ソクラテスのメッセージ(知性世界を代表して)


 真の御父母様へ

 真のお父様、真のお母様にお捧げします。

 天上天下に二度とない貴い恩恵を頂き、私はこの恩恵に何をもっていかに報いるべきでしょうか?

 真のお父様、真のお母様!

 このソクラテスは個人的な我執が強く、地上に何の功績もなく、何にもまして神様の前に立てた功績が全くなく、申し訳ない限りです。それにもかかわらず、私がこのように貴く大切な祝福を受けたのですから、どうしてよいのか分かりません。今回神様が私に、地上にメッセージを伝達できるという特別な機会を下さいましたので、私は本当に申し訳ない思いでお伝え申し上げます。

 真のお父様、真のお母様!

 これから私はどうしたらよいのでしようか? 私は何も分かりません。また、あまりにも貴い恩恵を容易に受けて、本当に身の置き場がありません。今後は李相軒先生の指示を受けるようにと、神様の命令がありました。しかし私は、まず真のお父様と真のお母様に感謝のごあいさつを申し上げることが道理ではないかと思い、足りなきながら感謝の辞をお捧げいたします。

 私と結んでくださった金明姫先生は、私を十分に理解し、私のために祈祷してくださり、心より感謝しております。不足な私と金明姫先生を夫婦の絆で結んでくださったことに感謝申し上げます。今後私は祝福の価値を貴重に思いながら、張り合いのある日々を送ることを、真の御父母様にお約束いたします。すべてに感謝し祈祷しつつ生活いたします。

 真のお父様、真のお母様、神様に心より感謝申し上げます。

 これからは原理の内容を熱心に学びます。そして天上の神様の命令によく従いつつ、一方で私の誤った我執を除去すべく努力いたします。私は祝福が極めて貴く大切なものであると悟っています。私たちの周囲にいる数多くの霊人たちは、私たちを非常に羨み、真のお父様と真のお母様に関して知ろうという格別な関心を寄せています。

 真のお父様、真のお母様!

 いまだに少し不慣れではありますが、今後徐々に私の父、私の母のように親しくお呼びできる日が来ることを約束し、原理のみ言を熱心に学びます。ありがとうございます。ありがとうございます。そして李相軒先生にも心から感謝いたします。

 玉体万彊をお祈り申し上げます。

                                            天上より ソクラテス拝

                                                  −1998.8.13.-

            出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(3) 人生の果てにゆく道」(成和出版社)より


 真の御父母様、私はソクラテスです。

 足りなき私を祝福してくださったことに常に感謝しております。今日もこのような貴い恩賜、唯一無二なる機会を許してくださった神様に、そして李相軒先生に感謝と栄光をお捧げいたします。今や私たちは神様の永遠な愛を知り、復帰摂理の方向性も、人類歴史の出発点で起こった途方もない事件をも知るに至りました。

 哲人や知性人の多くは、自分の知性、知識ゆえに人生の正しい方向性に関する確信を持てずにいます。人生について深く考えて討論することを好み、すべてに徹底し、強い我執を持っていたソクラテス、誰も近寄りがたい性格の所有者でした。人類歴史の方向性と創造原理を悟ってからは、地上生活における私の人生はほとんど虚しく、無意味であったことを悟るに至りました。

 真の御父母様! 原理教育を受け、こちらでは教授や博士の知識がすべてではないということを悟りました。もし知性人が、自らのわずかばかりの専攻知識で頭が堅くなっているとすれば、彼は実に恥ずかしい日を迎えることになると考えられます。神様の前ではそのような知識は必要ありません。唯一地上の生活に対する正しい価値基準のみが必要とされます。

 地上で一国の大統領を長く務めてこちらに来れば、神様は他の人よりも彼をより寛大に待遇してくださるものと私は思っておりました。また、多くの人類の生命を生かすために献身的に生活した教職者(修道女、神父、牧師)は必ず神様の世界へ行くであろうと思っていたのですが、こちらの実相を注意深く見ると、私のそういった考えは誤ったものであることが分かりました。

 そのような基準で地上での生涯というものを考えてみるときに、私の地上における生涯がどれほど悔しく虚しいものであったがが容易に分かりました。この事実をすべての地上人が知ったならば、彼らの地上生活の方向性を正しく定めることができるはずです。

 人生における地上生活というのは、一時的に通り過ぎる生活に過ぎません。地上では永遠なるこの世界をまともに認識できないので、ほとんどの人達はこちらに来て慟哭することになります。

 私はこちらで、ある政界の知性人と討論したことがあります。私は彼に自然と原理の一部を説明して文鮮明先生の生涯を紹介しました。そして私たちは自由な雰囲気の中で多くの討論をしました。彼は結論的に「文先生にメシアとして侍るべきだという事実をすべての知性人が知っているのか」という質問をしました。私は彼に「ほとんどの知性人はその事実を知らないであろう」と答えた後、「私はここでその事実を知性人たちに知らせようと伝道し、祈祷しています」と言いました。

 すると、彼は私に「神様がその事実をすべての人類に知らせれば良いものを、なぜ一部の人にだけ特典を与えているのか。私は地上で私の祖国のために懸命に働いたのに、なぜ今私の存在を認めてくれる者がいないのか」と問い詰めました。彼はあまりにも悔しいというのです。彼は自分の祖国のために献身的に犠牲となったのに、環境的恩恵を受けられなかった点があまりにも悔しいと一言いました。彼は私に「私は今後どうすれば良いのか」という質問をしました。私は彼に「早く原理教育を受けて、来たるべきメシアを迎えるときまであなたの知性を通じて多くの人に原理教育を受けさせなさい」と言うと、彼は自尊心がとても傷付くと言いました。

 お父様、知性人達や哲人たちの頭脳に、神様の聖霊が旋風のごとく吹きまくるようにしてください。彼らが神様の愛を体恤して子女の立場に立つには、少なからぬ努力が必要だと思われます。

 しかし、真の御父母様、失望しないで下さい。ソクラテスのような愚か者、他人の話を聞くことを拒んでいた頑固者も、お父様の原理教育を受けて人生の新たなる方向性を定め始めました。お父様、待っていらっしゃれば良いことがあるはずです。こちらの知性人たちは休まずに原理セミナーに参加しています。教育に参加した者の生活する姿も、日に日に向上しています。劉孝元先生は原理博士です。居ても立っても原理、道を歩きながらも原理、人に会えば二性性相などを語られます。ところで二性性相は原理のかたまり、原理の真髄のようなものです。

 御父母様! 私も原理の内容を完全に悟った後に、こちらの知性人の心を溶かすような心情的な教育をしてみたいものです。その日が来るまでひたすら原理の勉強に熱中いたします。統一食口たちのような名講義は期待できませんが、ソクラテス式講義を体系化して知性人たちの精神改革のための教育に専念しようと思います。

 お父様! まだこの国へおいでになってはなりません。しかし、私たち四大聖人の一様なる念願は唯一、御父母様に直接お目にかかって侍りたいということです。御父母様、慕わしく存じます。直接一度もお目にかかったことはありませんが、そのお顔を私たちは常に慕っております。金明姫女史は家庭的な女性です。女史は常に私を家庭の主人として迎えてくれるので、本当にありがたく思います。御父母様、地上生活で女性運のなかった私に、あのように立派な女性を与えてくださり、感謝しております。私の家庭に不足な点がございましたらお許し下さい。今後私の家庭はお父様の前に成熟した子女となるよう努力いたします。

 お父様の傘寿を心よりお祝い申し上げます。

 知性世界で人類の王として即位なさる日を心待ちにしながら、私たちは共にその日のために祈祷いたします。

                                                                      ソクラテス 拝

                                                       (一九九九年十二月三十一日)

                 出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(4) 天上天下の救世主 真の父母」(成和出版社)より


 真のご父母様におささげいたします。 

 この不足な者が、真のご父母様の祝福の恩賜を賜り、今新しく霊界の境界線が撤廃され、宗教間の障壁が崩れるという歴史的な行事を前にして、いくつかお話し申し上げようと思います。

  私は、古代ギリシャのアテネで石工の父と助産婦の母との間に生まれました。私が生まれたアテネは、ペリグレスの統治下で最高の栄光を享受している時でした。私はそこで育ちました。 

 当時の宇宙論的哲学を学び、たくさんの公開論争、特にソフィストたちとの論争に参与し、多くの対話をしました。ソフィストは、実用的な知恵の補給者たちであり、修辞学の教師であり、アテネ市民が扱おうとするすべての問題に対して論争する人たちでした。 

 私は、このような教師たちに対する私の産婆術的な問いかけと、弁が立ち、さもありそうな彼らの論弁を、ときどき混乱に陥れることで有名になりました。私の深く、絶えない関心事は、人間と倫理的なことについてでした。 

 また、私の意図は、すべての人が、自分の存在意味として賦与された究極の根拠に関して無知であることを悟り、それを追求することが何よりも貴重であるという事実を悟るように促すところにありました。 

 もちろん、私がそのことを知っているということではありません。かえって、究極的な根拠に関して無知を悟り、それに対して追求することを通して、この行き詰まった壁の中にとどまるところに私の哲学がありました。 

 それは、私自身を根源から問いかけられる所に置いておくことであり、このような方法で私自身のすべてを根源にもう一度、照らし合わせるということでした。 

 また、私は、理想国家に対して深い関心を持っていました。そして、人を幸福にするもの、正しいというもの、勇敢に関して、関心を持つようになりました。それだけでなく、これを具体的に実践し、徳を積むことに多くの関心と苦心をするようになりました。 

 ところが、このような根源的問いかけに対して、明確な答えを霊界に来ても得ることができなかったのですが、興進様の修練所で『原理』のみ言に接して、このような哲学の根源的問いかけに対する解答が一瞬で解けるようになりました。これは、私の人生観を新しく転換する契機となりました。

 真理に至る道においても、単純な外的な答えを通して得られるのではなく、真のご父母様を通した真の愛の関係性を通して、神様との根源的出会いを通して成し遂げられるということを知るようになりました。 

 その価値の中心が神様であられ、真の愛を通した真の家庭理想を成し遂げることが、人間が行くべき根源的道であるということを知るようになったのです。

 また、『原理』を通して神様の創造の秩序と神様のお姿、構造、関係性に関して深い認識を持つようになりました。結局、根本は、真の愛を通して真のご父母様から祝福を受け、神様の心情を中心とした真の愛の理想圏を成すことにあるということを知りました。

 私は、家庭的に見れば、完全な家庭を成すことができませんでした。妻との関係性が悪く、家庭的な不和を抱えていました。このように苦痛を受けている卑賤な私に、真のご父母様は祝福をしてくださいました。どれほど感謝なことか分かりません。

 今回の十月十四日の行事を通して私が願うことは、宗教圏の境界線も撤廃されなければなりませんが、人間の理性と哲学の世界おいても、神様との出会いにおいて障壁を崩し、真なる哲学の根源的問いかけが神様の真の愛を悟ることにある、ということをすべての哲学者たちが認識することです。

 単純な論理の主張ではなく、絶対価値を捜し立てることにおいて先頭に立つことを誓います。

 また、真のご父母様がなされることに対して、地上の人間たちはいまだに無知であり、その価値をよく分からずにいますが、霊界では真のご父母様がなされることに対してあまりにもよく知っておりますので、その価値を生かして、さらによりいっそう一生懸命にしようという祝宴の雰囲気で盛り上がっております。

 真のご父母様が、ある摂理の内容を宣布されるたびに、まっ暗にふさがっていた長いトンネルが、一つずつ開けられていくことを見ることができます。これがどれほどうれしく、感謝なことか、私たち全員が痛感しております。

 サタンがつくった、すべての境界線を撤廃してくださったことに、もう一度感謝申し上げ、真のご父母様が千寿万寿を享受されることを切にお祈りいたします。

                                       出典「光言社:ファミリー2000年12月号」P.67〜68より


 ソクラテス様が知性人に願うこと

 ソクラテスは、アテネの元老たちから裏切られることになったが、ソクラテスが主張したすべての理論が当時の市民の精神を混乱させたとしても、彼らが一人の人間の生命をもう少し大切に、高貴に思ってほしかったという考えに混ることが多かった。人間の生命は肉眼で判断すべきではないからである。一握の微々たる万物であれ、神の創造の手によらない創造物がどこにあろうか? そして人間は、神の作品のうちでも、最も大切で崇高な存在として、あらゆる知性と精誠を尽くしてつくられた神の子女ではなかったのか?

 神の子女としてつくられた人間は、それを知らずに生きてきた。地上での父母と子女の関係を考えてみなさい。父母と子女は常に慕わしさの中で、お互いの出会いと離別にどれほど胸を痛めるか? 父母と子女は一つ屋根の下で愛情を交えて対話し、幸福に生きるではないか? 神もそのように生きることを願われるであろう。人間の創造主であられる神は、愛の本体であり、情の塊自体であるが、人間の創造以後、誤った歴史が流れる中で、神と人間の関係が断絶されたのである。このような状態にある神の心情はいかばかりか?

 知性人たちよ! ソクラテスはアテネの陪審員たちから不信され、裏切られた男であった。当時の悔しさと悲しみは言葉では語り尽くせないが、ここの神の傍らに来てみると、さらにもう一つ悲しくて悔しいことがあるということを知った。それは、神と人間の関係を知らなかったという事実である。これより悲しく悔しい事情がどこにあるだろうか? 自らの父母を知らず、人間をこの上なく愛してこられた神の愛を知らず、悠久なる歳月をかけて子女を待たれる神の痛みを、私たち人類は知らなかったのである。今やこうした事実を知ったソクラテスの痛みは表現するすべがない。

 知性人たちよ! 父母と子女の間で知識と学問を自慢して生きてきたのか? 人間生活において、最も大切なのは、父子の関係を回復し維持していくことである。いかなる学問の発見より偉大なことである。しかし、肉身を支えるため地上では、すべての知性社会の中心の立場がとても大切なことをソクラテスが知らないであろうか? 自らの父母に大切に侍ることは、いかなるものとも比べようのない、高貴なことであると肝に銘じなさい。この神の傍らで、何が必要というのか? 「神は私の父母であり、私は神の子女です」というのは、血統の立場が最高位にあることを意味するのである。

 知性人たちよ! 肉身は地上で生活するときだけ必要であり、皆さんの持つ知識と学問もまた大体そういったものである。それゆえ、ここに入籍する来世の準備のためにも、内的な知識を備えなければならない。あまりに無知で何も知らないまま、自身の学問にだけ執着し、ある日突然に肉身と霊魂が分離すれば、その霊魂はどこに行くのか? これは深く考えてみるべき問題である。来世は間違い無く存在し、私たちの霊魂はここで永存するという事実を肝に銘じなさい。

 したがって、備えなき霊魂はここではとどまる所がない。地上で道端の乞食を見たか? 乞食は自分の居場所がないため、道端が自分の居場所である。皆さんの霊魂は、とどまる居場所を地上で備えなければならない。ソクラテスの地上生活において、人間の外的な学問と知識も貴重だったが、それより人間の内的な良識と真理、いわゆる哲学を常に追求した。これを解明するため、どれほど多くの時間を投資したか分からない。地上で、刹那的な生活を送るためのものではなく、人間の内的真理を追求しているうち、知性人の立場にゴールインした。どうして永遠なる居場所に来るのに、苦労と努力の代価が不要であろうか? その苦労と努力と投資の結実として、ここで永遠なる幸福の立場にとどまるようになったのである。

 ソクラテスが知性人にこのようにお願いするまで、幾度かのつらい峠を通過した。それは何か? ここも地上のように様々な姿で生きている。そして、地上のように多様な宗教と宗派がある。ところで、ここの知性人たちの集いで、人生の行くべき道という主題で原理講義を聞くことになった。ここでソクラテスは、新しい真理に触れたのだが、それは人間の根本なる生を悟らせる真理であった。この真理によって実に驚くほど変わっていく自身の姿に、自ら自尊心が大変傷ついたりもした。幾度も首を横に振って、この真理を否定したかった。それが真理でないことを願った。この途方もない原理が、どこから出たのか知って、幾度か心の葛藤が起きた。知性人としての威信と体面が根こそぎ吹っ飛んでしまうソクラテス自身が、とても恥ずかしくもあった。しかし、これは間違いない真理なので、どうするか? 

 そして、ソクラテスは自分のすべてを捨てた。知性も自尊心も皆捨てた。そして、この真理の前にすべてを投資するつもりで、地上の皆さんにメッセージを伝える。

 知性人たちよ! 皆さんの知性を総動員するとしても、神の知性と比較することができようか? 天地万物を創造されるとき、何の考えと計画もなく万物がとんとんと生じたであろうか? 皆さんの知性と能力をすべて売っても、神の能力と知性を買うことはできないであろう。科学がいくら発達したとしても、自然の道理を変えうるであろうか? 科学の主人公はまさに神である。ソクラテスが発見した神の能力と神性は、それをすべて表現しえない。それだけではない。今、レポートする女性は地上人であり、ソクラテスは霊人である。この事実についても知性人が理解するだろうか? この事実もまた神の能力である。時が来たから、天の秘密を地上人に告げて、神の子女たちを正しく導くためである。

 神の心情を確認したので、この霊界ではすべてが簡単に解決される。方向も一様に同一である。しかし、地上人においては、すべてが大変複雑である。それは、正しく方向が設定されていないからである。知性人たちよ! 神は子女を正しく立てるために、様々な方法を動員して苦労しておられる。皆さんは、神を見たか? 神は無形で、体のない方である。しかし、子女を探そうとする神の一念は、数千年が過ぎても変わることはなかった。そうして、神のみ旨に代わって、文鮮明先生を地上に遣わし、人間か歩んでいくべき方向を設定するため、私たち人類に統一原理を明らかにしてくださった。その原理は、人間の知性で書かれたものではなく、文鮮明先生が神と論議し、サタンと血闘を繰り広げて見いだした人間の救世書である。それを精読してみなさい。それには人生のすべてが含まれている。それを精読してみなさい。そうすれば、皆さんの知性が皆さんの霊魂をどの程度呼び覚ましたか分析でき、皆さんがどのように生活すべきで、生活の方向をどこに定めるべきか悟れるであろう。

 知性人たちよ! 皆さんが考えた偉大な人物、偉人や尊敬の対象とは誰か? 自問自答してみなさい。彼らの大部分は、地上生活に必要な内容を残した偉人たちであろう。しかし、皆さんの来世の生活にまで責任を負おうとする偉大なる師を、皆さんは、まだ探せなかったであろう。文鮮明先生は、私たちの来世の永存を悟らせてくださり、私たちの霊魂にまで責任を持とうとされる神の代わりの使命を持って、人類を永遠なる平和の道に導いておられる。

 その方を研究してみなさい。そして、その方より偉大な師がいるのか、比較して探してみなさい。もし、地上に来られた偉大なる師として、この方より偉大な師がいないと思ったら、皆さんはどうするか? 深刻な立場であり、深刻な時間であり、皆さんの人生に重大な決断を要する時間である。人生は長くはない。来世は明らかに存在する。それならば、真の師に会って来世を研究し、備えるのが賢明と考えないか?

 皆さんの学問も知性も神に誇るものとはならない。謙虚な者のみが、神と共にとどまることができる。その方の偉大な真理を学び、皆さんのものとして消化して、永遠なるこの場に来るとき、無知な乞食の姿は免れねばならない。最高の知性人は、神に自身の父母様として仕える人であろう。そういう人のみが、最高の知性人という結論を結びたい。

                                                  -2001.4.10.-

       出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(8・9) 四大聖人たちの霊界セミナー」(成和出版社)より