孔子からのメッセージ(1)



 真の御父母様へ

 真のお父様、真のお母様に小生、お捧げ申し上げます。

 真の御父母様! ありがとうございます。本当におそれ多く存じます。私にこのような日が来ると誰が知りえたでありましょうか…。

 真の御父母様! 真の御父母様! 真のお父様、真のお母様!

 このように私の思いをわずかなりともお伝えできるようになり、どれほど幸いか知れません。李相軒先生の努力と精誠によって、私たちは皆、貴き師の恩徳を受けるようになりました。師の法度に従って生きていくように誠の限りを尽くして努力いたします。

 真の御父母様! 真のお父様、真のお母様!

 いつもお呼びし、頼りにし、おそばにいたいのでございます。私に何の功績があって、このように高貴な祝福を下さったのでしようか・・・。真の御父母様は、とても貴く謹厳なる女史を夫婦の絆で結んでくださいました。これから私は、真の御父母様のように美しく幸福な愛の巣で、神様に真の喜びを捧げる真の家庭を築けるよう精誠の限りを尽くします。ここで真の御父母様に直接お目にかかれるその日まで、常に真の御父母様に侍りつつ、真の御父母様の法度を完全に体得いたします。そうしてそのような姿になって神様にお目にかかります。李京俊(イーキョンジュン)女史のためにも私の精誠と至誠を少しも惜しみません。

 真の御父母様! 玉体の健康にご留意のほど、小生、心より心よりお祈り申し上げます。

                                                     孔子拝

                                                 −1998.8.13.-

               出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(3) 人生の果てにゆく道」(成和出版社)より


 真の御父母様!

 李京俊総長の夫、孔子が真の御父母様にお捧げ申し上げます。

 私は李相軒先生からこのような要請を受けた後、心と体を清めて精誠を尽くし、ひざまずいて再拝を捧げてからこの時間を迎えました。しかし真の御父母様がいかなるお方なるがゆえ、かくのごとき精誠を尽くし、心と身を磨いても、震えるほどに近寄り難いのでしょうか。このような心がいずこより来るのか私には知る由もございません。

 御父母様! 救世主様、天地父母様、人類の王、偉大なるお方、私はいかなる名がお父様に相応しいのかを考えに考えました。

 お父様、私の御父母様! 私、孔子はどうすれば顔を上げることができましょうか。時が経つほどお父様が近寄り難く感じられます。時が経つほどにお父様は理性と知性では判断できないお方です。

 教育するときには、私もマホメット様のように勇敢に声を張り上げて大衆を泣かせたり、笑わせたりする才能があります。しかしあまりにも美しい私の妻、愛らしい女史を私に下さったがゆえ、私は妻を誇りつつ、原理も勉強しながら儒教圏を教えています。お父様が明らかにされた原理は、人生において必ず知るべき公式であると存じます。人間は相手のために生きるべきであるという二性性相の関係を説明するとき、孔子はその内容をありのままに誇ります。

 私は儒教圏を教育するとき、「最高の美人である私の妻を見たければ私についてきなさい」と言い「この原理を聞いて理解すれば、最高の美人、美男に出会える」と率直に自慢しています。しかしお父様、お母様、儒教思想の特性ゆえに、真のお父様が常にお使いになる「凹凸」の話は彼らにはよく通じません。 私がその用語を時折使うと、彼らは「孔子はいつからあのように卑しい集団で卑しい者たちの使う言葉をそのまま使っているのか」と騒ぎ立てました。

 彼らがそのように抗議すれば、私は「私は卑しいのが良い。私が地上で肉身を持って生きていたときにこの教理と原理を知っていたならば、現在ここにいる多くの皆さんには会わなかったであろう。我々が親なる神様のおられる所で永遠なる神様の愛を知り、その愛を交わして生きたとするならば、常に幸福と平和に満ち溢れたであろうし、憂いと煩いのない平和な世界で暮らしたことであろう。しかし歴史の出発において誤ったゆえ、新たに真の御父母様が私たちの世界においでにならなければならないのである。私たちは皆、その方の前に新生しなければ、ここで永遠に生きるしかないであろう。今は皆さんの考えと思考を変えるべき時である。かつて孔子の教えを受けて生きてきたとすれば、今一度私を信じ、新しい原理と教理の前に頭を下げてくれるよう願います」と、たいへん謙虚な姿勢で詳細に教育をしています。そして私は渾身の力を注いで、講義というよりも、訴えかけることがあります。

 しかし、常に内性的であり、もの静かで、礼節に縛られて他の思想には全く接することのできないような私の中に、新たに変化する姿が次々と生じるのを目にして、彼らも真の御父母様の思想と原理はすべての人類の教科書であり、すべての人類の福音書であることをはっきりと感じることでしょう。

 お父様! 孔子はあまりにも動作が遅くてお父様の趣向には合わないようです。しかし驚きにならないでください。お父様のみ旨となれば、一寸の誤差もなく敏捷に行動するのがまさしく孔子の本性です。

 今後、私の妻がお父様の前で愛を受けるならば、私もその傍らを絶対に離れることなく、両手をしっかりと握ってお父様の愛と思想と教育を逃しません。

 真のお父様! 李相軒先生が真のお父様を誇るたびに、私は内心悔しい思いをすることがあります。「李相軒先生はどうしてあのように良い時代に生まれ、地上で救世主に侍りながら思想を教え、研究分析してこちらに来たのだろうか。なぜ孔子の時代にはそのような時代的恩恵がなかったのだろうか。私はいったい地上で何をしてきたのであろうか」と自問してみます。真の御父母様、一度だけでもお目にかかりたいと存じます。本当に慕わしく思います。私は日曜日の朝だけ敬礼するのではなく、毎日毎日敬礼を捧げます。家を出るとき、戻ったときはいつも敬礼をいたします。そのようにしながら私は「真のお父様の生涯と思想に染まるようにして下さい」という切ない精誠を尽くしておりました。ところがあるとき、私の耳元にある声が聞こえてきたのです。「おまえの生きる方向性を常に考えつつ時を待ちなさい」という声が聞こえてきました。そしてそのとき、その声と共に、笑みを浮かべたお父様のお顔を見ることができました。

 私は嬉しさと喜びのあまり李相軒先生のところへいってその事実を話したところ、先生はたいそう喜びました。そのような役事は、地上においても精誠を尽くした子女に時々現れ、国境を超越し、宗派を超越して現れる現象だということでした。

 真の御父母様! ありがとうございます。私に格別なる恩恵を施して下さいましたがゆえ、私はより一層熱心に精誠を捧げ、お父様とお母様のその流れの中で生活できるように努力いたします。そして今日の儒教圏の摂理が神様と真の御父母様の前に短縮されるよう、最善の努力を払います。儒教人の教育と生活の変化が他宗教に比べて多少遅れているようですが、儒教人は心が善良ですので、新しい真理に接すればたちまち教化されることと存じております。

 これといった内容のない報告を長々と述べて申し訳ありません。しかしこのような機会がたびたびあるものではございませんので、そういたしました。分別のない私の無礼をお許しくださいますようお願い申し上げます。

 真の御父母様、私は李京俊総長を愛しています。本当に心置きなく愛しても構わないでしょうか。李京俊総長は私に愛の手紙の一通も下さったことはありませんが、私をたいへん愛していると思われます。それはなぜかというと、李総長が常にお父様の前で「孔子の家庭」という言葉を使っているからです。

 お父様はたいへん近寄り難く感じられます。しかし不思議なことに今は子供のようにすべてをお父様に打ち明けて話したいという思いにかられます。真のお父様とはいったいどんなお方なのでしょうか。ある時はお父様はこの上なく恐ろしく、震えるほど近寄り難く感じられながらも、またある時は、お父様の前に私が物心のつかない子供のようになってしまうのですから、いくら考えてみても真のお父様は神様のようなお方であられます。

 真の御父母様、人類の王なる救世主よ、千寿万寿を享受され給わんことを。

                                              真の御父母様を愛しお慕いする孔子 拝(1999年12月30日)

        出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(4) 天上天下の救世主 真の父母」(成和出版社)より


 謹んでごあいさつ申し上げます。

 真のご父母様の愛と恩賜に深く感謝申し上げます。私は、地上で機会があるたびに、政府はすべての民のために働かなければならず、家族はそれぞれの幸福を保護しなければならず、目上の人と目下の人との間の相互関係が調和を成すようにしなければならないということを主張しました。

 それだけでなく、人類がすべて兄弟であるという事実に目覚めた人は、真なる友愛と親切なる性稟(せいひん)を行動で示さなければならないと強調しました。 私が生まれた当時の中国は、極めて腐敗している時でした。私は、幼い時から正直で飾り気がなく、礼を重んじながら成長しました。 私が成長して悟ったことは、人間の慣習はすでに堕落しましたが、人間の本質自体はまだ腐敗していないので、中国の道徳的な状況は救済不能ではないということです。

 このような状況は、人間が仁に従って生きようとする道徳的大義を失ってしまったためであり、共通善である仁、義、礼、智、信のために献身した昔の人々が持っていた、先人の意志を喪失したためだと思っておりました。

 したがって、私の考えでは、理想的人間像は名分と義務を明確に認識し、仁と礼に従って行動しなければならないと思い、道徳法則に従うことが、すなわち天命であると教えました。

 常に道を究めながら、このような大道世界を成し遂げなければならないと夢みながら、それを実践しました。私は、創造主を知り、先祖の世界に対して深く認識しました。

 しかし、人間の具体的な人生と生活に不足なことが多かったので、まず人倫道徳を先に立てることに重点を置かなければならないと強調しました。それで、神様の啓示を受けてすることよりも、人間が守るべき道理として、“なすべき当為性”を力説しました。

 法度を守ったときにのみ、正直と平和と愛が訪れるということを知りました。人間の本分を守るとき、根本となる世界との出合いが成し遂げられると思ったのです。

 人間自体も仁を中心とした情によって一つにならなかったのに、見えない世界まで論議することができるだろうかという立場で、まず人間が行くべき法度と根本に関心を持つようになったのです。 このすべてのことは、常に神様を尊敬し、侍り、愛したのであって、神様を否定したのではありませんでした。

 真のご父母様は、私が中心となって立てた儒家の法度と道理が、神様が願われる根本的な法度と秩序と違わないということをよくご存じであられ、かえってこのような法度が拡大されていたならば、真のご父母様のみ言と生涯路程において、根本的な秩序と法度を立てるにおいて助けとなっていただろうと思量されるのです。

 このように、秩序と法度を立て、その根本の生活原則を成したのです。人倫道徳の根本的な秩序を立てなければ、神様に侍ることができる根本の秩序を立てることはできないからです。

 私は、一寸の揺るぎもなく、心と体の生活において、秩序意識を持って正直に生きようと努力しました。

 食事をするときも、そのように生活しました。眠ることも、食べることも、歩くこと一つまでも姿勢一つ揺らぐことなく、正姿勢の生活をしようと努力しました。そのようにしていくと、家庭が円満になれませんでした。

 なぜならば、妻がそれを理解することができなかったので、結局、家を出てしまいました。弟子たちも私の教えを受けて、そのような生活原則をもって暮らしていくと、私の家庭と同じ多くの問題が発生する場合がありました。

 今になって考えてみると、私自身に対して残念なことは、仁を強調しながらも、妻に対して愛する心で対することができず、間違いばかりを指摘する原則主義者であったということです。また、話をするときも、笑うことなく謹厳で、優しさを与えることができませんでした。

 それゆえに、この時代に来られた真のご父母様の教えと祝福が、どれほど素晴らしいものであるのかということを悟るようになりました。

 真のご父母様は、教えだけでなく、生活で真の家庭理想を見せてくださいました。真のご父母様の真の愛の根本原理は、今まで教えてきた私の儒教的原理の限界性を完全に飛び越えるみ言であられます。

 したがって、すべての祝福家庭は、真のご父母様が教えてくださるみ旨と思想を中心として、本当にすべてのことにおいて正道を行こうと一生懸命にならなければならないと思います。

 私が『原理』を聴いて感動したことの中の一つは、鳩を割(さ)かなかったということに対して、徹底して蕩減原則を適用された神様であられたということを知ったことです。

 天法は小さいもの一つまでも、ないがしろにすることはできないということに深い共感とともに感動を受けました。

 私の家庭は、失敗した家庭でしたが、真のご父母様が真の愛によって再び祝福をしてくださったことに対して、常に感謝をおささげしています。家庭において失敗したということのために、いつも大きな心情的な苦痛がありました。

 家庭倫理と道徳を最も重要視していた自分が、本妻ではない他の夫人と祝福を受けることに対して、一方では心が平安ではなかったのですが、今は心が平安です。

 私よりも先に霊界に行った私の息子も、祝福の恩賜圏に入り、過去、私の夫人だった女性も、祝福を受けることができるようになったからです。深く感謝申し上げます。

 このように、私の家庭的恨(ハン)を解いてくださったかたが、正に真のご父母様であられます。それゆえに、私は今から、真のご父母様から受けた恩賜を私だけが受けることはできないので、私が教育してきた多くの弟子たちに幅広く教え広めようと思います。

 また、宗団を収拾する問題も急がれます。すでに具体的に役事することができる段階に入っているからです。

 私に従った群れたちに、自分が受けた教理と『原理』を比較分析し、説得しようと思います。原罪清算と祝福を通した絶対善霊としての変化が起きるようにするための計画を立てております。

 またもう一つには、祝福を受けた後、地上にいる夫人をとても愛し、また感謝していますが、霊界では、真のご父母様が地上にいらっしゃる時にみ旨を成し遂げようと、興進様を中心として、“一日でも早く成し遂げよう”という決意に満ちていることを知っております。

 それで、地上だけでなく霊界の境界線を撤廃された真のご父母様のみ旨を信奉し、解放の役事が成し遂げられるように全力を尽くそうと、覚悟と決意に満ちております。

 そのようなみ旨が成し遂げられたとき、地上にいる祝福夫人に、さらなる関心を持って愛することができると思っています。

 特に、今回の十月十四日、天宙清平修錬苑において『霊界解放式』が完了し、宗教間の境界線が撤廃されれば、儒教文化圏の家父長的家族制度に一大転換がなされるものと期待しております。

 すなわち、儒教文化圏に属したすべての家庭に、天地父母が中心として立たれることによって、権威主義的家庭が真の家庭となることができる道が開かれるのです。

 今、権威主義的家庭の枠は、真のご父母様を中心とした天国人をつくりだす訓練道場に転換され、『修身斉家治国平天下』の理想を地上天上天国実現として完成されるようになるでしょう。

 このすべてのことは、真のご父母様が去る八月十八日、国連本部において宣布された国境線撤廃、そして、今回挙行される『霊界解放式』を通して、霊肉界の境界線まですべて撤廃されていくということと、すべての宗教的教えが真のご父母様を中心として完成されるように導いてくださった、その大いなる恩恵の前に心から感謝をおささげ申し上げます。

 神様の真の愛の世界圏を中心として、全人類が一つになることを心からお祈り申し上げます。

                               (出典「光言社:ファミリー2000年12月号」P.61〜64より)


 儒教徒と他の宗教人及び地上人に願うこと

 
人間は地上で生きるとき、地上の現実状況を踏まえて規範生活をする。それゆえ、人間は地上の限らたれた範囲の中で見聞きして感じるほかないであろう。今、地上の人間は、私たち四大聖人と聖賢たちがセミナーを通して決意した内容を、詳しく告げても、生々しく感じられないであろう。

 ここの四大聖人と聖賢たちは、地上で生活するとき、たとえメシヤではないとしても、個人的な快楽と家庭の安楽な生活を捨て、誰にも負けないほど人類の救いのため悩んだものと自負する。私たちは、人生自体の意味を強調しながら、人類が正しく善良に生きていくよう真理を宣布した。

 そうした聖人、聖賢たちが共にセミナーを開いたのである。肉身は脱いたとしても、地上人が残した教友と信徒たちを自分の体のように考え、より正しい道に導くため、本当に努力した中で、こうしたセミナーを共に開いたのである。既に言及したが、天の国、ここではイエス様もお釈迦様も皆、和睦することこの上ない。

 イエス様は仏教徒にご自身を紹介され、「一堂に集まり、礼拝を捧げ、仏に供養もしましょう。そして、各自が抱いている信仰の根本について話しましょう」とおっしゃった。

 お釈迦様が、仏教徒の集まりではなく、キリスト教徒の集いで、深くお辞儀されて、「皆さんにごあいさつできる機会をいただきありがとうございます。私たちは皆、神のもとに一つになりましょう」と謙遜な姿で話されるとき、一部からはざわめきの声が上がったりもした。

 しかし、このときイエス様が「兄弟姉妹たちよ! 私たちは皆、神の子女であり、兄弟姉妹として神に和睦なる姿を見せなければならない時です」と慈愛に満ちた姿で話されると、雰囲気が粛然として変化した。このとき、神が静かな光でぐるぐる図られて、天地が明るい光に変わると、一同は驚きを禁じえないまま、悦惚となりながら、身を正すことができなかった。

 私たちのセミナーの期間には、神はとりわけ多くの配慮をなされた。今後、こうした集いが続いていくものと信じる。そして、私たち四大聖人と聖賢たちが、頻繁に集うことで、宗教の派閥がなくなるはずであり、互いの教理的な違いも解消するものと考える。

 儒教徒たちよ! 孔子が何を話せば信じるであろうか? 全世界には人種も多く、宗派も多く、国ごとに文化的な差異も少なくなく、その風習もそれぞれ異なる。しかし、変わりえない私たちの共通点は、人間の姿である。黒人、黄色人、白人が持っている共通点は人間の姿である。白人、黒人、黄色人などの区分なしに、病院に行けば医師は、彼らに同一の治療方法を使用する。人間の構造が同一であるからである。もちろん治療の程度は違うとしてもである。これは何を意味するのか?それは人類の主人が唯一、創造主お一人であるという事実を意味する。創造主は、まさに神である。神が人類の父母様である。私たちは、父母様に仕えて生きれば、それで万事が意のままになる。

 ところが、なぜこんなに複雑か? 人類の始まりが誤っており、様々な分岐の宗教が出てきたためである。それゆえ、もろもろの宗教を一つに統一するために、神が地上に文鮮明先生を遣わされた。その師は、皆一つになろうという真理を掲げられた。すべての宗教の教理が、間違っているわけではなく、ただ教理的な差異があるだけである。

 孔子は、各宗教が自分だけに固執して正しいと主張するため、今日の人類の現実がこのように複雑であると考える。それゆえ、少しずつ譲歩して他宗教の教えも包容する姿勢が切実な時であると考える。地上でいくら雑多に騒いたとしても、この天上世界の宗教の代表たちは一つになった。何で一つになったか? 一つの真理を中心として一つになった。私たちは皆、神に父母として仕えて生きようと堅く決意した。地上の儒教徒の皆さんは、どうするのか? 皆さんも一つの真理を中心として、一つになるべきであろう。

 地上の仏教徒よ! あなた方の最高の師であるお釈迦様が、神に人類の父母様として侍られた。そして、神は皆さんの最高の彌勒仏になるであろう。地上の皆さんは、この無形世界で過ごす皆さんの姿を点検しながら生活しなさい。人類は一つであり、一つの民族であり、一つの血族である。唯一なる神に侍るため、その法度を教えるため、神は文鮮明先生を皆さんに遣わされた。80の高齢の身で、人類解放のため、その方が今、何をしておられるかを確認してみなさい。

 地上人たちよ! 皆さんがとどまる所、永遠なる居場所は天上である。地上は刹那的な生の訓練所にすぎない。結実期には、混じり物の無い穀類だけ倉庫に入っていく。皆さんは、成熟した生を備えなければならないであろう。

 儒教徒よ! 最近のイエス様のメッセージ、お釈迦様のメッセージ、孔子のメッセージ、その他の聖賢のメッセージを参考にして、賢明に判断し、皆さんの態度をはっきりすべきであろう。

                                                   -2001.4.7-

       出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(8・9) 四大聖人たちの霊界セミナー」(成和出版社)より