使徒パウロの書信


 ローマ法王庁に送る使徒パウロのメッセージ

 私パウロは、ローマ法王庁に新しい福音を伝えようと思う。パウロは、ダマスコで復活のイエス様に出会う前は、使徒パウロになるだろうと考えてみたことはなかったが、復活のイエス様に出会った以後、誰も私に勧める者も、推奨する者もいなかった。しかしパウロは使徒になった。ただ使徒になったのではなかった。死も恐ろしくなかった。主だけに熱中していた。

 しかし、聞きなさい。はっきり聞きなさい。使徒パウロは、エホバの神の家で再臨のメシヤに会いました。地上のダマスコで復活のイエス様に出会ったように、ここで再臨のメシヤ、救世主に会いました。どのように会ったのでしょうか? 地獄の穴で血だらけになった姿で立ち上がり、私パウロを抱き締めてくださり、聖徒を救えという使命を下さいました。

 法王と法王庁にとどまっている皆さんに、この使徒パウロがはっきりと告ぐ!

 再臨のメシヤ、救世主は地上にとどまっておられる文鮮明先生であられます。その方が地獄で血だらけになり、あちらこちら引っ張られ、踏まれながら、天の秘密を明らかにし、勝利して捜し出したものがまさに『原理教本』であるので、この原理教本を精読することを願います。それだけではありません。ダマスコで出会った復活のイエス様が使徒パウロに現れました。これからイエス様を求めず、偉大な先生に出会って仕えよとの命令を受けました。

 パウロは聖徒を救えという使命を受けました。それゆえ、堂々と伝えます。私は使徒パウロです。明らかに使徒パウロです。私たちは皆、いつかこのエホバの家で会うでしょう。したがって、まずここで経験した事実と霊界の実相を明らかにしてあげますので、はっきりと研究することを願います。しかも、法王と法王庁にいる皆さんは、世界に散らばっている多くの聖徒たちの霊魂に責任を持った者として、来世を教え、彼らの霊魂に責任を持つべきです。

 パウロはエホバの神と再臨主、メシヤの前に堅く誓いました。聖徒を救う使命のために地獄のどん底でも行くと決意したので、皆さんが祈祷や精誠の中で、使徒パウロの顕現を待ち、精誠を尽くした所に奇跡が起きるでしょう。今使徒パウロが法王庁に送るメッセージは、エホバの神のみ旨です。これは再臨のメシヤのみ旨と同一なので、急いで実践することを願います。

 私パウロは、多くのことを体験し、多くの現実を見て感じ、悟ったゆえに、パウロの聖徒たちに忙しい心で伝えます。そして、お願いします。原理教本を精読し、その題目の一つ一つまで皆研究し、分析してみなさい。ダマスコで復活のイエス様に出会った書信を、教友の皆さんと聖徒たちは今まで信じたので、これからパウロがここから送った書信も信じるだろうと思います。

 再臨のメシヤ文鮮明先生は、今高齢であられます。皆さんは、パウロが地上で再臨のメシヤにお目にかかれなかった切なさにどれほど、どれほど胸が張り裂けるか、分からないでしょう。地上におられるときに、急いでお目にかかることを願います。そしてミリンゴ大司教が家庭を築いたことも、法王が信じることを願います。人間の構造は独りで生きるようになっていません。独りで生きるようになっているならば、神様は人間をなぜそのように創造されたのでしょうか? 見えない所で罪を犯して苦痛を受けている多くの修道者たちをパウロは皆知っています。

 世界的に散在した数多くの霊魂に責任を持たなければならない法王と法王庁の皆さんは、パウロの書信が信じられなければ、精誠と祈祷で解決することを願います。パウロは明確にメッセージを皆さんに伝えたので、責任を果たすことを願います。

 そして、ここがどこか分かりますか? エホバの神がとどまっておられる広大な光と愛のあふれ出る所です。使徒パウロが伝えたメッセージをそのまま送り流せば、法王と法王庁にとどまっている教友たちの霊魂は、今後エホバの前に恥ずかしい霊魂となるということを銘記しなさい。急いで再臨のメシヤにお目にかかり、ミリンゴ大司教の証しも聞いてみて、心を開いて実践することを願います。

 私たちの霊魂は、永遠なここにとどまって、肉体はしばし地上を経て行くようになっています。賢明な判断をして、賢明な法王庁となることを、使徒パウロは心より祈ります。天国のエホバの家から使徒パウロが伝えます。

                                                  −2001.7.24−

 全世界の聖職者たちに伝える使徒パウロのメッセージ

 使徒パウロが聖職者たちにお願いしようとするパウロの心情は、大変重苦しい。その理由は、パウロがダマスコで復活のイエス様に出会う前に、あまりにも主を迫害し、主に従った多くの聖徒を苦しめ、その痛みが共に押し寄せてきているからである。

 聖職者の皆さん! 皆さんは、パウロと同じ痛みを残さないことを願い、この書信を伝えるパウロの心情を深く推し量らなければならない。目に見えない霊界書信が、容易に信じられないこともまた理解する。しかし、エホバの神の摂理歴史を皆さんが深く研究して悟るようになるならば、今摂理が神様と地上にいらっしゃるメシヤ、救世主の心情がどれほど忙しく、焦燥したものかも理解するようになるはずである。

 今パウロが、エホバの家で地上人を通してメッセージを伝えることも、神様の忙しい摂理のためである。これをどのように理解するか。これがありえることなのだろうか?

 しかしエホバのみ旨と事情は、あらかじめ準備させていたので、皆さんは幸福な立場で新しい福音を伝達されることができる、良い環境の恩恵を受けていることもまた感謝しなければならない。

 聖職者の皆さん! 皆さんの生は個人の生ではない。数千名、数万名の霊魂に責任を持っている。彼らを永遠な生の安息所に正しく導く、最も大切で貴重な責任を持って指導すべき方々であることを銘記しなければならない。

 聖職者の皆さん! パウロの書信が皆さんの信仰生活に助けになったか?

 パウロは堅く約束して、地上へ来られた再臨のメシヤに決意した。エホバの神にも約束した。聖徒を救えという使命を下さったことを、『する』と決意し、約束を何度かした。私パウロは聖職者たちに切に願う。なぜ再臨のメシヤが私たち人間に必要で、また来なければならないかをまず理解しなければならない。地上におられる文鮮明先生を、皆さんは関心を持って見なければならない。

 文鮮明先生とはどなたでしょうか? その方は、人類の真の指導者として来られた真の父母であり、再臨主として来られた救世主であられる。使徒パウロは、ダマスコで復活の主に出会って変化し、永遠の居所エホバの家でも『主よ、主よ、パウロが来ました。どこへ行けば主に会うことができますか?』と狂って、さまよった。

 しかし、パウロが懐かしがって会いたい気持ちは推し量らずに、主はあっという間に現れて、偉大な先生、メシヤを迎えろと、これから主を探すなと言って消えられた。

 あまりにも瞬間的なことだったが、パウロは愚か者ではない。ダマスコで会った復活のイエス様も瞬間であった。懐かしい主の声をパウロが知らないはずがない。パウロは原理教本に対する様々な奇跡を悟るようになり、再臨のメシヤが人類の前に必要だという根本のみ旨を察したためである。復活の主、イエス様はその時代の主であった。新約時代の主であり、成約時代の主は、文鮮明先生であり、再臨主として来られたのである。原理教本を詳細にはっきり研究すれば、すべての聖職者たちは悟るようになっている。

 全世界の聖職者たちよ! 私使徒パウロは、エホバの神の家、天国から皆さんに頼む。皆さんと共にある聖徒たちに責任を持ちなさい。私パウロも天国で責任を持つ。数多くの聖徒を探して狂ったように走る。だから、地上の聖職者の皆さんに頼むのである。万軍のエホバの神は、私たち全人類の父母であり、創造主であるので、エホバの神の心中を察しなければならない。

 息子を正しい道に導いてくれることを願い、皆が永遠の居所で、エホバの家で共に暮らすことを切に願いながら、パウロに、苦労する子供たちが地獄で生きている姿とその現場を見せながら、ポロポロと涙を流すエホバの姿もパウロは見たので・・。万軍のエホバの神は、無所不在であり、全知全能の方であり、何も惜しいもののない方であるが、地獄の子供たちゆえに胸が張り裂けるように痛みながら、その現場を放っておかなければならない。その理由は何であるか? それは天道の道ゆえである。

 聖職者の皆さん! 深くまた深く銘記しなさい。永遠な居所エホバの家にとどまることができる準備は、地上でしなければならない。割引のないここは、天道の道に命令し導く者がいない。聖職者の皆さんの責任は大変なものである。使徒パウロは、今狂っている。地上に主がおられるのに、皆さんがそのままここに来れば、私の聖徒たちはどうなるかという切なさゆえに狂っている。

 聖職者の皆さん! 私はパウロである。パウロが使徒パウロになったまさにその男が、今狂うほどに皆さんに叫んでいる。皆さんの聖徒に責任を持ちなさい。

 地上に来られた再臨のメシヤ、文鮮明先生に仕えるように導くべきであり、天の秘密の内容が隠された原理教本を精読して、正確に教えることを願う。

 地上の生は瞬間である。万軍のエホバの家にとどまる準備は、地上でしなければならない。

 お願いする。

                                            万軍のエホバの家にて

                                                   使徒パウロ

                                                  −2001.7.25−

 全世界のキリスト教の聖徒たちに伝える使徒パウロのメッセージ

 愛する聖徒の皆さん! 皆さんを愛し、皆さんを大切にする使徒パウロは、ここ万軍のエホバの神の家で経験したことを書信として送ろうと思うので、よく精読して、皆が賢明な判断をすることを願う。

 私使徒パウロは、地上を離れてここ天国へ来て、神様から多くの愛を受けながら体験したすべてを、ここに詳細に記録したので、聖徒の皆さんは、詳細に、深刻で隠密に祈る心情で精読することを願う。

 私たちが地上に肉身を持って生きるときは、永遠に肉身にしがみつき、そこに詰まって生きるように生活するが、誰でも、億万長者でも、しばらくの間生きた後には、結局皆ここに来るようになっている。少しの間通り過ぎる地上生活である。

 ところが、ここは永遠に生きていく所である。私が住むべき家は、聖徒たちがここに来て生きていく居所をつくるのではなく、地上で生活する姿によって場所と居所がつくられている。皆さんがここに来るときは、既に皆さんの家は皆完工している。そのとき、ここに皆さんの家の形と環境が嫌だと言って、他の所に暮らす家をまた建てるとするなら既に遅い。

 地上のものは、お金さえあれば自分が気に入る所に思いどおりにビルも建て、別荘も建てることができるが、ここの天の法度は、それが許されない。それは何の法か? それがまさに天法である。万軍のエホバの神が、愛する子女が地獄で言葉に表せない苦痛を味わう現場を見ながらも、彼らを救えないのは、まさに天法ゆえである。

 聖徒の皆さん、皆さんの子女たちが試験場で答案用紙を持って焦るとき、皆さんが直接入っていって答案用紙に代わりに書いてやることができるのか? 地上の法においてありえないことだが、天法はそれよりもっと割引がない。

 聖徒の皆さん! 皆さんの永遠の居所は、今から毎日毎日増築しなければならない。どこにどんな形のねぐらを願うのか? それなら今から準備しなさい。エホバの家に建てるのか、地獄に建てるのか、楽園に建てるのか、あの遠い島国に、独りでとどまる所に建てるのか? その選択も皆さんの地上の生による。

 愛する聖徒の皆さん! 皆さんは聖書を読みながら、何度かパウロの書信を読んだだろう。その書信は、パウロが肉体で生きているときの書信であり、今この書信は、使徒パウロが万軍のエホバの家で体験した生き生きした事実を、肉体を持った地上人を通して伝える内容であるから、信じなければならない。

 仮に信じられなければ、これまで無形世界であるここから送った数冊の本があるので、皆それを精読しなさい。そうしてから、決定は皆さんがするのです。

 霊界の実相に対する数冊の本をリポートしたこの女性は、キリスト教の家柄で、内外でサタンと戦っていき・・。主とエホバが育ててこられ、準備なさった。一朝一夕に、聖徒の皆さんにこの書信が伝えられるのではない。

 聖徒の皆さん! 皆さんは幸福な時代に生まれ、大変福の多い聖徒たちである。皆さん! 使徒パウロの切なる願いを祈ってみて決定しなさい。地上に来られた文鮮明先生は、この時代に来られた再臨のメシヤであられる。皆さんに再び来ると言われたメシヤが、まさに今地上で数億組を祝福しながら、人類の平和のために本当に殉教の心情で生きていく方である。

 聖徒たちよ! 今まで皆さんは文鮮明先生に石を投げた場合はなかったか? 使徒パウロが主の使徒になる前に、主の聖徒たちに数えきれないほど石の洗礼を浴びせた。それが、ダマスコで復活の主に出会った以後、今までパウロの胸に石を投げているならば、聖徒の皆さんは理解するだろうか? これが事実ならば、聖徒たちはどうするだろうか?

 サウロが使徒パウロになったように、明確に使徒パウロは聖徒たちにこのメッセージを伝達した。その決定と責任は、皆さんの持ち分である。ここエホバの家にいるのも、皆さんの決定による。私パウロは変化し、この時代に来られた再臨のメシヤと共にするならば、地獄のどん底にでも行くのであり、率先すると決意した。

 聖徒の皆さん! あなたがたは隠密に祈りなさい。生命を捧げて祈りなさい。皆さんの霊魂を救う道は、肉身の生命があるときに決定するのである。肉体を失った霊魂は、救いの道が遅れる。 新約時代のメシヤはイエス様であり、成約時代のメシヤは文鮮明先生であられる。 私たち人間を救いに来られた真のご父母様であられる。

 天国のエホバの家から使徒パウロが伝える。

                                                  −2001.7.26−

 「王権即位式と霊界の変化」についての李相軒先生のメッセージ

 すべての人類は、何の条件も理由もなく、生まれたときから原罪を持って生まれたので、堕落の根本を悟った人々は、あまりにも無念なのである。いくらよく信じた聖徒の子女たちでも、いくら善良に生きた人でも、原罪が血統的に遺伝してきたというのである。

 神様は、無念な父母の立場を守っていかれ、長い歳月を耐えてこられた。誰も無念な父母の立場を回復してあげようと努力することもしなかったし、関心もなかったし、その事実を知ることもできなかった神様の立場であられた。しかし、今や『神様王権即位式』以後、霊界の変化を地上人はよく知らないだろう。これまで神様は、困難で大変だった神様の立場、父母の立場から、今は解放された父母の立場に変わった。それはどういう意味なのか? 四大聖人や聖賢たちがセミナーをする場でも、それ以外に神様が顕現なさりたかった立場でも、神様はご自身の顕現を大きく露出させることができなかった。しかし今は、神様の現れたことを皆が分かることができるように現れる。例えば、以前には神様の恍惚な光は、あまりにも瞬間的で、目覚めた者だけが見ることができた。しかし、今やその光も以前の光よりはもっと華麗で、現れる範囲ももっと巨大で雄壮で、顕現の時間も長く、神様の光彩が分かる人々が相当多くなった。

 したがって、天上の私たちの姿は、神様の光彩の中でもっと長くとどまることができるために、私たちの心情状態は、以前よりもっと明るくて平和で、天上の私たちは以前にも平和で、平穏で、幸福で、華麗で、恍惚な光の中に生きていたが、今天上の姿は、神様の光彩の影で常に生きている気分である。

 そして特異な事実は、私たちが神様の光彩をすべて分けて持った気分である。これをどのように表現するか? 皆さんは常に、李相軒は月の国に行ってきたSF映画を地上人に話してくれると考えるだろう。しかし、もっと良い表現がない。

 しかも、他の特異な事実がある。これまで、神様の光彩は、天上だけで光を放ったが『神様王権即位式』以後からは、神様の光彩があの遠い地獄までも影響を及ぼすようになった。その地獄に照らす光は、四方を継続して照らすのではなく、周期的に、部分的に、そして瞬間的に照らされる。しかし、そこにとどまる彼らは、その光が神様の顕現であることを悟れないけれど、本当に驚くべき事実は、その光の光彩がクルクル巡回するたびに、彼ら自身の罪の姿を見ながら、罪人として生きたという事実を悟るようになるという点である。

 したがって、それは地獄で原理運動と解放運動において相当に大きな近道となった。しかし、神様の心はクルクル巡回するのではなく、その光をそのまま対価なしにそっくり下されたが、天道の道がエホバの神を痛めている。神様の痛みは相変わらずだが、それさえも神様の解放が地獄までも光を放つことができるという事実を地上人が知らないことである。しかし、それは天上の私たちには大変とてつもない福音の爆弾のようでもある。

 相軒は、初めに神様の顕現が頻繁になって、光の期間も長く、何の意味なのか恍惚となるばかりであった。しかし、恥ずかしながら、神様が『相軒よ! おまえの感激と栄光をくまなく分けろ』と言われ『地上の真の父母が、神様を神様の立場に、父母の立場に定着させたので、真の父母が孝子の中の孝子である。相軒は、いつ分別がつくのか?』と言いながら笑われた。そして神様の光彩は、相軒を慰めた。

 そしてその光は『おまえが地上に表さなければならない使命があるゆえに、それだけに熱中しなさい。構わない。構わない』と言われた。このようにまた言い聞かせ、慰労なさる神様の愛を、相軒は耐え難かった。

 地上人は『神様王権即位式』以後、霊界が変化したゆえに、地上でも知らずに起きる変化をよく実感することができないのだが、今はアンテナさえ合えば奇跡が起きるようになっている。地上の食口たちよ、勇気を持って皆努力しよう!

                                                  −2001.7.27−

                              出典:成和出版社「霊界から来た使徒パウロの書信」より