何千年もの間流れて今日に至っているとしても、私たちが神様の属性を中心として生活すれば、ルーシェルは必ず手を上げて出てくるのです。一つの根本から二人の主人が生じました。主人ではないよそ者が主人に成りすましたという行跡は、今や歴史の前に審判を受け、すべての病魔はルーシェルの滅亡とともにこの地球上から永遠に追放されるべきです。

 今や私たちはルーシェルのあらゆる行跡をあからさまにし、それぞれの人から堕落の根を根絶することに邁進しなければなりません。神様の愛と平和と幸福の花が咲き乱れるその日のために、私たちはみな自分自身を一生懸命に磨き、育てていかなければなりません。

                                        (一九九九年二月二十五日)

                              出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(2) 人類の犯罪者ルーシェル」(成和出版社)より