キリスト教代表人物のメッセージ(3)


 霊界統一原理セミナー所感「2-1.アンブロシウス」(アウグスティヌスを指導した監督、説教家、牧会者)

 “人類は神様を中心として神様の思想で統一しなければならない”

 『統一原理』は、牧会者、政治家、芸術家、思想家、文人、評論家、科学者、どんな分野の人々でも、新しく人格を変化させ得る真理であると思います。『統一原理』は要するに、全ての思想を統一し得る根本原理であると認めます。アンブロシウスの『統一原理』に対する感想を要約しようと思います。

 第一に、神様はお一人であられ、私たち人類の父母であられます。それ故、真理は二つではあり得ません。神様がお一人であるので、様々な種類の教派があり得ず、様々な思想もあり得ません。『統一原理』を明らかにされた文鮮明先生は、『神様は人類の父母』という途方もない真理を私たち人間に闡明されました。『統一原理』は、人間の能力や知性で明らかにすることの出来るものでは決してありません。それは様々な側面から検討してみるとき、全く否定できない事実です。私たち人間は、唯一なる神様を中心として、神様の思想で統一しなければなりません。これが今回のセミナーを通じて悟った新しい事実です。

 第二に、人間の先祖アダムとエバと、天使長ルーシェルの関係を明らかにして、人間の先祖の出発が誤っていたことを明らかにした点を挙げることができます。従って、人間の血統問題の解決と原罪の清算の基準が明瞭になりました。今まで私たち人類は、罪の根源を知りませんでした。原罪の清算において、罪の根を掘り出すことが出来ず、葉と幹だけ切り取ってしまう方式を執りました。それで罪の芽が芽生え続けるのをどうすることも出来なかったのです。今やそのような前近代的な方法を使用する必要がありません。罪の根を根こそぎ抜いてしまえば、その芽はそれ以上育つことが出来ないのです。

 文鮮明先生は、人類に途方もない秘密を暴いて下さいました。人類の先祖の誤ちを明らかにすることは、人類の歴史上、誰も不可能なことです。人類歴史の惨めな悲劇は、人間の先祖の堕落から招いたという事実もやはりそうです。家庭の破綻や国家の悲運も、堕落の問題と深く関連しています。神様の宇宙万物創造の本宮であり、人間創造の工場がまさにそれですが、それを人間が誤って使用することによって、人間の血統問題、戦争、ねたみ、嫉妬などが引き起こされたのだと思います。文鮮明先生は、このような事実をことごとく明らかにして下さいました。

 第三に、『統一原理』は人間の来世を明確に明らかにした点です。私たちは、肉身を持って生きるとき、人間の永生については確信を持つことが出来ませんでした。ただ『そのようなものだ。そうだろう。だれが行ってみたのか』と抽象的に考えながら生きてきました。ところが『統一原理』は、人間において、霊人体と肉身の二重的存在を説明しながら、肉身は地上生活のために、霊人体は無形世界で永遠に生きるということを論理的に提示します。このように人間の生の方向を提示して、人間の最後の目的地を明らかにしているので、人間の根本的な疑問が解決されるのです。今まで人間は、自身の来世に対する確信を持つことが出来なかったために、自身の生に対する方向をはっきり設定出来なかったのです。それで人生の最高の目的は、霊的覚醒にあるのです。今回のセミナーを通じて、人生の方向がはっきりと明らかになったのです。

 第四に、『統一原理』は、歴史の方向を正確に提示しています。今まで流れてきた歴史は、一定の方向に復帰されなければならないのです。『統一原理』は、今まで歴史的な偉人、聖者、有名人、国家に貢献した大部分の人物たちが、人類歴史を復帰するのに寄与し、一助となった人物であると規定しています。私、アンブロシウスは分かりませんが、そのような使命を持った人物の中の一人に属するというのです。このような事実を今まで知らずに生活したので、本当に申し訳ないことこの上ありません。

 アンブロシウスの地上生活は、それなりに最善を尽くした人生だと考えました。しかし、歴史の出発が誤っていたとは夢にも思ったことはありませんでした。どの方向に焦点を置いて最善を尽くしたのか、再び糾明されるべきでしょう。地上生活を通したアンブロシウスの情熱と時間は、特別な意味がなかったようです。このような脈絡から見るとき、アンブロシウスの地上生活は、時間の浪費に過ぎなかったと考えると、胸が張り裂けるような憤りが爆発します。しかし、これはアンブロシウスだけが悲しむことではないでしょう。それが全世界の人類に例外のない悲運であることを、どうして恨むことができるでしょうか。

 結論的に、文鮮明先生は、どこから見ても人類の真の父母であらざるを得ません。そして、明らかに人類のメシヤであり、人類の救世主です。偉大な『統一原理』、新しい福音を人類に下さったので、今や人類が進むべき道は明らかに開かれました。文鮮明先生、本当にありがとうございます。私たちの原罪もきれいに清算する基準を提示して下さることで、神様の恨を解いて差し上げられるようになりました。今や世界人類は新しいエデンの園で、神様を人類の父母として仕えた中で、一つの兄弟姉妹となり、勝利の新しい歌を歌っていきながら、神の国で幸福に生きていけるようになりました。その日がどうか臨むことを祈ります。

 『文鮮明先生、万歳! 万万歳!』を力強く叫びます。大変ありがとうございました。

                                        アンブロシウス(2001.11.24)


 霊界統一原理セミナー所感「2-2.エイレナイオス」(初期西方教会の神学者、弁証家)

 “『人類の真の父母』という主題は、天宙の特別平和賞を受けるに値するものである”

 『統一原理』によれば、神様が人間を創造なさり、人間に様々な次元の祝福を下さいました。特に人間に自由意志を下さり、人間自らが神様の姿と神性に似るように創造されました。そして、神様は人類の父母であると『統一原理』は明らかにしています。このように人間に祝福を下さったのは、人間がその子女だからです。すべての人類が神様の子女ならば、人類の父母はお一方でなければならないでしょう。それで神様は唯一なるお方です。それならば、五大洋、六大州に散在する子女たちの様々な種類の教派は、なぜ生じたのでしょうか。

 エイレナイオスは、自分なりの信仰観を持っていました。このように、数多くの信仰者たちが自ら持っている信仰観ゆえに、様々な種類の教派が生じたものと考えるとき、これは神様にとっては適当なことではないでしょう。神様は、お一人の方であるゆえに、神様を中心とした真理も一つでなければなりません。『統一原理』で明らかにした大部分の内容は、なじみが薄く特異です。しかし、それは神学的、哲学的、歴史的な根拠を持った信頼できる内容です。

 ここで一つ取り上げたいことは、人類のメシヤ、人類の真の父母、文鮮明先生の顕現の時期です。神様は、なぜ今になって人類の真の父母を送られたのでしょうか。もう少し早くその方を送られたならば、様々な種類の教派分裂は起こらなかったでしょう。今まで神様は、メシヤ降臨の時期を放置なさらなかったものと思います。しかし、人類歴史の流れによって、様々な種類の教派に分裂したならば、流れた歳月ほど過ぎてこそ、初めて一つに和合するのではないでしょうか。このような現実に向き合っていると、胸が自ずから痛くなります。

 今日、『統一原理』は、学問領域の全体を扱っています。人間の来世の問題まで明白に教えています。それは、極めて論理的に構成されています。知性人、信仰者、革命家、ひいては無神論者が、それを聞いてみるとしても、彼らが行くべき道が明らかに分かるでしょう。

 人間の先祖アダムとエバが堕落しなかったならば、このような原理が必要だったでしょうか。『統一原理』は、隠された歴史的な秘密を明らかにすることによって、分裂した歴史的な壁を崩し得る驚くべき威力を発揮出来るようになりました。それは、人類が行くべき最後の道を案内し、人間の生の方向と目的を明確に設定しています。のみならず、神様の存在原理も明らかにしています。それは、とても感動を与えています。神様は人類の父母なので、その子女たちが正しい道を行けるように、はっきりと教えて案内するのです。『統一原理』は、一種の人生の案内書と言うことができます。

 エイレナイオスは、これまで神学に対して多くのことを考え、研究し、祈祷しましたが、神様自身についてのことは、その方向と焦点がほとんど定まりませんでした。神様についての概念自体が設定されていませんでした。ところが文鮮明先生は、人類の真のご父母様であると明らかにされました。どのようにして、このような途方もなく偉大な事実を明らかにされたのでしょうか。その方は非常に雄々しくあられます。これは数千個のノーベル平和賞より、もっと大きな価値を持つものです。文鮮明先生は、天宙の特別平和賞次元の主人公であられます。

 その方は凄絶な路程を歩まれた後、人類の真の父母として登場なされたようです。天の秘密を明らかにする過程で、言葉では語れない受難を歩まれたようです。今日の人類は、真のご父母様の悲惨な路程の万分の一も理解できないでしょう。文鮮明先生、本当にお疲れ様でした。本当に人類のメシヤであり、救世主であられます。今やすべての人類に新しい道を開いて下さったので、人類はその道に向かって熱心に生きていけばよいでしょう。エイレナイオスは、このために熱心に祈祷します。

 そして、この天上にいる大部分の人々は、まだこのような原理をほとんど知らずにいます。しかし、神様に対して信仰の道で少なくとも一度は身悶えしたり、一生を捧げた聖職者たちが、今回のセミナーに参加して、様々な次元で新しい悟りを得たでしょうから、彼らは決して神様の前に無用の長物とはならないでしょう。

 真のご父母様、安心して下さい。石たちが立ち上がって洗礼する前に、すべての聖職者たちが奮然と立ち上がるでしょう。しかし、地上の人類の行く手には、まだ少なからぬ障害物があるので、多少心配です。時間がこの問題を解決するでしょう。『統一原理』は、原子爆弾のような威力を持っているので、この問題を解決するのに長い時間はかからないのは確実です。遠からず、必ず勝利するでしょう。真のご父母様、本当にお疲れ様でした。今回の『統一原理』を聞いてみると、エイレナイオスの一生は、みすぼらしい限りです。ですが、私はそれを跳び越えるように努力致します。

                                        エイレナイオス(2001.11.25)


 霊界統一原理セミナー所感「2-3.カイザリアのエウセビオス」(教会史の父)

 “再臨主様、人類の原罪を清算する特別な方法をお持ちですか”

 今、堕落の根本が何であるかを知るゆえ、エウセビオスの考えがとても錯雑とします。エデンの園で人間の先祖は、神様のみ言に背くことによって、人類歴史に人間自ら処理することの出来ない、途方もない犯罪を犯しました。人間の原罪が人間始祖から始まったという事実について、いくら痛嘆して恨んでも足りないでしょう。彼らは神様の呪いの対象なのです。全人類には血統問題がある故、原罪から解放されることは出来ず、子々孫々、罪が罪を生んでずっと遺伝するようになったのです。全人類は人類歴史を通じて、神様の血統でないサタンの血統を繁殖する結果をもたらしました。このようにサタンの血統により汚れた凄惨な人類歴史を考えてみると、悔しさを忍ぶすべがありません。

 しかし、血統問題を清算するのに、このように悠久なる歴史が経過しなければならなかったのでしょうか。もちろん神様の摂理を人間の頭脳では判断できないでしょうが、どのみち清算されるべき摂理的な課題であったとするならば、あまりにも悠久な歳月が流れたのではないでしょうか。あまりにも無念で悔しいです。古今東西の宗教人、非宗教人を問わず、だれであっても、堕落の実相を正しく知るようになれば、痛嘆しない人がどこにいるでしょうか。人間の先祖が今この近くにいるならば、石の洗礼、火の洗礼、水の洗礼など、様々な種類の雑多な洗礼を受けてしまったことでしょう。

 『統一原理』には、とても神秘的な講義のテーマがたくさんあります。ここで『堕落論』と『神様は人類の父母である』ということ、この二つがエウセビオスの胸に最も印象的に残ります。他の問題は、真のご父母様が教えるところに従って生きていけば、多少難しくて納得しがたいでしょうが、解決されるでしょう。堕落論において、人間堕落の動機とその過程と結果はあまりにも悲惨でした。

 そして、神様は人類の父母であるという事実は、あまりにも衝撃的でした。人間の父母が別にいたという事実です。人間はだれであっても、自分を生んでくれた父母がいるものです。人間はこのような限界点で、それ以上もそれ以下も考えることが出来ないでしょう。それなのに、どのような理由で、神様が人類の父母となり得るのでしょうか。ただ神様が人間の創造主ならば、それは理解できるでしょう。全知全能なる神様であるにもかかわらず、人間始祖が子々孫々、血統的な犯罪を犯すとき、神様はなぜそれを干渉されなかったのでしょうか。

 『統一原理』を通じて講師たちは、人間の自由意志と責任分担について十分に説明してくれました。エウセビオスは、それがよく理解出来ました。それなら神様は、人間の根本の愛も主管しなければならないのではないでしょうか。人間の生理構造を創造なさったのも神様であるゆえに、まだ時に至らず、本来の道でないといっても、神様は人間の生理的な側面を主管して、干渉して下さるべきではないでしょうか。エウセビオスは、『愛を愛らしく』という講師たちの説明にも注目しています。しかし、エウセビオスは、それが容易に理解出来ませんでした。

 文鮮明先生が『統一原理』を初めて明らかにされるとき、神様の根本の愛とみ旨をご存じでなかっただろうとは思いません。それで神様とサタンの血戦が繰り広げられたのではないかと思います。文鮮明先生は、歴史の秘密を明らかにされるのに本当にご苦労なさいました。しかし、その事実があまりにも恨めしく、悔しく、憤りを感じるので、どうしたらよいのでしょうか。人間において地上の生涯が二度あるわけではないではありませんか。

 皆さん、皆さんが短い地上生活を通じて、無念なことに罪の血統を繁殖し、サタンの家族たちばかりをつくったと考えてごらんなさい。恨めしくない人がいるでしょうか。文鮮明先生が再臨主であり、メシヤであられることは、理解して信じることができます。しかし、どのみち復帰摂理の完成を必要としたならば、なぜ神様は今までそれを先送りにしておいて、今になって始められたのかという点です。この点についてエウセビオスは、少なからぬ痛みを持っています。

 文鮮明先生、人類のメシヤとして降臨なさったゆえ、今や人類の原罪清算はどのようになさろうというのですか。そして、こちらの天上人、様々な種類の教派と宗派を持った数多くの生命の原罪清算はどのようになさろうというのですか。ある特別な方法を持っておられますか。『統一原理』は人格革命の霊力を持っています。しかし、信仰生活に生命を捧げて生きてきた大部分の聖職者たちを、この『統一原理』はあまりにも虚しくさせるでしょう。彼らの中で、だれも身悶えしない人はいないでしょう。

 文鮮明先生、これはエウセビオスの率直な心情です。私たちのための集いの場をこのように用意して下さった点について、心より感謝いたします。本当に貴重な時間でした。しかし、私たちの数多くの苦痛と痛みを治癒するのに少なからぬ時間が必要なようです。真のご父母様のすべての栄光に感謝申し上げます。

                                         エウセビオス(2001.11.26)


 霊界統一原理セミナー所感「2-4.ヒエロニムス」(新・旧約聖書をラテン語に翻訳した人物) 

 “新・旧約のみ言は『統一原理』を適用するとき、初めてその意味が完全に表れる”

 聖書には、人間の頭脳では想像できない神秘的な部分がたくさんあります。そして、人間が聖書を根こそぎ理解して解釈すること自体が、神様の前に不敬なことであるため、若干のベールに包まれたまま信仰することが、かえって望ましいのだと思われてきました。それゆえに今日の大部分の人々は、旧約・新約のみ言は謎であると言っています。前後がすっきりと解釈できないため、もどかしいことこの上ないでしょう。そうかと言って、人間があえて神様の経典を軽視したり、恣意的にああだこうだと、その意味を規定できるものでもありません。これが聖書の持つ特性です。

 ヒエロニムスは、聖書を翻訳する過程で何回か読んでみました。聖書のある部分においては、それを数百回以上読んで吟味しました。それは、いくら吟味しても一貫して解釈できませんでした。聖書を熱心に勉強した者ならば、だれでもこのような経験をしたものと思います。聖書の内容は、そうするしかなかったのです。『統一原理』が百パーセント正しいという前提のもとで、『統一原理』とベールに包まれた聖書の内容と比較してみるとき、聖書の謎が一貫して解釈できました。旧約・新約のみ言は、『統一原理』を適用するとき、初めてその意味が完全に表れます。これは否定できない厳然たる事実です。

 人間始祖から人間の生の方向が誤ってしまいました。人間に対する根本的な問題が明らかにならない限り、聖書のベールをはがすことはできないでしょう。果たして善悪の実というのは何でしょうか。人間の原罪がどこから生じたのでしょうか。『末世になれば地を滅ぼす』、『取って食べるな。取って食べれば目が開く』、このような聖書の不明瞭な内容をどのように解明すべきですか。人間が勝手に判断できない内容は、どのようにするのでしょうか。経典を誤って解釈すれば、大きな犯罪を犯すことになるのです。

 聖書にこのような問題点が少なからず存在するにもかかわらず、神様への信仰という前提ゆえに、人間はそれを無条件に信じて生きてきたのです。しかし、今や聖書の疑問に対するすっきりした答えが出てきました。キリスト教徒たちよ、聖書に渇き求めるすべての信仰者たちよ!『統一原理』に注目しなさい。そして、それと聖書を比較して、研究してみなさい。皆さんの心がすっきりするでしょう。皆さんは、膝を打って敬服することでしょう。

 ヒエロニムスは、聖書の一部門を研究していて、解釈ができなければ、初めから再び読みました。謎解きのような問題を解決するために、聖書を数えきれないほど繰り返し読みながら、何日夜を徹したか分かりません。しかし、謎はそのまましまっておいて過ぎ去るしかありませんでした。今やそれをすべて解決しました。空いた穴をすべて埋めたのです。ヒエロニムスの生涯で、このように爽やかな気分を感じたことはありません。

 今日、『統一原理』は、文字どおり『統一原理』です。旧約・新約・成約が一貫して統一されました。固陋な聖書から抜け出せない者がいるならば、彼は明確に『統一原理』に反旗を表明するでしょう。しかし、旧約と新約では、人間の救いの道は決して探せないのです。成約のみ言が出現することによって、旧約・新約のみ言が経典として価値を発揮するでしょう。すべてクリスチャンたちは、成約のみ言である『統一原理』を一日も早く受け入れて、旧約・新約のみ言を再び吟味しなさい。そうして、旧約・新約のみ言を神様の経典として輝かせるようにしなさい。そして、成約のみ言に順応することを願います。

 ヒエロニムスは、聖書についてあまりにもたくさん悩んだので、『統一原理』に対して感嘆と感激を禁じることができません。文鮮明先生は、私たち人類が途方もない救世の道を開かれました。本当に感謝し、感激と栄光を捧げたいです。まず聖書のみ言を正しく解釈する道を開いてくださり、神様と人間の関係を深く明らかにしてくださり、人間の霊魂の救いの道を開いてくださり、人間の原罪の根本を明らかにしてくださいました。このような問題が解明されれば、他の問題は自動的に解決されるのではないでしょうか。それ以外に何がさらに必要ですか。大して重要ではない雑多な思想は、『統一原理』を中心として一つになるしかありません。これは自明の真理です。

 今や救世主、メシヤ、文鮮明先生に感謝を捧げます。人類平和と救いの道に真のご父母様が率先されるのは、当然なことであると考えます。玉体をお大事になさってくださいませ。文鮮明先生、真のご父母様の前に、すべての人類が感謝するその日が、間もなくやって来るものと期待します。ありがとうございました。

                                         ヒエロニムス(2001.11.27)


 霊界統一原理セミナー所感「2-5.グレゴリウス一世」(最初の中世の教皇、中世教会の開始者)

 “神様を人類の実質的な父母として仕えて生きていくとき、過去の私たちの恨が回復されるだろう”

 人類の始祖は、私たちに血に染まった恨を残した犯罪者たちです。私たちには、どんなに地を叩いて痛哭し、地団駄を踏んでも、人類の始祖の堕落の問題を解くことのできない痛みと恨が残りました。今まで私たちは、地上と天上に悪の種だけ繁殖し、その実を結んだと嘆息するしかありません。

 そして、神様は、人類の父母として人間を創造なさいましたが、子女から父母としての扱いを受けることができませんでした。神様は、ルーシェルと人間の先祖の堕落行為を見ておられるだけでした。神様と人間の関係が親子の関係であるにもかかわらず、ルーシェルがその関係を引き裂くことによって、人間は父母が分からないようになりました。父母が子供を子供と呼ぶことができず、子供が父母のない孤児の姿で生きてきたのが人類歴史です。このように悠久なる歳月の間、この事実が隠されてきたゆえ、どうして人間が神様を父母として理解できるでしょうか。本当に途方もない痛みであらざるをえません。長い歳月の間、神様は父母であるゆえに、これを耐えて待ってこられたのです。

 『統一原理』は、人類歴史のベールに包まれた神様の痛みと恨、人間の先祖の堕落、そして、人間の生の方向をはっきりと明らかにしてくれました。『統一原理』を聴講した人々は、だれでも感激と痛嘆の悲喜が交錯するしかないでしょう。人類歴史上、どこのだれがこのような希望の真理を伝えてくれたでしょうか。文鮮明先生は、人類の救世主、人類の真の父母として顕現され、人類歴史のすべての秘密を明らかにされました。

 『統一原理』について感謝と感激、そして、悔しさが交錯しています。今や人類の生の方向性がはっきりと設定されたので、真のご父母様に感謝を捧げます。しかし、真のご父母様が復帰摂理の過程で受けられた痛みと恨を考えると、胸が絞め付けられるほど痛みます。『統一原理』は神様の啓示によって明らかにされた偉大な真理として、だれでも学んで従うべき真理です。

 今、様々な種類の教派と分派に分かれており、思想も様々な種類に散らばっています。各教派と思想は、それなりの教えを持っているでしょうが、人間の来世に対する教えにおいては足りないと思います。今や成約時代の『統一原理』が出現したゆえ、私たちはまとまって団結し、罪悪の種を清算し、神様の善なる血統を伝授するのに全力を傾けるべきでしょう。そうして失ったエデンの園を探して、歴史の締めくくりを早く整理しなければならないでしょう。

 私たちはみな、まとまって団結し、新しく出発しましょう。人生のすべての問題は、真のご父母様、文鮮明先生の指示に従って生きていけば解決されるでしょう。私たちが自分の自尊心と我執ゆえに原理的な生活をためらっているならば、ルーシェルの実が増えるだけです。多くの者たちは、長い間、自分なりに積み上げた功績を持っているでしょう。グレゴリウスも同様です。各自の個人的な悔しさは、言葉で表現することができないほどたくさんあるでしょう。しかしながら、神様のみ旨と恨をまず考えて、各自の痛みは静かにしまっておくべきです。

 ここに集まった大部分の人々は、涙と恨が混ぜこぜになっているでしょう。非常に悔しいことでしょう。水の泡のような人生を長い間、精誠を込めて渾身を尽くして生きたので、自分の過去を省みれば、悲惨で凄惨で悔しいことこの上ないでしょう。しかし、過去のことに執着して何の役に立つでしょうか。今や天上生活の方向を『統一原理』に一致させ、地上生活で投入した精誠をここに注いでおけば、過去の悔しい事情が、再び光輝くでしょう。

 ここに集まった人々は、だれ彼を問わず神様のために生きたことでしょう。個人の栄光のために生きてきた人々は、ここの集いにはいないでしょう。今後、個人的な悔しさを一か所に集めて感謝に還元させ、私たちの過去の精誠を『統一原理』に一日も早く接ぎ木させて、宗教統一、思想統一の実現に寄与しようと、私、グレゴリウスは叫びたいです。そうして神様に人類の実質的な父母として仕えて生きていくとき、過去の私たちの恨が回復することでしょう。

 文鮮明先生、ありがとうございます。お疲れ様でした。真のご父母様、再臨のメシヤ、救世主を歓迎します。一日も早く『統一原理』が全世界に伝播されて、神様と人類の平和の世界が到来することを祈願し、神様が創造なさった本然のエデンの園が復帰されるよう祈祷します。そして、文鮮明先生が人類のメシヤ、救世主として崇め奉られることを祈ります。お疲れ様でした。本当にありがとうございました。

                                         グレゴリウス(2001.11.27)


 霊界統一原理セミナー所感「2-6.ボニファティウス」(ドイツ人使徒、宣教師)

 “このような日が来ることを既に以前に啓示を受けたようです”

 ボニファティウスは、神様から離れた生活は意味がないと考えます。これがボニファティウスの生活信条でした。それで世俗的なすべての欲望を捨て、ひたすら神様に対する絶対的な願い一つだけを持って生きました。そのような生涯を持つようになった動機と理由が私にありました。若い頃、私は大きな野望を持っていました。そして、自身の野望を実現させるために少なからず努力しました。そのような過程で何らの理由もなく悲惨に死んでいく姿を周囲で何回か目撃しながら、人生の価値について悩み、神様の愛を体験するようになりました。

 ある日、どこかに向かっているとき、突然に大きな怪物が現れました。非常に怖くて叫んで逃げようとするとき、天から大きな光が私に照りつけました。こうして私は、とても平安になって安定し、平穏を取り戻しました。それは夢でした。しかし、それがあまりにも神秘的で、私はひざまずいて祈祷しました。その光の実体が何なのか、だれの啓示なのか・・・。とても気になってひざまずき『神様、このように大きな困難から救ってくれた光は一体何ですか』と精誠の限り祈祷しました。その後、祈祷をするたびに、私の全身はぎゅっと絞めつけられながら、熱く、とても熱く火照ってくるのです。これは生まれて初めて感じることなので、とても驚きましたが、どうすることもできませんでした。

 そのとき私は、我知らず語るようになりました。『神があなたとともにあるのだ。あなたは神様のみ旨に従いなさい!』という言葉が、自ずと飛び出して、私の全身は火だるまのようになりました。それ以降、神様に対する絶対信仰を持つようになり、それがまた神様のみ旨だと考えて生きてきました。

 しかし、今日、この機会に、私の若き日の経験を話そうというのではありません。私は神様に対する絶対信仰を持って、ひたすら一筋の道をきまじめに生きてきました。これは大きな自慢の種ではありませんが、決して個人的な人生ではないと思います。

 しかし、今、『統一原理』は、私をかなりみすぼらしい姿にしてしまいました。過去の神様に対する私の信仰観が、非常に恥ずかしく感じられ、片隅に隠れてしまいたい心情です。時代的な環境を見る時、『統一原理』の真理に出会える与件が形成されなかったとしても、私の生涯のうちで神様は、『統一原理』の一部分でも伝えることが出来なかったのでしょうか。過去の私の体験の中でも、それを全く悟り得なかったことが、とても恥ずかしいです。もし私の若い頃に、神様に対する体験がなかったならば、私の生涯はかなり変わったことでしょう。

 ところが神様は、私、ボニファティウスを訪ねられ、私に従って来なさいと言われましたが、神様が導かれた道は余りにも遠い道だったようです。それが私をより一層悲しくて切なくさせます。今、私は神様から捨てられたように、大変悲しくて寂しいです。『統一原理』は人生の方向をはっきりと提示してくれていますが、今は捨てられた気分を拭い去ることが出来ません。過去に神様が呼び掛けられたのは、この時のためのものではないかという疑問が生じます。

 「神様、私も神様の愛の中で生きたいです。今日、『統一原理』が間違っていたならば分かりませんが、事実ならば当時の呼び掛けは、今、意味があるのですか」と神様にお尋ねしたいです。

 文鮮明先生! メシヤ、救世主、人類の真のご父母様、私の生はどうなるのでしょうか。この『統一原理』は、全人類が必ず知るべき内容であり、人類の新しいビジョンであると感じられます。ですから、私はより一層苦しいです。

 文鮮明先生! 『神様のみ旨に従いなさい』という過去の神様の呼び掛けが、今、この時のためのものですか。もどかしいです。切に祈祷しますので、過去のように体験できる機会を与えて下さいませ。『統一原理』は、来世の道も詳細に教えてくれています。人生の来世の方向について、このように細かく指導を受けたことがありませんでした。これに対する体験は更にありません。しかし、明らかなことは、神様の命令に従って生きてきたのが今の姿となったという事実です。神様はそれ以上教えて下さらず、別に導かれたこともありませんでした。今日、このように私の足りない姿で、人類のメシヤ、救世主に仕える資格がありますか。『統一原理』セミナーに参加したことが、神様のみ旨に従えという過去の命令を履行することだと考えればどうでしょうか。

 文鮮明先生! 真のご父母様! ボニファティウスのような者も救って下さいませ。苦しい心情で切にお願い申し上げます。ありがとうございました。

                                       ボニファティウス(2001.11.28)


 霊界統一原理セミナー所感「2-10.ヨハネス・フス」(宗教改革家、プラハ大学の神学教授、殉教)

 “神様は人類の父母、これはおそれ多くも人間が明らかにできることではない”

 神様は人間と天地万物を創造するとき、人間の創造主だけでなく、父母の立場で創造されました。天地万物は愛する子女のためにつくられました。そして神様は、子女たちに天地万物を思う存分管理することのできる特権を下さいました。

 今地上には、数多くの科学者・物理学者と化学者と生態系の研究学者等がいるでしょうが、彼らのうちで、だれも天地万物の調和と運行を創造することはできないでしょう。ただ神様だけがそのようにすることができます。そして人間が神様の真の愛の子女となるとき、初めて天地万物を管理することができるのです。それは神様が、愛する子女のためにそのようにされたのです。これは、神様と人間の関係が親子であるという宿命的な関係であるからです。ヨハネス・フスが『統一原理』を聴講した後、最も感動的な部分は『神様は人類の父母』という大きな課題です。

 日が沈んで夜になれば月が浮かび、昼になれば明るい太陽が浮かぶ地球の自転と公転の運行で、人間が生きていることを極めて平凡な道理として知っています。しかし、被造世界の存在と運行に対して極めて少ない一部分であっても、その変化に関心を持ってごらんなさい。人間の頭脳と知性で、それらの存在と運動を明らかにすることができるでしょうか。おそらく、人間の知性で全く理解されない神秘的な変化を発見するはずです。このように途方もない神様のみ業に助けられて生きている人間は、神様が自分の父母であるという点について、想像もしてみたことがなかったでしょう。この点は、人間があえて想像して判断しうるものでは決してないでしょう。ヨハネス・フスは、この事実を知ってあまりにも驚いたのです。それ以外の様々な部分も驚嘆せざるをえません。

 これまでヨハネス・フスは、神学において根本的に解明できなかった問題点を少なからず持っていました。しかし、神様は人類の父母であるという立場で神学を再び研究すれば、その問題点が正しく解決できるようです。聖書の内容が、なぜあのように複雑で曖昧模糊としたものなのか、イライラしたりもしましたが、今や聖書の問題に関する解決の糸口を見つけました。聖書には、根本問題を伏せておいて、結果だけをもって記録したものがあまりにもたくさんあります。隠された秘話を知らずに、結果だけをもって問題を解こうとするので、正解が出てこないのです。そして、聖書の問題分析の基準によって、宗教的な壁が生まれ、教派と宗派が分かれて出てこざるをえませんでした。おそらく、様々な教派や宗派の教祖たちが、一か所に集まって『神様は人類の父母』という主題のもとに『統一原理』セミナーを持つならば、互いに見つめ合って笑ってしまうでしょう。

 宇宙が丸いとするならば、それを一角であれこれ見た結果だけをもって、『こうだ、ああだ』と言うように、神様に対する私たちの信仰も同様でしょう。すべての信仰者が一か所に集まれば、神観に対する見解の違いは大きくないでしょう。すべての信仰者が根本を知らないゆえに、こう言うこともでき、ああ言うこともできたのです。

 私たちが丸い宇宙を一つの側面だけで見てきたとすれば、これから私たちの視野を広げて、いちばんてっぺんの空中から宇宙を見下ろしてみなさい。そうすれば、皆さんははっきりと『宇宙は丸い』という結論を下すことができるでしょう。『統一原理』もまさにそうなのです。

 このヨハネス・フスが、『統一原理』を一言で要約するならば、それは「『統一原理』は、『統一原理』である」と言わざるをえません。これがヨハネス・フスの最後の結論です。『統一原理』は、すべての統一を提示しています。宇宙の根源者である神様は、お一方だけです。宗教統一、思想統一など、すべてが統一されざるをえません。数多くの歳月が流れる中で、国ごとに、民族ごとに、宗教的違い、思想的違い、文化の違いがあるでしょうが、全人類が神主義を中心として生きていけば、様々な次元の違いは次第に統一されざるをえないでしょう。

 こちらのセミナーの講師たちは、文鮮明先生は成約時代にメシヤとして来られたと教えています。『統一原理』を聴講した人は、それを教えてくれなくても、その正解を当てることができるでしょう。人間を正しい道に導く者がメシヤであり、救世主であり、真の父母であられます。

 今まで偉人や聖人、そして世界的な名望を持った人々がたくさん出現しました。しかし、来世の問題と絶対者である神様に対する問題を正しく明らかにした人は一人もいませんでした。文鮮明先生は、このような問題をはっきりと明らかにされたので、その方が神様の送られた救世主、メシヤ、真の父母でないとだれが否定するでしょうか。

 その方が人類のメシヤ、救世主であることは間違いありません。

 文鮮明先生、ありがとうございます。歓迎して祝賀と万歳を捧げます。

                                        ヨハネス・フス(2001.11.30)


 霊界統一原理セミナー所感「2-11.フィリップ・メランヒトン」(宗教改革家、ルターに次ぐ神学者、改革家)

 “あまりにも自明な『統一原理』の前に『違う』と反旗を翻すこともできないが、うかつに『OK』だと答えることもできず・・・”

 『統一原理』の根本目的は、すべての思想と宗教を統一することです。それは実に驚くべき驚異的な真理です。『統一思想』は、全人類の必読書となるべきであると思います。しかし、今日、宗教は数多くの教派に分裂したので、それらを一つに統一するまで、様々な苦痛と受難を経なければならないでしょう。一つの教団が生まれるたびに、教団の責任者は、それなりに数多くの祈祷をし、身悶えし、そして生死を懸けて教団を創立したでしょう。どの教団でもいいかげんに創立された教団はないものと信じます。

 『統一原理』は、大変組織的、体系的に人間を教え導いています。しかし、すべての人々が一度に一時に『統一原理』を受け入れることはできないでしょう。「『統一原理』はあまりにも偉大なために、すべての人々が即座に受け入れるのではないだろうか」と考えている人がいるならば、その考えを変えるべきです。それでこそ気持ちが軽くなるはずです。偉大な真理であるほど、より一層そのような傾向があったことは、歴史が証明しているではありませんか。

 私、フィリップ・メランヒトンは、『統一原理』の全般的な理論を聞いて、人知れず、少なからず悩みました。あまりにも自明な『統一原理』の前に『違う』と反旗を翻すこともできませんが、うかつに『OK』だと答えることもできないからでした。それは、個人的な自尊心のためでしょう。『統一原理』について静かに自問してみるとき、それは改革の精神を一朝一夕に崩したくないからです。『統一原理』の様々な主題に対して、詳細に祈ってみたかったのです。文鮮明先生は、宗教改革家でもなく、人間が立てた方でもないことを私ははっきりと知っています。『統一原理』講義の一節一節を聞いた後に、『統一原理』は人間の力で築かれた理論ではないということを何度も確認しました。

 様々な歴史的秘話も理解することができます。しかし、私自身も理解できない様々な葛藤が、私を非常に困らせています。既存の理論を新しい理論に改革して革命するとき、既存の理論の代案を提示してこそ、革命も改革も起きるはずです。ところが、講義の題目が変わるたびに、前の問題の解答が出るために質問が生まれないので、続けて自尊心だけが残るようになります。これが私の心をより一層苦しめ、もどかしくします。

 そして、一様な計画性と緻密性のもとで神様の摂理が導かれているようです。いかなる困難と悲しさの中でも、摂理を主導なさる神様のたゆまぬ執念、摂理的中心人物を探すために数千年を待つ神様の心情、これらすべてが驚異的であるばかりです。文鮮明先生は、数多くの摂理的人物たちの中から、成約時代の最終的な人物として登場されました。メシヤ、救世主、再臨主様、真のご父母様として登場なさいました。これは『統一原理』の結晶体です。すべての人類は、このお方に仕えて従わなければなりません。これが人類の結論です。

 フィリップ・メランヒトンは、男らしく両手を挙げて降参せざるをえません。『必ずそのようにしなければならないか。それ以外の別の方法はないか。私に何が必要なのか』など、様々な自問自答をしてみました。心の深い所で、自尊心が地団駄(じだんだ)を踏んでいます。それは、あたかも鳥の翼が折れて飛べずにバタバタと地団駄を踏むような心情です。

 文鮮明先生! フィリップ・メランヒトンの率直な心情を告白します。これは両手を高く挙げて降参したことに違いありません。事実私は、だれにも屈したくありませんでした。今、自尊心がとても傷つきました。私はものすごい自尊心、一種の私心から自由ではありません。しかし、真実であり、正しい正道の道を教える『統一原理』は、結局フィリップ・メランヒトンを屈服させてしまうでしょう。

 文鮮明先生! 今、私の心情はどぎまぎするばかりです。しかし、少しだけ待ってください。すべてを整理してまた立ち上がります。男らしい勇壮な姿で立ち上がります。神様と真のご父母様の真の子女の立場に向かって突進する先駆者となるでしょう。

 すべての人々がうらやむこの立場に立ててくださったことに感謝し、自分の内的葛藤の戦いでまず勝利したいです。それを長く待つことがないように、メシヤ、文鮮明先生の祈祷をお願いいたします。

                                    フィリップ・メランヒトン(2001.12.1)


 霊界統一原理セミナー所感「2-12.デシデリウス・エラスムス」(キリスト教人文主義者)

 “今や明確な指導者、明確な方向、確実な目標が決定されたので、恐れたり、気兼ねしたりする理由が全くない”

 イエス様の復活以後、キリスト教の歴史は、急速に神様に仕えようという姿勢に変わっていく現状が現れました。しかし、イエス様の当時、数多くの預言者や聖職者たちが、真なる信仰をしようと努力し、一般の人々も見えない神様を崇めようと努力しました。それ以外に、キリスト教の信仰を持たない人々も、それなりの神観を持っていました。そしてキリスト教はもちろん、他の宗教においても、教派と宗派が数えきれないほど分裂しています。ところが、このような教派の究極の目的は、一様に善良に生きるところにあります。善良に生きるならば、来世に良い所へ行って暮らすようになるというのです。これはだれも教えてくれなくても、人間ならばだれでもよく知っている真理であり、すべての教派の指導者たちが見いだした自明な真理であると考えます。それはすべての人間に例外なく、善を追求する追求欲が内在しているからです。

 一体、善とは何でしょうか。そしてだれも来世に行ってからまた帰ってきて、そこで見たことを教えてくれなかったのに、なぜすべての人々は常に『良い生活をすれば天国に行く。誤って生きるならば地獄に行く』と言うのでしょうか。それゆえ、人間は罪を犯せば安らかに生きていくことができません。貧しく不便だとしても、罪を犯さないで生きていくことがはるかに安らかなのです。このような観念は、人間が世の中に生まれて生きていくにおいて、共通に感じるものです。なぜこのような観念を持って生きなければならないのでしょうか。きょう、『統一原理』を聞いて、この問題が解明されました。

 天地創造のときから、人間には永遠に共に仕えて生きなければならない父母、神様がいらっしゃったのです。ところが私たち人間は、父母を失って孤児として生きました。孤児は、いつでも、どこでも、自身の父母を恋しがって探さなければならないという心理が残っているように、人間の心の中に神への追求欲が常に潜在しているのです。

 それで人間に、『良く暮らせば天国に行き、誤って暮らすならば地獄に行く』という漠然とした夢が、人類歴史を通して伝授されたのです。『統一原理』は、これをとても正確に糾明してくれました。人間において、霊人体と肉身の二重構造を説明しながら、来世の問題をよく説明してくれています。そして、人間が永遠な所へ行って暮らすべき方向と、明確な目標をはっきりと提示してくれたので、『統一原理』は、最も根本的な問題を明らかにしてくれたのです。そして、そのような目標に到達するために、人間が生きていく方法も『統一原理』でよく教えてくれています。言い換えれば、私たち人類が行くべき途上に、導く者まで明らかに教えてくれています。

 今や恐れたり、気兼ねしたりする理由は全くありません。明確な指導者、明確な方向、確実な目標が決定されたからです。人類がこのような目的を実現するのに、どんな障害物があっても越えていかなければなりません。人類が行かなければならない方向は一つだけです。ですから、散在した数多くの宗教を一つにまとめて共に行かなければなりません。

 過去の偽りの父母のもと、数多くの子供たちが戦いながら生きた時代は過ぎました。今や真の父母が私たち人類の前に現れました。その方は、まさに文鮮明先生であられます。その方は私たち人類のメシヤであり、救世主であられます。私たちは、真の指導者、真のご父母様に従ってゆきさえすれば、天国に行くことができます。過去の雑多な思想を調和するようにミックスして、神様の前に貴重な贈り物として捧げましょう。それが一つになる道です。人類が一つになるために『統一原理』を下さいました。『統一思想』でまとまるならば、一つになることができます。文鮮明先生は、散在したすべての人類を平和の思想で導くために苦闘していらっしゃいます。全世界の人類は、『統一思想』の前に感謝して一つになるべきです。エラスムスは、『統一原理』に対して率直な感想と心情を明らかにしました。ありがとうございました。

                                  デシデリウス・エラスムス(2001.12.2)


 霊界統一原理セミナー所感「2-13.サヴォナローラ」(イタリアの教会改革者)

 “賢明な革命家の姿としてつくり出されるように・・・”

 私、サヴォナローラは、宗教改革家として心の闘いを大変抑えて『統一原理』を聴講しました。私は革命家気質を持っています。それで私の心には、常にそれが揺れており、潜在していた気質をなだめて生活しなければならないときがたくさんありました。

 私は長い間、神様と聖書に対して多くの疑問を持っていました。そのどの部分も釈然とした解答がなく、心が常に苦しかったのです。そうでありながらも、神様に関することは油断することができず、一度も行ってみることもできなかった来世についても、気になって苦しかったのです。来世とは、人間が未来に永遠に生きなければならない所という、いかなる確証もありませんでしたが、その問題もやはり常に忘れることができませんでした。心の片隅にそのような疑問が常に残っていました。それゆえ、聖書についてたくさんの精誠を尽くしました。しかしながら、確実な解答は見いだせませんでした。

 これが、人生を生きていくのにどれほど大きな役割を占めたのか分かりません。あちらこちら右往左往するときも多かったのですが、だれにもその解答をもらうことはできませんでした。微弱な人間の頭脳では、判断する方法がないので、結局、『そうであるだろう』と推測せざるをえませんでした。ところが、『統一原理』が、それを明らかに解決してくれました。『そうであるだろう』が『そうである』と糾明されれば、これは革命を起こす内容であらざるをえないのです。

 今、私、サヴォナローラは、風にはためくかかしになった格好です。気分がとても妙です。それを別の言葉で表現する方法もありません。人間を新しくつくるために、『統一原理』は、人間の内面に深々と潜在していた昔のことを、根こそぎ焼き、洗い落とし、かき出す状況です。ばつが悪く、虚しく、チクチクと痛み、こじれて変な心境をどのようにしたら良いか分かりません。私自身どこかに消えてしまいたいです。とても素敵な服を着た男が、つぎはぎや垢のついた服を着た私の所にやって来て『その服を脱いでしまえ。臭いがする。ああ、ひどい臭いだ!』と言ってあざ笑う気分を感じています。私は一生を通して、だれにもそそのかされたことがありません。ところが今は何かにそそのかされる気分を感じます。私のこのような心情をすべて吐露することはできないようです。

 『統一原理』は、私を相当に妙な穴の中に引っ張っていきます。私が、劣等意識を克服できないということ、それが最も苦痛です。一体何をもって私はこれまで宗教改革を云々したのか、いくら自問自答しても正解が出てきません。私がこのような状態になったということは、『統一原理』の成功を意味します。『統一原理』の講師たちは、サヴォナローラに何も要求しませんでした。彼らはそのまま講義をしただけです。ところが、過去の私のすべてのものを掃き降ろし、全力を尽くす彼らの不思議な影響力は、ただ『統一原理』だけが成し遂げることができる特殊な力のようです。

 文鮮明先生! 申し訳ありません。何の理由もなく自尊心が発動しています。「『統一原理』のどこかの部分に欠陥があったら」というとても悪い気持ちが発動します。これを抑えようととても苦労しています。しかし、非常に大変です。

 私の心の垢をまず落とせば、新しい力が出てくるだろうと信じます。『統一原理』は、人をあまりにも驚かせています。実に貴いみ言です。『統一原理』のみ言で、心の隅々を新しく清掃しなければならないようです。そして新しく生まれ変わり、変化しなければならないと思います。

 そしてこの地に文鮮明先生が来られた究極的な意味は、再臨主様、メシヤの召命を成就するためのものです。私はそれに異議がありません。しかし、誤って解釈された聖書と、誤って理解した神観が、革命家としての自分の自尊心をしきりにねじ曲げています。

 正しい神観と来世観を定立させる『統一原理』に対して、あまりにも感嘆しています。今後、『統一原理』研究に没頭して、新たにつくり出された姿で現れます。再臨主様、メシヤの前に敬拝を捧げます。サヴォナローラが賢明な革命家の姿としてつくり出されるように祈ってください。すべてを感謝の気持ちで受け入れます。

                                        サヴォナローラ(2001.12.3)


 霊界統一原理セミナー所感「2-14.ウルリッヒ・ツヴィングリ」(スイス、宗教改革家)

 “神様が人類の父母であるという事実をなぜ聖書に明らかにしておけなかったのですか”

 『統一原理』セミナーに参加することができる恩恵を下さり、まず感謝申し上げます。そして文鮮明先生、足りませんがこのツヴィングリの気持ちをこの文に代えようと思います。

 ツヴィングリは、天上でも地上でも、人間の生は、絶対者である神様と連結しなければ意味がないという信念を持って生きました。それで、神様に関することはだれにも劣らず、変わりなく関心を持って生活しました。ところが、『統一原理』を通して文鮮明先生は『神様は人類の父母』であると明らかになさいました。そうなれば、私たち人類はみな、神様の前に子供です。肉親の親子も神様の前ではみな兄弟姉妹になるのですか。この点に疑問を持っています。

 そして神様は、私たち人間を子女として創造しましたが、なぜ聖書には、神様が人類の父母であると明らかにしておいた事実を見いだすことができないのですか。聖書にはその事実に対する説明も、似たような記録さえも見いだすことができません。それで数多くの信仰者、キリスト教の有名人、宗教の責任者、宗教改革家たちが出現して、彼ら自身の見解によって聖書を解釈した後、数多くの分派を作りました。今日、彼ら相互の間には少なからず混乱が起こっています。

 成約時代の成約のみ言は、『統一原理』を中心としてすべてを説明していますが、旧約、新約時代の信仰者に対する説明がないために、人間の救いの問題に対して一大混乱が起きています。したがって、ツヴィングリも大変混乱して苦しいです。『統一原理』、成約のみ言を中心として、旧約、新約のみ言を統合してみれば、聖書の摂理的事件は、一貫して解明できます。そのように見れば成約のみ言は、大変驚異的な真理であることが自明となります。しかし、旧約と新約の問題はどのように解釈しなければなりませんか。

 ツヴィングリは正義感あふれる男です。文鮮明先生がメシヤ、再臨主様、人類の真の父母であられることを認めます。そして、同時性の時代の年代的流れに対する説明も詳細に聞きました。しかし、今まで旧約、新約のみ言を信頼してきた私たちは、大きな虚脱感を感じざるをえません。これが最も克服するのに難しい部分です。そうかと言って『統一原理』が間違っているというのではありません。

 長い歳月の間、旧約、新約のみ言が、私たち人間にどれほど貴重な道案内であったかは、文鮮明先生がだれよりもよくご存じであるものと思われます。そして神様は、人類の父母という事実を、なぜこのように長い歳月の間、混乱を起こして隠してこられたのか、父母の立場で見るとき、それはあまりにも苛酷なことだと思います。これから『統一原理』で、すべての思想とすべての宗教を統一すべきであるならば、神様と真のご父母様、文鮮明先生は少なからず困難に耐えなければならず、長い間待たなければならないでしょう。宗教と思想の統一は、何より難しい問題であることをよく知っているからです。

 ツヴィングリには難しいです。心が非常に苦しいです。『統一原理』の全般的な解明は、ツヴィングリに必要です。文鮮明先生、哀れみを催してくださいませ。

                                          ツヴィングリ(2001.12.3)


 霊界統一原理セミナー所感「2-15.ジョン・ノックス」(スコットランドの宗教改革家)

 “『統一原理』を聞いてみると、後頭部を強く殴られた気分を感じる”

 宗教の道は善を追求する道であり、善の源泉は神様であるという事実を知って信じなければならないと考えます。神様はすべてのものの主人であり、森羅万象の創造主であり、人間の創造主です。そして、各宗教ごとに求めている主人は、お一人の神様です。しかし、私たち人間は、神様を様々な側面で考えていました。神様は、人間に善良に生きるべきだという命令を下さったことがないにもかかわらず、信仰者でも非信仰者でも、だれでも善良に生きるべきだという基本姿勢をみな持っています。

 そして人間は、概して罪を犯せば、そして悪く生きれば、苦しがるようになります。これは人間の共通的な見解です。一生の間、ジョン・ノックスは、この事実について悩み、本も読んでいきながら、人間の生を考え、神様の創造の御手を考えるのに多くの時間を投入しました。確実な答えを得られませんでしたが、それ自体は、このジョン・ノックスにそれなりに非常に甲斐ある生活だと考えて生きてきました。しかし、『統一原理』は、神様は人類の父母であると教えています。ジョン・ノックスは『創造主は父母である』という命題をあえて設定してみることもできず、設定することも不可能でした。神様は私たち人間の父母です。それはあまりにも途方もないことですが、一方、子女の立場で見るとき、あまりにも生意気で傲慢なことだと思います。

 そして文鮮明先生は、『統一原理』のすべての内容は、神様の啓示によって明らかにされたとおしゃいました。『統一原理』のすべての内容は、人間を正しい道に導いています。しかし、遅ればせながら『統一原理』を受け入れたジョン・ノックスにおいて、それが新しい真理であるとしても、自尊心が大変傷つきます。ここに参加したすべての人々は、あらゆる苦汁を飲み、選択した信仰の道を行きましたが、それをことごとく無視したまま、思想統一、宗教統一だと叫んだら、それは私たちの自尊心を無惨に踏みにじるものでなくて何でありましょうか。ここに座っている私たちは面食らい、みな愚か者になって、口を開けて後頭部を強く殴られたような気分を感じます。

 『統一原理』を通して、あまりにも多くのことを明らかにしてくださり、感謝いたします。しかし、過去に宗教改革を起こした一人として、その心境は胸の中で波と暴雨が共に闘っているようです。過去の私たちの信仰生活が、非常に無念なことだったと思われるからです。

 そしてここの講師たちは、私たちのように悩まなかったとしても、良い時代、良い環境で天恵を得たと思います。この世に彼らよりもっと大きな福を受けた者たちがどこにいるでしょうか。それを眺めればうらやましくて、気持ちが安らかではありません。

 文鮮明先生! そのような心情を感じた人々は、このジョン・ノックスばかりではないでしょう。今回のセミナーに参加して、多くの恩恵を受けましたが、この名簿に記載されなかった人々も少なくないはずです。彼らもやはり『統一原理』を初めから終わりまで聴講しました。彼らの表情もまた変でしょう。私たちをどのように善処なさいますか。メシヤ、救世主、人類の真のご父母様、時代的な恵沢を受けていない私たちにも、新しい道を開いてくださいませ。善処してくださいませ。

 そして、『統一原理』が人類に新しい方向を提示してくださったので、人類はその道に従って行くべきでしょう。真のご父母様、私たちを待ってくださいませ。今私たちは、二つの心に分かれて葛藤、対立していますが、今後必ず克服するでしょう。『統一原理』が提示した道を否定しません。真のご父母様、私たちに寛容を施して、新しい道を開いてくださいませ。ありがとうございました。

                                         ジョン・ノックス(2001.12.4)


 霊界統一原理セミナー所感「2-16.トーマス・クランマー」(イギリス宗教改革者、思想家)


 “神様は人類の父母、これは人間に最も貴重な贈り物であり福音である”

 すべての宗教の究極的目的は、神様を中心として善良に生きることであると考えます。ところが、神様を知って善良に生きていくための方法が、様々な方向に変わったのが教派分裂です。私、トーマス・クランマーは、神様に関してただ一つの方法だけを持っていました。それは『神様に関することはだれにも知らせるな。それは無条件的である。ここにはどんな理由もない。ただそのまま神様に仕えさえすればよい』ということです。

 これがトーマス・クランマーの誤った考えであったでしょうか。今日、『統一原理』は果敢に神様を明らかにしました。神様は人類の父母であると明らかにしました。トーマス・クランマーは、それについて非常にたくさん考えました。神様は人類の父母であるという主題を重点的に考えました。『統一原理』は、神様の啓示によって文鮮明先生が明らかになさった真理であると教えています。これを信じるべきことなのか、そのままかすめてしまうものなのかを考えました。私、トーマスは、様々な側面で『統一原理』を念入りに考えてみた結果、それを信じるほかはないと結論づけました。

 『統一原理』は、すべての人間たちに行くべき道を正しく導いてくれているからです。神様の啓示でなくては、このような内容を明らかにすることはできません。それは間違いなく神様の啓示であると確信します。神様は、人類の父母であるゆえに、人間の生の方向に責任を負われ、導かれました。宇宙万物の創造以降、人間始祖の失敗に由来して堕落したエデンの園を本然の世界へ再び回復するために、神様は数千年間待ちながら、時代ごとに新しい中心人物を立てて、同時性の摂理を反復し、復帰摂理を導いてこられたのです。

 それは、人間にはあまりにも致命的な苦痛であり、あまりにも長い期間でしたが、神様は人類の父母であるゆえに、いかなる困難にも耐えて待ってこられたのです。『統一原理』は、あまりにも途方もない内容を人間に知らせてくれています。『神様は人類の父母である』、これは人間への最も貴重な贈り物であり福音です。

 このトーマス・クランマーは、神様に関することは無条件に信じるべきであるという、極めて無知だった過去の信仰に対して、非常に申し訳ないと思います。神様、申し訳ありません。赦してくださいませ。

 そして、文鮮明先生が、人類のメシヤ、人類の真の父母であることは、同時性の時代の中心人物の行跡を見るとき確信せざるをえません。神様が待って、訪ねて、分別してメシヤを送られた事実を信じるほかはありません。それは、摂理歴史の中心人物たちの使命を見るとき、はっきりと分かるでしょう。

 そして、そのほか、『統一原理』の復帰摂理歴史は大変信憑性があります。ただ、私たちの時代に、トーマス・クランマーの時代に、全く恵沢を受けられなかったという切なさは、何とも言えないほど大きいです。しかし、新しいことを受け入れるためには、過去の悔しさに執着せずに、きれいに整理して清算しなければならないでしょう。そして、文鮮明先生のみ言と教示、すなわち『統一原理』にしっかりとしがみつくのです。そうして、真実で正しい改革者の姿を備えて、再び出発するつもりです。トーマス・クランマーの体面を立てることを約束します。文鮮明先生、ありがとうございます。

                                      トーマス・クランマー(2001.12.5)


 霊界統一原理セミナー所感「2-25.ジェイムズ・ハドスン・テイラー」(中国宣教師)

 “真のご父母様に正しい姿勢で仕えようと思います”

 『統一原理』は、この世のどの学問とも比較できない偉大なものです。それを学問と比較すべきか、真理と比較すべきか区別できません。人生のすべてを洗いざらい解明してくれたゆえに、私、テイラーの全身は、感激と感嘆に満ちています。

 それを真理というべきか、福音というべきかも分かりません。神学問題、人生問題、歴史問題などを完全に解明してくれました。神学者、政治家、偉人、聖人、科学者など、だれも扱っていないことを果敢に扱いました。ここで何より途方もなくて偉大なことは、神様は人類の父母であると明らかにした点です。

 神学者や信仰者はもちろん、政治家、偉人、学者、哲人も『統一原理』を聞いてみるべきです。テイラーは、『統一原理』の所感をどのように表現すべきか分かりません。そうかと思えば、『統一原理』は、聖書に解くことができなかった部分まで明らかにしています。だれでもそれを聞くだけならば、しばらくの間、驚かざるをえないでしょう。『統一原理』講師たちは、『統一原理』は神様の啓示として、人類の真の父母、文鮮明先生が、数多くのサタンと血戦を繰り広げた末に明らかにしたものだと紹介しました。隠されてきた歴史の秘密、人間の先祖の誤った出発、人間の原罪問題などが『統一原理』で解明されています。

 復帰摂理歴史を導くために、同時性の時代が何度か展開し、そのたびに新しい中心人物が出現することで、胸が締めつけられながら待つ神様の心情を、だれが人類に明らかにしたでしょうか。成約時代の文鮮明先生はだれですか。その方とイエス様の再臨問題はどんな関係があるのでしょうか。様々な次元の歴史的問題が、『統一原理』を通して根こそぎ表れるようになりました。

 そして文鮮明先生は、人類の救世主、メシヤ、再臨主様、人類の真の父母として、人類の救いのために80歳の生涯を生きてこられたと明らかにしました。それにもかかわらず、地上人はまだ再臨主の降臨を待っています。

 神様と人間に関連したすべての問題を等しく教えてくれるのが『統一原理』です。しかし、『統一原理』の内容を見るとき、だれでもすべて聞いてみて会えるのではないということをテイラーはよく知っています。こちらでも数多くの人々が生きていますが、一部少数の人々だけが『統一原理』に接することができるという事実は非常に残念です。こちらで『統一原理』を毎日聴講しますが、世の中の事情が分かるようになった人だけ、その意味を悟ることができます。自分や先祖の善の功績と実績を持った人々だけ、『統一原理』に出会うことができるようです。

 今日、大部分の信仰者たちは、メシヤの再臨思想を持っています。しかし、その思想だけにあまりにかたくなに没入すれば、メシヤに出会わない場合もあります。私たちはみな、成約時代のメシヤの前に謙遜と従順の姿勢を持ちながら迎えるべきです。

 文鮮明先生、真のご父母様、本当にお疲れ様でした。表現力が足りず、私の心情がうまく伝えられないようです。しかし、『統一原理』とメシヤに対する見解は正しく定立されたようです。真のご父母様に正しい姿勢でお仕えいたします。

                               ジェイムズ・ハドスン・テイラー(2001.12.8)


 霊界統一原理セミナー所感「2-31.ポール・ティリッヒ」(現代神学者)

 “『統一原理』の著者は神様であり、その編集人は文鮮明先生である”

 新・旧約聖書は、大部分の信仰者が依存するものですが、その一方で、解けないあいまいな一節一節が、信仰者の心をどれほど辛くしたか分かりません。聖書は、人間的物差しで解釈できない部分があまりにもたくさんあります。そのようにすれば批判の対象になります。聖書の著者や、それを整理した人々に尋ねてみることができる境遇でもなく、堪え難い場合が無数に多かったのです。

 今日、『統一原理』は、文字どおり『統一原理』であり、成約のみ言です。成約のみ言、『統一原理』を理解すれば、新・旧約のみ言を一貫して理解することができ、比喩と象徴まで解明できるようになります。聖書の謎がスッキリと解明されるのです。『統一原理』の著者は神様であり、その編集人は文鮮明先生であられます。著者と編集人が出現する時代がまさに成約時代です。数多くの人々が、聖書の謎を解明するために悩んできましたが、聖書のその深い意味を解明できませんでした。

 成約時代のメシヤは、文鮮明先生であられます。神様はこの時を待ちに待って、メシヤを送りながら、隠してこられた神様の歴史的な恨を解かれたのです。文鮮明先生は、神様が準備された高貴な子女ではないかと思います。

 神様は、私たち人類の父母であり、私たちはその子女です。父母と子女が共に永遠に、平和で、幸福に生活することを希望しながら、神様はエデンの園を祝福して創造されました。ところが、父母と子女の痛みと苦痛が生まれました。ここで人類歴史が誤って出発することによって、人類歴史の中に到底理解できないあきれるような事情が流れてきたのです。人類歴史の中に、神様と人間の痛みと苦痛が共に内在してきたのです。

 今日の人類歴史をご覧なさい! 貧困と戦争が絶えず引き起こされ、宗教と宗教、人種と人種、思想と思想、文化と文化が、互いに葛藤、対立、摩擦した歴史的惨状をご覧なさい。一方では、豊饒が行き過ぎて物質が腐っていき、他方では、あまりにも貧しく餓えて死んでいくのが歴史の現実です。

 信仰者たちよ、私たちはみな、互いに分け与え、分かち合いましょう。すべて互いに差し出しましょう。一人ですべてを握っていれば光を見られません。私たちがみな、一つに団結すれば、途方もない祝福を受けるはずです。文鮮明先生が神様から受けた新しい真理は、すべてのものを一つにまとめることができる深い内容を備えています。

 『統一原理』は、人類に真の愛の大革命を起こす理論的根拠となりえます。『統一原理』から多様な現実的実践理論が導き出されるのです。ポール・ティリッヒは、この点に特に関心を持ち、それが社会科学的意味を持つと見ます。したがって、『統一原理』に対して謙遜な姿勢を取ることに決心しました。

 地上にいる各界各層の指導者の皆さん、特に信仰者たちは、『統一原理』を深く研究して、人類に新しい方向を導く先鋒者となることを願います。このポール・ティリッヒは、こちらで『統一原理』を研究し、新時代の意味を力強く叫びたいです。数多くの人々に新しい感動を与えることができると自負します。私たち信仰者において、『統一原理』の各主題は新鮮な衝撃を投げかけています。信仰者はみな、私心を捨てて『統一原理』を習い、生活化しなさい。

 文鮮明先生! その呼称は多少なじみが薄いのですが、真のご父母様は、私たち人類に大いなる恩賜を下さいました。ありがとうございます。足りませんが、『統一原理』を熱心に習い、統一運動の隊列に賛同します。

                                       ポール・ティリッヒ(2001.12.11)
 
    出典:韓国・世界日報社「霊界メッセージ:真の愛で地上と霊界の平和統一完成」2002年4月14日版より

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