聖アウグスティヌスのメッセージ


 真の御父母様へ

 真のご父母様、ごあいさつ申し上げることを心から感謝いたします。

 今回、十月十四日に行われる歴史的な行事を通して宗教の境界線を撤廃し、宗教の解放圏を開いてくださることを感謝申し上げながら、いくつか申し上げようと思います。

 私は、母がキリスト教信仰を持っている家庭で生まれ、厳格な教育の中で成長しました。母は、常に祈祷と精誠を尽くす生活をし、幼いとき、母の祈祷があまりにも長いので我慢できずに、そのまま寝てしまうときもありました。

 母は、いつも私に、神様に関して教育してくださいました。草や木、道端に転がっている石一つにも、神様が共にいらっしゃると話してくださったのです。

 母の人生は、ひとえに神様に狂った人生であり、そのような母に対して、"本当に神様がいらっしゃるのか"という強いもどかしさを持つようになりました。

 そして、いつからか母に対して反抗する放蕩な生活をするようになりました。母の目には、涙が渇く日がなく、私は母の胸に釘(くぎ)を打ち込む、赦(ゆる)されない不孝者の姿でしたが、母の精誠を尽くした祈祷と愛によって、結局は神様に帰依するようになりました。

 母は、なぜあのような生活をしたのだろうか? 何のために私のために涙を流し、これほど苦労されるのか? 私は、深い悔心に浸り、泣き続けました。そして、結局、“母が信じた主に従っていこう”と誓ったのです。

 イエス様が行かれた十字架の道、十二弟子が苦難を受け、神様の愛とみ言を伝えるために苦難と迫害を受けていかれたその道を、私も行こうと決心しました。

 イエス様の十二弟子も、娼婦も、罪人も、取税人も弟子として働いてきましたが、過去の私の姿が正にそれと同じだったということに対して、サタンの前にどうすることもできませんでした。

 サタンが私を見るその目つきは、ぎらぎらした刀で私の心臓を切り裂くような苦痛であり、私は深い懺悔(ざんげ)の生活を送らざるをえませんでした。

 清平での四十日修練と興進様の修練所での百日修練を受けながら、私は、若かりしころの自分自身の行動が正に原罪の再現であったということを知り、もう一度深く懺悔するようになりました。

 修練会を通して、神様の創造の動機が愛であったのであり、喜びを通じた真の愛の世界を成し遂げるための道であったということを悟り、本当にうれしく思いました。

 また、人間を創造されるにおいても、喜びを感じるためであったということを知り、私たち人間が神様を喜ばせる対象になることができる価値ある存在だと感じ、改めて感謝をおささげいたしました。

 しかし、人間の堕落によって、神様は悲しみと恨(ハン)の神様となられ、苦痛の神様となられたということを知り、どうしてよいのか分かりませんでした。

 例えば、ルーシェルが愛の減少感のために堕落するようになり、神様のみ旨に背く悪の世界をより早くつくろうとした不義な欲望があったということを、『原理』を聞いて知りました。

 このように、この時代に下さったみ言を通して、分からなかった部分を深く理解することができるようになったことを感謝しました。

 私としては、真のご父母様が呼んでくださり、祝福してくださったことに、何といって感謝すべきなのか分かりません。ただ感謝、そしてまた感謝するだけです。

 ですから、今日のキリスト教においても、十字架の代贖(だいしょく)と復活の恩賜だけではいけないと深く感じております。神様の創造目的、そして、堕落、堕落以降の復帰摂理歴史をもっと具体的に知らなければならないと思います。真のご父母様を通して、涙と苦痛の復帰摂理歴史を知るようになりました。

 興南(フンナム)監獄での真のお父様の生活は、人間として到底越えることは難しい苦痛であり、億万のサタンの試練に打ち勝たれた大勝利であり、解放の大出発でした。

 今、出監されて満五十年を迎える二〇〇〇年十月十四日、霊界で祝福を受けた多くのキリスト教聖徒たちが、悔い改める心で真のご父母様の恩恵にお応えしなければならないと思っております。

 出監五十周年を通して、宗教間の障壁を撤廃してくださった愛に感謝し、神様と真のご父母様を中心として宗教圏がお互いに理解し合い、協助し合い、超宗教的活動によって韓半島の南北統一と祖国光復のために積極的な協助をいたします。

 真のご父母様、感謝申し上げます。

                                出典「光言社:ファミリー2000年12月号」P.65〜66より


 キリスト教徒と他の宗教人に願うこと

 アウグスティヌスは神に仕えることにおいて、誰にも劣らない最高の立場に立ちたかった。ところが、こちらで知ってみると、真に恥ずかしくて愚かな立場になってしまった。アウグスティヌスは、神に父母の立場として仕えることができず、ただ最高の神として仕え、父子の関係など念頭にも置けなかった。私の信仰と思想は、神の前に極めて小さな価値として残っているのみである。

 地上で熱心に信仰するキリスト教徒たちともろもろの宗教人たちよ! 四大聖人や聖賢たちのメッセージを読んで、多くの覚醒があらんことを願う。私たち聖賢と四大聖人たちの集いは、周期的に開かれる。この霊界で、宗派の集いを開くのは、それを通じて様々な次元に分裂した宗教に神の思想を知らしめるためである。

 地上人たちは、イエス様がキリスト教徒だけを訪ねると考えるが、そうではない。宗教の代表者たちは、教派を超越し、各宗教の教理と教えについて、各自の見解を交換する。ついには、すべての宗教は一つに統一されねばならないという結論に達する。各宗教をあまねく巡りながら、信徒たちと対話して共に礼拝した後、互いに経験した事実を中心として、四大聖人と聖賢たちはセミナーを開く。その際、多様な主題が出されるが、私たちは互いに和気あいあいとした雰囲気の中で、それぞれの主題を論議する。

 ここで実に興味深い出来事があった。イエス様がお釈迦様の説教を熱心に傾聴なさった後、その説教を仏教徒が集まった他の場所でそのまま伝えられた。このとき、仏教徒は「イエス様はキリスト教の教祖なのに、私たちの師の教えを伝えるのか?」と質問した。イエス様の返答がとてもおもしろかった。「私も釈迦仏になることができるかどうか試してみた」と言われたのである。このとき、ここに集まった霊人たちは共に笑った。イエス様は本当に何の欲も私心もなかった。ひたすら神の子女になることだけを願う純真無垢で謙遜なイエス様の態度に、仏教徒も感動したようである。

 宗教人たちよ! 真理は永遠なものである。真理は一つだけである。それは、神がただお一人であり、神は真理の本体であるためである。神は人類の父母であり、私たち人類は神の子女たちである。このような状態で、数多くの宗派が存在する理由がどこにあろうか? 宗教ごとに真理の核心を要約してみなさい。究極的な終着地は一つの方向のみである。各宗派の長所を捨てよというわけではない。一つの共通目的の下に統一せよというのである。神は様々な子女たちを見て喜ばれるであろうが、彼らが争い合う姿を見れば、胸が痛いのではなかろうか? 子女たちが互いに和睦するとき、神の聖霊が共にある。

 私たち四大聖人と聖賢たちは、セミナーで最終の結論を得た。「私たちは愛し合い一つになろう」と決意した。まず、天上の宗教の代表者たちが一つになるとき、ついには地上も一つになると信じている。宗教が一つに統一されないと、神の心も安らかでありえない。それゆえ、人類の平和は神の理念によって実現するのである。

 宗教人たちよ! もろもろの聖賢たちと四大聖人のメッセージを肝に銘じるよう願う。皆さんにこうした黄金時代は、再び訪れないであろう。地上人に天上の秘密を伝え続けることができると思うのか? 神の特別な配慮によって下さったこの黄金期を、皆さんはしっかり迎えて、信仰の本質と根本を悟り、神の子女の立場に正しく立ちなさい。

 アウグスティヌスの最後のお願いである。数多くのキリスト教徒と地上の宗教人たちよ! 地上で人類の平和のため、殉教者の道を歩み行かれる一人の師がおられる。その方は文鮮明先生である。その方を心より迎えなさい。四大聖人と聖賢たちは皆、その方のメシヤ思想を堅く信じて、その師の道を共に行くことを堅く決意した。ここでひたすら一つの方向を設定して、熱心に努力し、愛し、尊敬して、すべての宗派を超越しようと決意した。

 そして、私たちは文鮮明先生の思想を教えている。これが人類平和の道であり、真理の道だからである。宗教人たちよ! 争うな。互いに一つに和合しなさい。一つになった所に神は共におられるであろう。

                                                  −2001.4.10−

       出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(8・9) 四大聖人たちの霊界セミナー」(成和出版社)より